京都洛中石仏巡り2

(0)般舟院陵の石仏群
(上京区千本今出川般舟院前町)

 嘉楽中学校の西、千本今出川交差点の東側に御陵がある。後花園天皇他数名の天皇の分骨所であり、多くの皇后や皇子皇女の墓所である。
 この中に式子内親王の塚(別名定家葛の塚)があり、その前に鎌倉時代の阿弥陀仏があるという話を読んでいた。しかし私がこの前を通る時はいつも門が閉ざされていて中へ入ることができなかった。たまたま開いている時に通りかかり、拝ませてもらった。(平日しか開いていない)
 この式子内親王は、歌人で百人一首に「
玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの弱りもぞする」が入っている。この忍ぶ恋の相手が誰なのか…藤原定家が有望らしい。謡曲に「定家」があり、式子内親王死後、定家の執念が葛となって墓石にまとわりついたという話がある。この辺りは定家の「時雨亭跡」がありそういう話ができたのか、本当にそういうことがあったのか。
 中央の阿弥陀石仏は高さ1.4mの舟形石に像高8cmに厚肉彫りされている。蓮華座に結跏趺坐しておる定印のお姿である。鎌倉期の石仏である。左右に薬師如来地蔵菩薩などの小石仏が所狭しと祀られている。

(1)石像寺阿弥陀三尊石仏
上京区花車町(千本通り上立売上ル東側)

 「釘抜き地蔵」さんと呼ばれている石像寺(しゃくぞうじ)は千本通りに面しています。西陣織の町にあります。苦を抜いてくれる地蔵で「苦抜き地蔵」そして「釘抜き地蔵」になったのだそうです。
 この石像寺の本堂の背後東側にお堂があり、そこにたくさんの石仏が安置されています。その中に阿弥陀三尊がおられます。お線香とロウソクの煙に燻されるようになっておられます。
 この阿弥陀三尊が、京都市内の石仏の中では大変注目される仏です。時代が古くしかも芸術的にも評価の高い石仏だからです。重要美術品に指定されています。
 阿弥陀三尊ですがそれぞれ独立して彫られています。中尊阿弥陀仏光背の裏に刻銘があるそうで、元仁元年(1224)12月2日から彫り始めて、元仁2年4月10日に開眼供養されたと印してあるそうです。願主は伊勢権守佐伯朝臣為家。像立年代がはっきり分かる石仏です。

(ア)中尊阿弥陀石仏

高さ1.2m、花崗岩製。敷茄子部のある二重の蓮座の上に定印を結んで座っておられます。手が欠けています。光背は二重円光で、表面に阿弥陀の梵字「キリーク」が11個配されています。

(イ)勢至菩薩像(左)

合掌する勢至菩薩像です。光背に勢至菩薩の梵字「サク」が見られます。宝冠など飾りが精緻に彫刻されており、衣紋も流れるような線で表現されています。

(ウ)観音菩薩像(右)

蓮華を持つ観音立像です。光背の梵字は観音を表す「サ」です。
石像寺の阿弥陀三尊のおられるお堂は小さいお堂です。その前に焼香台があり、線香がたやされることなく燻り続けており、このような脂がいっぱいついた状態になっておられます。それでもその美しさは分かっていただけるのではないかと思います。

(エ)石像寺弥勒菩薩像

このお堂にもう一体鎌倉時代の弥勒菩薩がおられる。阿弥陀三尊の右端におられる。のぞき込んでもなかなか全体は見えないのだが、弥勒の「ユ」の種子の光背を持っておられる。

(2)引接寺紫式部塔
上京区閻魔町

 船岡山の北裾野は蓮台野と呼ばれ平安時代以後葬送地でした。多くの卒塔婆の群立を形容して「千本」という名前が生まれたのだそうです。ここに、3つのお寺が今もあります。石像寺(釘抜き地蔵)・引接寺(いんじょうじ・千本閻魔堂)・千本釈迦堂の3つです。葬送の地に石仏が多いのは当然です。
境内北東の隅に珍しい形式の十重石塔があります。紫式部の供養塔と言われています。高さ7mです。初軸(塔身)は角を面取し四面に薬師・阿弥陀・釈迦・弥勒を彫ってあります。その下基礎部には地蔵立像が彫ってあります。南北朝後期(至徳3年・1386)の銘文のある石塔です。もともと紫野白毫院にあったものを移したといわれ、紫式部供養塔という確証はないようです。
この引接寺はお精霊迎えのお寺として有名です。本堂には丈六の本尊閻魔王像を祀っておられます。そして観音堂には小野篁像があるのだそうですが、これは普段は見ることができません。水回向するためにたくさんの地蔵などの石仏があります。
本尊閻魔王像は大きなものでした。迫力がありました。私はたまたま夕方のお経をあげられる時間に行ったのですが、般若心経をあげておられました。コワイと言うより私は閻魔さんが愛敬のある方だと思いました。

(3)金泉寺阿弥陀石仏
上京区西町

 金泉寺(こんせんじ)は北野天満宮を南に昔市電が走っていた道を中立売通りへ曲がる辺りにある大きな日蓮宗のお寺の前の細い道(下の森通り)を南へ下がったところにあります。
 阿弥陀石仏は花崗岩製で、高さ1.37mの舟形光背に結跏趺坐した定印の阿弥陀石仏が厚肉彫りしてあります。鎌倉後期の作と思われます。

(4)善想寺阿弥陀石仏
中京区三条大宮町(六角通り大宮西入る)市バス四条大宮下車北に200m、六角大宮西入る南側 

境内墓地入り口に阿弥陀石仏がおられました。
花崗岩製で、高さ1.6m 幅1.3m 厚さ70cm 舟形光背。台座に坐す像高90cmの阿弥陀仏を厚肉彫りしてあります。両手を膝上に置いた定印(上品上生)の阿弥陀で、鎌倉浄土教の影響で作られたものであろうと思われます。大切にまつられていました。

(5)権現寺観音と地蔵
下京区朱雀裏畑町(七条千本西入る)
市バス七条千本下車、西に100m南側

大きな聖観音石仏と地蔵石仏がおられました。二体ともに座像で、花崗岩製です。

左…聖観音像
高さ1m自然石に蓮華座を設け像高75cmの像を厚肉彫りの聖観音像。宝髪を高く結い、垂髪を垂らし右手は屈してせむい印左手は未開の蓮華 結跏趺坐しておられます。鎌倉後期の作と思われます。
右…地蔵石仏像
右手 与願印 錫杖を持たない古式形地蔵です。 鎌倉後期と思われます。

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