石塔寺の塔と石仏
(滋賀県蒲生郡蒲生町石塔860 рO748−55−0213)

 しばらく前、湖東三山へ行った時に、近くまで行っているのに石塔寺(いしどうじ)へ行けなかったことを後悔しておりました。紅葉の季節まで待とうか、いやその頃はきっと人がいっぱいで石仏写真どころではなくなるから行ってしまえ!というわけで、出かけてきました。
 百を越える石段を登り切ったら、この石塔と夥しい数の五輪塔。圧巻です。司馬遼太郎さんの文章に、このお寺の塔を見た時の印象を見事に書いたものがあったなあ…と思い出していました。

(1)阿育王塔(重要文化財)

 この塔は不思議な形してます。日本に一つのものではないでしょうか。奈良時代前期のものだそうで、百済からの渡来の人々が関係したことがうかがえるそうです。669年この地に百済からの渡来の人々700人余がこの蒲生野に定住したという記録があるそうです。(日本書紀)
 三重塔としては最古最大のもので、7.6m余りの大きなものです。花崗岩製で初重が2石で、2・3重は一石。相輪は後補です。
 しかしお寺の「石塔寺略縁起」ではもっとスケールのでかい話です。何でもインドのアショカ王(阿育王)が世界中にばらまいた仏舎利塔のうちの一つだというのです。(日本には2つ飛来しているらしい)一条天皇の頃に掘り出されたのだそうで、一条天皇は七堂伽藍を立て勅願寺としこの頃お寺は八十余坊の大伽藍になり興隆を極めたそうです。もともとは聖徳太子が近江に48建てられたお寺の中の48番目の満願のお寺だそうです。

(2)宝塔と五輪塔(重要文化財)

 鎌倉時代に入り、参拝者が自身の極楽往生や先祖供養のために仏舎利塔(阿育王塔)の周りに五輪塔や石仏を奉納し、その後数百年間に膨大な数になりました。この重文の宝塔五輪塔もその中のものでしょう。

(3)石塔石仏群

 このお寺も織田信長の焼き討ちにあったようで、建物も寺宝も一切焼失したのを、天海が復興しました。五輪塔や石仏も散乱し埋没しました。昭和初期に現在のように整備されたようですが、いまだに地中にある石仏・五輪塔があるとのことです。 
五輪塔の波 石仏群

(3)八十八カ所石仏

 天台宗だというのに、八十八カ所巡り?弘法大師は真言宗のはず。ここのお寺の石仏は、弘法大師と観音さん、弘法大師とお地蔵さんというように必ず弘法大師が関係してます。二体並んで一石に彫られています。天台宗は度量が大きく何宗でも天台から発したと思っておられるようです。でも真言宗と天台宗はなかなか難しい関係だと私は思うのですが、ここでは共存共栄されているようです。

(4)本堂横の釈迦如来像

最近彫られたおシャカさんだと思うのですが、本堂横にありました。

2005・10・16(日)撮影
2005・10・20(木)作成

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