伏見ぶらぶら4
伏見人形 |
天下に有名な伏見人形は 稲荷山の植土を以て造った最も古い郷土玩具であります。 全国で九十余種以上ある土人形のなかで、伏見人形の系統をひかないものはないといはれるほど我が国土人形の元祖であり、民俗的な美しさを誇っています。即ちその起源はむかしむかし土師部(はじべ・土でいろいろなものを造る人)は歴史に名高い野見宿称(ノミノスクネ)の後裔にあたる土師氏が統轄して土器を造っておりました。垂仁天皇の時代に朝廷より土師職に任命されまして、伏見深草の里に住んで土器、土偶(土人形)を創りだし茲に生まれたのが伏見人形であります。稲荷大社の祭事に使われる耳土器をはじめ、お使い姫の狐や饅頭喰いチョロケン、玉、でんぽ等、お馴染み深いものなど現在残っている原型、土型は三千種余り、往事の風俗、伝説を人形に表現したものが殆どで着想の飄逸、奇抜、ユーモアに富んだ面白さ、豊かな味、そしてその一つ一つににじみでている庶民的な素朴さは外国の人々にまで親しみをもたれています。 一休禅師の歌に 西行も牛もおやまも何もかも 土に化けたる伏見人形 (六代目丹嘉窯元 大西重太郎商店解説より) |
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唐人人形(朝鮮通信使) |
◇鵤幸右衛門って?
伏見人形のことを調べようと思って伏見の中央図書館で本を探したらそれほどたくさんの本がないことが分かった。
私が借りた本は「伏見人形」(塩見青嵐著・昭和42年初版・平成14年第3版・稲山庵発行)…著者は伏見稲荷大社に奉職されていた方で、発行者は後で出てくる高畠商店の故高畠喜兵衛氏である。
もう一冊は「伏見人形」(平成4年・北原直喜著・日本郷土人形研究会発行)という本で、これは古伏見人形の魅力を伝えようという意図で作成された本で写真を中心に構成されている。
この2冊の本で全く扱いがちがうのが、「人形屋幸右衛門」という伏見人形の祖と呼ばれている人物についてである。前者は「天正八年」幸右衛門銘の入った人形を見つけたことを書いておられ、実在の人物として扱っておられる。ところが後者では、鵤幸右衛門について、(他東福寺開山堂布袋尊像・宝塔寺鬼子母神像・野見宿祢の話など)「如何にも愚かしい話で、当然いずれの話も伝説の域を出ず、いちいち検証するのも馬鹿らしいものである」と一蹴しておられる。
幸右衛門は江戸時代末芝居「敵討天下茶屋」や講談でも扱われた人物らしい。「紀伊郡史」「伏見誌」「工芸志科」という明治大正期の書物でもそういう人物の存在が記されている。現在も相当数の幸右衛門名の入った人形が存在しているそうであり、偽物が相当作られたようである。作者名を入れた伏見人形は他に類例が少ないようで、その真偽をを疑う声は大きいようである。
私はつい最近「深草を語る」(深草を語る会編著・2013深草記念会発行))という本を頂いた。この本では「実在の人物であるかどうかは、すこぶる疑問である」としながら「幸右衛門は、この深草焼きの素焼きの土人形に泥絵具を塗って更に美しい人形を作り、人々を喜ばせていたのではないか」とどちらとも言えない書き方をしておられて、地元としては実在であってほしいということかなと読んだ。
伏見人形の中には「幸右衛門型」と呼ばれている布袋さんや眷属さんがあるようで、幸右衛門の名が江戸時代から明治・大正までビッグネームとして扱われたことは確かなようだ。
◇伏見人形の店はなぜ衰退したのか
江戸時代末頃最盛期を迎えたと言われる伏見人形。そして今は丹嘉さん1軒が孤軍奮闘するだけになった伏見人形。
なぜなのでしょうか。
先の「伏見人形」(平成4年・北原直喜著・日本郷土人形研究会発行)に書かれていたもの箇条書きにして紹介します。なるほどと感心しながら読みました。
@生活様式や意識の変化、科学的な考え方の普及からくる信仰心の減退…人形の需要を支えていた精神的バックボーンの崩壊
A明治38年市電の開通、同43年今の京阪電車開通によって人の流れが変わり、伏見街道は瞬く間に寂れた
B物流機関が船から鉄道に変わったことによる変化 国鉄伏見稲荷駅は明治22年、ここから荷物が運ばれ出した
これは少し説明が必要である。伏見人形の大量生産を支えていたのは小売り消費地としての伏見稲荷周辺での販売だけではなかった。先の@Aは伏見稲荷周辺での売り上げに大影響があったであろうことが予想できる。しかし、もっと大きな影響があったのは、問屋を通じて全国へ売り出されていた伏見人形が奮わなくなったなのである。江戸時代から明治初め伏見港から淀川、安治川などを経て、全国各地へ北前船によって運ばれていた。この北前船は「下り荷一に対して上り荷十」と言われた。北前船は北からの荷物を上方へ持ってくるのが主目的で、大阪から出る下り船は経費さえ出ればというので伏見人形にとっては好都合であった。北前船の衰退と軌を一にするように明治30年代以降急激に廃れたのである。
それでも明治大正末頃までは細々ながら丹波や江州、紀州などに送られていた。
昭和にはいると世情不安定、不景気、戦争と続く中で窯元は次々廃業に追い込まれ、昭和16年の太平洋戦争勃発によって、丹嘉以外の窯の火は殆ど消えてしまった。
◇伏見人形の店変遷
伏見人形窯元・販売店分布図 (明治時代から昭和初期まで・図中の赤色は調査地) 丹嘉さんの先代は、伏見街道一の橋辺りから稲荷駅辺りまでの窯元40軒余と販売店10数軒を記憶されていたようです。2013年2月〜6月に行われた京都市考古資料館で行われた「伏見人形展」で、この地図が公開されていました。この伏見人形展は、新十条通り拡幅に伴って発掘が行われたときに、本町20丁目(窯元ふくち屋跡)の発掘調査結果を踏まえて企画されました。 ここから出た人形の土型から丹嘉さんが復元されたもの、丹嘉さんが所蔵されている原型や土型そして製品が展示されていました。今はこの丹嘉さんだけが伏見人形の伝統を伝えるお店と言っても過言ではありません。 土型の中に「綿治」銘の入った幕末明治初期の土型も発掘されました。 「綿治」さんは江戸時代からかなり後年まで人形作りをされたようですが、「ふくち屋」さんというのが私の調べた2つの本にはありません。 |
安政3年(1856)「本朝陶器攷証」(金森徳水)には
「…当時人形焼き物渡世ニ仕候者、二十七軒有之候名前左に
住 所 | 店 名 | 住 所 | 店 名 |
伏見街道十丁目 | 松葉屋平七 | 東福寺門前三正寺寺町 | 北国屋八兵衛 |
同通一ノ橋下ル町 | 丹波屋亀助 | 同町 | 紀伊国屋弥兵衛 |
同通二ノ橋上ル町 | 富士屋忠兵衛 | 同門前下井町 | 大黒屋弥兵衛 |
同町 | 紀伊国屋伊助 | 同門前阿保町 | 美濃屋茂八 |
東福寺門前田中町 | 綿谷治兵衛 | 同門前下井町 | 丹波屋嘉助 |
同町 | 菊屋与兵衛 | 伏見黒門下ル榎町 | 亀屋喜助 |
同町 | 海老屋吉兵衛 | 同町 | 田中屋利兵衛 |
伏見稲荷前中之町 | 丹波屋宇兵衛 | 同町 | 菱屋宇兵衛 |
同町 | 鍋屋嘉兵衛 | 同町 | 山城屋利兵衛 |
同町 | 遠江屋彦兵衛 | 同町 | 丹波屋七左ェ門 |
同町 | 加賀屋清三郎 | 同町 | 麹屋岩吉 |
同町 | 菱屋清次郎 | 同町 | 鍵屋善助 |
同町 | 鍵屋伊兵衛 | 同町 | 割松屋庄兵衛 |
同町 | 丸屋善兵衛 |
右之者共土人形其外焼物渡世ニ罷在候得共、暫三代相続之者共斗リニテ、云々…」
これは「伏見人形」(平成4年・北原直喜著・日本郷土人形研究会発行)に書かれていた。続いて以下のように書かれている。
「丹波屋亀助は丹亀と呼ばれ欽古堂亀祐の店、富士屋忠兵衛は富士忠こと清水茂吉の家、綿谷治兵衛は綿治・中村治兵衛家、丹波屋嘉助は丹嘉・大西重太郎家、菱屋宇兵衛は菱平・上田平次郎家、割松屋庄兵衛は高木家を経て大西チク家である」
「伏見人形」(塩見青嵐著)に書かれていたのは
大西新太郎(丹嘉) | 中村治兵衛(綿治) | 清水茂吉(藤忠) | 上田安治郎(菱屋) | 大石チク(割松屋) |
森川誠次郎(加賀屋) | 西野梢馬 | 水島熊次郎 | 奥村万次郎 | 木村(富士屋) |
保寿庵 | 尾崎商店 | 高平商店 |
この記録が何時の時代のもので、資料の典拠が示されていないので分かりかねるが、こんな文脈の中で使われている。「しかるに幕末から明治にかけてだんだんと衰え、家業を続けいる者は左の十数軒に過ぎない」と書かれた次に上の店の名前が挙がっている。
そして、「昭和初期にはようやく3,4軒残るのみとなり、しかも現在(昭和42年執筆当時か)はわずか2軒(丹嘉と菱屋)となってしまった」と書かれている。
落語「三十石夢の通い路」と伏見人形
上方落語「三十石夢の通い路」に出てくる伏見街道筋の伏見人形店の賑わいは現在の伏見稲荷参道や裏参道あたりの風景と思われます。この落語では江戸時代土産は伏見人形が定番だったことが語られます。まんじゅくい、西行人形、寝牛、虚無僧人形などが出てきます。参照『三十石夢の通い路』
京阪稲荷駅下車。伏見稲荷大社への道を行くと本町通(伏見街道)と交差します。稲荷名物「すずめ」や「うずら」の焼き鳥の店「祢ざめ屋」から北へ約10分。JR稲荷駅からだと、前の道が本町通りですからこれを北へ12分です。丹嘉のある場所は東山区で伏見区ではないのですがここが唯一現在伏見人形を制作販売しておられるお店です。
高畠商店は京阪電車から伏見稲荷大社への参道本町通を越えてすぐにある。おみやげもののお店である。この写真を撮ったのはもう1980年頃。店の一角、ショーウインドーの中に作品が展示され売られていた。表情など丹嘉のものと若干異なった。ご主人が伏見人形を作っておられた。
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