札幌の赤レンガ・近代建築
(札幌時計台・北海道庁旧本庁舎・札幌市資料館・北海道大学)
今回の北海道旅行は近代建築探訪が目的ではないので、何も調べずに出かけた。札幌の町と北海道大学構内を歩いている間に出会った赤レンガと近代建築である。帰ってきてから今回も行けなかったサッポロビール園と工事中で見られなかった北大第二農場を見ぞこなったことが心残りだ。
(1)札幌時計台
この時計台は重要文化財。私の場合石原裕次郎の「恋の町札幌」で知ったように思う。
この建物は「旧札幌農学校演武場」というのが正式な名前らしい。1878年(明治11年)に現在地から少し離れた場所で農学校の武道場、体育館として使用されたようだ。北海道開拓使工業局が設計・監督し建造された。
(2)北海道庁旧本庁舎
札幌の町を歩いていたら、「あっ道庁!」と気づくことが何度もありました。どの方向から見ているのか分からなかったのですが、赤レンガの存在感は強烈でした。
1888年(明治21年)、設計は井上晴二郎を主任とした道庁技師。アメリカ風ネオ・バロック様式のれんが造り。建築資材のれんが、硬石、木材などの多くは、道産品を使用。(と入口でもらったパンフレットにあります)
これは正面からの写真。パンフには後ろ姿美人とありますからどの方向から見てもカッコいい建物なのです。
33mの高さは現在の10階建てに相当するそうですから建築当時はみな驚いたことでしょう。
1969年国の重要文化財に指定。
(3)札幌市資料館(旧札幌控訴院)
ホテルから大通りを歩いて北海道大学まで行くことにしました。大通公園の西端に札幌市資料館がありました。明治村でこのような石積みの建築物を見たことがあったなあと思いだしておりました。午前8時開館前でしたから中へは入ることが出来ませんでした。重厚な建築物だなとよく見ると、目隠しした女性のレリーフ。それに天秤ばかり。これは司法関係の建物かなと思ったのですが、漢字が読めません。「札幌控訴院」だと帰ってから知りました。
札幌資料館のHPにはこんな説明がありました。 「札幌市資料館は、大正15年(1926)に札幌控訴院として建てられた建物です。札幌軟石を使った建物としては全国的にも貴重なものであり、平成9年(1997)5月には国の登録有形文化財に選定されました。 裁判所の移転に伴い、昭和48年(1973)11月3日に札幌市資料館として開館しました。以来、札幌の歴史を紹介する施設として広く親しまれてきましたが、これまで館内で歴史展示室および郷土史相談・市史編さんなどを行ってきた文化資料室が移転したことから、平成18年11月にリニューアルを行い、控訴院時代の法廷を復元した「刑事法廷展示室」や「街づくりの歴史展示室」、「法と司法の展示室」の常設展示室等を設置しました。また、平成23年10月4日から新渡戸稲造が創設した「遠友夜学校記念室」も加わりました。その外に「おおば比呂司記念室」や貸室として「ミニギャラリー」、「研修室」があります」 |
(4)北海道大学の赤レンガ
私の参加した研究会は1日目道新ホール、2日目と3日目は北海道大学で行われました。2日目、京都から行った仲間とクラーク像前で待ち合わせました。研究会会場は第二農場の近くだったので、総合博物館をはじめ魅力的な建物群があることに感心していました。
3日目に北海道大学構内を案内して下さるという講座があり参加しました。これに参加して北大の魅力を教えていただきました。
(1)北大旧正門門柱
この門のずっと南に旧道庁の赤レンガが見えます。この右手の門衛所も当時のものだそうです。
1936年陸軍大演習が行われ昭和天皇を迎えるために新しい正門が築造され、この旧正門はここ南門へ移されたそうです。(北大キャンパスガイドマップより)いつ頃の造られた正門なのか分かりませんが、相当な年数なのではないかと想像しました。
(2)旧札幌農学校図書館書庫
芝生の向こうに赤レンガが見えました。近くへ寄ってみると、この辺りは農学部関係の建物が集中している場所でした。このエリアに私好みの建物がありました。しかし赤レンガはこれだけでした。
(5)北海道大学の近代建築
(1)旧札幌農学校図書館読書室
これは、すぐ上の赤レンガ書庫の前にある旧図書室の建物です。色づかいがおしゃれでカフェのような雰囲気です。
(2)旧昆虫学及養蚕学教室
屋根のうす緑色が効いています。上品で風景になじんでいます。昆虫養蚕の研究とどうも結びつかない建物です。国登録文化財指定。1901(明治34年)木造平屋建で、文部大臣官房札幌出張所の中條誠一郎設計。施行は庄司惣助。札幌農学校の校舎群が現キャンパスに移転したとき建てられた校舎の中で現存する最古のもの。建てられた当時は瓦葺きだったそうですが、今の方が似合うように思います。
(3)旧北海道帝国大学農学部昆虫学標本室
(2)旧昆虫学及養蚕学教室の後ろにあるこの小屋のような建物が気になった。今ツタが絡まるこの建物は、大通り公園の旧札幌控訴院と同じ札幌軟石が使われているのではなかと思った。北国の建物らしい雰囲気がプンプンする。下の説明板の文章を読んで、この建物建設を陳情した松村松年教授の思いを想像した。
建築年は1927年(昭和2)。構造、石造・一部鉄筋コンクリート造平屋。設計、北海道帝国大学営繕課(桝谷乙治)。1896年(明治29)、札幌農学校に日本最初の昆虫学教室が開設された。担当した松村松年教授は長年陳情の末、漸(ようや)く実現したのがこの不燃構造の標本室である。外壁は石造、床、天井は鉄筋コンクリートの混構造で窓も防火対策が施されている。以前は南側の教室棟と昆虫飼育室などでつながっていた。松村松年は、1895(明治28)の札幌農学校卒業と同時に昆虫学教室に留まり、1902年に教授となった、わが国昆虫学の基礎を築いた人物である。(この建物の説明板より) |
(4)古河講堂
この建物は木像二階建てで国登録文化財指定。1909年(明治42)古河財閥家が政府に献金した100万円の一部で建設された。当初は林学教室、のち教養部本部として使用。アメリカン・ヴィクトリアン様式の建物。フランス伝来のマンサード屋根など様々な建築様式の組み合わせが特徴。設計は文部大臣官房建築課札幌出張所(新山平四郎)施行は新開新太郎。現在は文学研究科の研究室として使用。
古河財閥と言えば足尾銅山で財を成した政商。小野組から独立した京都出身の古河市兵衛が渋沢栄一という後ろ盾を得て大財閥になった。ガイドさんも、足尾鉱毒事件に触れてお話しになった。
1903年に初代古河市兵衛は亡くなっており、この100万円の寄付をしたのは三代目虎之助である。原敬の助言で九州帝国大学と東北帝国大学(のちの北海道大学)に寄付したらしい。原敬の助言はもちろん世間の古河に対する非難を和らげるという目的があったものと思われる。この寄付は1907年から5年間で106万円に達した。
(5)総合博物館
(旧北海道帝国大学理学部本館)
大きい。ひときわ目を惹く立派な建物で貫禄がある。現在総合博物館である。1929年(昭和4)建設。理学部本館として使われていた。
ゆっくり見て回る時間はなかった。
天井の漆喰装飾と窓、柱のバランスが美しい。
恐竜の化石や鉱物標本、ノーベル化学賞の鈴木博士の部屋展示などがあった。
廊下に上のゴリラがいた。作品名は「地球介護、、、」と確か書いてあった。これは校内のニレの木が10年前の台風で倒れたときに、倒木を使って製作されたということであった。そう言えば平成16年の風速50mの台風18号被害はよほど人々の心に深く残っているようで、タクシーの運転手の方何人も「あの時は」とおっしゃった。北大では名物ポプラ並木が51本中19本、根元から倒れ、8本が幹だけ残して傾くなどの被害を受けたそうだ。北大全体では1900本の樹木が被害を受けたらしい。
かばの顔の部分の骨格標本があった。何でまた?と思ったが、記念に撮った。で、どこのかばさんなのか気になった。北海道には、円山(札幌)、帯広、旭山動物園にカバがいる。
(6)その他
十把一絡げのようで申し訳ないがあとは一枚ずつの写真で紹介する。
まん中の建物は農学部本館である。「雑誌やTVなどで北海道大学を代表する建物として紹介される。1935年建設。ただし、大戦の影響もあって当初の構想が完成したのは1960年であった」とキャンパスガイドマップにあった。札幌農学校を母体としている北大は何と言っても農学部が様々な面で伝統があり、権威を持っているのだなと思った。
クラーク博士像 | 新渡戸稲造博士像 | 農学部本館 | ニレの大木 | ポプラ並木 |
札幌農学校第二農場を見学したかったなと思う。こんな状態だった。
ひょっとしたら、私が見たかったレンガ建築は見られたのかも知れないが、もう後の祭りだ。
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