伊賀上野石仏巡り

 伊賀上野は小京都と呼ばれているのだそうです。そして藤堂高虎の伊賀上野城、松尾芭蕉の生地、荒木又右衛門鍵屋の辻の仇討ち、忍者の里、伊賀組紐、伊賀焼、そして上野天神祭のだんじりと鬼行列などで有名です。
 京都から案外近いのです。南山城町と境を接しています。車で国道24号から163号を通れば、2時間余です。伊賀上野に魅力的な石仏があるので訪ねてみました。163号線に魅力的な石仏がおられました。
(1)見届け地蔵 (2)橋本地蔵 (3)岩根の磨崖仏 岡山の石仏 中ノ瀬磨崖仏

(1)見届け地蔵(三軒家三体地蔵石仏)
(上野市寺三軒家・上野市指定文化財・南北朝時代)

 京都府南山城町から上野市へ。163号を東へ行くと、上野の市街地へ入るまでに「三軒家」という集落があります。そこで、163号を離れ集落へ入ります。すぐ山手へ向かう道があり、矢印で「見届け地蔵」の案内があります。ブドウを売っている店を眼下に見て山手の道を進みますと稲荷神社があり、その横におられました。バス停(三重交通)『三軒屋』から北へまっすぐの見当です。
 花崗岩を舟形に彫り、お地蔵様が三体彫られています。三体とも蓮華座立っておられます。真ん中のお地蔵様は右手に錫杖、左手に宝珠という典型的なスタイル。向かって右の方は宝珠を持ち、左の方は合掌されています。「見届け地蔵」というお名前からして何かいわれがありそうです。何でも織田信長の伊賀攻めで射手神社が焼き払われた時に、その神霊が火だるまになって飛んでいくのをこのお地蔵様が見届けたのだそうです。(「石仏」清水俊明著:講談社昭和54年)真ん中のお地蔵様の目が左右対称になっていないのはどうしてでしょうか?ふっくらしたよいお顔なのに違和感があります。昔、このお地蔵様は彩色されていたのでしょう。お地蔵様の光背に朱色が見られます。

(2)橋本地蔵
(上野市長田)

 このお地蔵様はたまたま拝ませていただきました。三軒屋の「見届け地蔵」さまから市街地へ向かうと「長田」という集落があります。ここに「おもん地蔵」さんと「笠石仏」さんがおられるというので、捜したのですが、分かりませんでした。おもん地蔵さんは、先ほどの「見届け地蔵」のような形式のもののようです。
 捜している時に見つけたのがこの橋本地蔵さんでした。このお地蔵さんはりっぱな祠の中におられます。そして立派な石碑が建てられていました。
 それにしても「おもん地蔵」さんはどこにおられたのでしょうか?すぐ近くにいたはずなのですがご縁がなかったようです。帰ってから「石仏」(清水俊明著)を読み直していたら、「バス停『寺内』下車、バス道脇の谷あいへの細い道を下った所」とありました。もっとしっかり読んでいったらよかったな。

(3)岩根の磨崖仏(花の木三尊磨崖仏)
(上野市大内・県指定文化財・鎌倉後期)

 カーナビで花の木小学校を検索したら、行けました。長田の集落から最初の信号のある交差点の道を南へ南へ進み、名阪道へ出るまでの道を西へ行くと花の木小学校でした。この小学校の前を昔の街道が通っていたようです。学校へ行く橋を渡ると「」案内板がありましたのですぐに分かります。今は廃道になっている山道みたいな道を30m行きますとおられました。
 下の説明なかなか行き届いていて感心しながらなるほどと読ませていただきました。文字は分かりませんでした。

(4)岡山の石仏(北向地蔵・寺田北向三体地蔵磨崖仏)
(上野市南寺田・上野市指定文化財・南北朝時代)

 上野の市街地を越え国道136号を進むと、中ノ瀬IC(名阪国道)へ入るところへ出ます。さらに東へ行くと服部川の橋(寺田橋)を渡ります。この橋のたもとに「荒木又右衛門生誕地」の碑がありました。橋を渡ったところから北へ向かう道がありその2つ目の農道を道なりに進みますと「毘沙門寺」に着きます。私は「毘沙門寺」で検索したら案内してくれました。「岡山口」というバス停からも行けるようです。毘沙門寺の入り口に岡山遊園地の案内板があり、上の説明はその一部です。その案内板から山道を300mで「北向地蔵」さんに到着します。敷茄子付きの蓮華座に座っておられるのだが、体全体のバランスがよく、お地蔵様にありがちな「かわいい」という感じはなく端正なたたずまいの芸術的なお地蔵様である。光背も丁寧に彫られています。 

(5)中ノ瀬磨崖仏
(上野市寺田中ノ瀬・県指定文化財・鎌倉時代)

 「関西の石仏巡り」(清水俊明著:創元社:1997)などを参考に伊賀上野へ行こうと思ったのですが、この中ノ瀬磨崖仏が一番見たかったのです国道163号は津市へ向かう伊賀街道のことですが、寺田橋辺りから服部川と平行して道があります。寺田の集落をすぎさらに津方面へ行きますと、道沿いの岩壁に大きな「中ノ瀬阿弥陀三尊磨崖仏があらわれます。

(1)中ノ瀬磨崖仏説明板

 この説明もよく分かりました。
 確かに中尊と外の線刻してある脇侍や地蔵、不動などは時代も作者も違うようです。

(2)中ノ瀬磨崖仏全体

(3)中ノ瀬磨崖仏阿弥陀三尊

(4)不動明王と地蔵菩薩

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2005・8・10(水)・11(木)撮影
2005・8・13(土)作成