関西花の寺17番札所・真言律宗・コスモス寺

奈良坂般若寺の秋
奈良市般若寺町221・近鉄奈良駅バスA青山住宅奈良坂行「般若寺」下車

2004年8月21日・9月5日・11日撮影
2004年9月12日(日)作成

 電車に乗らずに京都から奈良へ入る時のこの景色が大好きです。
 奈良坂から見える東大寺大仏殿…きっと昔の旅人もこの景色を色々な想いで眺めたのだろうなと思います。
 6月からコスモスが咲き始めるのだそうです。
 下の2つの写真の左は8月21日右は9月11日です。コスモスの背丈がずいぶん伸びていています。三分咲きだそうです。あと1週間で満開になるのではないでしょうか。

石仏とコスモス

 このお寺には大変優れた石造美術品が数々あります。その中の一つが十三重石宝塔(重要文化財)です。現在のこの塔は建長5年(1253)南宋の石工伊行末が建立したもので、大きさ姿ともに日本の代表的な石塔です。伊行末は鎌倉時代以降の石造美術に大きな影響を及ぼした人です。
 そして私がこのところ何回か足繁く通っているのはその前にある33ヶ所観音石像とコスモスなどの花の組み合わせを何とか撮りたいためです。この観音石像は元禄期に京都府相楽郡の寺島氏が病気平癒のお礼と体の不自由な人に巡礼の便を図るために造立寄進したものだそうです。

ハスの実と石仏

彼岸花

般若寺の石造美術

十三重塔(重要文化財)の塔身線彫四方仏

これは東面の薬師如来。顕教四仏(東薬師・西阿弥陀・北弥勒・南釈迦)を表しています。

傘塔婆2基(鎌倉重要文化財)

宋人伊行末の子息行吉が父親の一周忌追善供養と母親の息災延命を願い弘長元年(1261)建立したもの。

奈良坂を歩く

 秋篠川を越えて昔の道を歩いてきますとここが街道だったんだなということが分かる遺跡やものがあります。
 私はレンガ好きで道しるべ好きで花好きですからそういう要求をこの奈良坂は満たしてくれます。9月11日と12日奈良少年刑務所(般若寺のすぐ近く)が「矯正展」をしていました。

奈良少年刑務所

北山十八間戸

 鎌倉時代後期忍性がハンセン病患者のために建てた療養施設です。棟割長屋形式の建物。一人分の部屋の狭さにびっくりしますが、それでもこの施設の人権尊重に果たした積極面を評価したいと思います。
 忍性は患者の中で病気のために歩けなくなった人を背負って奈良の町へ連れて行き夕方にまた背負って帰ると言うことを何年もされ、素手で体を洗ってあげるなどの行いをされたという話が残っています。鎌倉関東へも出かけ生涯貧しい人ハンセン病患者・差別されている人のための活動をされたそうです。鎌倉新仏教が民衆の心をとらえる中、旧仏教界にも叡尊やこの忍性のように人々の中に出て活動された仏教者がおられたことを忘れずにいたいものだと思います。

夕日地蔵

会津八一の歌が書かれていました。

道しるべ

この道標には弘化の年号が裏にありました。
ここで伊賀伊勢へ向かう人と京都へ向かう人が別れたのですね。

東 右 京 うち(宇治) 
右 かすが(春日) 大ぶつ 道
北すくかす可大ぶつ
左いが おせ 道
南右いが(伊賀)いせ
(伊勢)すく京うち道

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