この文章は「人間をどう書かせるか」(1981・8・25京都市つづり方の会発行ハンドブック)という小冊子に書いたものです。
私が教師になって8年目のことです。当時サークルで話し合われていたことを私なりの解釈でまとめたものです。今から読むと「こんなことしてたのか」と思うことと「若いころからやってたんだな」と思うこととがあります。
「何を書かせるか」(子どもからすると何を書くか)は作文教育の要です。教師の指導なしに子どもが書くことは考えられませんから「何を書かせるか」というもの言いをこの時はしています。しかし今考えると「何を見つけ、とらえさせるのか」という子ども主体の取材をさせることが正しいと思います。人間に注目すること、その生活に注目し足を地につけた生活認識を養うこと…それこそが大切だと当時も今も変わらず考えています。 |
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1,はじめに
うんどうかい
ぼくは
うんどうかいのことが
きになったから
かちたかったから
ちょうないいっしゅうした
▼教師が子どもたちに作文や詩を書いてほしいと願うのは、なぜなのでしょう。
▼それは子どもの綴ったものがすきだからです。読んでいて、その子の息づかいが聞こえてくるからです。
▼読んでいて、うれしくなったり目頭が熱くなったり、その子といっしょに歩めるから書かせるのです。 |
2,まずは先生のことから
どの子も先生と仲良しになりたいと思っています。
出発は、まず先生のことを書いてもらったらどうでしょう。
あけすけに いやなことを書く子もいるかもしれません。
でもやさしさも見えるはずです。
イ,外から見てみる
画用紙(八つ切り)を半分に切り、子どもの数だけ用意します。
ひょっとしたら「先生、絵の時間ちがうで」と言われるかもしれません。「何に使うの」と聞くかもしれません。「さあ、何に使うのやろ。楽しみにしといて」と答えます。
静かになったころをみはからって
「今日は、世の中で一番男前で心のきれいな人の顔を描いてもらいます」と宣言する。
「だれのことかな」きっと思うはずです。歌手、俳優、父親、ユーモアのある楽しいクラスなら「先生やろ」という声も出てくるはず。それが出てきたらすかさず「ありがとう、だれか先生て言うてくれると思てた」と言って「今日は先生をかいてみよう」と言いながら画用紙を配ります。(要するに楽しい気分にしてやればいいわけです。様々に工夫してください)
次に大きく画面一杯に顔の輪郭だけをとらせる。目や鼻や口を描きたい子がいれば描いてもいいことにします。くりぬいても楽しいです。
さて、ここからが肝腎です。
「今度は作文(あるいは)詩)で先生のことを書いてみましょう」
と言って、顔の中あるいは裏面に書かせます。
さて、その紙は、先生のことを書かせる時のどの場面でも使えます。
「先生の顔をよく見て下さい。順番に見ていきましょう。まず髪の毛(と言って下を隠す)次におでこ…」と言いながら順々に首まできて
「今、見ていたときに思ったこと、感じたことがあったでしょう。それを見たとおり思ったとおり順々に先生にしゃべるように書いてみましょう」
と言って書かせてみます。
せんせいのかみのけ …やなあ
せんせいのおでこ …やなあ
先生、………
あるいは、先生の顔を一分間じっと見つめさせておいてから
「今、心の中にどんなことがうかんできましたか。何を感じましたか。何を感じましたか。」と言って発表させてから「今、みんなが言うてくれたことを先生に話すように書いてみましょう」と言って書かせてみます。
ロ,事実を出して先生を書く
▼その1
具体的な作品で場面を切り取るという意味をわからせる。
概念的な文(先生はこわい、やさしい、おもしろい)とだけしか書いていないものと具体的にこわい等と思ったその時のことが書いてある文を用意し、どちらがよくわかるか鑑賞させた後で書かせる。
▼その2
先生に対する心情を出させておいてから、それは、いつ、どんな場面であったことからそういう気持ちになったのかを書かせてみる。
ハ,数ヶ月以上担任しているクラスなら
「今まで○ヶ月間、先生といっしょに勉強したり遊んだりしてきたね。先生が言ったり、したりしたことで、あの時はうれしかったなあ、楽しかったなあ、腹が立ったなあ、恥ずかしかったなあということが、きっとあったと思うのです。今日は○ヶ月間のことで、一番心に残っている出来事を書いてもらいます。みんなが書いたことを、先生はよく読んでこれからの反省に使いたいと思います。ウソやおべんちゃらは書かないで下さい。本当に心に思ったことを、先生が、ああ、あの時のことだなとわかるように、時間の順序にしたガッって書いて下さい」
と言って書かせます。この時に参考作品で適当なものがあれば、読んでやってもいいと思います。書くことに悩んでいる子がいたら「あの時あんたはどう思ってたんか、先生知りたいし、あのこと書いて」とヒントを与えてあげたいものです。(ここでどのくらいその子と付き合っているかが問われます)
ニ,その他にも
一番最初に出会ったときと、今とを比べながら「このごろの○○先生」を書かせることもできます。又、「家での先生」を想像させても楽しいです。先生に言いたくてたまらないことを書こうと言って書かせることもできます。
*何を書いても事実である限り認められるということを教えるのに、先生というのはすばらしい題材です。教師と子どものつながりをこの題材ではね らいたいし、生活している人間として教師をとらえてほしいものです。そ のためにも裸でつきあいたいし、教師のことを書けといわなくても書いて くれるようなつきあいでありたいものです。 |
3,父・母のこと 家族のこと
イ,お父ちゃん、お母ちゃんのこと教えて
先生のことが、一枚文集にものり、一応紹介されたら、今度はお父さんやお母さんのことを子どもたちに紹介してもらったらどうでしょう。家庭訪問の前、父の日、母の日の前などどうでしょう。
「今日は先生よりみんなの方がよーく知ってる事を勉強します。さあ、何やろうね。第一ヒント、みんなの一番好きな人のことです。第二ヒント…」などとやっているうちに「お父ちゃんのことや」とか「お母ちゃんや」とか言ってくれます。
そこで、今日はお母さんかお父さんのことを書くことを知らせます。
書き方については、先生は教えてもらわないことには何もわからないのですから、どんなことでも先生が知りたいなあと思うようなことなら何でも書いて下さいと言えばよいのです。
ある日、ある時の様子を書く子もいるでしょうし、一生懸命顔の事やら仕事のことを書いてくれる子もいるでしょう。子どもがとらえている父や母の事実を先生に教えてくれればよいのです。
クラスの中には、父のいない子もいるでしょう。母のいない子もいるでしょう。そういう時には父のこと母のことと限らずにどちらでもよいという方がよいでしょう。
日記に父や母のことがボツボツ出始めたら、必ず
「○○ちゃんのお父さん。こんなことがあったんやて」
等と言いながらいっぱい紹介したいものです。
ロ,ハッと心に残った父や母の姿を
「次の作文の時間はお父さんかお父さんのことを書きますから、お父さんやお母さんが話されたり、されたりしたことでハッと心に残った時のことを、よく耳や目を働かせて覚えておいて下さい」
と一週間前に予告し、二日に一回ぐらい見つかったかどうか確かめておきます。
そして一週間後
「お父さんやお母さんのことで、あれ、いつもとちがうぞと思ったり、うれしかったり、悲しかったりしたことがありましたか。もう一度よく思い出してみましょう。(しばらく思い出させる時間、目を閉じさせるのもよい)思い出せたかな。さあ、ではその時のことだけよ〜く思い出して順々にできるだけテレビに映っているようにくわしく書いて下さい」と言って書かせます。
ハ,お母ちゃん どう思ってる?
「みんなは、お父さんお母さんのこと どう思ってるの?」
と、聞きます。こわい、うるさい、やさしいなどが出てくるはずです。
「最近こわいなあと思った時は、どんな時?」
などと話し合いをします。そして
こわいお母ちゃん
・テストを見ているとき
・朝、私がグズグズしている時
やさしいお母ちゃん
・月給日
・お客さんが来たとき
などと黒板にまとめます。
「みんなのお母ちゃんも こんな時ありますか」
と言って、どのお母ちゃんでもこわい時もやさしい時も、疲れているときもあるという話をしながら、今日はその中の一つだけ、一番書きたいお母ちゃんのことを書いてみましょうと言いながら、書かせてみます。
ニ、お父ちゃんの口ぐせは何?
「みんなのお父ちゃんやお母ちゃんの口ぐせは何?先生のお母ちゃんは…」
と教師の父や母の口ぐせにまつわる話をしてあげる。そして、子どもからも話を引き出し、口ぐせを板書する。
「今日は、お父ちゃんやお母ちゃんの口ぐせを言わはる時のことを思い出して書きましょう」
と言って、一行目その口ぐせにして、書きはじめます。
ホ,見つめる場面を指示する
a,仕事を終えて帰ってきた時五分間
仕事から帰ってきはったお父さんやお母さんを五分間じっとよく観察しておくこと、観察するというのは、目、耳、鼻、手、心を十分働かせることだということを言って、宿題に出しておく。
二三日後に、観察してきたことをそのまま書かせる。
又、仕事をしておられる場合は、一時間よく観察するように指導する。
b,夕食の時
夕食の時、お父さんやお母さんと話した時のことを、作文に書くからよく観察してくることと言う宿題の後書かせる。必ずいっしょに食べなかったという子がいます。その時は、なぜそうなったのかを書かせればよい。いつも食べられない子もそのわけをくわしく書いてもらう。
父や母を見つめさせるときに
父や母のことを、あるいは家族のことを私たちが重要視してきたのはなぜでしょうか。
それは、子どもの生活の最も重要な部分を家族とりわけ父や母が支えているからです。子どもが父や母のことを生活者として意識しているかいないかは別にして、父母家族は厳然として生活として目の前にいます。父や母のものの見方、考え方、行き方を見て子どもは育っています。肯定的・否定的を問わず、子どもたちは丸ごとの父や母から人間というものを見、理解していくのです。
私たちは、父や母のくらしぶりにどこかから切り込んでいく目を子どもたちに育ててやりたいのです。切り込みの視点や角度をです。
「お父ちゃんのことを書こう」
ではなくて、もう少しその人間に具体的な場面での立ち止まりをさせなければならないと考えるのです。そうしないと父・母家族・人間は見えてこぬのではないかと考えるのです。そう言う意味でイ〜ホまでのやり方を参考にしてほしいのです。
こういう場面に着目させながら、会話、におい、顔色、話しぶり、動作、手ざわり、周りの様子にも心を配らせたいのです。
次には、ある日ある時、ある場面の父母家族のことだけにとどまらず、長い間にわたる出来事の中から、いつも考えていることや、考えが変わったことを説明を加えながら書かせていくことも、父母をじっくり見、自分の生き方を考えさせる上で大切なことだと思うのです。
又、父や母の子どもの頃の話、戦争体験など、父や母の歴史を教科教育とも結びつけながら聞き取らせ、父母の生き方と自分の生き方を比べながら書かせることも、意図的にやりたいものです。 |
4,友だちのこと、自分のこと
学校の中で机を並べていっしょに学習している友だちのこと、これはどのように目を向けさせて書かせればよいのでしょう。
イ、えんぴつ対談
二人に一枚 紙を渡します。
「私は■です。どうぞよろしく」から初めて「私の好きなものは▼です。あなたは?」などと紹介しながら、日頃隣に座っていて、思っていること、聞きたいことを自由にえんぴつと紙を使って話させるのです。
ロ,心に残っていることを
「ある日ある時の友だちのことで心に残っていることを書こう」というめあてで書かせてみてはどうでしょうか。
子どもたちの日記の中から(必ず友だちのことは書かれるはずですから)適当な作品を選び出して読んであげます。楽しい作品ならきっと子どもたちは喜ぶはずです。名前が出てくるだけで書いた子も書かれた子もうれしいのです。
「○○ちゃんのように、クラスの友だちとのことで、あの時はおもしろかったなあ、とかいやだったなあとか、くやしかったなあとか、楽しかったなあということを思い出して書いてみましょう」と子どもたちに働きかかてみてはどうでしょう。
子どもたちはきっと夢中になって遊んだことやけんかしたことを書いてくるはずです。そしてその時にも父母のところで書いたように表情、様子などに着目されたいのです。
ハ,力一杯がんばっている友だちを
「友だちがすごくがんばっているなあと思うことをその時の様子がよくわかるように書いてみよう」と言って、書かせてみればどうでしょう。
子どもたちは、クラスの中で自分以外に頑張っている子どもをきっと見つけてくれるはずです。その時にクラスで何かの取組が同時進行しているならなおさら友だちの具体的ながんばりの姿が見えるはずです。
ニ,みんなの力を友だちに
クラスの中に教師の力量が絶えず試されるような子がどこにもいます。ところが、ちっとも他の子の目がその子に向いていないのか、日記にも出てこない、こんな時思い切って他の子の力を借りるために、どう思っているのか書いてもらってはどうでしょうか。
「クラスの友だちのことで、あの人はきっとあの時困っていただろうなと思ったことはありませんか。先生は時々、あの人は困っているなと感じるときがあるのです。友だちや先生の力がいるなあと感じることがあるのです。みんなはどうですか」
と言って、先生が自分が子どもの時に困った話やいやだった時の話をしてあげるのです。
「もっともっとクラスが協力していい仲間になれるようにこのクラスの中で困ったことや、いやな思いをしている友だちのことを取り上げて書いてみよう」
と書かせてみてはどうでしょう。
しかしあくまでも非常手段です。自分の実践が、つまり集団づくりがうまくいっていれば子どもの方から書いてくれるとは思うのですが…。
ホ,友だち再発見!
「いつもとちがう○○さん」を書いてみてはどうでしょう。
人間は時によって場面によってちがうことに気づかせ、いつもとちがう友だちの様子を書かせてみてはどうでしょう。「友だち再発見週間」などといって取材期間を設定しながら。
なおここにあげたイ〜ホの方法は友だちとなっていますがハニホについては自分のこととして書かせてもいいのです。力一杯自分が遊んだこと、勉強したことなどうんと書かせたいものです。又生い立ちの記など自分が生きているという証をたどっていく仕事を大切にしていきたいと思います。
私たちは、一人ひとりに生きていく力をつけていくことを願っています。書くことはそれに大きく寄与すると考えています。だから、友だちのことを書かせるにしても、自分という人間抜きに書かせては意味がないのです。
友だちのことをしっかり見つめられるような子どもを育てたいと思います。それは同じ生きている仲間として、しっかり見つめさせていきたいのです。友だちのことを書いたときにだけ友だちのことを考えているわけではありません。友だちがお父ちゃんのことを書いてクラスで読み合っているときにもその友だちが見えてくるはずです。だから読み合う仕事も大切にしたいのです。
学級集団づくりの中に、しっかり書くことを位置づけ、友だちが何に喜び、何に悲しみ、何に悩み、何をどうがんばろうとしているのかが分かり合えることから連帯(観)も協力する行動も生まれてくるのです。 |
5,自由選題で
子どもに自由に自分の書きたいことを力一杯書かせるようにすることを、課題すること以上に大切にしなければならないだろうと思います。課題して書かせることが子どものねうちに向かう心を育てているかどうかを試す上でも自由に書きたいことを書かせたいと思うのです。
子どもの心に今一番興味をもっていること、書きたいと思っていることが全然ないというようなはずみのない生活や取材する力がないようでは、何のための生活綴方かといわれても仕方がありません。
でも、現実には「書くことがない」という子もいるのです。そのためにも子どもたちの心がはずんでくるような励ましをしたり、生活を主体的に創り出す応援を教師はしなくてはならないと思います。
日常的には日記指導し、自由に題材を取材できますが授業としても自由に選題して書かせることがあってもいいと思います。
一週間程度前から、次は自由にすきなことを書いてもらうことを予告しておきます。決まった人から後ろの黒板や掲示板に書いたり貼ったりできるようにして、毎朝
「書くことは決まりましたか」
と尋ねていきます。友だちの題材を紹介したりして、私にもそういうことがあるなあということに気づかせていきます。又、日記を読んであげて「これはいい作文になりそうだなあ」と言ったり、他校の子どもの作文や詩を読んであげて、取材を助けてあげます。最後の子が見つけられたときに書かせます。ここでは日頃の学級集団の中で綴方がどのくらいよく読まれているかが決定的に大切だと思います。 |
6,おわりに
生活綴方は、人間ばかり書かせているわけではありません。ただ人間を大切にしているということは言えます。だからこのハンドブックでもまず人間のことを取り上げました。
自然、社会、文化の事実の中からも子どもは取材してきますし、又させて学ばせたいと思います。そのことについては次の機会に譲りたいと思います。 |