伏見ぶらぶら33

伏見桃山紅葉

清涼庵阿弥陀小仏と紅葉
 自宅付近の紅葉散策です。
 そう言えば、新聞その他の紅葉情報には伏見区は一カ所も出てきません。伏見生まれで在住の私としては、残念です。 

(1)伏見桃山城の紅葉

 伏見桃山城が、何やら映画の撮影で使われるらしく塗り替えられたと新聞に出ておりましたので、まずそれを見に行くことにしました。近鉄が所有していた桃山城キャッスルランドが2001年(H13年)閉園され、現在は京都市の所有になっています。鉄筋コンクリートの建物です。
 最近「京の城ー洛中・洛外の城ー」(2006・3月・京都市文化市民局文化部文化財保護課編集発行)を読みました。そこにこんなことが書いてありました。「この城(桃山城)は我々の思い描く城のイメージを京都市内で最も体現したものであり…」なるほど、そう言えばそうだなと思います。
 無料で市民に開放されるようになってしばらく経つのですが、園内は美しく保たれているなと思いました。(下の写真)何しろ、長く伏見におりますが、キャッスルランド(桃山城)へお金を払って入ったのはわずか1回か2回です。外から眺めることはあっても入ったことがなかったのです。

まず、どこを塗り替えたのかなとみましたら、全体に色鮮やかになっていて、虎の絵が見えました。

 そうそう、紅葉の美しい所が桃山城にはないのか捜すのが今日の目的だったと思い直して見回しましたら、西南隅にある池の辺りが美しそうだったので、そちらへ。その写真です。こうしてみるとなかなかです。
 何しろ、桃山城園内へはいるのは初めてと言っても良いぐらい何も記憶がありません。そこになんでこんなところに置かれているの?というものを発見しました。しばらく前伏見が軍都であった頃の石碑だと思われます。大きい石で縦5m横2mを越えようかという巨大なものです。これが天守西側にゴロンとありました。一体どこに昔は建てられていたのでしょうか。昭和七年四月二十五日と年号が入っており、第十六師団司令部から始まって、京都憲兵分隊まで11の軍関係施設名が記されています。この上に水が溜まっている箇所があり何か書かれていたようにも思われるのです分かりません。
 しばらく前に伏見の戦跡遺跡の本を読んだことがあったのですが、この石碑のことはなかったように思います。これは現聖母学院本館辺りにあったのでしょうか?それとも現桃陵団地辺りにあったものでしょうか。

(2)清涼庵の紅葉

 伏見城を出て、上板橋通りを西へ出ますと、清涼庵があります。ここは五郎太町という町名で家康の愛妾お亀の方が住まいしていた場所です。五郎太は後の尾張大納言義直の幼名です。(「伏見の道しるべ」参照)
 この寺は百日紅、南天、つばきが美しいお寺です。その紅葉風景です。

(3)長岡越中三角公園のイチョウ

(4)森林研究所のメタセコイア並木

 まあ、近所のものが明治・桓武天皇陵から伏見城や北堀公園を巡って上板橋通りを歩く散歩コースのついでに紅葉を楽しむにはいいかもしれませんが、わざわざ遠くから紅葉の名所として伏見桃山まで来ることはないなと納得しました。新聞に載らないのも道理です。
 観光客を呼ぶくらいの名所を今からつくるとしたら、やはり伏見城かなと思いました。私が歩いた日は、運動公園でプロ野球選手が少年野球の子どもたちに野球を指導していました。それで運動公園はいっぱいでした。駐車場も満車状態でした。しかし伏見城にはほとんど人がいませんでした。
 伏見城キャッスルランドあとを「伏見城御花畠山荘跡」の名にふさわしいような花の名所にしたらいいのになあというのが私の提案なのですが如何でしょうか?四季折々の花々が咲き競うような大庭園にしたらきっと名所になると思います。
 まず、桃山の名にふさわしいように桃の木をたくさん植える。秀吉の桜好きに合わせて桜並木を回廊のように植える。堀跡を復活してそこに花菖蒲や蓮を咲かせる。藤森に因んで数百メートルの藤棚を作る。伏見は椿の名所でもあるとのことですから椿を復活させる。そして紅葉の時期に合わせて紅葉を植える。
 その他ボタンなども咲かせたら、きっときれいでしょうね。北堀公園と運動公園そして桃山城全体をお花畑にするということ、どれくらいの予算でできるのかわかりませんが、伏見城跡を植物公園にというこの提案、京都市は真剣に考えてくれないかな。森林研究所と協力してできないのかなと、これまた素人の考えです。
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