飛鳥謎の石造物2

 これは、「飛鳥謎の石像・猿石」の続編です。飛鳥にある猿石、酒船石、亀石にえもいわれぬ魅力を感じます。このページを作るのに「あすかの石造物」(2000年飛鳥資料館発行)と「飛鳥への邂逅」(明日香村教育委員会文化財局課発行2005年)を参考にしています。

(1)益田岩船

 「益田岩船」へは近鉄岡寺駅から西へ行きます。孝元天皇陵前を道なりに西へ橿原ニュータウン、白橿貝吹山の東峰頂上付近にある巨石です。
 この石は現在は、南500mにある牽牛子塚古墳の石室に類似しているという事実から、おそらく合葬陵の墓室になる予定であったもので、完成時には頂部を北側正面にしようとしたものであろうということのようです。亀裂が現在確認されており、この亀裂が入ったために墓室への加工が中断されてここに残されているのであろうという説明がなされています。
 この石に対する解釈の歴史はなかなかおもしろいので少し触れてみます。
 @碑文台石説
 A天武朝の占星台説  
 B漢氏の物見台説
 C墳墓説
 D天文遺跡
 E石棺石室説
 Fゾロアスター教の祭壇説
 戦後だけでもこれだけの説があったようです。

(2)橘寺二面石

 聖徳太子誕生の地に建てられた橘寺太子殿左横に「二面石」があります。人の善面(右)と悪面(左)を表現していると言われています。この石はおそらく吉備姫王墓内にある猿石と同じ場所にあったものがここに運ばれたのではないかと想像されています。それは猿石が両面像であることもこの判断の理由になっています。善面の顔はまさしく猿だと私は思います。
悪面 善面

(3)飛鳥資料館の吉備姫王猿石レプリカ他

裏面を見るとこの猿石の不思議がますます増します。何とも不思議な顔が彫られています。

高取城の猿石レプリカ 高取光永寺顔石(人頭石)
 通称「男」と呼ばれているものの裏面は横着な格好をしてあごの下に手を置いて寝そべっている男ですし、「女」の裏面は鳥の化け物みたいな模様のような顔をしています。「山王権現」は「権現」自体かなりグロテスクなマスクであり風体ですが、裏面はもっと徹底していて獅子の化け物のようです。
 高取城の猿石は一番猿に近い顔してます。人頭石は正倉院の伎楽面に似ているという解説になるほどと思いました。余り美しくもない中には陽物をぶら下げたこれらの二面石を見ていると、本当におもしろいなと思いつつ、一体何を考えてこれらの石造物を作ったのだろうと思います。墓に関係にあるところからの出土だというところから、魔よけあたりが妥当かなとも思うのですが、分かりません。

(4)須弥山石と石人像(飛鳥資料館レプリカ)

 飛鳥資料館にある重要文化財「須弥山石」と「石人造」は、もともと飛鳥寺の北、石神から明治35年、36年に出土しました。その後国立東京博物館に移っていましたが、飛鳥資料館に戻され飛鳥へ帰ってきました。そして今本物は館内にレプリカが庭に置かれています。レプリカの方はその本来の役割通り噴水施設として庭に展示されています。
 斉明朝の時、遠来の客を迎えるための饗応の場のデコレーションがこの二つの像です。

(5)岡酒船石

 この石は本居宣長も「菅笠日記」で触れているというかなり昔から注目されている石造物です。祭司のための導水施設、庭園の流水施設、酒などの醸造施設などの諸説があり、松本清張は、ゾロアスター教の拝火壇説です

(6)亀形石造物・小判形石造物(酒船石遺跡)

 岡の酒船石のすぐ北で見つかった亀形石槽は斉明朝の両槻宮の祭祀遺跡であろうということです。

(7)出水酒船石レプリカ

 レプリカが飛鳥資料館の庭に展示されています。本物は個人蔵で京都にあるそうです。岡の酒船石や亀形石造物との関連がある石造物のようです。これで飛鳥の酒船石は現在3種類発見されていることになります。

(8)祝戸の立石(マラ石)

 坂田寺の北西の結界石ではないかと言われているものです。

2005・9・26 11・5撮影
2005・11・12(土)作成

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