小宮山繁の
子ども賛歌
 このページの文章は1989年7月9日〜6月24日まで24回にわたって新聞「京都民報」に連載したものです。
 子どもの詩を一つ最初にあげて、あとは自由に書いたらよいという依頼でした。かなりの字数をいただけたので書きたいことが書けました。
 「小宮山繁のこども賛歌」というタイトルだったのですが、「こども」というのがどうも私の中で収まりが悪いのでこれを機会に「子ども賛歌」に変えます。
 約束の1年目が終わったときに京都民報の記者の方が「先生、好評ですし、もう少し続けましょうよ」と言って下さいました。でも二週間に一度かなり苦労して書いていたので、もういいわと思いお断りしました。当時原稿を頼まれたらそれはそれは必死で書いていました。このページを作るために読み返したのですが、当時の様々なことが蘇ってきました。私の教師生活前半の仕事をまとめたものであり、忘れられない実践報告風エッセイです。

2011・3・21(月)開始
2011・5・1(日)7〜9追加
2011・5・22(日)10〜13追加

2011・7・18(月)14〜16追加
20011・8・13(土)17〜19追加

2011・9・3(土)20〜24追加完了

連載No  題   名  連載No  題   名  連載No  題   名  連載No   題   名
日曜日は目もバッチリ キンモクセイの咲く頃 13  偉大なるマンネリ儀式  19  ぼくも2年生になった 
夏休みは自然と交歓を 学芸会は心臓ドキドキ 14 おちんちん、べんりやなあ  20 担任の先生はだれ? 
感動する心いつまでも そんだけいうたらねやはる 15 雪の日は雪の中雨の日は雨の中  21 家で働くお母さんの姿 
早く明日になあれ 10 わが子の詩に目頭熱く… 16 先生、ピー子が死んでる  22 子どもの遊び今と昔 
「ヤッター、晴れた」の気分で 11 ああ、勘違い 17 子ども思い届く卒業式に  23 父親らしさって何だ? 
運動会ここを見て欲しい 12 サンタクロースっているの 18 見えてくる父母の姿  24 地域に根ざす学校づくりを 
第1回 『日曜日は目もパッチリ』(学校は重苦しい場所?)
1989年7月9日(日


元気な子にもプレッシャー
 私は今、三年生を担任しています。子どもたちは元気です。今ごろの季節になりますと、休み時間が終わって教室へ帰ってきた時には、頭から水をかぶったのではないかと思うくらい汗びっしょりです。
 ところが先日、子どもの中に入って一緒に給食を食べていたら、一人の子がおもしろいことを言い出しました。
「先生、私、日曜日になったら早よ目が覚めるねん」
「へえ?そら土曜に早よ寝るからやろ?」
「ううん、ちがう。土曜日は遅くまで起きてるけど、何か知らんけど、日曜日はパッチリ目が覚めて、早よ起きられるねん。他の日はねむたい。ねむたい」
「あんたも?私も」
 同じ班の子ども三人が、異口同音に同じことを言うのです。どういうことなのでしょうか?
 私は、うちの息子もそうやなあと思いながら、この日曜日には目がパッチリ、気分爽快、平日はうっとうしい気分、という子どもたちの現状を自分の責任も感じつつ、痛ましいものと感じました。子どもたちが何かに追われて、何となく「学校」にプレッシャーを感じている。「勉強」「学習」というものから疎外されかかっている。そう感じています。

二十日以上休む子は要注意
 もっとも大人の方は慢性的疲労で、日曜日にも疲れていて、気分爽快になるのは昼ごろからという状態ですが…。大人も子どもも、朝からグッタリしている世の中なんて、異常です。
 私の学校で、一年間に二十日以上休む子のことを問題にしはじめて三年目になります。登校拒否的傾向を示している子を、京都市教育委員会は五十日以上休む子が何人いるかで調査しています。ところが、私たちの実感からいうと二十日以上休む子は欠席の多い子です。特別な病気を持っている子である場合を除いて、たいてい、やや嫌怠学的傾向をもっている子だと見ていいように思うのです。
 原因がどこにあるのか。それは一人ひとりによってちがいますし、簡単に解明できないことの方が多いのですが、汗をブルブルかいて教室に帰ってくる、本当に学校生活を楽しんでいるような子どもたちの心の中にも、実は「学校」というものが何となく重苦しくのしかかっているという現状を、緊急に何とか打開できぬものかともがき苦しんでいるのが、心ある教師の共通した姿です。
 どうなってる子どもの生活
 かって、故・蜷川虎三京都府知事は、学校の本来あるべき姿を「いそいそと恋人に会うように学校へ…」という言葉で語られました。
 いま子どものくらしはどうなっているのか。そして、その内面で何が起こっているのか。そういうことを具体的な事実で、明らかにできたらと思います。否定的な姿をとらえつつ、「おっとどっこい、子どもは生きているぞ」という“こども賛歌”を一年間続けたいと思います。よろしくおつきあいください。
第2回 『夏休みは自然と交歓を』(A君が首にヘビまいてはる!)
1989年7月23日(日)

むかで
     4年 かずゆき
「あ、むかで」
と ぼくが いった
むかでは きにせず あるいていった
ぼくは ちょっとさわった
むかでが くるりと からだを まげはった
ぼくが わらった
むかでが あるきだした
ぼくは むかでを つけた
そしたら すに かえった
ぼくは 思った
おしいことをしてしまったなあと思った
なぜかというと
足を数えるのを
すっかりわすれたからです

「ヘビ事件」で朝から大騒ぎ
 
朝、自分の席につくやいなや、四年生の子が二人、職員室に飛び込んできました。
「三年一組の担任の先生はいますか」
「先生とこのクラスのA君がヘビ持ってきて、他の人キャアキャア言わしたはります」
「口から血出して、首にまいて、歩いたはります」
 もう一つ事情がのみこめぬまま、教室にむかいました。とにかう異常事態が発生しているらしいことはわかりました。私は口から血を垂らして、ヘビを首に巻いたA君を想像して、なんで血をたらしているのか、えらい芝居かかってるなあと思っておりました。
 三階へ行くとクラスの子が走り寄ってきて
「先生、A君がヘビもって、見せはる」
と言って騒いでいます。こわがりごっこして遊んでいる感じがなきにしもあらずです。A君が、となりのクラスからわがクラスへ“凱旋”してくるところでした。もちろん、ヘビを首に巻いて。
 A君の机の上には、血の付いたティッシュがあり、1m以上ある黒いヘビの死骸が長々と伸びていました。どうやら、口から血を出したのはA君ではなく、ヘビのようです。
 彼の話では、学校の行きしになにそのヘビを見つけ、首に巻いて登校してきたそうです。初めから血を出しており、死にかかっていたといいます。
 大体私はヘビが苦手です。A君は教室で「ヘビを飼いたい」と言っていた子なので、ヘビが好きだということはわかっていたのですが、まさかこんなことになろうとは。話を聞いているうちに、だんだん、彼のヘビに対するしうちに腹が立ってきました。
「君のしたことは、ヘビが好きな人間のすることとちがう。ワアワア騒がれていちびってるだけで、ヘビのことなんか何も考えてへんやんか。かわいそうに、ヘビかて君がつれてきいひんかったら、生きてたかもしれん。ヘビをおもちゃにして。すぐに埋めてこい!」
 私とA君、他二名のものとで埋めてやりました。本当に気分の悪い一日のスタートでした。

さわれたことが自信になり
 後日、お母さんとお話ししました。お母さんは、A君とヘビのことを次のように話してくださいました。
 A君は早生まれで、幼稚園でもなかなか自信のある行動がとれない子だったそうです。ところがある日、ヘビがさわれたということから、他の子が一目置くようになり、本人もえらく自信になったということでした。また幼稚園の頃、通園中に、死にかけていたスズメを円で育てた経験があり、今回もそうしてやろうと思ったらしいということでした。
「ちょっとは、ワアワア言わはるの気持ちよかったけど、ワアワア言わはる人に限って『見せて見せて』って言わはった」と言っていたといいます。
もっともっと自然の中へ
 彼にとってヘビは特別な生き物だったのです。彼の行動は決してほめられたものではありませんが、お母さんの話を聞くと、なるほどと、彼の心に少し近づける気がします。
 私どもにとっては、とんでもない行動に見える事が、案外子どもにとっては、自然や生き物と交歓している姿であることがあります。前掲のかずゆきの詩も、ムカデとの交歓の一コマです。子どもがもっと、生き物(自然)と交歓できる機会をと思います。夏休みです。そのチャンスです。子どもたちが豊かに自然との交歓ができますように。

第3回 『感動する心いつまでも』 (共有したい新発見の驚き)
1989年8月13日(日)

ながれ星
      2年 かなこ
ながれ星を 見た
向日町で 見た
きんいろみたいな
ぎんいろみたいやった
ぎざぎざのかたちのようやった
おかあさんに
「ながれ星や」
て大きな声で いうたら
「ほんとやな」
て びっくりもせんと
よそ見しながら ゆわはった
なんにも
おもわへんのかな


伊豆・堂ヶ島の満天の星に
 日本人はギリシャ人や中国人に比べると、星の出てくる話を民話にも神話にも持っていないーという話を聞いたことがあります。なるほど、そういえばそうかなあと思います。
 満天の星を、私は一度だけ見たことがあります。伊豆の堂ヶ島へ職員旅行をした時、それはそれは見事な、降ってくるような星空でした。そのうち、いっしょに行っていた先生が一人、見えなくなり、みんなで捜しました。
「どこへ行かはったんやろ」
みんなで心配しました。しばらくしたらブラブラ、その先生が、どこからか帰って来られました。ホテルの玄関で待っていた私たちは、尋ねました。
「どこへ行ってはったんです?」
「いやあ、すまん、すまん。あんまり、星がきれいやったもんやから、散歩してたんや」何にもまさる実物の教育力
 私たちは、あらためて空を見上げました。天の川という言葉は知っています。太陽系のことも、銀河系のことも、知識としては知っています。ところが実際には、夜空を見上げても、都市部では天の川なんて見えないのです。
 プラネタリウムで、最後に満天の星を見せて下さいますと、子どもたちの中から「オーッ」というどよめきが、一斉におこります。
 私は、満天に星がある状態を、何とか子どもたちに説明しようと試みたことがあるのですが、たいてい失敗します。どうあがいても、あの堂ヶ島の満天の星と天の川は描写しきれません。見てもらうしかないなあと思います。やっぱり実物は何にも優る教育力を持っています。
 天の川を見ながら、子どもたちは何を思うのでしょうか。何を発見するのでしょうか。私は、圧倒的な自然の力を感じました。そして、人間も自然の一部なんだなあということを、しみじみ思いました。なぜ古今東西、星をテーマにしたロマンチックな詩や話ができるのか、やっと理解できました。たしかに私も、散歩に出られた先生も、星の世界に酔ってロマンチックな気分になっていましたから。
びっくり体験伝えたいのに
 かなこちゃんの詩、批評精神があります。
 ながれ星に感動したのです。ひょっとしたら、生まれて初めて見つけた流れ星かもしれません。この詩を書いている今も、目に焼き付いて離れないほど、強いインパクトをうけているのです。だから、ます「ながれ星を見た」で始めるのです。どこで、見たのかもこの子にとっては大事なことです。しっかり心に刻み込まれているので、色や形に心がいきます。それを何とか人に伝えたい一心で、言葉を選んで精一杯の表現です。そして、一番身近なお母さんに、大きな声で伝えます。たぶん、お母さんもびっくりしているだろうと思って。
 ところが、ところが。お母さんはびっくりもせんと、よそ見しながら「ほんとやな」と言うのです。
 お母さんに悪気があるわけではないのです。でも、かなこちゃんの期待は、見事に裏切っています。お母さんは、他に考え事をしていたのかもしれません。
 こんなすごい発見しているのに「なんにも おもわへんのかな」というかなこちゃんの心の中には、お母さんにいっしょに驚いてほしいという願いがあります。ふだん、いろんな場面でさまざまに共感を示してくれるお母さんだからこそ、そういう期待ができるのです。
 かなこちゃんは、ながれ星を見た感動の強さと同じものを見ているのに、ちっとも心を動かしてくれないお母さんのことが不思議で、この詩を書きました。
 こういうすれちがいは日常茶飯です。余裕があり、大人も感動できれば、すれちがわないのです。大人の方が、わけしりになりすぎて、感動する心がすりへっているのだとしたら、悲しいことです。

第4回 「早く明日になあれ」 (二学期前夜の不安と期待)
1989年8月27日(日)


8月31日の夜
      5年A・O
ああ いやや いやや
新聞のきりぬき
やってないところがある
学校いったら
先生 どういわはるやろ
もしかしたら
「できてへんのは Oさんだけやで」
ていわはるかもしれん
それとも しばかはるかな
いや そんなことはない
でも
おこられているところばかり
目にうかんだ


始まる二学期と子どもたち
 9月1日。夏休みも終わり、いよいよ二学期が始まりました。
 学校につくと、さっそくS君が「来た」と言って待っていてくれます。
 始業式に学校に来るのはあたり前ですが、時々「忘れた」とか「知らんかった」と言って、始業式がある日に欠席することがあるS君にとって、私に「来た」と言いに来るのは、ほめてほしいにちがしありません。
「おう、がんばって来たな。夏休み、かしこうしてたか」
「うん、かん字のべんきょうしてきた」
「へえ、あとで見せてもらうわな」
 二年生ですが、五年生でならうむずかしい漢字を、お母さんに書いてもらって練習しています。
「あんな、お母さんがな、カバンと本、全部ほかしてしまはった」
「へえ?なんで?」
「わからへん」
 断片的な事実と、それまでの経験から、この子の夏休みを想像します。でも、すっきり散髪した頭と、この漢字ノートのお母さんの文字と、この子の文字から、何とか前向きに二学期を迎えようとしている意欲を大切にしなければと思い直します。
 職員室につくと、KさんとMさんとYさんが来ました。
「先生、私とこに赤ちゃんが生まれた」
「男の子やってん」
「のぼるくんていうねん」
「よかったな。お姉ちゃんやなあ」
 三人は、それだけいうと、教室にもどります。Kさんの家に弟が生まれたので、二人はたぶん、見せてもらいに行ったのでしょう。だから三人そろって先生に報告する義務を感じたのでしょうか。それともKさんが先生にいいに行くというので、ついてきただけなのでしょうか。いずれにしても、自分のうれしかったことを、先生にも知らせてやろうと思ってくれるのがうれしいことです。
 学校に慣れる…これは案外。子どもの方が早くできるような気がします。私なんか、しばらくボーッとしています。基本的生活習慣の乱れは私の方に顕著です。
 夏休み明けの一週間、何から始めるかは、その年によってさまざまですが、夏休み中に覚えた歌をいっしょに歌いたいとか、あのゲームをいっしょにやろうとか、あの本を読み聞かせようとか、何か楽しいことを考えます。もちろん子どもたちを楽しく豊かな気分にさせてやろうと思うのですが、それより何よりも、まず教師である私が楽しい気分になって、ズムーズに出発したいからです。
宿題のこと、友だちのこと
 8月31日の夜、子どもたちは何を考えているのでしょうか。
 Oさんの詩は、宿題が彼女の心を占領してしまっています。Oさんは比較的しっかり新聞の切り抜きの宿題をやった方なのですが、できてない日があると悩んでいます。ところが、こんな子もいます。


あした学校や
どうしょう
まあいい
一まい きりぬきしたもんね
一まい ふえたね


 まあ、堂々たるものです。宿題なんかなんやのん。そんなもんクソくらえや!そういう声が聞こえてきます。楽天的というか、ええかげんというか。私なんかうらやましくなります。こういう子が将来大物になりそうな気がします。こんな子もいます。

席がえ
かずみちゃん
おがんどくしな
席 席 席
一回もなったことない
一度でいいし
いっしょになりたい

 
 この子は、新しい座席のことばかり気にしています。これはこれで新学期に期待しているのです。こんな子もいます。

あした学校か
と思ってたら
つうちぼ思い出して
なかなかねれなかった


 成績、成績、成績、やっぱり重く重く子どもの心にのしかかっています。
 しかし、学校もまんざらすてたものではないと、子どもたちは思っています。Mさんは、こんな風に書いています。


きのうの夜は
明日から学校やなと思って
こうふんしてねむれなかった
それで、ふとんにもぐって
クラスの人全員の名前を
ぶつぶついっていた


 クラスの子どもの名前をつぶやいているのがいいなと思います。
 そして、すべての子が次のように思って学校へ来てくれたら、どんなにいいだろうと思うのです。

あした
       6年 M・M
あした あえる
みんなに あえる
先生に あえる
友だちに あえる
はやく あしたになあ〜れ
 
第5回『ヤッター、晴れた』の気分で (すてきな“オバタリアン”)
1989年9月10日(日)

うちのおかあちゃん
      3年 I・T
うちのおかあちゃん
おふろはいると いやなことおきるでえ
おふろはいったら
ぜんぜんすきまがないでえ

うちのおかあちゃん
おこったらめちゃくちゃ こわいでえ
いもうとと けんかしたら
あたまから つのが 一ぽんはえるぐらい こわいでえ

うちのおかあちゃん
せんたくするの じょうずやでえ
はれたときは
「ヤッター晴れた」
といって いいきぶんで
せんたくもん ほすんやでえ


ねぎって買うの上手やでぇ
 島田陽子さんがサンリードから大阪弁の詩集を出しておられます。その中に、「うちのおかあちゃん」というのがあります。ちょっと引用してみます。

うちのおかあちゃん
でんしゃに のるの はやいでぇ
うちのおかあちゃん
 おしのけ かきわけ
 どっかと すわり
 「はよきてすわりっ」と
 ごっつい こえやァ
 ぼくは むりやりすわらされるねン

ねぎって かうの じゅおうずやでぇ
うちの おかあちゃん
 だいこん つかんで

 においを かいで
 「おっちゃん まけときッ」と
 ごっつい こえやァ
 ぼくは こそこそにげとうなるわァ


じきになくから いややでぇ
うちの おかあちゃん
 うんどうかいでも
 いちばんまえで
 「ぼく よう やった」と
 なきなき さけぶ
 ぼくは ぷりぷり しらんぷりやァ


 オバタリアンという漫画が、評判になりました。島田さんが描くところのこの「おかあちゃん」、見事なオバタリアンではないでしょうか。昔はこういう「おかあちゃん」が本当にたくましく、楽天的に私たちを育ててくれました。ところが、いつのころからか、世間体や体裁が幅を占めるようになって、こういうおかあちゃんは希少価値をもつようになり、今ではさげすみの対象になってしまいました。
 あけっぴろげで楽天的、節約家でやりくり上手、人情かで涙もろいー寅さんの世界にも相通じますし、昔よく見たホームドラマの中で京塚昌子さんや森光子さんが演じたキャラクターでもありました。
子どもが見たお母さん像
 Tさんの詩(上掲)は、島田さんの詩を読んだ後つくりました。私は笑ってしまいました。おふろの浴そうに、ぎっちりつまっているお母さんを想像して笑ってしまいました。そして晴れた後「ヤッター晴れた」と言って、せんたくものをほすお母さんに、たくましさと晴れ晴れとした勢いを感じて、日本のお母さんがここにもいるなと、何かうれしくなりました。

 他の詩も紹介しましょう。

おふろ
      2年 Y・T
おふろにゅうよくざいを
おふろの中にいれて
はいってあがると
おかあさんは いつも
「ばばんば ばんばんばん」
といいます


 楽しいお母さんです。入浴剤の入ったおふろからあがって温泉に入った気分になって、鼻歌を歌っているお母さんーそれを楽しく、おもしろいなと思いながら見ているYくん。
 もう一つ、同じ作者の詩です。

おさけのこと
       2年Y・T
きのうの夜
ぼくがコーラをのんでいると
お父さんが
「コーラは からだに よくないで」
といって、おさけを だしました
お母さんが「おさけも よくないで」
といいました
お父さんは だまっていました


あふれる笑い 家庭や学校に
 いい家族だなあと思います。お父さんのこの時のバツの悪さを思うと、私も他人にえらそうに言って、自分のことを棚に上げていることが多いので、同じだなと思ってしまいます。こういうユーモアを解することのできる家族の関係というのが、いいなあと思うのです。
 家の中にも、学校の中にも、いっぱい笑いがあふれたらいいなと思います。スカッと晴れた青空のように、さあ、せんたくでもやろうかというような気分で、いつもいられたら、どんなに楽しいだろうと思うのです。 
第6回『運動会 ここを見て欲しい』 (子どもも教師も精一杯です)
1989年9月24日(日)

うんどうかい
      2年S・O
ぼくは
うんどうかいのことが
きになったから
かちたかったから
ちょうないいっしゅうした


 運動会の練習の季節になってきました。この季節になりますと、私は上の詩を思い出します。O君はクラスで背が一番低い子でした。ちょっとやせていて、色白の男の子でした。口数が少なく、おとなしい子でした。
ちょっと違う“子ども発見”
 運動会といえば、学芸会、卒業式とならんで、学校では大きな行事です。私たち教師は、全力で取り組みます。教師にとっても子どもたちにとってもハレの舞台なのです。
 Oくんは、人前で「勝ちたい」なんてことを宣言するような子ではありません。しかし心の奥底で、こう思っているのです。そして、思っただけでなく、町内一周するのです。前の日に町内一周したくらいで勝てるかいな?と揶揄するのは簡単ですが、それよりも、この子の積極性に着目したいものです。ちょっと大げさな言い方をしたら、生活へのむかいっぷりを、ほめたいと思います。
 たぶん、家の人に気づかれないように走ったのではないかと思うのです。「明日運動会やし走ってくる」とは言わない子だと思うのです。
 この詩を書いてくれたので、この子のことが分かるのです。表面的に見えているいおく田くんと、ちょっとちがうところがほの見える時、あっという“子どもの発見”が私たちにあります。そういう時、何かうれしい気分になってきます。
 運動会というと、もう一つ思う出すことがあります。ある保護者の方に、こんなことを言われました。
「先生、運動会の練習中の先生の注意の仕方、あれ、何とかなりませんか。聞いてられませんわ。あんなボロクソに、子どものこといわんでもええのにと思うんですけど。私とこ、学校のすぐ裏やし、放送の声が全部聞こえてくるんです」
 まあ、学校の近くに住んでおられる方は、運動会の前は大変だろうと想像します。毎日同じ音楽やら声やらを、朝から夕方まで、聞かされるのですから。まして、何回も教師のどなり声を聞かされたら、わが子が叱られてなくても『エエカゲンニシタラドウヤーえげつない教育してる学校やなあ、ここは』と思われると思います。
 同業者のみなさん、子どもの指導中、興奮したら、オチツイテ、オチツイテと、何度も言い聞かせましょう、自分に。

運動会の楽しみ方教えます
 徒競走は、わが子の走力が見えます。一喜一憂しますが、とにかく力一杯な所を認めてほしいものです。
 障害走。これでは、わが子の性格が見えてきます。要領のいい子、悪い子、まじめな子、ルーズな子、気の強い子、弱い子、歴然です。また、ふだんの体育学習の成果がこの競技にあらわれます。たとえば全員とび箱とべることをめざした学年は、必ずそれを入れたりしています。そういうところは、教師としては見てほしいところです。
 団体演技、競技。この練習が一番大変なところです。また、一番力を入れて指導しています。授業もすすめながら、演技や競技の練習をしなくてはなりません。運動場の使用時間にも制約がある中で、何とか、子どもたちの発達段階に見合ったもので、子どもも教師も創り上げる喜びが感じられ、見ていただく方にも満足してもらえるようなものをと考えるのです。
 夏休み中に、みんなで相談します。資料を集めます。何とか見通しができたら、シナリオを作ったり、全体の構成を考えたり、それは大変です。まあ、楽しいといえば、楽しいのですが。
 それから、練習に入るのです。子どもや教師の創意や工夫の見える演技や競技に出会われたら、大いに拍手してほしいのです。その教師集団は、まちがいなく他のところでも、子どもたちを確かに育てるための創意工夫や討議をしていますから。
「よかった」ら教師もホメて
 それから、応援の仕方や、児童の運動会への参加の仕方にも注目してほしいと思います異年齢集団の競技が入っている学校もあります。すべて、その学校が、子どもたちの自主性、自治能力を育てるために取り組んでいることです。そういう意味では、運動会は、その学校がもっている現在の力量がすべて発揮される場だともいえます。
 こういう観点で見ていただくと、必ず一つや二つ「よかったな」というところがあると思うのです。それを遠慮せずに、教師の方に伝えてほしいのです。教師も人間、ホメられたらうれしくなって、またやる気を出すものです。今、教師をほめるのが上手な親が少ないように思うのです。具体的な事実で認め合うところから、親と教師のつながりもできると思います。 
第7回 『キンモクセイの咲く頃』(父母が家庭から引き離される現代)
1989年10月8日(日)

キンモクセイ
6年 Y・T
秋になると
学校は いいにおいで つつまれる
あまいにおいで つつまれる
オレンジ色の小さい小さい四まいの花びらの
かわいい かわいい キンモクセイの花で

しかし その命ははかない
雨がふったら
風がふいたら
かわいいキンモクセイの花は
みんなおちてしまう
みんなしんでしまう
そして………
たくさんの人にふまれていく
短いキンモクセイの命

キンモクセイを見ていると
時々思うことがある
お母ちゃんも キンモクセイの仲間かなって
お母ちゃんは 二十九歳で死なはった
ふつうの人の半分も この世にいなかった
だから思う
お母ちゃん キンモクセイの仲間かなって

もしも私の家に
大きな庭があったら
たくさんキンモクセイを
植えてみたいな
そう思ってる
今はいないお母ちゃんと思って
大事にそだてたい


花にまつわる人への思いを
 朝夕めっきり冷え込むようになってきました。秋の訪れです。
 私はこのところ、彼岸花に秋を感じ、その次にキンモクセイに秋を思うーというようになってきました。教師になって何回か彼岸花を描かせ、キンモクセイの詩に取り組む中で、そんなことを感じるようになってきました。
 キンモクセイをいう花、強い香りを発します。花の咲く頃に、非常に強い印象を与える花です。特に高級な木でもないので、どこにでもあります。最近はトイレや車の芳香剤に使われ、一年中その香りが使われます。
 この花に思いを寄せる、そして、この花にまつわる人に思いを寄せるー上記のYさんの詩は、そんな詩です。
 父子家庭、母子家庭が最近多くなってきたように思うのです。どこの学校の先生も、多くなってきているという感想を持っておられるようです。
 担任しているこの家庭の中に、一年に一、二回離婚、別居というご家庭を見るのが、ごくごく普通のことになってきました。ご家庭によって事情は様々ですが、子どもたちが両親の修羅場を見、聞き、また想像していることは、確かです。そしてその中で彼らも悩み、心を痛めています。
 ちょうど、子どもたちが二年生ぐらいになりはじめるころに、お母さん方がパートに出られるのが多くなるようです。そして学年が上がるにつれて率は高くなっていきます。父親の方はというと、ちょうど働き盛り、それこそ「二十四時間働けますか、ビジネスマン」というコマーシャルの如く、働き続けています。長時間労働、深夜勤務、単身赴任ー様々な形で家庭から父親を引き離し、母親をも引き離していく力が働いているように思います。
 親子のつながりを単純に時間で計るわけにはいきませんが、やはり余裕のある親子のつきあいは大事です。
少し気になる「演じる」子ら
 最近、少し気になっていることがあります。子どもたちが「演じている」のではないかということです。つらいことをつらい、悲しいことを悲しいと素直にいわない(いえない)のではないかということです。そりゃ、いつでも、だれでも、そんな簡単に自分の弱みをさらけだしたりしたら、よけいに自分がみじめになるということはありました。だから、表面上は笑って、努めて明るくふるまって「演じる」ことをしてきました。
 ところが『現代(いま)』は過剰なほどに『演じる』事を強要されるように思うのです。他人と違うということは、その子にとって死活に関わるほどの意味をもつようになってきました。クライ、ダサイという評価は、全人格を否定するほどの力を持っています。
「あたり前」の自分を表現
 Yさんの詩にもどります。
 母への思慕、母のいないさみしさ、つらさ、そういう思いを、十二歳の子がもつのは当然のことです。それを、キンモクセイのイメージとダブらせ彼女は詩に表現しました。あたり前のことをあたり前に表現しています。でも、こういうあたり前が、「クライ」「ダサイ」で切り捨てられるのが今の風潮です。だから演じざるをえないのです。
 さみしい家庭の子どもたちが、そのさみしさを隠したまま演じて生きているのです。だからこそYさんのような詩は、大切にせねばと思うのです。 
第8回 『学芸会は心臓ドキドキ』(問われる“まとまり”や教師の意図)
1989年10月22日(日)

がくげいかい
1年 まさし
ぼくは おっきいこえを
だしてる
ぼくは びっくりして
しんぞうが どきどきした
しんぞうが なんなかに
いったみたい
ぼくが はよなおるように
たたいたらなおった
またなった
つぎは ぼくやっておもたら
また しんぞうが
まんなかに きたみたい

 
 学芸会における子どもの緊張たるや、それはすごいものであろうと思われます。名実ともにスポットライトを浴びて登場するのですから。
 まさし君ではありませんが、心臓がまん中にきて、全身ドキドキしているという感じなんでしょう。しかし、心臓がまん中にきたというのは、言い得て妙です。
 子どもたちが緊張している姿というのはいいなあと思います。それだけに上手くやってほしいし、それで自信もつけてほしいものです。しかし、ドキドキしたーうまくいったーうれしいーというためだけに学芸会があるのではないと思います。
ドラマを演じてドラマを生む
 「川とノリオ」という文学教材を学習したあと、学年の先生と相談して、このお話しを劇にしました。はじめ私が脚本を書き始めたら、そんなのはダメというので、もう一人の先生が書きました。それも否定されて、三人目の先生のが使われました。そして、劇中に使われる歌は、その学年の先生の作曲です。
 子どもたちは、先に文学の授業で学習済みですから、内容やセリフは把握はスムーズです。練習も終わり、いよいよ本番、子どもたちは大熱演でした。だいたい子どもは本番に強いものです。
 Sさんという子が、ノリオ役をしていました。ノリオは広島の原爆のために父も母も亡くしています。そのノリオの役を、お父さんのいないSさんが演じました。その時のSさんの日記です。
 「(前略)お母さんは家で『母ちゃん帰れ、母ちゃん帰れよう」という所を練習していると、『お母ちゃん、ここにいるやん』とジョーダンいっていたけど、前日『父ちゃんがいていいな』という所を練習していると、何も言わず、聞いていないふりをしていた」
(中略)
「最後、全部終わってまくがおりると、涙があふれてきた。まくがおりて、心がとてもあつくなった。じーんとあつくなった。最初(やりおわった)と思ってホッとしてきたけど、だんだん心の中から涙があふれてきた。なぜ涙が出てきたのか考えてみたら、セリフ声がひっくりかえった。それ以上に、私の演じたノリオがどんなふうに感じてもらえたかが、気になったのだ。戦争のおそろしさ、むなしさがわかってもらえたか、それが心配だった。そんなものがいっぱいまじった私の涙だったのだ」
 幕が下りると同時に彼女は手で顔を覆いました。何人ものクラスの子らがかけよりました。彼女に父親がいないことは、クラスの子らが他の詩や作文で知っていました。彼女がなぜ泣いているのか、たぶん感じ取っていたのでしょう。私はその光景を、舞台の袖から胸を熱くして見ておりました。
 後日、彼女の日記を文集にして、みんなで読み合いました。友だちに心をよせるとか、人間の痛みがわかるというのは、こういう学習の積み重ねなんだろうなと思います。
子どもと教師の日常が反映
 学芸会は、学級や学年のふだんの姿がよく反映されています。演じているのか、演じさせられているのかーこの違いは決定的です。
 ふだんの国語の音読の力が、セリフ一ついうのにも反映します。セリフの持つ意味が、わかっているかいないかも、ふだんの国語学習と関係ありそうです。みんなで力を合わせて一つのものを作り上げるまとまりが、その集団にあるのかも見えます。そして何を今舞台発表したものとして、その教師や教師集団がもっているのかが、一番問われるのですから、学芸会というのは、やりがいもあるかわりに、こわいものでもあります。
 教師たちは様々な問題意識と課題をもって学芸会に取り組んでいます。子どもたちに惜しみない拍手を!そしてその陰にいる演出家兼脚本家兼色々な役目をしている教師たちにも拍手を! 
第9回 『そんだけいうたら ねやはる』(父親と息子の楽しい関係)
1989年11月12日(日)

のんだら
      6年 M・M
お父ちゃんの
子どものころはな
かずのこ 安かってんぞ
ふうーん
お父ちゃんの子どものころは
いわしに
さけに
にしんなんて
びんぼう人の
食べ物やってんぞ
ふうーん
それでな
玉子に
肉に
パンなんか
金持ちの食い物
今 お好み焼て 高いけど
むかしは
一せん洋食ていうて
食べたんやぞ
ふうーん
おとっつあんの
一日のこづかいは
二せんや
そのころ
グリコのキャラメルやら
五せんや
食べても 今みたいに
おいしないぞ
そいでな
アメリカのばくげき機がくんのや
一回めは
かくれたりしてたけど
まいづるのきちに
ばくだん落として
帰る時はからっぽやし
二回目から
はねてたわ
ふうーん

のんだら いわはる
ようにたことばっかり
そんだけ いうたら
ねやはる


一杯機嫌の父につきあう子
 M君の「のんだら」どうですか。私は初めてこの詩を読んだとき、笑ってしまいました。はじめ快調にしゃべっていたお父さんが、だんだん呂律がまわらなくなって、最後に寝てしまうという場面を想像して、笑ってしまいました。また、酒を飲んだお父さんの話を六年生の子が「ふうーん」と相槌打ちながら聞いているというのも、何ともほのぼのとした世界で、楽しくなりました。
 M君は、この話を何回も聞かされているのでしょう。すっかり覚えているのです。それでも「うるさいな」とも「前に、その話聞いた」ともいわずに、つきあっています。一杯機嫌のお父さんと息子のいい関係です。息子より先に寝てしまうお父さん、それを見つめる息子。すっかり親子の関係が逆転してしまって、息子の方がお父さんを見守っています。親孝行な息子です。
私の父親もよく軍隊の話を…
 私の父親は職業軍人でした。戦後復員してきて伏見の酒屋に勤め、ボイラー技士になりました。父は、自分の乗っていた軍艦の話をよくしました。六十を超えてからは、よけいにだれかれとなく聞いてもらっていたようで、息子の私は「ああ、、またその話か」というような顔をするものですから、自然に姉や妹のご亭主相手に話しておりました。
 「ワシは、金は残さへんけど、そのかわり借金もない」ということを自慢にしておりました。酒屋に勤めているのにアルコールがダメで、一人で外食をするのを罪悪のように思って、かなり遠いところに出かけていても外で食事はとらず家へ帰ってきてから食事をとりました。
 この父親が、二年前に死にました。その何年か前から、何となく父親に似てきている自分を感じていたのですが、最近とみに、父親と自分の類似点に気づきます。親子というのは不思議なものです。
 私の息子は六年生になります。私の母親など、「後ろから見たら、そっくりや」と私と息子を見比べながら言います。しぐさから、声から、よく似ているそうです。イヤヤナアとお互いに思っています。
取り戻したい貴重な世界
 ところで、ふっと思うのです。私の息子は、私の口癖を思いうかべるられないのではないかと。なぜならまず第一に私は父親の仕事場へもよく行って、働く姿も見ていましたし、よく話しも聞きましたが、息子とはそういう時間はほとんどとれていません。第二に夕食の時、私の父親は必ずといっていいくらいいっしょでした。ところが私は、週のうち半分いるかいないかといったところです。くつろいで世間話をしたりする時間が絶対的に不足しています。
 私が感じている子どもとの会話不足は、程度の差こそあれ、どの父親も感じていることではないでしょうか。
 M君の詩が書かれてもう十二年がたちました。その間に私に子どもが生まれ、成長し、父親が死にました。読み返す度にこういう親子の世界が貴重なものに思えます。時代の流れがそう思わせるのでしょうし、また私の年齢がそう思わせるのかなと考えています。 
わが子の詩に目頭熱く…(にじむ家族のいい関係)
第10回1989年11月26日(日)

お父さんの帰りがおそい
      3年 N
お父さんは このごろ
よくおそくなる
おそくなったとき
ぼくは いつもこう思う
ーお父さん 今 なにしてるかな
 お酒を飲んでいるのかな
と思う
お母さんは
「お父さん、まだかな」
と いつも いっている
弟も 心ぱいそうな顔している
もちろんぼくも 心ぱいだ
ぼくも お父さんの会社
毎日いそがしなと思った


家族への心のまっとうさが
 この詩、上等の詩かといえば、必ずしも上等だとはいえないと思います。どちらかといえば、詩とは言い難いといえるでしょう。しかし、私はこの表現の中にあるN君の家族への心のよせ方のまっとうさを、高く評価したいのです。
 父親の帰宅の遅さを気にかけ、母や弟にしっかり目を向けます。「もちろんぼくも」というところに、この子の家族の一員であるという自覚が読み取れます。そして、父親の帰宅の遅さを気づかっているあたたかな家族の関係がいいなと思います。
 この詩をクラスで読み合うことにしました。しかしN君の思いはよく分かるのですが、まだまだ人を納得させるだけの表現になっていませんので、お母さんやお父さんに不十分な点を補ってもらうために、手紙を書いてもらえないかと考えました。もちろん、N君がこの詩を書いたことがよかったなあと思えるように、はげましてもらえるような手紙をと期待したわけです。
 すぐにお母さんから、返事が届きました。私は感動しました。この詩が、こんなに大切に家族の中で読まれたことに、私は心がふるえました。

お母さんからの手紙は語る
ー先生からお手紙をいただいた日は、Nが九歳の誕生日の日でした。いつもは帰宅の遅い主人が、めずらしく早く帰ってきて、以前からほしがっていたグローブをプレゼントされ大喜びの最中、急に思い出したのでしょう。カバンの中から「お母さんこれ」とふうとうを突き出しました。
 「なに、これ?」「先生からの大事な手紙」ふうとうをあけるまでは、何か悪いことをしたんじゃないかとドキドキしました。先生のお手紙を読み、そして同封されているNの詩を読んでいるうちに、何だか胸がじーんとして、目頭が熱くなってきました。主人に「これ読んで」と渡し、主人も一気に読み終えるころは少し目がうるんでいるように見えました。四人そろってのにぎやかな食事の間も、そのあとも話題はNの詩のことばかりでした。 主人は仕事がら夜も遅く、日曜日はほとんど仕事です。平日に休みがあっても、子どもたちと遊ぶ時間はほんとうにわずかの時間です。そのことは主人も気にはしているものの、やはりいそがしい、いそがしいですぎてしまいます。また私にしても、やはりバタバタ一年中しているものですから、Nが学童から帰ってきた頃、夕食の支度をしながら一日のことを聞いてやるくらいです。(中略)
ーこんなにも父親のこと、私のこと、家族のことを心配し、気にしているなんて知りませんでした。お父さんが遅い日は、どうしてお父さんが遅くなるか、今お仕事がどんなに大変な状態かということをもう少し話してやれば、いたずらに心配させることもなかったことだと主人も悔やんでいます。
 子どもたちには、大人の事情はわかりません。私たち二人だけが了解していたとしても、家族なんだから、子どもたちが心配したり、不安な気持ちになったりするのは当たり前ですよね。(中略)
ー人一倍お父さん子のあの子にしてみれば、もっとお父さんと遊びたい、いっぱい学校のこと、友だちのこと聞いて欲しい、そんな気持ちがあったことでしょう。本当に二人とも、反省しています。そして感激しています。子どもを育てているなんておこがましい。子どもたちに私たち親が育てられているのだなあって痛感しました。(中略)
ー今年のNのバースディは、あの子にとっても、私たち親にとっても、一生忘れられない思いで深いものとなりました。(中略)
ー人の痛みのわかる、心やさしい人になってほしい、これが私たちの願いです。これからも、よろしくご指導下さいませ。本当にありがとうございました。

この詩書いてよかったなあ
 口に出していえないことでも、文字でなら書けるということがあります。N君の詩をみんなで読み合いました。そしてお母さんの手紙も紹介しました。
「N君、この詩書いてよかったなあ。お父さんも、お母さんも、喜んでくれたし、いい誕生日やったね」
 先生も、クラスの友だちも、お父さんやお母さんも喜んでくれる詩が書けたーそういう事実があったということが、もっともっとN君の表現する意欲を高めてくれそうに思います。 
ああ、勘違い
(しもた!!タマゴうんでしもた」意外な発想のおもしろさ

第11回 1989年12月10日(日)

きょうとう先生
        2年 T・H
ぼくは ふしぎです
大阪の学校にも きょうとう先生がいます
東京の学校にも きょうとう先生がいます
なんで 大阪先生や東京先生は
いいひんのかなあ
日本のどこの学校でも
みんな きょうとう先生かなあ
ぼくは それが 一ばんふしぎです


教頭先生って「京都先生」?
 解説するまでもないと思うのですが、とりあえず解説しますと、H君は京都にいるからキョートー先生だと思っているわけです。
 へえー、そんなこと思ってたんかーというのが案外多いのです。みなさんの中にも、そういう勘違いがあとからわかって、大笑いしたということがありませんか。
 あの『ふるさと』という歌を、私はかなり長い期間、間違って解釈しておりました。
 うさぎおいし かの山
 こぶなつりし かの川
という歌です。
 私は、てっきりうさぎ食ってうまかった、おいしかったという意味だと思っていました。次のこぶなつりしも、きっとつって食うのであろうから、無理のない解釈だと思うのです。しかし、実際は、うさぎを追いかけるのだとわかって、なんや、遊んでたんかと、やっとわかったのです。私の勘違いの方が、戦後すぐに生まれた子どもの飢餓感が出ていて面白いと勝手に思っています。

ギョウ虫検査での大勘違い
 ギョウ虫検査がありました。どういうわけか、私のクラスの子が多かったので、養護の先生がおっしゃいました。
「小宮山先生、気をつけて下さいね」
 へえ?別に私がタマゴ配って歩いたわけでもないけど…、と思いつつ、「どうしたらいいんですか」と尋ねました。
「つめをしっかり切って、手をしっかり洗わせて下さい」
 ああ、それならできると納得しました。
 さて、おなかの中にギョウ虫のいる子に、お知らせのプリントを持って帰ってもらうことになりました。あんまり名誉なことではありませんし、どちらかというと隠しておいた方がいいと思い、プリントをしっかり折って、「これを、おうちに帰って、お母さんに見せなさい」と渡しました。
 ところが一年生。ならいたての字を読むのがうれしくて、プリントを開けて、大きな声を出して読み始めたのです。
「ギ、ヨ、ウ、チ、ユ、ウ」
 何のプリントかいっぺんにわかってしまいました。しかも絵入りのプリントだったものですから、「見せて、見せて」とエライ人気です。
 そうこうしているうちに、プリントをもらったYちゃんが大きな声で叫びました。
「しもた!たまごうんでしもた!」
 私は大笑いしてしまいました。肛門のまわりにタマゴを自分がうんだと彼女は思ったのです。しかも、うんでしもた、ちょっとしたミスで、というニュアンスが彼女の言い方にはあります。おしっこもらすのと同じレベルで、ギョウ虫のタマゴをとらえているのが、おかしいです。

嘲笑ではなくてかわいらしさ
 人が勘違いをしている時に、面白いと感じるのに、二種類あるように思います。一つは相手の無知を嘲笑するという感じで、面白がること。あんまり感じがよくありません。子どもの場合自分も同じ程度にしか知らないのですが、ちょっと上だという優越感が、この笑いを支えています。オッと、それは大人も同じですね。
 二つめは、相手の発想の面白さに思わずズッコケてしまって笑うというもの。これは余裕がないと笑えません。大人が、子どものしぐさや言い分でおかしいと思うのは、たいていこれです。
 子どもたちの中にも、後者の面白さに気づいて書ける子がいます。そして、その勘違いした相手に対して、たいていの場合、愛おしい、かわいいという感じをもっています。そんな詩を一つ紹介して、終わります。

ゆびつっこみ
     1年 A・U
せんせい
いもうとが
あめのどつめたし
おかあさんが
「ゆびつっこみ」
ていわはった
そしたら いもうとが
はなのあな
ゆうびつっこんでん 
サンタクロースっているの
(子どもが幸せなときは みんなが幸せなとき・楽しい夢を壊さないで)

第12回 1989年12月24日(日)

サンタクロースがきたこと
    2年 T・Y
 二十四日の夜、お母さんがおしごとでいませんでした。ぼくたちは、二人でした。みつやとぼくでいっぱいくつ下を家の木にかけました。みつやがいいました。
「サンタクロースくるかなあ」
といいました。
 ぼくが、「くるかなあ」といいました。(本当にくるかなあ。だけど、お母さんにはうそついて、おこられるし、こないのとちがうかなあ。だけど、くるくる、やっぱちゃんとくる)と思いながらねました。
 よく日おきてくつ下の中みたら、入っていませんでした。お母さんがいいました。
「あんたが、うそつくし、こなかったんちがうか」
「ああ」と、ぼくはいいました。
 そして二十六日の朝、みつやがおきて
「お兄ちゃん、おきて」と大きな声で何回もいいました。おきてみると、マクラのところに大きなはこが二コありました。びっくりしました。ぼくはサンタクロースがきたのでうれしく思いました。みつやと、さっそくあけてみました。ぼくがほしかったロボットのおもちゃでした。そしてうれしくてみつやとさわぎました。
 お母さんが、おきてきて
「サンタさん、きてくれてよかったなあ」
といいました。みつやが、
「サンタクロース、お母さんとちがうかなあ」
といいました。お母さんが
「サンタさんは、いるとしんじている人の心の中に、いつでもいるんとちがうか。としとみつやは、しんじてたから、サンタさんがプレゼントもってきはったんと思う」といいました。
 ぼくは、やっぱり、大きくなってもサンタさんはいるとしんじます。

一日おくれのクリスマス
 T君のお母さんは看護婦さんです。母子家庭ですから、夜勤の時はT君たち二人で寝ます。弟の保育園の送り迎えを、二年生のT君がしています。朝ごはんを二人で食べて、カギをかけて、いっしょに出かけます。四十分かけて登園し、それから学校へ登校します。こんながんばっているT君に、サンタクロースが来ないはずがないのです。
 でも、サンタクロースの方も大変で、疲れています。サンタクロースが夜勤で24日に間に合いませんでした。でも次の日、サンタは来てくれました。本当によかったです。一日おくれでしたが、とってもいいクリスマスです。

サンタクロースってだれ?
 私の娘は、キリスト教系の幼稚園に通っています。昨年サンタクロースがきたそうで、絶対いると信じています。家にもサンタが来て、六十色の色えんぴつと、絵描き帳プレゼントしていってくれました。
 彼女の信念は固く、だれかが、ふっと口を滑らせて
「あきちゃん、去年のクリスマスに色えんぴつ買うてもらったなあ」というと「サンタさんに、もらったの!」と、語気強く訂正します。
 私の息子が一年生の時「今年のクリスマス、サンタさん、何プレゼントしてくれるかなあ。何が、ほしい?」と尋ねますと、「サンタクロースなんて、いいひんねんで。それは、お父さんか、お母さんやろ」と言います。「なんで」と聞きますと「先生いうてはったもん」と言うのです。私とヨメさんと、顔見合わせて絶句してしまいました。
 たぶん先生はお父さんやお母さんに感謝しましょうというつもりでおっしゃったのでしょうが、私は自分の夢が一つつぶれたような気になりました。何も急いで教えなくてもいいことのような気がしたのです。

世界中にいつまでも
『サンタクロースって、ほんとにいるの?』
 子どもの電話相談の一位が、これだそうです。つい先日テレビで見ました。全く同名の絵本が福音館書店から出ています。てるおか・いつこさんの文、すぎうら・はんもさんの絵です。
 私は、この絵本、大好きです。一度読んでみて下さい。子どもも喜びますが、大人の心を美しくしてくれる本です。
 ちょっとそのさわりを紹介します。子どもとお父さんのやりとりで、構成してあります。「どうして、ぼくのほしいものが、わかるの?」
「こどものほしがっているものが、わかるひとだけが、サンタになるんだよ」
「こないうちもあるのは、なぜ?」
「びょうきのこのそばで、はなしこんでしまって、まわりきれなくなったのかなあ」
「ねえ、ほんとにいるの?」
「いるよ。サンタクロースはね、こどもをよろこばせるのが、なによりたのしみなのさ。だって、こどもが、しわせなときはみんなが、しあわせなときだもの。サンタクロースは、ほんとにいるよ。せかいじゅう、いつまでもね」
 よいお年を!
偉大なるマンネリ儀式
(お正月がお正月でなくなってませんか 心の中にほしい豊かさ)

第13回 1990年1月14日(日)

いせまいりの人
    4年 T・I
人 人 人
ようこんなに
人が あつまったなあ
橋の上は いっぱい
これからおまいりの人
帰る人
きれいに着かざった人
人を 追いこして行く人
そんなあわてんかて
ええやんか
だれよりも早く
ねがい事をしたいのやな


数々とごまめに暮らす果報者
 子どもの頃、元日になると、何となくまわりの空気が華やいでいて、光の感じまで違っていて、ウキウキしたことを覚えています。
 まくらもとには、真新しい下着と、よそいき(こういう言葉も死語になりつつありますね)のズボンやセーターが用意してありました。そのときに、こんなことを思わずあたりまえのように感じていたのですが、あれは私の両親の、今年も無事お正月を家族みんなで迎えられる事に対する喜びの表現だったのではないかと思います。
 そして、毎年、偉大なるマンネリズムである儀式がくりかえされました。おぞうにとおせち、おとそが用意され、カシライモの講釈を父親がしました。
「何でもカシラをとれるように努力しなあかん。お正月にカシライモをみんなで食べるのは、そういうことや」
 ごっついカシライモは、最後まで残り、結局だれもカシラをとりきれずに、お正月が終わります。
「数々と、ごまめに暮らす果報者」
 母親はそうつぶやきながら、おせちの料理をそれぞれの皿に配ります。数の子、ごまめ、たたきごぼうを入れるのです。
 これが、私の家だけの習慣なのかどうか、よくわかりませんが、私の家はこういうお正月でした。京都の習慣なのかどうか私は不案内で分かりませんが、今その意味などを考えてみると、偉大としかいいようのない儀式だなあと思います。

かさこじぞうの“お正月”さん
 二年生の二学期末に「かさこじぞう」(岩崎京子作)という文学教材があります。その中に、こんな表現があります。
ーあるとしのおおみそか、じいさまと、ばあさまは、ためいきをついて、いいました。
「ああ、そのへんまで、おしょうがつさんがござらっしゃるというに、もちこのよういもできんなあ」
「ほんにのう」
 この世界のお正月は、すっかり人格化しています。人間が作り出したお正月が習慣化して、すっかり文化として定着し、親しみをもってむかえられ、人格までもった儀式として迎えられ、儀式になっています。
 なぜそこまでお正月が特別であったのかは、普段の過酷な労働とくらしの厳しさに起因しているのではないかと私は思うのですが、あたっていないかもしれません。
 私は幸い、お正月はゆっくり休めました。しかしこのごろ、お正月の方がかえって忙しいという方も、相対的に増加しているように思います。そして、省力化、合理化、食生活の変化、味覚の変化、レトルト食品の増加、核家族化と家庭料理の喪失、などの諸条件が重なって、お正月が特別な日でなくなって、ごく普通の日になってきているように思います。
 豊になってきているはずなのに、はたして心の方は豊かになっているのかどうか、くらしの中にゆとりがあるのかどうか考えてしまいます。
 「かさこじぞう」のおじいさん、おばあさんは「たいそうびんぼうで、その日その日を、やっとくらしておりました」というようなくらしぶりでしたから、よけいにお正月だけでもと思ったのでしょう。でも、今は普段が忙しすぎてゆとりがなく、お金さえ出せば、何とか正月気分にしてくれるものがそろっています。

「お正月」こそ最大の楽しみ
 Iさんの詩にあるように、人を追いこして、自分の願い事をかなえたいという人がいるというのも世相です。みんな何となく気ぜわしくくらしています。
 子どもにとって最大の楽しみはお年玉です。それは昔も今もかわらないのではないでしょうか。全部自由に使えるわけでもないのに、なぜあんな楽しみなのでしょうか。私はおじさん、おばさんがいなかったので、あんまりお年玉が集まらなかったので、お年玉についてはわが子に甘くなりがちです。このお年玉という習慣だけは、ずっと残りそうに思うのです。なぜか?
 ひねくれた見方かもしれませんが、『お金で済む』からです。私は子どもの拝金主義を助長するような与え方だけですまいと心がけています。
 最後にもう一つ詩を紹介して終わります。

どうしたんやろ
     2年 I・O
先生 
なんで 
めがね かえたんや
先生
おとしだまで
こうたんか 
おちんちん、べんりやなあ
(愛する心育てたい 生を学び「生」を考える)
第14回 1990年1月28日(日

おちんちん
2年 H・I
おにいちゃんのおちんちんは
小さいのに
おとうさんのおちんちんは
大きいし ひげがはえている
それに わたしやおかあさんは
おちんちんがない
ぺっちゃんこや
なんでやろうな
先生はなんでかわかるか
おにいちゃんやおとうさんは
たっておしっこできるしいいな
おちんちんがあったほうがべんりやな


学年ごとのねらい明確にし
 石田小学校で、各学年の指導のねらいを明確にしながら性教育に取り組んで、今年が二年目になります。
1年生「からだをきれいに」
2年生「おかあさん」
3年生「おとうさん」
4年生「みんなよい子」
5年生「りっぱな成長」
6年生「私たちのからだ」「よいおとなになろう」
 これが指導の単元名です。大ざっぱに言いますと一年生では体の清潔と言うことを学びます。二年生では子宮や卵子のことを学びながら、お母さんの役割を学びます。「赤ちゃんはどこから生まれてくるの?」という疑問に応えます。三年生では「お父さんになぜ似るのだろう?」という疑問を核にしながら、精子の話をし、お父さんの役割について学びます。
 四年生では、男性、女性ホルモンの働きで性差が生じることと、協力について学びます。五年生では、女子の第二次性徴について学び、六年生では、男子の第二次性徴と生命誕生の神秘、大人になるとはどういうことだろうということについて学びます。


授業を公開して父母と一緒に
 昨年度は、日曜参観日に全校一斉に性教育の授業を公開し、その後の懇談会でもそのことを取り上げました。今年度も、参観日に授業を公開して、お父さんやお母さんにも参加してもらって、学校での取り組みについて理解してもらう努力をしていることろです。
 二年生で授業したあとの、お父さんやお母さんの感想です。
○性について教えなければならないことはよく分かっていましたが、現段階でどこまで教えればよいのか不安でした。今日の授業を聞いてある程度目安がつき、大変参考になりました。今後も機会があれば、性教育について聞かせていただきたいものです。
○「性教育」を特別のことのように考えるのではなく、ごく普通だと、子どもたちに受けとめてもらえればーと思います。そのためにも、低学年の時に基礎的なことを、そして高学年では心の問題を取り入れてほしいと思います。今まで、あまりにもタブー視していたと思います。
○今、世の中にあふれている性情報、事件、子どもの様子に、親の方も対応しきれずにいます。親よりも教師の方が、客観的かつ科学的な性教育をしやすい立場にいるということは、たしかなように思います。
○へその緒は、今は乾いて小さくなって、子どもに見せると「気持ちわるぅー」と言っていたけれど、これがなかったら、生命がなかったのだと言うこと、そして母と子が強く結ばれていたんだということを子どもに分かってほしい。そして、生を受けたかけがえのない生命の尊さを、性教育を学ぶ上で伝えていただきたいと思っている。


生命尊重の心を科学の目で
 性教育は、性を学ぶことで「生」を考える教育だと思います。人間が他の動物と違うところはたくさんあると思いますが、やはり「愛」ということを広く、そして深くとらえられるということが、大きなポイントになるのではないかと思うのです。
 今、愛と言う言葉のもつイメージが、軽く軽くなってきている傾向があるように思います。性教育が科学的であることが絶対大切です。そして、生命の尊重、自分をそして他人を愛する心を育てることを一番の目標にして、性教育に取り組みたいと思います。
雪の日は雪の中で 雨の日は雨の中で
子ども時代を子どもらしく
第15回 1990年2月11日(日)

ゆき
 3年A・N
きょう雪がふりました
ひさしぶりです
つもったらいいのになあと思っています
でもお父さんは
つもったらいやや
といっています。
どうしてだと思いますか?
お父さんは
トラックのしごとだから
ゆきがつもったら
じこをするからいやや
といっています


雪が降るとえらいことに
 今年はじめて、まとまった雪が降って、道路に雪が積もりました。
 えらいことです。まず、出勤をどうするかが問題です。車で通っているものはその便利さに慣れてしまっていますので、ことのほかえらいことです。スノトレはいて、防寒用のスキーウェアを着て、どのくらい時間がかかるのかと心配しながら、乗り慣れない電車通勤です。
 何人かの人が、すべって転んでおられます。自分がこけないように気をつけながら、山科川の堤防を歩きます。中学生の通学に出会いました。三年前に卒業していった教え子三人とすれちがいました。
「あーっ」
驚いたような、はにかんだような微笑を浮かべて通り過ぎていきます。
「もうちょっとやなあ。がんばりや」
「はい」
 中学三年生で受験を控えている三人の子らに声をかけることができました。
 学校に到着。普段の通勤時間の約三倍で到着しました。ひとしきり、今朝の混乱ぶりが職員室の話題になりました。バイクで三回転倒しながら来た先生。外環状線が全く動かず「車の中で丸つけしようかと思った」という先生。
 職員朝会がすむやいなや、子どもが職員室へ入ってきました。


元気な三年生 教室は大騒ぎ
「先生、はよ教室へ来てストーブつけて」
「なんで」
「もう、おしりびちょびちょやねん」
「手ぶくろも、クツの中も、つめたいねん」
「ようし、みんなで全部脱いでかわかそか。パンツも脱いでまってて」
「イヤー」
 にぎやかににぎやかに教室にむかいます。
 教室の中に、います、います。もう元気な元気な三年生です。くつ下、手ぶくろ、ハンカチ、ジャンパー、いろいろ窓の手すりなどにかけてあります。
「はよつけて、はよつけて」
さっそくストーブに火が入りました。
 積雪量の割には水っぽくて、雨の時よりもグランド状態はよくなくて、ほとんど水びたし。どろだらけの雪でも思いっきり走り回ってきたのです。雪合戦、雪だるまづくり、雪ウサギづくり、この時とばかりに雪と遊んだようです。
 私なんか、はっきりいってイヤです。こんな雪で遊ぶの。もう、後のこと想像したら、寒いわ、なさけないわ、と言う気持ちになってしまうので。積雪の時はたいてい一時間目「雪遊び」にする私も、この日はパスしました。
 一、二時間目が終わりました。さっそく窓へかけよっていく男の子二名。
「おーい。まだ雪残ってるぞ」
その声につられてバラバラと大勢の子どもが運動場へ走っていきます。昨日までコマ回しが大流行だったわがクラスは、すっかり雪にその座を奪われてしまいました。
ーアチャー、ダレカガコケナケレバイイケレド……。
それを願うばかりです。


「面白そう」が分別より優先
 一年生の時のことです。梅雨時分に、水たまりの学習をしに、カサをさして運動場に出ました。みんなをつれて、水たまりから流れ出す水を見たり、鉄棒のしずくを見たりしていたのです。
 すると女の子が
「先生、田中くんがすべり台すべって、水たまりはまらはって、おしりぬらしたはります」といいます。総合遊具の方を見ると、田中くんがなさけない顔して立っています。この雨の中を、彼はすべり台にのぼり、ぬれているすべり台すべって、見事に水たまりに入ったのでした。カサさして。
「雨でぬれてたし、ようすべると思たんか」
と言う私に、彼はうなずきました。
 こんな状態だからこういう結果になる、ということが予想できるようになった時、賢くなったというべきでしょうし、それが大人なのでしょう。しかし「おもしろそう」という気持ちが、分別より優先して、やってみようという気を体中で表現しているのが、子どもなのでしょう。子ども時代を子どもらしく生きるために「雨の日は、雨の中で遊ぶ」ということが大切なのだろうなと思います。
 
先生ピー子が死んでる!
お墓作っていて 朝会に遅れた子
第16回 1990年2月25日(日)

しんだ
  3年 M・I
あたまから血が出ていたピー子
ブランコもおちていた
あたまがない
よくみたら口があった
目がなかった
くびから上の毛がなかった
けんかしてしんだのかなと思った
そこがかわいそう
ピーの口のまわりに
血がついていた
ピーはすばこのなかにいた
「みんなにないしょやで」
といった
だって、インコのことで
大さわぎになったらかわいそう
ピーが一わだけでいるのはさみしい
ぼくもさみしい
ピー子はかわいかった
コマなんかしてられない
先生をまった
まっても先生はこなかった
先生がきた
ほっとした
インコをうめた
ねこにあらされないように
ふかくほってうめた


息せき切って インコの死を
 車から降りたら、男の子が三人、息せき切って駆け寄ってきました。
「先生、ピー子が死んでる」
「なんで?」
「さあ、わからへん」
「頭がないねん」
「目もつぶれてるし」
「しゃあないなあ。かわいそうに。ピーの方は?」
「口の周りに血つけてる」
「ふうーん。すまんけどなあ、おはかつくったってくれるか」
「うん、わかった」
 月曜日の朝のことです。教室につがいでインコを飼っていました。五年生が大事に育てていたのを特別にくれたものでした。幼鳥のころ、まだオスメスがはっきりしていなかったので、オスの方にピー子、メスの方にピーという名が付きました。そのオスの方のピー子が死んだというのです。
 朝会が、すぐに始まりました。私のクラスの男子が五人足りません。
ー今、おはかをつくってるんやなあーと思いました。案の定、「先生とこのクラスの子、中庭でインコのお葬式してるよ」とT先生が教えて下さいました。おくれて五人の子が、朝会の列に加わりました。
 寒かったのかなあ?エサが足りひんかったんやろか?病気かなあ?いろいろ考えてみるのですが、わかりません。でもオスがオスをつついて、かなり残酷な状態であったのを、子どもたちは見ていますので、どうしようかと考えました。


私の“甘さ”と彼らの冷静さ
 そこで、「先生は思うんやけど、何かの原因でピー子が死んだのを、死んだのが分からなくて、ピーの方が起こそうと思ってつついたのとちがうかな。それやったらよけいにかわいそうやな」という話をしました。
 私の意識の中に、ピーがピー子が殺したという想像をさけたいという気持ちがあったのです。また、それが何か教育的なようにも思ったのです。このへんが私の甘いところで、しかも生き物と真剣につきあっていないところなのです。
 I君は、先の三人の中に入っていました。はじめ、車に駆け寄ってきた時、彼らが何となくウキウキしているように見えました。お墓づくりの時も、朝会のことは少なくても二の次だったのです。
 私から見ると、インコの死を悼んでいるというより、そのことで騒ぐのを喜んでいるという感じだったのです。だから、女の子の中には泣いている子がいて、その子に比べて男の子たちはしゃあないなあという気持ちがありました。
 でも、そんなことを口にしたり態度に出さないでよかったなあと思います。
 私の空想ヒューマニストぶりに比して、彼らは非常にリアルです。しっかり死体を見つめています。そして、なぜ死んだのか冷静に判断しています。そして、このオス・メスが殺し合ったことを「そこが、かわいそう」と極めて深い人間的感情を吐露しています。


真心がにじむ最後の三行
 彼らがウキウキして見えたのは、多少そう言う気持ちもあったのかも知れないが、I君のいうように、「先生がきた/ほっとした」というのが正直なところなのでしょう。私のような、生き物に彼らほどの愛情を持っていない者を頼っていてくれたのですから、ありがたいことです。
 そして、何よりも最後三行が本当にいいなと思いました。
「インコをうめた/ねこにあらされないように/ふかくほってうめた」
 かわいそうだとか、悲しかったとか書くより、この表現の中にI君の真心が正しく表現されていると思います。
 彼らが朝会に出なかったことは、決してほめられないけれど、彼らは、お墓を作りながら、人間らしい、きわめてあたたかい豊かな時間をすごしていたのだなと思います。頭ごなしに彼らを叱らなかった自分が、ラッキーだったなと思います。 
子どもの思い届く卒業式に
「画一化」押しつけられるが…創造性の発揮抑えず 生きる意欲を励ましたい

第17回 1990年3月11日(日)

卒業式
   6年 Y・T
もう少しで卒業式
卒業式には
お父ちゃん お母ちゃん
二人いっしょに来てもらいたかった
考えても無理な話やけど

お母ちゃんは 
もう八年以上も前に
死んでしまった
仏だんの前にいくと
ふと小さなころのことを思いだす
ああ 二人でよくおりがみおったなあ
すぐ泣いて よくおこられたなあ
ねる前 いろんな話してくれたなあ
考えだすと
いくらでもうかんでくる
思い出していると
急にお母ちゃんにあいたくなる

お母ちゃん
私は こんなに大きくなりましたよ
お母ちゃん
私は元気で
今まで 生きてきましたよ

小さい頃
電話がかかっただけで泣いてた
お母ちゃん どっかいかなあかんのちがうか
って思ってギャーギャー泣いてた
そのたびにお母ちゃんは
「あとからかけます。すいません」
ってあやまっていた
小さい頃
しょっちゅう病気にかかっていた
へんとうせんのねつだしたり
ひきつけおこしたり
めいわくばかりかけていた

お母ちゃんがいなくなって
私は すごく かわった
そんな気がする
あんまり泣かなくなった
健康になった
今ではめったにかぜもひかない
学校も あんまり休まなくなった
本当に 健康になった

お母ちゃん
今の私見たら
喜んでくれるだろうな
まだまだ直せてないとこ
たくさんあるけど
いつの間にかじょうぶになった
本当に お母ちゃんと 会いたいなあ
この姿 一目見てもらいたいなあ

卒業式には
お父ちゃん お母ちゃん
二人いっしょに 来てもらいたかった
考えても無理は話やけど

でも私は
卒業式には お母ちゃんも来てくれるって思う
私の中で
「Y子おめでとう」
そう言ってくれるんじゃないかな
もしきてくれなくても
私は私なりに
きちんと式をすましたい
「私は もう中学生になります」
そういっても
笑われないようにしたい


形式化強要は子どもを犠牲
 この詩は、卒業式のプロローグで朗読されました。卒業生が入場してくる前、場内を暗転にして読まれました。エレクトーン演奏をバックに読まれました。Y子さんが卒業した頃、まだ8年前には、卒業式は創造性豊かな仕事ができる余地がある行事でした。
 ところが五年前から、ジワリジワリと、あるいは急激に卒業式の画一化が始まりました。どの学校でも一言一句ちがわないねらいの、同じ式次第の、同じ会場図の式が、管理職、あるいはそのすぐ手前にいる提案されてきました。自分の考えであると言いながら。
 ふだん、子どものために、みんなで知恵を出し合って、力を合わせて、特色やる学校を…とおっしゃる方が、急に、問答無用だということになるのですから驚きます。
 創造性を発揮できない行事は形式化し、次第に心のこもらないものになっていくでしょう。中身のない行事ほど子どもに従順さを要求することになります。結局、子どもが犠牲になるのです。
 作者であるYさんの詩を、本連載で取り上げるのは二度目です。「キンモクセイ」の詩をご記憶の方もおありかと思います。彼女は「キンモクセイ」の詩で、はじめて母の死を、自分の詩の題材に選びました。そして、半年後の卒業の時期に、この詩を書きました。

書くことが生きる力に
 おそらく彼女の中で、ずうっとあたためつづけてきた思い、願いがこういう表現の詩になったのだと思います。
 「キンモクセイ」の詩より、さらに前へ前へすすんでいこうという意欲が、この詩から感じられます。
 書くことで「ありのまま」の自分を見つめ、表現し、「あるべき姿」を展望していく。書くことが生きることにつながっていくという典型を、彼女が見せてくれたように私には思えます。
 卒業式という行事に、こういう子どもの思いや願いが届くように、何とかしたいものだと思う今日この頃です。 
見えてくる父母の姿
“人間らしさ”をまるごと学ぶ  愛情も尊敬も事実から
第18回 1990年3月25日(日)

ガラスのビン
    6年 H・S

むかし
ずうっと私が小さかったころ
友だちのれいちゃんと遊んでいました
二人で大きなビンを見つけました
あれはハチミツのびんでした
二人で砂場の土をいっぱいつめこみました
そして
向こうにいるお母さんに
見せようと走りました
ところがとちゅうで
ビンをもった私が
こけました
ビンは割れて 私のひざに
つきささってしまったのです

お母さんはすぐ家に帰って
自分でガラスをぬいてくれました
私は
「がんばって もう少しよ」
とはげまされながら
がまんしてぬいてもらいました
その時のことを思い出すと
強かった私に 感心します
そして
お母さんは もっと強かったんだと
少しうれしくなります


高学年だから可能な表現
 Sさんの詩、六年生らしい詩だなと思います。1,2年生でも、3,4年生でもないのです。
 1年生、2年生の時なら、足にガラスがささるというような大事件が起こったら、どういうことがテーマになるでしょうか。
 おそらく痛かったこと、がまんしたことを書きたいと思うのが普通です。「あの時は泣いたなあ」ということが、書く動機ですし、自分のことを中心に書いていくことになります。思い出すのも自分中心です。「ぼくは」「わたしは」という第一人称の叙述になっていきます。これは、当然のことです。
 ところが、いつのころからでしょうか、Sさんのようにその時、近くにいた人のことを冷静に、あるいは客観的に見つめ直すことができるようになります。これが3,4年生を境にして、高学年になるとできるように思います。
 たぶん、Sさんがまだ小学校に入る前のことなのでしょう。その時のことを、自分で覚えていたのか、お母さんから聞かされて記憶が蘇ったのかわかりませんが、母の愛情、強さというテーマで思い出し、意味づけすることが可能になるのです。かなりテーマ性のはっきりした詩が書けるのです。

愛されている安心感こそ
 これは、「見える」ということが深化し、拡大しているということだと思いのです。母の心の中を想像しながら見えてきているものがあるのです。
 私はSさんの詩の後ろ6行がすきです。全く無理のない表現です。ベタベタしていないのがすきです。あんまり道徳くさくないところがいいのです。父や母に対する愛情とか尊敬というのは、こういう事実でしっかり育つものだなあと認識させてくれます。
 だからといって、いつもかしこそうにふるまわれると、子どもはつらいだろうなあと思います。
 教育書を読んだり、教育講演会を聞いたりすると、ナルホドと感心します。そして『ワタクシノウチデデキナイコト』に目がいって、自信がなくなくなります。つけやきばでやってみても、3日もたたないうちにボロが出てしまいます。
 あんまり立派な父や母になることはないのではないかと思います。自分のことを見てくれている、愛されているという安心感を子どもがもってくれたら、これ立派なものです。愛し方は千差万別です。それぞれが工夫するしかないだろうと思います。

教えなくても自然な姿から
 子どもたちは、よく見ています。そして人間らしさを丸ごと父や母の姿から学んでいるようです。別に親が教えてやろうと思わなくても、学んでいるもののようです。

おとうさん
  1年 H・O

おとうさんは はげています
よこは かみのけがあるけど
まんなかやらは
ありません
おとうさんは きにしてるけど
わたしは こういいます
「はげやのに なんで くしでとかすの」
といいます


 この詩楽しいです。書かれている事実も楽しいのですが、こういう詩が書けるHちゃんとその家族が楽しいのです。こういう事実が書ける自由がHちゃんにあるということが、このご家庭のすばらしさです。学ばせようと親が思わなくても、自然に子どもが学んでいるのです。
 お父さんはこのあと、何と返事をされたのでしょうか、それを聞くのを忘れたまま、彼女は転校していきました。きっと元気に活躍してくれていると思います。 
 
ぼくも2年生になった
学校にも春満開 前に前に進む季節 校庭に見つけた春の息吹
第19回 1990年4月8日(日)

さくら
   2年 J・H
二じかんめに
はるを みつけにいきました
さくらが さいていました
先生がきて
みんなを だっこしてくれました
さくらのにおいをかいだら
いいにおいでした
学校のいけには
ふきのとうが ありました


春の真っ盛りに“春さがし
 春、四月。何もかもが新しい、学校もそう言う気分になります。
 春真っ盛り、子どもたちといっしょに校庭に出ます。何となく心ウキウキいい気分です。
 「春をさがしましょう」
 これがテーマです。
 子どもたちは、まず「さくら」にかけよりました。あんまり桜の花びら一枚一枚はよく見ていないことに気がつきます。
 花を一つずつ子どもたちに与えて(せっかく咲いている桜には申し訳ないのですが)さっそく解剖してみました。

さくら
    
2年 T・F
さくらの花びらは
五まいあった
まん中は十五こちっちゃいのがあった
その中にきいろいのと
ちっちゃいのが十六こあった
さいご一つは ながかった
花びらは一つひとつは
しろみたいなピンクだった
ぼくは 花びらがいっぱいあったところで
きゅうしょくがたべたい
ぼくは
あんまりさくらをみてないし
びっくりした


 大人なら、桜の下で一杯飲んで…ということになるのですが、給食食べたいというのがかわいくていいです。Fくんだけでなく、私たちも
「ああ、桜やなあ、きれいやなあ」
で終わりで、あんまりじっくり心を留めて見ると言うことがないようです。桜の花というのは、あんまり一つひとつを見る花でもありませんし、最初のHさんのようににおいをかぐことをする花でもありません。
 でも、ちょっと見方を変えてみると、またちがった感じ方や感動があるようです。

草木や虫たちも春の準備
 今年の三月上旬、理科の時間に、同じく『春さがし』をしに行きました。
 オオイヌノフグリ、フキノトウ、タンポポ、カマキリのタマゴの孵った後…。
 校庭にも、すっかり春の準備をしている草花や木、虫がいます。昨年度の卒業生がつくってくれた電信柱で作ったベンチをどけてみました。
 いました、いました。
 ミミズに、マルムシ。周りにクローバーが生えています。そのベンチの脚の所以外は、青々としてきているのに、脚の所だけ草が白くて、そこがいかにも不健康で陰気な感じ。そこにいる虫ですから、キャーッと悲鳴とも喚声ともいえそうな叫びは、無理もありません。
 ミミズがノソノソ動き出しました。マルムシはまったく動きません。よーく見ると、マルムシの周りに透明なタマゴがいっぱいあります。1ミリぶらいのタマゴが、びっしりという感じであります。これを美しいと感じるか、気持ち悪いと感じるか、これも人によって色々。
 私は妙に感動していました。あの、あんまり気色よくないマルムシのタマゴが、意外に美しかったから。
 でも、これはあとから考えたのですが、あのベンチの下で、いっぱいのマルムシのタマゴが一斉に孵ったら…ああ、ゾーっとして、こういうのは“虫酸が走る”というのでしょうか。
 ちなみに私は、カマキリが孵ってくるのを見て鳥肌が立つ人間です。「カワイイ」などという子がいたら「どこが?」と思わず言ってしまいます。
 こればっかりは好きになれません。

さあ、一学期 みんな前へ
 さて、かわったのへ、草木や虫だけでしょうか?いえいえ、一人ひとりの子どもたちも確実に前へ進んでいます。負けずに私も前へ、前へ。いよいよ一学期が始まりました。


   
2年 S・M
春だ
土があたたかくなった
やなぎが 青になった
さくらがさいた
くすの木のはが 赤くなった
虫が たくさん出てきた
ぼくも 二年になった 
第20回 担任の先生はだれ?
“あたりはずれ”論議も期待あってこそ 入学式の父母の関心事
心はずませる体験を
1990年4月22日(日)

せんせいへ
1年 Y・K
こみやませんせい
あかちゃんがうまれはって
おめでとうございます
ぼく
かぜひいて
やすんでいたけど
なんだか そんなきがした
だって
がっこういって
せんせいのかおみたら
おとうさんのかお

してはたもん


座高も伸びる緊張の一瞬
 娘が、小学校へ入学しました。その入学式に出席してきました。
 保護者席にすわって入学式に加わるというの初めてだったのですが、ふだん教職員席にいては聞けないことに、ずい分気づかされました。
 小学校の入学式には“華やかさ”“暖かさ”というイメージが大切なように思います。“おごそか”とか“ゲンシュク”というイメージは、はたして一年生の子や親の気持ちとぴったりなのかどうか、と思いました。親は、その学校が、あたたかく子どもたちをむかえてくれる学校だということを、何よりもたしかめたいのだと思います。
 保護者席が色めき立ち、緊張があることを発見しました。
 「一年生の担任を発表します」という校長先生の声を合図に、保護者席の平均座高は十センチは伸びます。私は、だいたい新一年担任が入学式でどういう順に並ぶか知っていますのから、先生方がおすわりになった時に、娘の担任はあの方だなとわかりました。でもたぶんそういうことはお考えにならないのでしょう。本当に、一斉にグーッと座高が上がるのです。
 そして、担任発表が終わり、校長先生が「よろしくお願いいたします」と言い終わられるやいなや、保護者席で担任の様々な評判、評価が飛び交います。
「よかった」
「うれしい」
「お兄ちゃんといっしょで…いい先生よ」
「男の子にも女の子にもやさしい」
 肯定的な評価の話は安心していられるのですが、それだけではありません。男の担任、女の担任の比較、老若の比較、こうなってくると、どちらかを低く評価した判断になるのですから、聞いていてもつらくなります。
「あんたとこええな。かわってほしいわ」
などと聞くと、ドキッとします。
 ああ、やっぱり、こういう会話がしょちゅうあるのだろうなあ、私の勤めている校区でも。そう思うと、知らぬは教師ばかりなりということになるのだろうなと、自分のことを考えていました。

学校、教師への熱い願いが
 このことは、予想できたことなのですが、やはり直接ナマの声を聞くとドキッとします。 城丸章夫氏が、学級生活の充実の必要を説いた文章の中で、次のように書いておられました。
「こんにちほど、学級担任教師に対する期待の大きなときはないし、こんにちほど、学級担任に対する不信・失望の大きいときはない」
 担任発表の時の平均座高十センチの伸びも、担任のあたりはずれ論議も、担任教師にたいする期待、学校に対する希望、一人ひとりの教師に対する親の熱い願いのあらわれなのです。
 
話したくなるような学校に
 娘が入学して今日で三日たちました。大きなランドセルしょって、三十分近くかかって登校し、また下校するものですから、二日目には家へ帰ってきて、三時間ひるねをしたそうです。
 さいわい、うれしそうに登校してくれていますので喜んでいます。わが子を見ていると、本当に学校でうまいことやっているんやろかと、心配になります。
「今日、何の勉強したの?」
「先生が、ニセモンのお金黒板にならべはったし、まねてつくえにならべた」
「それは、さんすうの時間か?」
「しらん」
「チューリップのつぼみと花に、クレパスで色ぬった」
「りかやな」
「わからへん」
ええかいな、この娘は…。話がひとまとまりでなく断片的なので、心配になります。
 お友だちの名前がいっぱい出てきて、先生の話が出てきて、いきいきと学校や学級の様子が子どもの口から語られたとしたら、親としてはうれしいことです。
 私は、家庭訪問をしたら「学校のこと、家でよく話しますか?」と尋ねます。先生がこんなことした、あんなことしたと話している子のお父さんやお母さんとは、すぐ仲良くなれます。子どもを通して知り合いになったような気分になれるからです。
 いいたくてたまらないような話題が学校でうまれること、子どもの心はずむ体験の創造が学校に求められています。
第21回 家で働くお母さんの姿
見えなくなった労働、経済状態 伝わる真剣さ、責任感
1990年5月13日(日)

お母さん
6年 M・T
カチャ
お母さんが電気をつける音とともに
目がさめた
まくらもとにおいてある時計を見ると
四時をさしていた
まどの方を見ると
まだまっ暗
妹のねいきが聞こえてくる

「お母さん」
と 小さな声で呼んでみた
返事はなかった
たぶん聞こえないのだろう
もう一度
「お母さん」
と呼んでみた
こんども 返事はなかった

お母さんの仕事は着物をぬうこと
針、糸、アイロン、チャコペンと
頭を使って仕事をする
仕事をしている時は しゃべっても
「うん」
とか
「ふーん」
とか
着物を見ながらしか答えてくれない
やっぱり売り物だから
大切にするのだな

ペーンペーン
お母さんが糸をはじく音がする


三十年前の私の母のこと
 板の間にひっくり返って、地団駄踏んでます。
「なあ、五円でええし。なあ、五円ちょうだい」
「何買うねんな」
「あてもんすんねん」
「そんなもんせんでもええ」
「みんなお金もうてきゃはるねんで。ぼくだけ、いややわ」
「よその子は、よその子」
「なあ、たのむし」
「たーのんだら、ひゃくしょうおこる」
「へえ?何のこと?」
「田んぼ呑んだら、お百姓さんが怒るていうてんねん」
「しょうもないこと言わんと、おくれえな」
 もう三十年前の、私と母親とのやりとりです。昔の五円はねうちがありました。五円で駄菓子屋さんへ行って十分遊べました。あてもんやれたし、アメもせんべいも「ぬき」も紙芝居もみんな五円でした。
 子どもの世界は五円で広がりました。今から考えると、すごい着色料を使った食品を売っていました。それでも何とかなったようです。
 板の間のむこうに新聞紙をいっぱい敷いて、母親はうちわはりの内職をしていました。家では使わない高給はうちわを貼っていました。製品になればずい分高いらしいのですが、内職の手間賃たるや、子ども心にも安いなあと思ったものでした。機械でやれないところが、内職になってまわってくるというのは、今も昔も、かわらないようです。

「甘え」をはばかる緊張感
 Tさんは、夜中の四時に目を覚まして、働くお母さんを見つけます。
「お母さん」
と声をかけるのを少しはばかるような緊張した雰囲気がお母さんを包んでいたのでしょう。
 それは、母親の仕事に対する厳しさがそうさせるのでしょう。おそらく仕立て上がりを急がねばならないお母さんの仕事に対する責任感を、この子は感じて、お母さんがこっちを向いてくれるまで呼び続けると言うことをしなかったのでしょう。
 私にしても、五円せびる時は、よっぽどの時だったように記憶しています。それほど親の経済状態の分からない子ではなかったと思うのですが、一度母親に確かめてみたいと思います。
 うちわ一枚貼っていくらになるかということと、五円という金額の間の関係を意識せざるを得ない生活だったからこそ、無茶な要求をしなかったのだろうと思います。
 親の働く姿、その経済状態が見えるということが、子どもに与える影響、これは考えてみる必要があるように思います。今、あまりにも見えないようになってしまっているように思うのです。

なぜ書けない 親の“内職
 私は、自分が子どもの時に母親の内職については、書いた記憶がありません。何かそのことが書くねうちのあることのように思いませんでしたし、それよりも何よりも、何となく内職と貧しさということが、等式で結ばれそうでいやだったのではないかと思うのです。
 今、ずい分、内職のイメージもかわったと思うのですが、子どもの書く作文、日記にそれが出てくることは、少ないようです。Tさんの詩は異例といっていいでしょう。
 またサークルの仲間の仕事の中にも少ないように思います。なぜなのでしょうか。家の中で働く母親の姿から、たくさん学んでいると思うのに、書かないのか、書けないのか、そこがよく分かりません。  
第22回 子どもの遊び 今と昔
変わったことと変わらないこと 「ごっこ遊び」も“機械化”
1990年5月27日(日)

 あそんでいました
  二年 T・A
きょう たむらくんと あそびました
ゲームボーイをしました
また みえちゃんとも あそびました
ぎんこうごっこで あそびました
山もとさんとも あそびました
おばけやしきもしました
とても たのしかったです

 
友だちと工夫して遊んだ?
 はじめてこの詩を読んで、こう思いました。
 A男は人づきあいがそんなに上手な子ではありません。自分の思い通りにならないと、他の子とけんかになる時も多い子です。そのA男が、意欲的な生活をしたものだと、すごくうれしくなりました。
 たむらくんと遊んでいます。今はやりのゲームボーイです。仲よく遊べたのなら、まあいいでしょう。
 次に女の子です。みえちゃんと、ぎんこうごっこをしています。どんな遊びなのかわかりませんが、こういう遊びが流行ること自体、現代らしいと思います。少なくとも、私が子どものころはありませんでした。お金を貸したり、借りたり、出したり入れたりするのでしょうか。
 また女の子です。山もとさんとは、おばけごっこをしています。ワアワア、キャーキャーとにぎやかにさわいだのだろうなと想像しました。
 とにもかくにも、次々と友だちの名前が出てきて、遊びを変えて、それぞれに工夫もいるであろう遊びをしてしるところが、ねうちだろうと思いました。A男が書いたからこそ、よけいにねうちもあるーと私はそう読んだのです。

大人の感覚と子どもの現実
 ところが、この詩を読んだ私の息子が「お父さん、これみんな、ゲームであるで」というのです。「ゲームボーイ」に「ぎんこうごっこ」も「おばけやしき」もあるというのです。市販されているゲームを、次々変えて遊んでいるのだというのです。へえ?そんなアホな…何か、ガッカリしてしまいました。
 この種の間違いは、よくあることなのです。、私たち大人の“あそび”と言うときの感覚は、自分の子どもの時の遊び体験が、色濃く反映しています。だから次のような遊びが、いい遊びというか、本来の遊びだと思っています。
 @外でやるものである
 A道具は、なるべく自分で作るか、簡単なもので、熟練を要するものである。
 B大勢でやる方がおもしろいものである。
 C必ず、ガキ大将がそのグループを取り仕切っているものである。
 D体を思いっきり使うものである。
 大人の社会のまねごとをして遊ぶというのが、いわゆる「ごっこ遊び」なのですが、こういう遊びを通して、子どもたちは体力も、社会性も、人への思いやりも、リーダーシップも、様々な技術や技能も、自分のものにしていくのですから、遊びぐらい大切なものは子ども時代にはないというのが、識者の一致した見解です。
 私たち大人がまだ子どもだった頃には
子どもは遊び切れたのです。まだ遊び呆(ほう)けていられたのです。
 ところが子どもの遊びに資本が入りこみはじめて、商品で遊ぶようになりました。子どもの遊びが見事に画一化しました。子どもが道具や機械に遊んでもらう状態になったともいえるでしょう。

パンツ見えてもやっぱり…
 私たち大人がA男の詩を読んで「ぎんこうごっこ」も「おばけやしき」も、まさか市販のゲームだと思えないのは、ノスタルジアなのかもしれません。子どもの遊びは金で買うものであってほしくないという願いが、作品の読みを狂わせるのです。
 A男は、楽しかったといっているのですから、何も文句つけることもないのです。たしかに三人のこと次々遊べたのです。でも心のどこかで何かへんだなと思うのは私だけでしょうか。

たいやであそんだこと
2年 M・T
 きょう、あんちゃんと、まさみちゃんと、たえちゃんとわたしで、たいやをしました。 大きいたいやで、二人が中に入って、二人がたいやをおして、じゅんばんにやりました。 さきに、わたしとたえちゃんが、中に入りました。ジェットコースターみたいでした。さかさまになるし、目がまわりました。そして、あんちゃんが
「パンツ見えるし、いやや」
といいました。
 でも、中間休みもやるやくそくをしました。どっちも、おもしろかったらいいな。


 学校の運動場のタイヤの中で、ジェットコースター気分で遊んでいます。「パンツが見えるし、いやや」といっていた子が、中間休みもいっしょにやる約束をしているところが、遊びの魅力です。「どっちも、おもしろかったらいいな」というのは、中間休みも、朝みたいにおもしろかったらいいな、という意味です。
 これでなくっちゃ、と何となく安心するのです。 
第23回 父親らしさって何だ?
「給料日」はもう特別な日ではない つきまとう“後ろめたさ”
1990年6月10日(日)

きゅうりょう日
5年 F・K
ピンポーン ピンポーン
「ただいま」
てお父さんが にこにこしながら
はいってくる
お母さんも
「ウヒヒヒヒヒ」
とわらいながら 手をのばして
「きゅうりょうは」
と いわはった
お父さんが
「わかってるよ」
といって お母さんにわたさはった
かぞく全員ニコニコしてた


お父さんの宝物は何?
 娘が「お父さんの宝物は何?」と聞いてきました。こういう質問をしてきた時は、何か期待するものがある場合が多いので、まず、それを探ってみることにしました。
「タカラモノなあ……、あきちゃんは何?」
「お父さんにもらった、いろいろな色した石と金色の石」
 どうやら九州の阿蘇山で買ってきた石を宝物にしているようです。どうも他愛のないことを聞いているようなので、私は次のように答えることにしました。
「あのな、お兄ちゃんとあきちゃんが、お父さんの宝物」
娘はさして感動した風でもなく「ふ〜ん」と答えました。
 一週間ほどして、私が十時頃帰宅して食事をしていたら
「今日、あきに『お母さんの宝物は何?』と聞かれた」
と、嫁さんが言います。
「へえ〜、それで何て答えた?」
「『お父さんと、お兄ちゃんと、あきちゃん』ていったら何て言ったと思う?」
「何っていうた?」
「『お父さんは、お兄ちゃんとあきちゃんっていうたはって、お母さんは入ってへんかったよ』っていうねん」
 ここまで聞いて、一週間前のことがあざやかに蘇って参りました。
 娘にしたら、不思議だったのでしょう。自分の宝物は、きれいな石なのです。その程度に答えてくれたらいいものを、私も嫁さんも、えらいきばって答えたのです。思いもかけない答えの上に、お父さんの宝物からお母さんはぬけているのですから。
 ハハハハハと笑ってごまかしましたが、ちょっとヤバイなあと思ったものでした。

一番父親らしい日だった…
 Fくんののきゅうりょう日の詩、とても愉快です。
 私はこの詩を読んでいると、本当に家族というのはいいなと思います。お父さんとお母さんのやりとりを見ながら「かぞく全員ニコニコして」いるF一家の幸せを感じます。
 給料が銀行振り込みになってしまっている家、父親の給料日はいつなのか、子どもが全く知らない家は、給料日といっても特別な感慨を子どもが持つことはないだろうと思います。
 給料日になると、私の母親は、お金を仕分けました。食費、電気、ガス、新聞代等実に細かに分けました。そしてその中から我々にこづかいが渡されました。私の父親は酒を飲みませんでした。自転車で通勤していましたから交通費のいらない人でした。タバコ代だけがこづかいでした。
 それに比べますと、わが家の子らは、父親が毎月いくら使うのか、どのくらいの予算が組まれていて、借金がいくらあるのか等、全く知りません。
 知らなくてもいいことかもしれません。私の父や母も私に教えようとはしませんでしたが、私は知ろうとしたらいくらでも知るヒントがころがっていました。給料日は、そのヒントがいっぱいある日でした。
 給料日は、父親が一番父親らしい日だったように思います。お父さんは、外で働いてお金をもうけてくる人ーというのが一般的だったからです。

胸張って答えられますか?
 ところが、共働きになったら、こんなのは父親の本質とはあまり関係のないことになります。母親も給料をもって帰るのですから。
 世の中がどんどんかわって、昔あたり前だったことがあたり前でなくなってきました。ないものねだりをしたり、昔がえりはできません。
 今、父親がどういう役割を家族の中で果たしているのか、また果たすのが望ましいのかと問われて、「それは…」と堂々と胸を張って答えられる人は恵まれています。私も含めて、ほとんどの父親は、自分が「父親をしている」ことに多少の後ろめたさのようなものを感じているように思います。いや、母親も同じことを思っているのかもしれません。
 そういう不安定な時代の中で、行きつ戻りつしながら、子育てをしているのが現実の姿のようです。 
第24回 地域に根ざす学校づくりを
父母の信頼得るまで 子どもの心に近づこう
1990年6月24日(日)

七条商店街
6年 T・T
風に乗って
私の好きな香りが
今年も帰ってきた
お茶の香りだ
『新茶』と書いた袋が
出店に並んでいる

「もう最後や、甘夏百円を七十円や
 どうや、いらんか」
「おじさん、三つちょうだい」
「はい!!まいどありっ」
こんな声がひっきりなしに
飛びかっている

八百屋のおじさんの
「はい いらっしゃい いらっしゃい」
という勢いのいい声
人ごみの中から顔を出すと
「どこのお姉ちゃんかと思ったわ
 大きなったな」
という声が 返ってきた

新茶の香りが
ぷーんとして
「いらっしゃい」
という勢いのいい声がする
ここが
私の育った町
私の町の商店街


仲間の実践から学んだこと
 この詩がうまれた時、私は教師になって四年目でした。私たちのサークル「京都綴方の会」も「京都市つづり方の会」も「地域に根ざす生活綴方教育」ということをさかんにいっておりました。
 私は、まだサークルに入って日も浅く、先輩諸氏のおっしゃる「地域に根ざす」の意味が、もう一つ分かりませんでした。
 そのころSさんが「京都西陣・織機(はた)のうた」の実践をしていました。その仕事の素晴らしさに感動した私は、何がその仕事の骨組みになっているのかを分析してみました。私の結論は三点でした。
@一人ひとりの子どもにねざすこと
A地域の教育的価値あるものを教材化すること
B親と手をつなぐこと
 Tさんの詩は二点目の地域の価値あるものを教材化するということで取り組んだものです。郷土愛なんていうことばを、ことさら強調されずとも、自分の足元をしっかり見つめることを、とにかく大事にしようと考えていたわけです。
 一人ひとりの子どもの心に、どれだけ近づけるか、その子の言動の中に、どう発達の芽を見つけ出せるか、こういう方法なり視点を、私は多くの仲間の仕事から教えてもらいました。
 人間のやさしさ、熱いおもい、けなげさ、豊かさ、心をよせるーこういう言葉を私たちのサークルは大切にしてきました。
 子どもたちの作文、詩、日記から、それを読み取り、また伸ばし、はげましていくことを、お互い学び合ってきました。
 こういう仕事が本物となったとき、親と力を合わせるということもうまくいくようです。

「風通しのよい学校」づくり
 極論すれば「あの先生がやっていることだから、きっと楽しいし、まちがいのないことだろう」という信頼感を得るまで、我々の仕事が高まれば、もっともっと、親と手をつなぐことも可能になるのです。そしてそのことが広がって、そしてあの先生たち、あの学校のやっていることだからとなった時に、地域に根ざすということが本物になると思うのです。
 私たちはもっともっと、親に宣伝しなくてはなりません。私たちは子どもたちをこのように見ています。私たちの学校は、こういう課題があって、その克服のためにこういう仕事に力を入れています。だからこういう力をかしてほしいのですーと。
 そういう学校づくりの仕事に親も参加してもらうことが、現代教育の課題であると思います。
 「風通しのよい学校」ということばがあります。いいことばです。本当に風通しのよい学校にしたいものです。一人校長が力んで、指導という名の押しつけを繰り返す限り、残念ながら、学校はますます閉鎖的にならざるをえないでしょう。もっと自由な研究と民主的討論が学校に保障されない限り、父母の信頼に応えられる教育などできるものではないというのが、私の結論です。

連載を終えて
 「小宮山さんの文は、教師独特の押しつけがましさがないから、それがいいのです。右往左往している姿が魅力です」
 これが京都民報担当者の弁。
 「教師に向かって書け。変に一般読者を意識するな」
 これが友人の弁。
 「連載しっかりチェックさしてもらいます」

 京都市教育委員会指導主事の弁。
 様々な期待の中で一年が過ぎました。正直なところ今ホッとしています。私は私の文章しか書けないのです。最後に詩を書いてくれた教え子、話題を提供してくれた教え子、家族、サークルの仲間、職場の仲間に感謝し、一年間読んで下さった民報読者のみなさまにお礼申し上げて、おしまいです。
 いつかどこかで。 
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