伏見ぶらぶら5

治部池伝説

 治部池(じぶいけ)は伏見城に関係がある。2003年1月末閉鎖された伏見桃山城キャッスルランド(昭和38年3月近畿日本鉄道株式会社開設)は伏見城御花畠山荘跡に建てられたものである。その御花畠山荘南側大手門に一番近いところに治部少丸と言われる建物があった。治部池は御花畠山荘と治部少丸との間にあった池である。治部少丸というのは石田三成が伏見城内に建てることを許された上屋敷だそうだ。そしてこの治部池は伏見城の内堀の一部と考えられるようである。なお同じ名前の治部池が滋賀県長浜市にもある。やはり石田三成ゆかりの池である。
 石田三成(1560〜1600)安土桃山時代の武将。名は佐吉。治部少輔と称。近江の人。豊臣秀吉の寵を得て五奉行の一人となりとくに経済政策の面に活躍した。佐和山城18万石の城主。後、徳川家康を除こうとして、秀頼を擁して挙兵。1600年関ヶ原の戦(天下分け目の戦い)西軍の実質上の大将。徳川家康に破れ六条河原で無念の思いで首をはねられる。
 伏見城は秀吉死後(1598年8月)徳川家康が五大老の筆頭として入城。1623年(元和9年)3代将軍徳川家光の時廃城。

■祖母に聞いた話

 私の祖母は永井久太郎町にある「農林試験場」で働いていた。その仕事の関係でこの治部池や桓武陵や明治天皇桃山陵の中にも入ることがあった。明治陵ではマツタケが採れるなどという話をしていた。
 その祖母が私に言っていたことがある。
「絶対、治部池には近づくな」「あの池には幽霊がいる」「あの池は底なしだ」「池に引き込まれる」
子ども心に恐い池だと思ったものであった。
 詳しく聞くとこんな話をしてくれた。
 戦前の話である。祖母の兄は桃山南口に昔あった「捺染工場」で工場長をしていた。
 ある夏の日、桃山南口から桃山御陵を抜けて自宅のある丹波橋まで帰る途中、この治部池にさしかかった。すると、突然雨がポツポツ降り始め辺りは暗くなった。こんな暗い林の中で雨宿りはいやだなと思いながらも、しかたなく治部池のほとりの大きな木の下で雨宿りをすることにした。雨はなかなか止まず、大きな音を立てて池の面を打ち続けていた。することもなくぼんやり池の面を見ていると、池の表面から白いモヤが立ち始めた。何事かと目をこらして見ていると、池の中心部から馬に乗り鎧兜(よろいかぶと)を身にまとった武者たちが湧くように何人も浮かび上がってきた。合戦支度のその武者達をよく見るとなんと骸骨ではないか!そしていななく馬たち、ときの声をあげる武者達!!!
 兄は転げるように治部池から逃げ出し、雨の中を家へ走り帰ったという。そして三日三晩高熱を出してうなされ続けた。 

■治部池へ行こう!

 京阪丹波橋駅下車丹波橋通りを東へ。国道24号を超えJR奈良線の踏切を越える。すると桓武天皇陵の入口になる。

(1)桓武天皇柏原陵

 ここの参道に「マテバシイ」の木がある。このマテバシイの実が大きい。長さ5pで直径1pを超えるものもある。子どものころ「いっちん」と言っていた。毎年9月末から10月初め頃拾いに行く。コマを作ったり笛を作ったりして遊べる。これをホウラクで炒って食べたことがあった。栗みたいな味がした記憶がある。
 桓武天皇は794年京都に都を遷した(平安京)天皇である。これだけ歴史上有名で京都にとっても重要な天皇であるにもかかわらず、その陵(桓武天皇柏原陵)については諸説あるようである。
 その諸説とは・・・
@秀吉の桃山城築城の際に完全に破壊された。
A浄蓮華院のあるところ(俗にここを“桓武さん”というらしい)
B古御香町の「古御香宮(御香宮御旅所)」のあるところ(陵墓参考地になっている)
C現在の場所である永井久太郎町
*桓武天皇は大同元年(806)崩御。葛野郡宇陀野が山陵の地と定めらたが都に異変がしきりに起こったため改めて紀伊郡柏原の地に葬られた。その地は明確ではないが、稲荷山の南、伏見山中にあって、規模は応神・仁徳陵の比ではなかったというのだが・・・。

(2)いよいよ治部池!

 この桓武天皇陵から明治天皇桃山陵へ抜ける道に問題の「治部池」はある。治部池に近づくと何か動物の鳴き声が聞こえてきた。ウシガエルかなと思った。しかし今の季節そんなことはないな。あれ?である。
竹や雑木の間に治部池が見える

(3)残念ながら立ち入り禁止!

昔はここから中に入れたが現在は有刺鉄線が張られており「立入禁止」の札が下がっている。

(4)治部池の周りにある7つの奇石

 これは2003年3月30日の撮影である。治部池の周りに奇妙な石を見つけた。伏見城に関係があるのか、それ以前の桓武陵の関係なのか、自然石なのか、分からない。しかし私にはどう見ても動物の顔や人間の顔が見えてしまうのだ。たまたまそうなのか、治部池だからなのか、そこらはこれを見る方の想像力にお任せすることにする。名前は私が勝手につけた。歯型石と名付けた石は明らかに加工されている。

1,動物石

動物石・たくさん動物がいる
猿の顔 キツネの顔
ひつじ・龍・猿などの顔と人の顔も見える

(2)歯型石

(3)阿吽石(老人石・カエル石)

 これは明治天皇陵の方から見た治部池入口(下の写真のちょうど真ん中道が曲がっているところ右側)付近。入口左右に石がある。まるで阿吽像のようにある。
左・老人石・目を閉じた老人に見える 右・カエル石・この写真では子熊にも

(4)人面石

羊だと言えば羊にも見えるが、彫りの深い人間の顔に見える。

(5)獅子石

獅子(ライオン)が口を開けているようにも
あごの長い人物が口を開けているようにも見える

(6)亀甲石

 どうでしょうか?これ以外にも牛に見えるものもありましたが、うまく写真が撮れませんでした。
 まあ、一度確かめがてら、治部池へでかける気になられたでしょうか。案外私以上の発見があるかもしれません。

■明治天皇伏見桃山陵

 ここは秀吉の伏見城の本丸にあたるところで、明治天皇の墳丘のあるところは天守閣の少し南に当たる。そして昭憲皇太后(明治天皇皇后)の伏見桃山東陵はその東側にあるが、そこは名護屋丸址だという。
 今たえず散歩、ジョギングする方などが行き交う。静けさといこい、自然を求めて人が集う。
南を望む。景勝の地伏見。巨椋池はないが 230段の階段

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