壺阪寺・香高山五百羅漢

(1)南法華寺(壺阪寺)
(奈良県高市郡高取町壷坂3)

 「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ、頃は六月中の頃、夏とは言えど片田舎、木立の森もいと涼し…」というお里沢市の物語「壷坂霊元記」を子どもの頃ラジオで聞いたことがありました。壺阪寺は、西国三十三カ所(西国観音霊場)六番札所で、御詠歌でも出てきます。壺阪寺は今までご縁がなかったのですが、初めて寄せていただきました。
 京都から近鉄に乗って橿原神宮前へ、そして吉野行に乗り換えて「壷阪山」下車。そこからバスが出ていて壺阪寺の参道まで行けます。駅から歩いたらかなり坂道を上ることになります。
 今、壺阪寺は建設ラッシュのようです。大講堂・仁王門・多宝塔・大石堂などなど真新しく造られて境内が一新されているようです。古くからある建物は本堂礼堂と重文三重塔ぐらいです。もう一つのびっくりしたのは、大観音石像(全高20m)や仏伝図石像リーフ(全長50m)などの大石造美術です。これらはインドで造られて運ばれてきているようです。
 境内に養護盲老人ホームがあります。眼病に御利益があるという縁からでしょうか、眼薬を売っておられるたのにはびっくりしました。
 その度肝を抜く大観音石像と三重塔近くにあった二体のお地蔵様です。

香高山五百羅漢(壺阪寺奥の院)

 壺阪寺を高取城への道をさらに東へ行きますと左手に下の写真のような場所に出ます。香高山までの道に高さ1.5mの石柱が立っています。「キリーク」の種子と弘法大師を浮き彫りにしてあり、「香高山二町」の文字があり、「甲辰」とあるとこころから慶長9年(1604)ではないかとのことです。
 ここから山道を登っていくと、五百羅漢があらわれます。像高50cm余りで、相当な数の像が彫られています。どの羅漢さんもやや斜め前方を見ているように彫られています。中に名前の分かる仏さんもおられます。テーマをもって彫られていて、その説明が看板になっていました。曼陀羅磨崖仏もあります。これどのくらいの期間かかって彫られたものなのか想像ができないのですが、おそらく1人の人物でしょうからこの執念というか信仰心の深さに脱帽です。五百羅漢前石灯籠に慶長十二年(1607)の年号があるところから江戸時代初期の作であろうとのことです。
 大黒天、十一面観音などは彫りが鮮明に残っていました。
最初にある五百羅漢
来迎如来
五社明神
比較的よく残っている羅漢達 大黒天
十一面観音

2005・9・18(日)撮影
2005・9・20(火)作成

「石仏巡りTOPへ」   HPへもどる