私の文学の授業

4年「ごんぎつね」での試み

小宮山 繁

はじめに

 これは12名の子どもとの授業記録である。まず机を円卓にしてみんなの顔が見える状態にして授業した。
 ところで、日本の教師が40名近くの子どもを指導するために編み出してきた指導法はこれは大したものである。発問の工夫(ゆさぶる・いざなう・確かめる・進行する・対立させる・組織するなど)板書の工夫(掲示用の絵・フラッシュカード・展開が見えるように・学習のまとめ・美しさなど)、導入のおもしろさ(1時間の学習への動機付け・意欲喚起・今日の授業のガイダンス)、展開の多様さ(子どもが主体的に学ぶように・一問一答にならないように・子どもどうしをつなげながら・グループ学習を取り入れる)、まとめ(知識や技術の定着・さらなる意欲喚起)その他ノートの利用法など1時間の授業を構成するときたくさんの要素が絡み合っている。
 私がこの授業での問題意識は、次の5点である。
@子どもが自分たちの読みを大切にしながら他へ働きかける授業(主体的な授業)
A「形象としてのことばの力」がつく授業(形象の力をつける授業)
B読む・話す・聞く・書くそれぞれの活動がある授業(子どもの言語活動が活発な授業)
C音読から暗唱へ(ことばを取り込む授業・確かな学力につながる授業)
D子どもにとっておもしろい楽しい授業(意欲的な授業)
 はたしてそれがうまくいったかどうかは道半ばであるが、かなり自分では満足している。これからもっと少人数での学習が大切になってくるであろう。その試みでもある。30名以上の子どもとはどうするのかこれも課題である。グループ学習の方法として使えるかもしれない。
 なおこの授業では、必要なときに子どもが使うときもあるし教師が使うときもあるが、板書を基本的には考えていない。

1時間の授業の大まかな流れ

□教材文を読む
場面を暗唱する。
個人で発表する。(順番)
全員で暗唱する。


□読み深め
その場面で、自分が考えた問題をみんなにを出す。
質問の仕方と約束
@質問者(これも順番に)問題を言う。
A指名して答えてもらう。
B「他にありませんか」と尋ねる。全部出終わったところでCのまとめをする。
Cの1  質問者が回答者たちと同じ答えを想定していたとき
「ぼくも同じです。ぼくの問題を終わります」と言って着席する。
Cの2  質問者が回答者たちと同じ答えを想定してなくて異論があるとき
「私はちがって、・・・ではないかと思います。みなさんは私の意見についてどう思いますか」と発言し、自分の考えを述べたあと、みんなに問い直す。
Cの3 質問者が回答者たちの意見に対して付け加えたいことがあるとき
「ぼくは・・・さんの意見に付け加えて言います。・・・・だと思います。ぼくの問題を終わります」
D教師に異論があるとき、まとめ、進行の仕方などについて適宜アドバイスする。


授業が始まるまでに準備しておくこと(宿題)
*児童は同じ問題が出る可能性があるのでいくつか問題を用意しておく。したがって、前日準備しておくことは、その立ち止まり場面の暗唱と、その場面の問題をいくつか考えてくる、または書き留めてくること。


□教師の問題をだす
これは、全員の問題に欠けていた大切なこと、あるいは、その場面の形象あるいは主題に関わることで、教師がぜひ発問したいことを一つにしぼって行う。ここが、教師のうでの見せ所であり、子どもが「ゆさぶれる」かどうかの境目になる。つまり教師がその教材をどのように読んでいるのかを1つの質問に凝縮するわけであるから、教師が試されることになる。

□感想を書く
今日学習したことについて、自分がその時間で気づいたこと、一番おもしろかったことについて書きまとめる。

「ごんぎつね」授業記録(2003・3・10・元町小学校4年 12名)

ごんぎつね(新美南吉作・光村出版)
□教材文

 その明くる日も、ごんは、くりを持って、兵十のうちへ出かけました。兵十は、物置でなわをなっていました。それで、ごんは、うちのうら口から、こっそり中へ入りました。 そのとき兵十は、ふと顔を上げました。と、きつねがうちの中へ入ったではありませんか。こないだ、うなぎをぬすみやがったあのごんぎつねめが、またいたずらをしに来たな。
「ようし。」
 兵十は立ち上がって、なやにかけてある火なわじゅうを取って、火薬をつめました。そして、足音をしのばせて近よって、今、戸口を出ようとするごんを、ドンとうちました。
 ごんは、ばたりとたおれました。
 兵十はかけよってきました。うちの中を見ると、土間にくりが固めて置いてあるのが、目につきました。
「おや。」
と、兵十はびっくりして、ごんに目を落としました。
「ごん、おまい(おまえ)だったのか、いつも、くりをくれたのは。」
 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
 兵十は、火なわじゅうをばたりと取り落としました。青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました。

□授業記録
*Qは子どもの質問、数字は子どもたちの答え、Tは教師の発言
暗唱が終わった後、教師の発言から始まる。

T、では問題を出していきましょう。

Q1,「ふと顔を上げました」というところで、なぜ顔をあげたのでしょうか?
1,気配がしたからだと思います。
2,音が聞こえたのだと思います。
3,いや、これはたまたま顔をあげたのだと思います。
ぼくは、何となく気配がして顔をあげたという意見です。
(ここはこの物語の運命を感じさせるところで、ここで顔さえ上げなかったら悲劇は起こらなかったのにと感じさせますから、音が聞こえたとかそういう物理的な動きがあったと読むとその味わいが薄れると、私は思いますが、口出しするのはやめました。気配というのは、案外そうかもしれません。)

Q2,「ごんは、ぐったり目をつぶったまま、うなずきました」というところで、ごんはどんなことを思っていたと思いますか?
1,やっとわかってくれたと思ったと思います。
2,そうだよ!!と言いたかったと思います。
3,今やっと気づいてもらえたなあと思っていると思います。
ぼくも「兵十やっと気づいてくれたなあ」と思っていると思います。

Q3,P78L5の「兵十はかけよってきました」と書いてあるのは、どの視点から見ていますか?
1,ごんの視点です。
ぼくもそうだと思います。
T,先生は違うと思う。これはごんのすぐそばから見ている書き方です。ごんの目で書かれているのではありません。なぜごんのすぐ近くから見ているのでしょうか。兵十の様子をしっかり見られること、そして兵十の視線を追いかけることができるからです。カメラを後ろに下げるとすぐ二人の様子を書くことができるから、ごんの視点で書かれているのではないと先生は思います。

Q4,「今、出口を出ようとするごんを、ドンとうちました」この時兵十は、どんな気持ちでうちましたか?
1,うなぎをぬすんだぬすんだやつだ。
2,やっと、あいつをころせるぞ。
3,これでもういたずらされずにすむぞ。村の人のためにもうとう。
4,これでいたずらされないぞ。
私はかわいそうとか何も思わずにうったとおもいました。

Q5,「ごんは、うちのうら口から、こっそり中へ入りました」のところの「こっそり」入ったとき、ごんは何を考えてたと思いますか?
1,今日もくりをあげよう。気がついてほしいなあ。
2,堂々と入れたらいいのになあ。
いっしょです。

Q6,兵十はごんが入ってきたとき、どう思ったと思いますか?
1,入ってきたな。今日はうってやろうと思ったと思います。
2,また、いたずらしにきたな。今日は何をするつもりかな。ようし、うってやろうと思ったと思います。
ぼくはSくんといっしょで、いたずらにきたと思ったと思います。

Q7,「ごん、おまいだったのか、いつも、くりをくれたのは。」というのは、ごんだということが分かって言っているのか、ごんに聞いているのか、両方まじっているのかどれだと思いますか。
T,おお、ええ問題やなあ。これは読み方に関係するな。「おまいだったのか?くりをくれたのは。」なのか「おまいだったのか・・・くりをくれたのは・・・」なのかということやなあ。
1,この時はまだ「おや。」と思っているだけで、まだ、聞いていると思います。
2,まだわからへんと思います。土間にくりが固めて置いてあるのを見て、ひょっとしたらごんかなと思って聞いていると思います。
3,ちょっと、ここでしまった!と言う気持ちもあるのちがうかな。
ぼくは、まだはっきりごんだと分からないけど、ごんだったのかなと思って後悔していると思います。だから、「ごん、おまいだったのか?いつも、くりをくれたのは・・・」という読み方がいいと思います。

Q8,「兵十はびっくりして」と書いてありますが何をびっくりしたのですか?
1,くりが固めておいてあったから
2,もしかしたら、ごんかもしれない、しまったなあと思ってびっくりしていると思います。
同じです。

Q9,兵十にうたれたとき、ごんはどんなことを考えたと思いますか?
1,だれに撃たれたのかと思ったと思います。
2,兵十に気づかれたなと思った
3,また兵十にくりあげたいなと思ったと思います。
4,死ぬんかな
5,もうちょっと知り合いになりたいと思ったと思います
6,なんでいいことしてるのにうたれるんやろと思ったと思う。
わたしは、Hくんに賛成で、もうちょっと仲良くなりたかったと思ったと思います。

Q10,「ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました」どんな感じやったと思いますか?
1,痛いなあと思ってる
2,力がぬけた
3,目を開ける力がない
4,もうとっとはやく気づいてくれてたらなあ。
5,ずーっと気づいてほしいと思ってたのになあ。
私は、やっと気づいてもらえたなあと思っていると思う。

T、このお話の話し手(新美南吉)さんは最後のおわり方を「青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました」で、このお話を終えています。こういうおわり方について思ったことや感じたことを言いましょう。
1,さみしいとか悲しいとかより、もっと強く悲しい感じがする。
2,さりげないけど、インパクトが強い。
3,ごんは天国へのぼっていきましたじゃなくて、こういう書き方をすると、かわいそうになる。
T、この煙をごんが天にのぼっていくことに結びつけて読んでいるんやな。
4,何か静かなことばやと思いました。
T、確かに。静かなおわり方ですね。
5,新美南吉さんは、ごんがかわいそうやと思ってて、こんな書き方していると思います。
6,ごんが死んで、自分が殺したから、兵十が深く反省していることを、みんなに知ってほしくてこんな書き方をしたと思う。

こういう授業の後のあと「兵十への手紙」を書いてこの時間のまとめをしました。

□感想文「兵十への手紙」
子どもたちの感想文をどう読むか・そこから見えてくる文学教育のもつ人間を鍛える力のことを考えてみました。*からは私の感想です。
1,兵十さんへ(Sくん)
 兵十さん、おっかあはなんで亡くなったのですか。ごんが家の中に入ってきたときは、うなぎのしかえしをしようと思ったんだね。でもやっていたのが、かみさまじゃなくて、ごんだったのはショックだったね。でもごんも分かってもらえて、よろこんでいると思うよ。でも、ごんがうちの中へ入ったときは、わくわくしてただろうね。やっといたずらぎつねをつかまえて、村中がいたずらにこまることがなくなると思ったんだね。
 でもまさか、くりやまったけなどを、まいにちまいにちくれるのがごんだったとは、まったく思いもよらなかったことだっただろうと、ぼくは思います。
 でもいわしやにぶんなぐられたのは、いたかっただろうね。そのことにごんが気づいて、くりをくれたので、ごんにはかんしゃしないといけないと、ぼくが思います。
 もし今のことがちがっていたら返事をください。さようなら。

*Sくんは兵十が「わくわくしながらごんをうった」というところに問題を感じています。それはたぶん自分自身もわくわくしながらしたことがはかばかしい結果にならなくて迷惑をかけたりあやまらねければならない結果になった経験から来るのではないかと想像しました。こうして人間の内省する力が深まると私は思います。


2,兵十へ(Yくん)
 兵十さんは、ごんのこと好きでしたか。ぼくはたぶん兵十さんは、おっかあが死んでからごんのことを好きになったと思います。兵十さんはだいぶ不幸でかわいそうですね。けれども最後に、ごんがくりや松たけをくれてたのは、ごんとわかっただけでもよかったですね。 
 けどごんをうってしまって友だちになれなかったのはざんねんでしたね。
 あと、ごんがいわし屋からぬすんだいわしは、返したんですか?それとも食べたんですか?いわし屋さんに兵十はやってないという事分かってもらえましたか。
 ごんは後からやさしくなったんですよ。ごんほどあたまのいいきつねはいなかったですね。兵十、ごんをうってしまったことをきにしちゃいけないよ。

*「ごんをうってしまったこときにしちゃいけないよ」これは本心ではないと思います。本当はYくんにも兵十のつらさが分かるのです。でもそれを人から責められたら辛くなることも分かります。でも自分で自分を責めるであろう辛さも想像しています。そういう兵十にかけられる言葉としてかれは「きにしちゃいけないよ」を選びました。これが現代も子どもの気遣いだと思います。子どもが繊細な神経を持ってないと生きていけない現代を思いながら読みました。

兵十へ(Rくん)
兵十さんは、なぜゴンをころしたんだろう
でも、ぼくは兵十さんはうんが悪いと思う
ゴンにうなぎぬすまれているし
いままでおっかあと二人きりでくらしていたおっかあがなくなられたし
それからいつもくりをくれたゴンをたまたまころしちゃったし
ほんとについてないなあ
とぼくは思う
兵十さん
ゴンはいま天国にいると思うけど
ゴンはゆるしてくれると思う
もしもぼくが兵十なら、かなりショックをうけると思う
それでゴンのおはかを作ると思う
そして、まいにちおはかに花をかざろうと思う
そこで兵十さんに一言
今ぼくが言ったことをすれば
ゴンは天国でしあわせにくらせるよ、たぶん

*運が悪い・・・たまたまころしてしまった・・・それは封建時代には必然だった。そういうどうしようもない運命を新美南吉は表現した・・・というような解説を読んだことがあります。Rんは何とか兵十が救われる道を探ろうとしています。それはみんな思っていることだと思うのです。

兵十へお手紙(kくん)
兵十
ゴンはいたずらばかりするきつねじゃないんですよ
ぼくはゴンがこう思っていると思います
町の人とまじわりたいって
こん度いたずらばかりする動物が出てきたらどうしますか
前、ごんぎつねをころしたように、その動物をころしますか
それともしばらくかんさつすますか
どっちにしますか
ぼくは前と同じようにはしません
ゴンはどうしてくりや松たけをくれたかわかりますか
兵十のおっかあが
「うなぎが食べたい、うなぎが食べたい」
と思いながらしんだと、
ごんは思って、うなぎのおわびを一生けん命していたんです
でも、そのゴンを兵十はころしてしまったんです
こんなごんぎつねをあわれに思わないですか
いわしもうなぎのおかえしなのです
わかったでしょ

*何とか兵十に分かってほしいと願っているKくんの一生懸命さが伝わってくる感想文です。

兵十へ(Hさん)
兵十はおっ母が死んでしまったから、もう一人ぼっちなんだね。さみしいだろうね。くりをいつももっていっていたのは、ごんっていうことが分かったのはあとのことだったね。それが、分かってればよかったのにね。しかもうってしまったね。
「あんなことしなけりゃよかったな」
と兵十は何度も思ったのかな。
ごんは、うなぎのつぐないに来たんだよ。早く気がつけばよかったのに〜。(えらそうにしてごめんなさい)でもあんとき、うたなければ、ごんはまだ生きていたかもしれないんだね。いっしょにすごしたり、同じ家に住んだり、いっしょにごはんを食べたり。
「あのとき、うたなければよかったのに」
と何回も思うよ。

*きっと兵十は一生これを引きずって生きるだろう・・・それぐらい深い悲しみをおってしまった兵十にHさんは心寄せています。他人の辛さを自分に引き寄せる想像力があるから人間はよりよく生きられるのだと思います。そういう力を文学教育は引き出すのです。

兵十へ(Tくん)
 兵十は、ごんのことをどう思っていますか?ぼくは、かわいそうだと思います。でもいたずらするときは、ぼくもいやだと思います。兵十はごんにくりとかまったけとかもらって、うれしかったですか。ごんは、いたずら好きだけど、ぼくは、ごんが、好きです。兵十はどうですか。
 ぼくは栗とかいっぱい兵十のためにいつも持ってきてくれるから、ぼくはごんのことが好きです。兵十はごんを殺してしまってかなしいでしょ。兵十は、ごんを殺してしまってかなしいでしょ。ごんが、ぼくに栗とかまったけとかくれたら、ごんにすごくかんしゃしたいです。兵十は、ごんにかんしゃしたらいいと思うよ。

*素直なTくんらしい感想文です。ごんに替わって兵十に伝えたいと思いながら書いたということがよく分かる文です。

兵十への手紙です(Eさん)
 兵十は、お母さんにあげるうなぎを ごんにぬすまれたけど、お母さんにうなぎ(他の)を食べさせられたんですか?
 話はかわるけど、いわしじけんのはん人は、ごんなんだよ。でもだからごんは、くりや松たけをくれたんだよ。だから兵十はごんにかんしゃだね。それにしても兵十はくりのことに気づくのがおそかったね。でもしかたないよ。前にいたずらされたら。しかも村でうわさだったし、まちがえてもとうぜんだよ。
 でも、ひなわじゅうをうつまでするのは、恵梨はやりすぎだと思ったよ。えりはごんがいきかえってほしいなあと時々思うことがあるんだ。兵十も思うでしょ。思わないとへんだよ。
 でも、本当に兵十はよかったね。ごんはすごくやさしいきつねだから。もしごんがもっと悪いきつねだったら兵十はいやだったろうね。もし、ごんみたいなきつねがいたら、いっぱいそのきつねと遊んでやってね。

*自分と兵十に聞きたいこと確かめたいことを自分ならこうしたという思いを持ちながら感想を書いています。いつも冷静な判断をしているEさんらしい感想です。しかしその奥に彼女のヒューマニズムを感じます。

兵十さんへ(Mくん)
 兵十はおっかあが死んでしまって悲しかっただろうね。それからは、ごんがにくらしかったろうね。でもいつもくりや松たけがおいてあるのは不思議だったよね。あのくりはおいしかったですか。加助は神様が持ってきていると言っていたけど、兵十さんはそれを信じたんですか。でもあれは本当はごんだったんだよ。兵十のとったうなぎをごんはぬすんでしまったから、そのおわびとして、くりや松たけを毎日、毎日持ってきてくれてたんだよ。他に兵十のうちにいわしを投げこんだのも、ごんだったんだよ。ごんはいわしをあげようと思って投げこんだんだけど失敗してしまったんだよ。
 最後はごんをうってしまったけど、その時反省していたんですね。これからもずっとごんのことを覚えておいてください。それがぼくの願いです。

*ごんに替わって兵十に気持ちを伝えようとしています。それが、自分の願いでもあるということが伝わっています。

兵十へ(Sさん)
 兵十は、ゴンにうなぎをぬすまれた時とってもいやだっだでしょう。せっかく兵十のお母さんにあげようと思ったのに・・・。
 はなしはかわるけど、まい日くりや松たけなんかをくれたとき兵十はどう思いましたか。たぶんびっくりしたと思います。そして神様だと思ったときどう思いましたか?
 そしてゴンがうちのうら口からこっそり中に入ってひなわじゅうをもって、火薬をつめてドンとうった時、どう思いましたか?私なら「もういたずらされないヤッター」と思います。けれど土間にくりがかためて置いてあるのにきづいた時に本当にショックが大きかったと思います。私なら「神様とちがったのかー。私がゴンをころしてしまった。ゴンごめん」と思います。兵十はどう思いましたか?
 この本をよんでほんとうにかわいそうだな、とかいたずら好きのごんがのっていて、とてもいいはなしだなと思いました。

*一番心に残る最後の場面を取り上げて兵十の苦しみ悲しみに共感しようとしています。

兵十へ(Mさん)
兵十
兵十はごんが好きになった?
ごん、とてもかわいいよね。
お母さんがしんじゃって、とってもかなしいね。
ごんは、兵十のことが好きだったみたいだよ。
友だちになりたかったんだって。
くりとか松たけは、うなぎのおわびにもっていっていたんだよ。
最初のいわしもごんなんだけど
しっぱいしちゃったみたいだから、ゆるしてあげてね。
兵十は、ごんがペットだったら、とってもかわいがってあげてた?
かわいそうなことしてしまったね。
ごんに おはかをつくってあげてね。
おはかに毎日いって、お花をあげたら
ごんが よろこぶよ。
きっとね!!

*何とかごんの気持ちを兵十に伝えたいと思いながら書いています。

日本作文の会佐賀大会「生活綴方と文学教育」分科会の論議の中で

まず批判された点と私の意見を書きます。
@授業が単調なのではないか。
 これはそうでもないのです。読んでいただいたら分かるのですが、かなりみんな真剣に答えますので遊んでいる子はいません。単調になったら教師が「・・・ちゃんはどう思う」などと水を向ければいいわけです。これは教師は黙っているようですがその指導性を放棄しているわけではありませんから、単調にならないようにするのは教師の力量です。質が高いか低いかは教師の読みの深さです。
Aお話しのあちこちから質問が出るので場面の形象が重なって読めないのではないか。
 これはその通りです。出来れば作者の記述に沿って質問を出して欲しいところです。約束として最初の方から順に質問するようにすればこの問題は解消できるかもしれません。
Bその子らしい質問はあるのか?
 これを聞かれた方の意図が分からないのであるが、質問を作る段階でその子らしいことを質問していると言えます。その子の実力に応じた質問であるという点で。しかしその子の生活に根ざした質問になっているのかという意味なら不十分でしょう。そういうことを子どもに要求する必要があるのかは議論のあるところだと思います。ごんぎつねという作品の中で自分の読みに沿った問題意識で質問を作り人と自分の考えをつきあわせることで十分なのではないかと思っています。
Cこの質問は教師が作れと言ったから作ったもので、子どもの自主的な質問ではない。
 この批判は正直腹が立ちました。そんなこと言ったら子どものすることはみんな教師がやらせていることです。授業は教師が子どもに何らかの力をつけるために意図的に行う教授過程であって、それをいかに意欲的自主的に子どもが行うかが大切なのです。教師主導の授業であっても、自分が一人で読んでいる時には気づかなかった作品世界に気づき新しい自分の読みの世界が作れれば、それは意味のある授業です。文学の授業が子どもにとってつまらないのは葛藤が起こらないような授業の場合です。教師の一方的な解釈を押しつけられるのはもっと悲惨です。その子自身の読みを大切にしながら、友達の読みと比べながら自分の読みを修正したり、教師主導で新しい作品世界を開くことが大切だと思います。それがない授業は退屈なつまらない授業です。そういう可能性がない教材もまたつまらない教材です。
 子どもが文学の授業を楽しみにするようになってほしいと思います。「新しい自分の読みがつくれる授業」がよい授業です。この授業はその試みの一つです。

その他にだされた意見です。
@このやり方を形だけまねてもきっとうまくいかないだろう。
A子どもの「兵十への手紙」に対する先生の感想は暖かくよい。これを授業で取り上げなかったのは惜しかった。

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