嵯峨野石仏巡り

(1)五智山蓮華寺の石仏
右京区御室大内町

 仁和寺の駐車場の北に仁和寺派別格本山五智山蓮華寺があります。観光道路からすぐです。
境内にはいると大きな五智如来石仏とその後ろに僧侶や地蔵菩薩などのかなり大きな石仏群があります。
 この石仏群は江戸時代初期、寛永18年(1641)江戸材木商樋口平太夫家次が荒廃していた蓮華寺を再興し、鳴滝音戸山山頂に木食上人但称の造立した石造五智如来像を安置したという由来がはっきりしている。その後寺は火災で焼亡し昭和33年に石仏群を現在地に運んだのだそうです。
 五智如来は、金剛界・胎蔵界があり、蓮華寺の大日如来の胎蔵大日の場合は、大日・宝幢・開敷華王・無量寿・天皷雷音となるらしいが、ここのお寺説明では、右から順に、薬師・宝生・大日・阿弥陀・釈迦と書いてあってなじみの多い如来が並んでおられることになっている。
 座高1.2m台座を入れると2.4mあまりの立派なものです。石材は砂岩質だそうで、これも珍しいといえます。
 願主の樋口平太夫はもと豊臣家の家臣だそうで、なき同志や一族のために足かけ6年の歳月かけて造立したとか。

(ア)五智如来石仏

釈迦・阿弥陀・大日如来 大日・宝生・薬師如来

(イ)地蔵など石仏群

(2)広沢池十一面千手観音
右京区広沢町

 広沢池は大沢池とともに嵯峨野の景観には欠かせない池です。池畔には葦が茂り常に水をたたえ嵯峨野の山々の影を映す美しい池です。夏になるとこの池畔はザリガニ採りの親子の姿が見られます。池中に観音島があり、一体十一面観音が立っています。高さ1.6m安山岩製。先の五智山蓮華寺同様樋口平太夫が願主になって寛永18年(1641)に作られた観音です。背後に文字が彫られています。

(3)大沢池の石仏
右京区嵯峨大沢町

 大覚寺の東に大沢池があります。大覚寺の辺りは嵯峨野のちょうど真ん中だそうです。嵯峨野と言えば、天龍寺あたりが中心かと思ったのですがそうではないようです。大覚寺は平安前期に嵯峨天皇がここに離宮を営んだ後にその孫が開山した寺です。その後も後嵯峨・亀山などの天皇が院政を行い嵯峨御所と呼ばれるようになったらしいです。
 この池に船首に龍のついた船がありました。この池に船を浮かべて舟遊びを今も楽しんでいる人がおられるようです。「鯉ヘルペスさわぎ」がこの池にも影響を与えているようです。ため池です。この池は周りの山と調和して美しい景色をつくり出しています。
この大沢池北岸に二十体近くの石仏群があります。鎌倉中期の石仏です。大きいものでも高さ1.2mぐらいです。表情もかなりしっかりしている石仏群です。左側から紹介します。

(ア)大沢池石仏群

(イ)大日如来石仏

この石仏は覆屋の中におられました。何時代のどういういわれのあるものかはさっぱりわかりません。

(4)化野念仏寺の石仏
右京区嵯峨鳥居化野町

 化野は葬送の地です。古くは風葬であったという化野です。人々は石仏を作り供養してきました。八千体と言われる小石仏群です。弘法大師空海や法然がこのお寺に関係したという言い伝えからも何とか救われたいという庶民の声が聞こえてきそうな化野念仏寺です。

(ア)念仏寺石仏群

毎年8月23・24日念仏寺千燈供養が行われます。八千体を数えると言われる小石仏・小石塔にローソクの火をそなえるこの供養はすっかり京都の夏の風物詩になりました。

(イ)念仏寺門前の二尊仏

念仏寺門前参道脇に阿弥陀と釈迦の二石仏があります。
花崗岩製、高さ90cm舟形光背を負い、蓮華座に坐す63cmの如来二体。右が阿弥陀像、左が釈迦如来。鎌倉末期の作。釈迦如来の石仏は全国的にも珍しいものです。

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