京大の近代建築

◆京都大学人文科学研究所分館(旧・東方文化学院京都研究所)

所在地 京都市左京区北白川東小倉町47
竣工年 昭和5年(1930)
設計者 東畑謙三・武田五一
構造 鉄筋コンクリート造
様式 スパニッシュミッション
国登録有形文化財
撮影年月日 2002年10月5日

◆京都大学楽友会館

所在地 京都市左京区近衛町
竣工年 大正14年(1925)
設計者 森田慶一
構造 鉄筋コンクリート造
様式 スパニッシュ
撮影年月日 2002年10月5日

◆京大農学部表門・門衛所

所在地 京都市左京区北白川追分町
竣工年 1924年(大正13年)
設計者 森田慶一
構造 コンクリート造
様式 大胆な意匠の上部に日本瓦
国登録有形文化財
撮影年月日 2002年10月5日

◆京大農学部演習林旧本部事務室

所在地 京都市左京区北白川追分町
竣工年 1931年(昭和6年)
設計者
構造
様式 スペイン瓦・バンガロー風の建物・外周中庭にベランダを配する
国登録有形文化財
撮影年月日 2002年10月5日
 この建物のすぐ近くにある湯川秀樹胸像。湯川博士は日本で最初のノーベル賞受賞者。子どもの頃「中性子理論」が何かも分からなかったが(今も分からない)とにかく偉い先生だと言うことで私は憧れた。後「世界連邦」構想など平和運動にも貢献された。今夫人がその理念を継承しておられる。建物を撮りに行ったのだが湯川秀樹胸像を見つけてうれしくなった。昨年田中耕一さんブームが起きたが湯川秀樹博士が受賞されたときの日本国民に与えたインパクトはそれ以上ではなかったかと思う。何か戦争に負けてうちひしがれていた中で自信を取り戻させてくれるニュースだったようだし、戦後の民主主義や日本の国の方向性を示唆するような明るいニュースだったのではないかと想像する。

◆京都大学本部校内正門

所在地 京都市左京区吉田本町
竣工年 明治26年(1893)
設計者 山口半六・久留正道
構造 竣工当時の門柱はレンガと石を交互に積み上げていた。
大正期にモルタルを塗る。
1979年復元工事
国登録有形文化財
撮影年月日 2002年9月11日

◆京都大学本部本館(時計台)

所在地 京都市左京区吉田本町
竣工年 大正14年(1925年)
設計者 武田五一(京都帝国大学営繕課)
構造 鉄筋コンクリート造
撮影年月日 1996年2月末

◆京大保健管理センター・学生部(旧石油化学教室本館)別名「ノーベル賞の館」

所在地 京都市左京区吉田本町
竣工年 明治31年(1898年)2階大正11年増築
設計者 山本治兵衛・増築の一部永瀬狂三
構造 レンガ造2階建
ノーベル賞受賞者湯川秀樹・朝永振一郎・福井謙一の各氏が
ここで学んだことからの別名である。
撮影年月日 2002年10月5日

◆旧三高物理学実験場

所在地 京都市左京区吉田本町
竣工年 明治22年(1889年)
設計者 山口半六・久留正道
構造 レンガ造平屋建
京大構内に現存する建物の中で最古のもの。
旧第三高等学校の遺構でもある。
撮影年月日 2002年10月5日

◆留学生ラウンジきずな
(旧理学部物理学教室輻射学及び放射線研究室・防災研究所事務室)

所在地 京都市左京区吉田本町
竣工年 大正5年(1916年)
設計者 永瀬狂三・山本治兵衛
構造 レンガ造平屋建
撮影年月日 2002年8月末

◆京大工学部の近代建築

工学部電気工学教室本館 工学部土木工学教室本館 工学部建築学教室本館
明治33年(1891)
山本治兵衛・永瀬狂三設計

玄関だけ保存レンガ造2階建
大正6年(1917)
永瀬狂三・山本治兵衛設計
大正期京大レンガ建築の代表
大正11年(1922)武田五一設計
京大最初の鉄筋コンクリート造
時計台との共通点が多い

◆尊攘堂

所在地 京都市左京区吉田本町
竣工年 明治36年(1903年)
建物の由来 もともと長州藩出身の政治家品川弥二郎が吉田松陰の遺志を継いで京都市内に建てた、維新の志士の霊を祀り、遺品を展示するための施設。品川の死後、京大に寄贈された。
国登録有形文化財
撮影年月日 2002年8月末

◆旧文学部陳列館

所在地 京都市左京区吉田本町
竣工年 大正3年(1914年)
設計者 永瀬狂三・山本治兵衛
構造 レンガ造2階建
国登録有形文化財
撮影年月日 2002年8月末10月5日

◆京大医学部解剖学教室本館

所在地 京都市左京区吉田橘町
竣工年 明治34年(1901)
設計者 山本治兵衛
構造 レンガ造2階建
撮影年月日 2002年10月5日

◆京大医学部旧生理学教室研究室

所在地 京都市左京区吉田橘町
竣工年 大正3年(1914)
設計者 山本治兵衛・永瀬狂三
構造 レンガ造平屋建
撮影年月日 2002年10月5日