京都府下のレンガ建築(1)舞鶴

 このページの写真は2002年9月24日撮影のものです。長いこと置いておいたものです。舞鶴に赤レンガ博物館があることを知って出かけました。
 明治22年(1889)対ロシア戦略上の拠点として日本海側の舞鶴に鎮守府を設けることが決定しました。舞鶴湾は湾口が狭く湾内は波静かで多くの艦船が停泊できる軍港としての条件を整えた場所でした。日清戦争で清国から支払われた賠償金で、明治29年(1896)舞鶴鎮守府が建設着工しました。明治34年(1901)舞鶴海軍鎮守府開庁。初代指令長官は東郷平八郎でした。現在舞鶴に残る70余りのレンガ建造物は多く海軍関係の諸施設です。
 私が訪ねた赤レンガ博物館のある北吸地域にある赤レンガ倉庫12棟はいずれも旧海軍の魚雷や鉄砲などの倉庫として使用されてきたものです。
 これらの建物は大正期の3棟をのぞいて、明治34年から36年の間に集中的に建設されたものです。
 私の父親は職業軍人で海軍所属の兵士でした。舞鶴や広島の呉の話をよくしました。レンガを訪ねて舞鶴や呉に出かると父親のことを想像します。この場所に父親は立っていたことがあるのだろうなとか、この練兵場を走っていたのだろうかとか。
 敗戦と同時に舞鶴は「海軍の町」から「引き揚げの町」となりました。
 そして今「赤レンガの町」としてのイメージが強くなっています。「赤煉瓦ネットワーク」(赤煉瓦建造物の保全活用を中心に、地域に根ざした「個性的なまちづくり」を行う組織、運動体のネットワーク)の拠点地として舞鶴は市民運動の先頭に立っています。詳しくは「赤煉瓦ネットワーク 【舞鶴・横浜】物語」(編著者馬場英雄他 公職研)

(1)舞鶴の赤レンガ

(ア)赤レンガ博物館アーチと神崎ホフマン窯模型

(イ)市政記念館

(ウ)北吸のレンガ倉庫群

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