緊急国語教育学習会レポート
私たちの考える作文教育(実践編)
2003・12・6(土)

Mちゃんの作品から学ぶこと

 わたしは今年で31年目の教師生活です。いくら教師を続けたくてももうあと6年で定年退職になります。この長い教師生活の中で「小宮山先生」と呼ばれ続けてきましたがこのところ「コミチャン」とか「コミヤマン」とか呼ばれるようになっています。
 もうずいぶん前に「××セン」とか「・・ちゃん」とか「・・チン」という愛称というかあだ名でつづり方の会の仲間が呼ばれているのを聞きながら、私は他人事のようにそれを聞いていました。そういえば私はそういう呼ばれ方はされたことがありませんでした。しばらく前「おばはん」と呼ばれてショックを受けた女性教師のことが左京の支部教研で問題になりました。また頭が薄くなってきたことを「ピカソ」と言われたというIさんが「『おばはん』ぐらいどうした」という趣旨の発言をしておもしろい論議になったことがありました。
 教師が何と呼ばれようと子どもとの関係に自信があればどうということはないのですが、実際はそう呼ぶ子どもが必ずしも教師を教師として認め尊敬していないことがあって、そのことを教師が感じている場合には問題になるのだろうと思います。私は若いときからスキを見せないように完全主義者でありたいと思ってきましたし今もそうです。そして良い教師でありたいし人からも良い教師であるように見られたいと思っています。まあ、「エエカッコシイ」です。そういう自分の性分が子ども達をして愛称で呼ばせるような雰囲気を作らせなかったのだと思います。私の教師としての姿勢や生き方が「コミチャン」とか「コミヤマン」を許さなかったのでしょう。
 では、今頃になって何でまた「コミチャン」とか「コミヤマン」になってきたのでしょうか。多分私が年をとってきて人間がええ加減になってきていることと、やや気長に子どもとつきあい始めたからではないかと思います。相変わらず私は普段は「やさしくておもしろい」けど『おこったら「コワイ」』先生だという評価は変わりません。「コミ、なんでそんなおもしろいの?」と言われることに喜びを感じる今日この頃です。
 学校にバイクで着くと、担任最長老の私に、1年生たちが「コミヤマンが来た!」と駆け寄ってきてくれます。「コミヤマン、あそぼ」と放課後になったら誘ってくれます。今年私は教師になってから一番よく遊んでいるのではないでしょうか、休み時間や放課後に。「コミ、コミ、コミヤマン」と「カッコウ」の替え歌を歌ってくれます。今子どもたちと楽しく仕事してます。「小宮山先生はM小学校にあと2年かな」と言ったら「イヤや!」と一斉に声が上がってうれしくなります。いつまでも人気者でいたいという私は何て良い仕事を選んだんだろうと思っています。

 今日は、一人の子どもの作品群を通して、自分の仕事の実際が紹介できたらいいなと思います。そして作品を読みながら、私の考えている作文教育について(教育そのものについて)語れればいいなと思います。
(中略)
 M君の場合、私はその書いてくれることから、彼の「よさ」をより多く広く知ることが出来たように思います。何でこんな風に純粋に正直に自分に関わる事物を肯定的に書けるのかなと思います。いえ何でかは分かります。人間は賢くなるついでに前に「ズル」のつく賢さもいっしょに学んでしまうからです。そうでないと人生生きにくいからです。
 一年生は多少その傾向にだれでもありますが、M君の場合はより純粋に人間本来のよさを見せています。
 彼の表現のおもしろさや巧みさをどう見るか、二面あると思います。私は大人の私が「ウーン」と唸ってしまうような表現に溺れて過大評価してはいけないと思います。が、そのおもしろさは、みんなに広げたらいいと思っています。Mくんは「思ったとおり、思ったままかいている」からこういう「よい表現」ができるのだということを知らせたいと思います。
 まとめて言いますと、拙劣さからくる表現の過大評価はしないということです。言葉の数が少ないからできる表現、認識の力が未発達だからできる表現、論理の展開力が未熟だから出来る表現というものをありがたがらないことです。私たちのめざす作文教育は「子どもたちに生活の中にある事実を切り取って書くことを通じて、生活から学ばせ、自分の生きる力鍛えるものです」から、最終的には確かで豊かなことばの力につながる必要があると思います。
 私がMくんの表現から一番学んでいることは、精一杯の自己表現をしていることです。これは人間が表現するということについての心構えと言いますか意味について彼が私に原点に戻らせてくれるということです。どんな文章が人の心に届くのか、また書いていても楽しいのか、ああ、書いてよかったと思えるのか・・・この点ではかれの文章は一流です。これは大いに彼を評価してあげなければなりません。
 どうやら私たちのめざす作文教育の方向が見えてきたようです。何を精一杯とするかは様々ですが、現在の自分の力を最大に発揮して「一番自分が書きたい(文章表現したい)と思っていることを」書ける子どもにすることこそがめざされなければなりません。
 自己表現があまりにも軽視される国語作文教育の現状ですから。

Mちゃんの作品

□せんせいあのね(遠足篇)
えんそく
ぞうのうんちみーっけ
へびがいた
さるをみつけた
つるみつけた
らいおんみつけた

*Mちゃんの作品の中で私が最初におもしろいと思った作品です。見つけたことを羅列しているだけなのですがリズム感があります。

せんせいあのね
えんそくに いったとき
とっても たのしかったよ
はちゅうるいかんに へびがいた
そのへびを みて
そのへびが すきになったよ
せんせい あのね
ぼくは Kちゃんがすきです

*あれ?動物園の話だったはずなのになんで急にKちゃんのことになったのかな?ひょっとしたら遠足で好きになったのかな?すきな動物のついでにKちゃんのこと思い出したの?

□Mちゃんの夏休み絵日記
●7月26日
せんせい あのね
きょう Uくんのいえで
しゃぼんだまをしました
おっきいしゃぼんだまと
ちいさいしゃぼんだまを つくりました
とっても たのしかったよ
しゃぼんだまは すってはだめです
ふうっと ふきましょう

*これは文句なくかわいいなあという作品です。

7月31日
せんせい あのね
きょうね
はじめておよげて すっごくたのしかったです
さいしょは もぐるれんしゅうからして
そのつぎは かべをもって
あしを ばたばたとしたよ
そして およげたよ
せんせい ほめたよ

*水をこわがっていたMちゃんですが、N先生の特訓で見事こわがらずに少し泳げるようになりました。

□友だち標語作り

・ともだちと いっしょにあそぶ それっていいな
*これが最初に作ったものです。

・ともだちが かかってきたら どうしよう
*これが次に作ったものです。Mちゃんはケンカには自信がないようです。

□お母さんへの手紙

おかあさん
ゆびは どうですか
ほんとうに いたかったら Mを よんでね
Mは ままのことが 大すきだよ
ままも Mのことが すきでしょ
いまは ゆびのいたみは きついですか
Mは ままのゆびを しんぱいで しんぱいで
ままのゆびは かわいそうです

*文は人なりと言います。本当にそうだなと思います。バレーボールをしていてお母さんは、突き指をされたようです。「ほんとうに いたかったら Mをよんでね」そんなことばを優しくかけられるM君。愛されて育つことの大切さを想っています。

□なが〜い作文に挑戦!

どろだんご
さいしょにしたときは、できなかったけど、なれてきて五こつくれるようになったよ。これからも、たのしくどろだんごができるかな。このごろいっぱいほうかごにかようよ。とってもたのしいいち日になったよ。一日じゅうたのしかったよ。
がっこうのプール、いっぱいおよげたよ。がっこうのプールってそんなにたのしかったなんてしらなかったよ。
やすみじかんには、いっつもさっかあをしているよ。
ほうかごにもときどきするよ。
そうごうゆうぐも、てっぺんまで、のぼれるよ。
うんていもできるよ。
やすみのときもするよ。

*初めいやがっていた泥ダンゴ作りでしたがすっかりはまってしましました。
文集出品のためにどうしても(こういうことがよくあって困ります。大人の都合で子どもに無理をさせることになります)長い作文書けと言ったものですから話しを二つつなげました。学校へ来ていっぱい出来るようになったことを一生懸命書いています。

おいも(食べる前)
おいもが おいしくなったかな
だといいんだけど
でも おいしくなかったらいやだな
こげてても いやだな
おいしいおいもになってほしいな
やきたてのおいもになってほしいな
やきたてのおいもが たべたいな
せんせいが おいもをしているよ

やきいも(食べた後)
おいもをたべたママは、
おいしいっていってくれたよ
Mはうれしかったよ
Mがたべたのもおいしかったよ
やきいもを ママがたべたあと
Mはしんどくなってきたよ
でもやきいものおかげで すぐなおったよ
おいもは Mには しんせつなんだと
Mは おもうよ

*家へやきいもを一つおみやげで持って帰りました。その日は放課後残って遊ばずにお母さんに持って帰ったのです。

□朝に(書きたいときに書こうの紙)
一りん車

ぼくも 一りん車にのって
女の子といっしょにあそぶよ
でも Yくんと Kくんと
Tとで とりあいっこになるよ
でも たかは Tよりもでっかそうなのに
のっているよ
だから しばらく れんしゅうしてるよ
なんにちも やすまずしたいな
でも 雨だったら いやだな

*11月中旬から一輪車にすっかり夢中です。なかなか友だちと遊ぼうが言えなくて、放課後残って遊ぶということも考えられなかったのですが、遊び大好きな元気な1年生になりました。

□はじめての日記で

せんせいあのね
きょう一りん車で こけたよ。
かおから うったよ。
口びるからちがでたよ。
ほけんしつにいったら まついせんせいが、
「もう大じょうぶ」
っていったよ。
一りん車をしていたとき、手すりと手すりのあいだをとおろうとすると、もうすこしのところで、こけたよ。
とってもいたかったよ。
いたくて、いたくて、たまらなかったよ。
でも一りん車で五mいけたよ。
せんせいに、三mいけるとこをみてもらったよ。
でも、二mだったよ。
でもあとから、三m四m五mといけたよ。
でも、せんせいが、しょくいんしつにいたときにこけたよ。
でも、Mいがいの人は、そうごうゆうぐであそんでた。
でも、Mは手すりのないところでは、一りん車はできないよ。
でも、こけたから、うまくなったとおもうよ。
こけたらうまくなるよ。
一りん車でこけたら大なきしたよ。
ペダルかサドルでうったよ。
口びるがきれたよ。
口びるがしみたよ。
ほうかごにこけたよ。
でも、はなぢはでなかったよ。
でも口からはでたよ。
まん中のほうで、こけたよ。
*Mちゃんは、これからもたくさん楽しい作文を書いてくれそうです。

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