かばのしっぽ連載
『人間と教育』こどもの詩
BY Shigeru Komiyama
 人間と教育は季刊教育雑誌です。
 編集「民主教育研究所」で(株)旬報社が発行しています。定価(本体1190円+税)。
 2008年のある日,佐貫浩(法政大学教授)先生からお電話があって扉の「こどもの詩」連載を依頼されました喜んで引き受けました。
 隔号で子どもの「詩」を選んでコメントを書いています。

73号(2012春号)
(特集東日本大震災と日本の教育)

くも
      1年 ただ ゆいか
金よう日 かえるとき
上の空を見たら
くもがとかげのかたちしてたよ
ハートのくものかたちもあったよ
きれいだったよ
ちかくで見ると たぶんとってもきれいだよ
中井せんせいも見てみたら
小み山せんせいも見てみたら
とってもきれいだよ

ごりら
      1年 やすい まさのり
おかあさんあのね
きのう どうぶつえんで
大きなごりらが 
さくのなかで うほうほしてたよ
はじめてみたよ
みんなは うほうほしているところは
ぐうでやってるようにみえるとおもうけど
じつは ぱあでやっていたんだよ  

 「じいちゃん!」いとうくんが、朝、息せき切って私のところへ駆けよってきて、言いました。「うん?」という顔をした私に、「ちがった、まちがった」と恥ずかしそうな顔をしました。「そうか、小宮山先生は『じいちゃん』か」私は大笑いしました。
 時々私たち教師は「お母さん」と呼ばれたり「お父さん」と間違って呼ばれます。こういう時、「そうです。私がお母さんです」と笑いで返すか、心の中では笑いながら何もなかったように「何?」と聞き返すかします。とてもうれしいのです。私とこの子たちとの関係性にうれしくなるのです。
 たださんの「くも」は担任の中井先生と非常勤講師である私に自分の見たきれいな「くも」を見せてあげたいという思いで書いています。「じいちゃん」ぐらいの年齢の私を思い出して書いてくれたことに感謝しなければなりません。
 やすいくんの「ごりら」はどうでしょうか。確かにCMのエネゴリラはグーでうほうほしているように思います。「じつは ぱあでやっている」という自分だけの発見をいっしょにびっくりしたり喜んでくれるであろうお母さんに向かって彼は書いています。
 表現は自分が見つけた発見を知らせたい人に向かって発せられとき輝くものだと改めて教えられました。                         

71号(2011秋号)
(特集やりがいのある授業と教育課程づくり)

あそんでいました
  1年 あらき たいが
きょう たむらくんと あそびました
ゲームボーイをしました
また みえちゃんとも あそびました
ぎんこうごっこで あそびました
山もとさんとも あそびました
おばけやしきもしました
とても たのしかったです

 この詩のどこがいいの?たぶんどなたもお思いになると思います。
 でも私はこの詩を読んで「おつ!」と思いました。その理由です。たいが君は人づきあいの苦手な子です。たいが君が三人の子と次々遊んでいることに注目しました。最初はたむら君で、次がみえちゃんで、その後山もとさん、女の子ととも遊んでいるんだとうれしくなったのです。あらき君は思い通りにならないとすぐトラブルになる事の多い子ですから、放課後遊べているのかどうか心配していたのです。
 しかも『銀行ごっこ』とか『お化け屋敷』は、友だちとのコミュニケーションをしなければ遊ぶことができませんから、よい遊びをしたなと思いました。
 しかしこの詩に書かれている遊びの実際は…よく聞いてみたら、『銀行ごっこ』も『お化け屋敷』もゲームボーイにあるものでした。要するにたいが君は、三人の子どもたちとゲームボーイをしていたのです。
 私たち教師は(いや大人かな)思いこみで作品を読みがちです。
 この作品はまだゲームボーイ全盛の時のものです。そして今やDS全盛時代です。時代が変わり、子どもの遊びも人間関係も大きく変化しました。ゲームボーイやPCゲームで遊んだ若い世代の先生は、又違った読み方をされるのでしょうか。 
 69号(2011春号)
(特集教師への成長と専門性 小特集公開合同研究会抄録)
おばあちゃんへ
       1年 よねはら ゆうと
おばあちゃん
だいすき。
しごとをしてるかな。
でんわしてるかな。
こうえんいった。
ねてるかな。
のんびりしてるかな。
 
 私が今、非常勤講師(学びのパートナー)として勤務している学校に「つばさ学級」という養護育成学級があります。よねはらゆうとさんは、その学級で学んでいます。担任の城野律子先生によると、昨年度末年賀状を書こうと言って呼びかけられたら、この詩を一気に書き上げたそうです。
 読ませてもらってうれしくなりました。よねはらさんのおばあちゃんは、何の仕事をしておられるのでしょうか。田んぼや畑の仕事をしておられるのでしょうか。いやお勤めかな。きっと電話するのがお好きなおばあちゃんなのでしょう。電話しておられる姿をよくみかけるのでしょう。いや、ひょっとするとよねはらさんはおばあちゃんと電話でよくお話するから、おばあちゃんと言えば電話をイメージするのかもしれません。
 ここまで書いて、「自分のことも書かなきゃ」と思って、公園へ行ったことも書いたのでしょう。
 「ねてるかな/のんびりしてるかな」もいいですね。おばあちゃんをいたわっているよねはらさんが、何ともいいです。
 おばあちゃんもよねはらさんも幸せです。私も「孫」にいたわってもらえるおじいちゃんになれるかな。

67号(2010秋号)
(特集改訂教育基本法をどうみるか 小特集現代日本の教育の課題と民主教育研究所)

きょうとう先生
         2年 は山 としよし
ぼくは ふしぎです
大阪の学校にも きょうとう先生がいます
東京の学校にも きょうとう先生がいます
なんで 大阪先生や 東京先生は
いいひんのかな
日本のどこの学校でも
みんな きょうとう先生かな
ぼくは それが一ばん ふしぎです

やねよりたかいこいのぼり
         3年 辻井 正平
うたでは
やねよりたかいこいのぼり
というけど
やねのほうが
たかくつくんじゃないかな?
 
 子どもが不思議に思うこと、その子どもワールドの一端です。
 は山君の不思議は「教頭先生」という存在。自分がいる京都の学校に「きょうとう先生」がいるのは何の不思議もないけれど、大阪や東京の他にも全国に「京都先生」がいるのはなぜか?というものです。「きょうと」と「きょうとう」という違いがこの勘違いを生んでいるのですが、何とも真剣に悩んでいるのが愉快です。
 辻井君は「こいのぼり」を歌いながら「屋根の方が高くつくのになあ」と思っているのでしょう。
 まさしく想定外の思考をしているかもしれない子どもたち。だから楽しいのです。

65号(2010春号)
(特集生存権としての教育 小特集堀尾教育学の継承をめぐって)


         6年 石井 志有人
ぼくは、耳がびみょうに動かせます
なので、みんなの前ですると
「それ、カツラやろ。」
とかみの毛をひっぱられます
「どうやんの。」
と聞かれたから
「耳に力いれたらできる。」
と言っても、
みんなはできないと言わはります

ぼくが知ってる人でできるのは
ぼくのお兄ちゃんだけです
お兄ちゃんに聞いた話では
「まだ耳が進化してない」
と言っていました

これは得なのか
気になります 
 彼は少し自慢なのです。でも不安なのです。お兄ちゃんに「まだ耳が進化してない」などと言われたものですから、よけいに考えています。
 「これは得なのか」というのは、実に子どもらしい心配の仕方だと私は思います。
 全く詩を書こうなんてことは考えずに書いています。つまり比喩的表現をしなければならないだの、詩的表現としてのリズム感だのを考えたとは思えません。
 しかし彼はなぜ敬体で書いているのでしょうか。敬体が自然に石井君のとぼけたようなユーモアセンスを助長しています。最後の「気になります」が彼にしたらこの終わり方しかなかったのでしょうが、読み手には「にやり」とさせる味を発揮させています。「巧まざる巧み」をこの作品にも感じます。   

63号(2009年秋号)
(特集教員管理の新段階 小特集ジェンダー教育と現代の貧困)

赤ちゃん
          
6年 加賀山 祥
産みたくない
赤ちゃんなんて
産みたくない
痛いし
しんどいし
苦しいし
育てんの大変やし
そしたら弟ができた
プニョプニョ
モチモチ
カワイイなぁ
そしたらその弟が
ニコーって笑った
うわーカワイイ
うわー
うわー
その時思った
はやく大人になりたいなぁ
はやく赤ちゃん産みたいなぁ
赤ちゃんがいない人生なんて
もったいないわ
 この詩は今年6月に書かれた詩です。
 加賀山さんの家は四人姉弟妹弟です。子どもは一人か二人という最近のきょうだい事情から言うときょうだいの多いご家族です。彼女はその長女です。普段はきょうだいがいつも仲良しというわけにはいかないことも多いのです。しかしそれでも赤ちゃんである弟のかわいさに「はやく大人になりたいなぁ」「はやく赤ちゃん産みたいなぁ」と思っているのです。
 今、日本は少子高齢化社会を迎えています。
 クラスの女の子に聞いてみました。「加賀山さんみたいに、『赤ちゃんほしいな。』と思う人?」さて、どんな結果だったかというと、うちのクラスの女の子で「赤ちゃんをそんなにほしいと思わない。」と答えた子は、十一人中一人でした。他の子は赤ちゃん産みたいと答えていました。
 この結果ぜひ少子化担当大臣に教えてあげたいし、この詩もぜひ読ませてあげたいと思いました。女の子たちは「産みたい」と思ってくれているようです。
 子どもは私たちの希望です。他人の子でもかわいいのですから、わが子ならなおさらと私は思います。しかしそれに反する事件の報道に接することの多い昨今、この詩に救われます。

61号(2009春号) 
(特集「学校の格差的再編と統廃合」 小特集「貧困と教育」)

けいたい電話
        6年 金沢 大輔
「最近、お父さんから 電話ないなあ」
お父さんは 福岡に出張中だ
「じゃあ、電話してあげたら」
お母さんが言った
弟がけいたいに電話した
「なあなあ、大ちゃん
 女の人が 出はったで」
とお母さんに聞こえないように言った
「何て言ってはる」
って、ぼくが聞いたら
「『ただいま、電波がとどきません』って」
お母さんが、
「なに?」
って聞いた
ぼくが
「女の人が出はる」
「何て言ってるの?」
って聞いた
ぼくが
「『電波がとどいてない』って言ってはる」
と言うと
お母さんが、大笑いして
「もう、そんな元気ないって」
と言った 
 この詩はまだ携帯電話が普及し始めた頃、今から十年ぐらい前の詩です。
 単身赴任、携帯電話がこの十年の間に当たり前になりました。
 お母さんの最後の言葉が最高です。お父さんとのつながりと歴史を想像させてくれて、笑ってしまいます。この詩が生まれた時には思わなかったのですが、大輔君はお母さんの最後のことばの意味をどのくらい分かって書いたのかなと思います。彼は父母の関係に安心しているからこそこの詩が書けたのであろうと思います。昔も今も変わらない家族のつながりを感じる作品です。 
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