(1)西塔・香炉岡弥勒石仏
昭和34年の秋西塔釈迦堂の道を入った山中(香炉岡)から弥勒石仏が見つかりました。
花崗岩製。205cm。一番下に別石円形反花座。仏身・光背を一石で作り上げてあります。丸彫りに近い厚肉彫りで、膝に降ろした右手と胴の間をぬいてあります。また後頭部は光背につながっていますが、首が彫り抜いてあります。衣文のヒダが細く木彫像風になっています。光背部は二重光背になっていて、11個の月輪内に梵字が彫られています。
『比叡山堂舎僧坊記』に、「弥勒堂旧跡、石仏弥勒之大像有之」とあるそうです。この弥勒堂は元亀の信長焼き討ちの時に焼けました。この石仏の破損もその時のものだと思われます。
藤原仏の名残を残す鎌倉初期のこの弥勒仏は、京都市内の叡山系と言われる石仏の基になっている石仏です。叡山系と言われる石仏には、「北白川阿弥陀石仏」(東山石仏巡り1)「石像寺阿弥陀石仏」(洛中の石仏巡り2)「聞名寺阿弥陀石仏」(東山石仏巡り2)「戸寺阿弥陀石仏」「大原阿弥陀石仏」(大原の石仏巡り)などがあります。
この弥勒仏の背面が大変珍しいものです。
3つの月輪は「バク」(釈迦)向かって左が「マン」(文殊)右が「ウーン」(普賢)という釈迦三尊の種子を表しているのだそうです。下の穴は「奉籠孔」と言うらしいのですが、籠に何を入れるのでしょうか。何れにしても前面の弥勒だけでなく背面の釈迦も拝まれていたのは間違いないようです。
(2)西塔釈迦堂前石仏
釈迦堂の前にも石仏がありました。
坂本のケーブル途中にたくさんの石仏を安置してあるところがあるようです。ケーブルに乗っておるとその説明がありました。これらは、比叡山焼き討ち後にその供養のために作られたと言うことでした。
(3)西塔恵亮堂石仏
恵亮というお坊さんは、加持祈祷では絶大な力を持った方だったとか。西塔の興隆に尽力された方だそうです。
(1)釈迦堂の天平仏
左京区一乗寺釈迦堂町
この仏は藪里釈迦堂の軒続きの地蔵堂にあります。場所は詩仙堂の北西です。
「夜泣き地蔵」と言われているようです。昭和44年に奈良時代天平時代の様式を供えていることが判明したようです。花崗岩製で、高さ1.9m幅91cmの舟形光背に、像高1.55mの如来立像が彫られています。写真のようにお化粧してあるので詳しくわからないのが残念です。私が子どもの時も毎年お地蔵さんはお化粧してもらっておられましたから信仰としての現役のお地蔵様です。釈迦堂の前はきれいにほうきのはきめが入れられています。地元の方たちが大切にされている仏です。
(2)清賢院地蔵石仏
左京区一乗寺東浦町
詩仙堂の少し西を北へ向かう道があります。(4)釈迦堂はさらにもう一筋西の道を北です。この道は「伏見ぶらぶら」で紹介している「足利学校伏見分校・圓光寺」に続く道です。その道を突き当たりまで北へ300mあまり行きますと目指す清賢院があります。
花崗岩製、高さ2m幅1mの舟形光背に像高1.6m。右手に錫杖を持たない古式地蔵です。鎌倉時代のものと思われます。
(3)一乗寺北墓地弥勒仏
左京区一乗寺竹ノ内町北墓
曼殊院の門前を右へ行きますと石の鳥居があります。それを越えてすぐの道を東へ行きますと小さい橋があり、それを渡ると墓地に出ます。その入り口に弥勒菩薩がおられます。この辺りは武田薬品の薬草園があるところです。
花崗岩製、高さ1.75mの舟形光背、座高95cmの弥勒仏で、鎌倉時代の石仏。この辺り修学院から一乗寺は延暦寺三千坊と言われた場所であり、この仏もその関係だと思われます。
(4)禅華院石仏群
左京区一乗寺烏丸町
修学院離宮の入り口の前の細い道を南へ行くと禅華院の素敵な山門に着きます。ここの紅葉はなかなかです。「京都紅葉情報」参照。
ここに、こんな石仏があろうとは。門だけ見て中へ入ったことがなかったもので知りませんでした。門入って右に石仏群があります。この禅華院にある石仏は、昔門前の田畑の中にあったのを寺の境内に運んだそうです。比叡山三千坊に関係した仏たちです。
まず目立つのが、下の二尊です。何れも光背が1.7mあり、像高1.28mの右地蔵石仏、像高1.45mの左定印阿弥陀石仏で、鎌倉後期のものです。
その他にも阿弥陀立像、弥勒座像、釈迦立像など鎌倉後期から室町時代の石仏があります。浄土教の盛んな中世の比叡山三千坊と言われた修学院・一乗寺地域を物語る仏たちです。
(5)赤山禅院の石仏たち
これから紹介する赤山禅院の石仏は所謂比叡山系の石仏群ではありません。かなり新しい仏たちだと思いますが、私のすきな仏たちです。
赤山禅院には「都七福神・福禄寿」さんがおられます。紅葉の時期大変美しいところでもあります。このお寺は天台宗です。円仁が中国からからの帰途、嵐に遭いましたが、赤山明神(泰山府君)が航海を守ったので、比叡山西麓に勧請を約したのだそうです。
千日回峰行では1日比叡山の峰々を約30km歩き、250カ所で礼拝し、701〜800日間はさらに赤山禅院への往復30kmが加わり、赤山苦行というそうです。赤山禅院の北側から比叡山を登っていきますと雲母坂からの道と合流します。この道なかなか歩きごたえのある道です。
境内にいくつか摩滅した小さい石仏がおられます。
今から紹介しようと言うものはちょっと変わった石仏です。この仏たちは、羅漢さんなのでしょうか。いえもっと生臭い感じがします。伝説や逸話のありそうな高僧ではないかと思うのですが、どうでしょうか。
この方は虎を従えています |
この方は仏に向かってお経あげておられるのでしょうか |
頭を丸めておられない方もおられます |
口を開けて何か発しておられますね、みなさん |
この仏さんたちの横に石仏が彫られていました。
これらの仏さんたちは新しいものだと思います。でも時代は分かりません。三井寺とか清水寺とか善光寺とかの名前が見えましたから、全国の仏像を石仏にされたのではいかと思います。よく見ますと美しい表情をされています。
2004・6・25
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