京の六地蔵巡り

 京の六地蔵巡りについては伏見六地蔵(大善寺)の洛南保勝会の説明が詳しいのでそれを紹介します。
 (大善寺は)浄土宗のお寺で、法雲山浄妙院大善寺といいます。通称「六地蔵」と呼ばれ親しまれています。705年(慶雲2年)藤原鎌足の子、定慧(じょうえ)によって創建されました。
 地蔵堂に安置された地蔵菩薩立像(重要文化財)は、平安時代の初め852年(仁寿2年)「小野篁」が作ったものと伝えられています。篁公は849年(嘉祥2年)48才の時に熱病を患い意識を失って、地獄に落ちた人々の苦しんでいる姿を見ました。その時一人の僧が人々の苦難を救っている場に出会いました。その僧は「私は地蔵菩薩である」と名のられ「この地獄だけでなく、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上など六道の迷いの世界を巡りながら縁ある人々を救っている。全ての人を救いたいが、縁のない人を救う事はできない。私にとっても残念な事だ。貴方はこの地獄の苦しい有様と地蔵菩薩の事を人々に知らしめてほしい」と聞いて蘇った篁公は、木幡山から一本の桜の木を切り出して、六体の地蔵菩薩像を刻み此の地に納めました。それよりここを六地蔵と言います。
 その後1157年(保元2年)後白河法皇の勅命により、平清盛が西光法師に命じて、京都の街道の入り口六ヶ所に六角堂を建て、一体づつご尊像を分置されました。
 最初に六地蔵巡りをされたのが、西光法師と言われます。これが六地蔵巡りの始まりです。 
 1,京の六地蔵とは
地蔵名 住所 寺名 街道名
伏見六地蔵 伏見区桃山町西山24 大善寺 奈良街道
鳥羽地蔵 南区上鳥羽岩ノ本町93 浄禅寺 西国街道
桂地蔵 西京区桂春日町9 地蔵寺 山陰街道
常磐地蔵 右京区常盤馬塚町1 源光寺 周山街道
鞍馬口地蔵 北区鞍馬口寺町東入る上善寺門前町 上善寺 鞍馬口街道
山科地蔵 山科区四ノ宮泉水町16 徳林庵 東海道

2,六地蔵巡りと六斎念仏

鳥羽地蔵 桂地蔵 鞍馬口地蔵

3,京の六地蔵ご紹介

(1)伏見六地蔵(大善寺)
奈良街道
伏見区桃山町西山24

(2)鳥羽地蔵(浄禅寺・恋塚寺)
西国街道
南区上鳥羽岩ノ本町93

(3)桂地蔵(地蔵寺)
山陰街道
西京区桂春日町9

(4)常磐地蔵(源光寺)
周山街道
右京区常盤馬塚町1

(5)鞍馬口地蔵(上善寺)
鞍馬街道
上京区今出川通千本西入南上善寺町143

(6)山科地蔵(徳林庵)
東海道
山科区四ノ宮泉水町16

4,水塔婆供養

伏見六地蔵での水塔婆(経木)供養の様子を紹介します。
木に名前を書いてもらいます 経木を置いて樒で水をかけます
 常磐地蔵だけ、自分で名前を書く方が供養できるということで、自分で書きます。常磐地蔵は、紙塔婆(1000円)と杉塔婆2000円)があります。そして以後供養してくださるそうで預かられます。他の五カ所は書いてもらい経木を置く場所があり、水をたっぷり樒でかけます。他の五カ所の経木は300円です。六カ所とも塔婆供養してきました。

5,お札

 六ヶ所のお地蔵さんそれぞれ色の違うお札を用意されています。鞍馬口地蔵(上善寺)には、お札をくくりつける場所が用意してありました。このお札を家に持って帰って家の前に吊すのだそうです。一体300円です。たぶん理由があってこういう形しているのでしょうね。伏見地蔵で受けてきました。

6,かばのしっぽの六地蔵巡り

コース:伏見六地蔵〜山科地蔵〜鞍馬口地蔵〜常磐地蔵〜桂地蔵〜鳥羽地蔵
午前8時出発・午後11時半帰宅
所要時間:3時間30分
移動手段:50ccバイク
費用:3850円
内訳(お賽銭600円・水塔婆供養2500円・お札300円・はったい粉200円・ガソリン代250円)

 平安時代の六つの街道の入り口にあった六地蔵さんですから、一つ一つが離れていて当然です。さてどのくらい時間がかかるのか見当がつきません。50ccのバイクで巡ります。
 朝8時家を出発。まず、伏見六地蔵へ。門の所にべっこうあめなどのお店がありました。どういう供養の仕方をするのかも分からなかったのですが、親切に教えて下さいました。カメラ2台ぶら下げてたら、「良い写真が撮れますように」と言って下さいました。「六地蔵巡り」はどこから回るとか、どういう順番に回るかとか決まっているのですか」と尋ねますと自由だとのことです。伏見六地蔵(大善寺)のお堂はみんな開いていて観音堂の千手観音も本堂の阿弥陀如来も拝観できました。伏見地蔵さんは、平安時代の作で重要文化財なのですがきれいに彩色してあります。きれいな美しいお地蔵さんです。お地蔵さんの横に小野篁像がありました。
 伏見六地蔵から山科地蔵へ。外環状線をJR山科駅目指して進み三条通一筋北の旧東海道へ。
 旧東海道は今三条会という商店街があって、東海道町という町名が残っています。JR山科駅から四宮駅まで道の両側に露店が出ています。六地蔵の中で一番人が大勢出ておられるようです。水塔婆供養にために地蔵堂の裏に五地蔵があります。「なんで5つなんですか?」と伺いますと「毎年一体ずつ作っていて今年で5年目です。来年で6体(六地蔵)になります。また来年お越し下さい」とのことでした。表情豊かなかわいいお地蔵さんです。
 その横に蝉丸(人康親王)の供養塔がありました。この山科地蔵(徳林庵・臨済宗)は人康親王(さねやすしんのう)の菩提を弔うために天文年間(1532〜55)に創建されました。親王は盲人・座頭の祖神とされ、江戸時代には毎年2月16日に検校位を持つものが四宮河原(山科川)に集まり、親王を弔い琵琶を演奏したそうです。四宮の地名は親王が四宮であったからとも、諸羽神社が当地4番目の社であったからともいわれているそうです。山科地蔵は四宮地蔵ともいいます。
 山科地蔵から鞍馬口地蔵へ。三条通を西へ向かい蹴上で仁王門通りへ。川端通りで右折して北へ。出町柳から西へ。河原町通へ出て賀茂街道に入り出雲路橋の一つ南の通りを西へ。出雲路橋の通りは東行き一方通行のため。鞍馬湯という銭湯の前に臨時駐車場が用意してありますが僅かな台数。
 鞍馬口地蔵(上善寺・浄土宗)は門前と中に露店が出ていました。ここのお地蔵さんは、当初小幡の里に祀られていましたが、保元年間(1156〜59)に洛北御菩薩池(深泥池)の畔に祀られ、さらにここ上善寺に移ってきました。深泥池との関係で「深泥池地蔵」とも言います。ここのお地蔵さんはカラフルではありません。やや面長です。私は顔つきが奈良斑鳩の中宮寺の弥勒菩薩像に似ているなあと思いました。地蔵堂の横に小さいお地蔵さんがたくさんありました。
 続いて鞍馬口地蔵から常磐地蔵へ。烏丸通りへ出て、丸太町をずーーっと西へ。丸太町通りと京福北野線常盤駅一つ東の道を南へ入ると目指す常磐地蔵(源光寺)。府立嵯峨野高校の東です。
 ここは臨済宗のお寺で源光庵ともいわれる尼寺。この地は義経の母親常磐御前の生地とも常磐の庵の旧地とも言われています。このお寺の説明板を読みたかったのですが雨露のせいで読めなくなっているのは残念です。
 このお寺でお遍路姿の女性がお経を読んで拝んでおられました。ここは水塔婆供養がありません。他のお寺は水塔婆供養とお札と朱印帳記入などで潤う感じなのになあ。たぶん境内にそれをする場所がないからではないかと思います。
 このお寺の前に「じぞう湯」という銭湯があってデイケアサービスをしておられました。
 常磐地蔵から桂地蔵へ。丸太町通りから天神川通りを南へ。八条通を西へ。桂大橋渡り桂離宮を越えるとすぐ。
 このお寺は普段きれいに石に筋を入れて模様(何というのか分かりません)をつくっておられます。でも六地蔵巡りの日はなし。ここのお地蔵さんは一本の最下部をもって刻まれたもので、世に姉井地蔵と言われているそうです。掲示板に「8月22日・23日世通し地蔵盆大法要」という言葉があって、「夜通し」という言葉がユーモラスでした。この前の道は狭いのですが今も交通量が多くひっきりなしに車が行き交ってます。お寺の前に出床几の家。隣には茅葺きの家。旧街道には愛宕社の常夜灯。七条通りや八条通には旧家の素敵な家がたくさん残っています。
 桂地蔵から鳥羽地蔵へ。桂川街道という国道171号へつながる道を南へ。久世橋通りを東へ久世橋を渡り旧千本通り(南行き一方通行)を右折して南下すると鳥羽地蔵に着きました。
 旧千本通りが西国街道で、ここにも素敵な旧家が並んでいます。
 鳥羽地蔵(浄禅寺・恋塚寺)の前の道はカギ型に曲がっています。このお寺の前に唯一出ていた露店が「はったいの粉」の店。子どもの時食べたなあと懐かしくなって買いました。200円。この露店はったいの粉だけ売ってました。近くの方かな。
 このお寺は「恋塚寺」とも言います。伏見にも「恋塚寺」があって、二つとも遠藤盛遠(のちの文覚上人)が横恋慕して殺してしまった袈裟御前(源渡の妻)を弔うために建てられたという伝承を持っています。袈裟御前の首塚(恋塚・五輪塔)に恋塚碑(林羅山選文)や袈裟御前像などがあります。一説には魚の「コイ塚」だとも言われています。 
五輪塔(恋塚・首塚) 水塔婆供養の地蔵
 さて、これで6つのお寺は回れました。あとは家に帰ります。旧千本通りをさらに南へ向かい名神をくぐると戊辰戦争の勃発地点である小枝橋に出ます。これを東へ渡ると城南宮。さあ、伏見区へ帰ってきました。
 暑い日でした。500ccのお茶を持って行ったのですがすっかり空になりました。

2003・8・24(日)

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