あんた、ひょっとして赤いクツはいてた女の子? 横浜から異人さんに連れて行かれたという。 違う?ああそう。 あの歌の女の子って今どうしてるのかな。 |
2003・3・3
*赤い靴はいてた・女の子・異人さんに連れられて・行っちゃった
横浜の波止場から・船に乗って・・・(あとどう続くのかな)
昔「子とり」に取られるから夕方早く帰るように言われました。「子とり」に取られたらサーカスに売られて、酢を飲まされて、体を柔かくされて、曲芸をさせられると言われてこわいなあと思いました。サーカスの人はみんな「子とり」に取られたんだと思うとすごくかわいそうになりました。(サーカスに対するひどい偏見の話ですね、今考えると)
そういう話と赤い靴の歌にでてくる女の子が重なってかわいそうに思ったものです。
この「異人さん」を「イイじいさん」「曾(ひい)じいさん」「ヒヒじいさん」だと思ってたという人は、何というひどいじいさんだと思っていたというのを聞きました。
私は何というひどい外国人だろうと思ってました。アメリカに戦争に負けてみんな負け犬根性だった頃でしたから、女の子を買っていく異人さんに文句も言えないのだなと思ったものでした。
でも本当はこの歌どういう情景を歌ったものなのでしょうか。どこか旅行してるときに(北海道だったかな?)この歌の碑があったように思うのですが忘れてしまいました。知ってる人掲示板で教えてください。
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かまきりりゅうじさんが教えてくださいました。(掲示板より)
デジカメ写真劇場59「拉致かな?」いま拝見。すでにどなたかから書き込みがあったかもわかりませんが、拉致ではありません。
京都教育大学の国語教育の植山俊宏先生が書かれた「風呂で読む・童謡」という冊子に「赤い靴」の歌詞と解説があります。
横浜の山下公園はじめ全国に数箇所歌碑やらその像があるそうで、写真劇場の像もそのうちの一つかどうか分かりませんが。それはとにかく以下同書から引用します。
「この歌には、9歳のきみという女の子のモデルがあり、家庭の事情で、アメリカ人宣教師の養女となって渡米する予定であった。野口雨情が札幌で新聞記者をしていた頃、たまたま隣住まいとなったきみの実母がその事情を語ったらしい。しかしきみは、渡米直前に亡くなる。」
歌詞とその解説もありますが、ご希望でしたらまた後で
歌詞とその解説を同書のまま紹介します。
赤い靴 作詞 野口雨情 作曲 本居長世・T10/12
赤い靴 はいてた
女の子
異人さんに つれられて
行っちゃった
横浜の 埠頭(はとば)から
船に乗って
異人さんに つれられて
行っちゃった
今では 青い目に
なっちゃって
異人さんのお国に
いるんだろ
赤い靴 見るたび
考える
異人さんに逢うたび
考える
何とも切ない歌である。赤い靴や異人さん、横浜の埠頭という言葉は、歌詞、メロディとともに歌が作られた当時の切なさを伝えて余りある。第一連から第三連までは、赤い靴を履いた女の子の物語。それを語る子ども(おそらく男の子)の姿は前面に出てこない。これだけでも十分哀愁が漂うが、第四連でその女の子のことをいなくなった今でも思う語り手の内面が吐露される。終わりのない憐憫の情。
第一連、第二連が過去形で終わっているのに対して、第三連では現在推量の表現が用いられ、最終第四連では、現在形となる。語り手の子どもの心情が継続しているように見受けられ、そのまま唄い手の心にも同じように作用してくる。巧みな構成で、起承転結の典型。
そして前の「この歌には・・」に続きます。
赤い靴の植山先生の解説見事ですね。詩の解説もああいうふうに書いてくださるとよくわかります。大正10年頃(以前ですね)に家庭の事情のため異人さんに養女としてもらわれていく女の子。そういう話に心動かされた野口雨情。語り手の少年は「異人さん」と「赤い靴」を見るたびに「考える」というのですが、それはこの少女の現在であり、当時の日本のありようだったのではないかと思いました。そうすると私が戦後すぐにこの歌を聴いて、その当時の世相の中で、異人さんに連れられて行く女の子に何も文句が言えない、あるいは何もできない情けない日本を感じたのはあながち的はずれでもないのかなと思いました。そしてさらにイラクでも今そういう子どもがいるのではないかと想像しました。日本ではいまだに異人さんの言いなりになっているのでないかと思われるニュースを昨夜も見ました。
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