羅漢寺
もう20年以上前に一度行ったことがありました。その時は、「下手くそな仏さんやな」ぐらいにしか思いませんでした。ですから、お寺にも羅漢さんたちにもそれほど強い印象はありませんでした。
ついでがあって、今回二回目の訪問です。時間が経つのを忘れて一体一体の仏さんたちを拝ませていただき写真を撮らせていただきました。
興味のない時は、それほど心動くことなく見過ごしていたのでしょう。急に信心の心が湧き起こったのでもないのですが、楽しい時間を過ごすことが出来ました。「知ること」と感動とは関係があるようです。何らかの知識が感動を呼び起こすように思います。また、その知識なりが感動を増幅させもするようです。それが経験である場合もあるのでしょう。
石仏紹介の書物でこの「北条五百羅漢」にふれていないものはないというぐらい有名な石仏です。
私は、車で行きました。中国自動車道で加西ICで下りて、約20分です。ナビのおかげで迷うことなく着きました。北条町駅というのがすぐ近くにありますから、鉄道でも来られるようです。このお寺(羅漢寺)の周りを北条幼稚園、北条小学校、北条中学校が取り囲んでおります。
(1)北条五百羅漢寺説明板
江戸時代初期に作られたようですが、その経過も何もかもが伝えられていない仏たちのようです。
加西市は、石仏では有名な場所です。理由は3つ。@白鳳時代の石仏(古法華三尊石龕仏・繁昌五尊石仏)、A播磨の石棺仏群(鎌倉以後)、B北条石仏(五百羅漢)のあるところとしてです。加西市は石仏の町と言ってもよいと私は思っています。
(2)入口に仁王さん
この仁王さんに慶長の年号が入っているとのことだったように思うのですが。
(3)来迎二十五菩薩
この説明板にもあるように、二十五菩薩来迎石仏といえば、近江坂本西教寺を思い出しました。こちらは、五百羅漢ほど有名ではないのですが、境内の北側におられました。それぞれの仏に施主の名が刻まれているようです。
阿弥陀如来 | 徳蔵菩薩 | 光明王菩薩 |
(3)北条五百羅漢(1)…並ぶ
こういう感じで、並んでおられます。笑っているような、怒っているような、考えているような表情です。ほとんどが四角柱の石材に顔を彫り、体に簡単な線描や薄く彫った手があるという簡単な仏たちです。名前の付いている釈迦如来を中心とした仏さんたちと、所謂五百羅漢さんたちが並んでおられます。
大体のこの羅漢さんたちの評価は、「芸術的香りを失う」が、「型にとらわれない自由な作風」であり、「日本化」した「その土地の風物」にとけ込んでいるというものが多いと思います。京都伏見深草の伊藤若冲プロデュースの石峰寺羅漢仏と同じ評価にくくられています。
この仏たちを次のように評価しておられる方もおられます。「コケシ然とした角材の卒塔婆(羅漢像と呼んでいるが、私は羅漢像とは見ない)の、角柱材を生かした抽象的な表現形式、シュールレアリズム」(「石棺仏」:宮下忠吉著:木耳社)
(4)北条五百羅漢(2)…夫婦
私には下の2枚の写真の羅漢たち、それぞれ夫婦に見えました。左は何となく西洋人のように見えます。二人はそれぞれお互いを尊重し合っているようです。右の方は女性が男性に寄りかかってる見たいです。男性は高倉健みたいでクールな感じです。
(5)北条五百羅漢(3)…キリスト
この羅漢さんはどう見てもキリストです。だれかが目を描き加えたようですが、描かないでほしいな。
(6)北条五百羅漢(4)…表情八態
「あなたは、今、どの表情?」
苦悩 |
怨念 | 憤怒 | 悔悟 | 不寛容 |
自然 | 静寂 | 寛容 | 希望 |
(7)北条五百羅漢(5)…全身の表情
説得 | 願望 | 疑惑 | 疲労 |
(8)北条五百羅漢(6)…動物と菩薩
羅漢さんの中心に釈迦如来を中心にした名前のはっきりした仏様たちがおられました。これは羅漢たちのように角柱ではなく比較的大きな石に彫られています。まるで子どもが描く絵のように顔ばかり大きくて手が小さいのです。そして乗っておられる動物が何ともかわいいというか稚拙というか。左の普賢菩薩は徳を司り象に乗っておられるはずです。これはどう見ても象には見えません。お腹の大きな馬に見えます。右は文殊菩薩ですから知恵を司り獅子に乗っておられるはずです。獅子に見えますか?私はいじけた牛かアルマジロかと思いました。
普賢菩薩 | 文殊菩薩 |
2005・7・16(土)撮影
2005・7・17(日)作成