京都洛北石仏巡り

(1)岩倉の石仏たち

 岩倉といえば…岩倉具視、岩倉実相院ぐらいしか思い浮かびません。今は住宅地としての岩倉の方がなじみ深くなりました。
 岩倉はきっと磐座(いわくら)なんだろうなと想像します。石座神社がやはりありました。実相院のすぐ近くに。実相院の周辺にある石仏巡りから洛北は始めます。

(1)岩倉実相院の阿弥陀石仏
左京区岩倉上藏町121

 実相院に「今が見頃の『床緑』」というのがありました。何のこと?と思いましたが、感動いたしました。床にモミジの緑が映っているのです。これはなかなかの見物でした。よく磨かれた黒光りしている床に緑が映えておりました。こことは違う場所に赤い毛氈がひかれている場所があるのですがそこも全体が赤く光っていました。自然光の効果的な演出がある実相院です。庭の向こうに小さい五輪塔がいくつも見えます。
 この庭に石仏が何体かありました。
 実相院の客殿の縁から見える庭は、美しい砂利石が敷かれいくつかの石があります。その中に石仏がありました。花崗岩製の定印の阿弥陀如来像です。

(2)岩倉の目なし地蔵
左京区岩倉上藏町

 実相院の手前岩倉川がかかる赤い目なし橋のたもとにお堂があって「目なし地蔵」と言われている石仏があります。この石仏高さ1.22mの花崗岩に座高1mあまりの定印阿弥陀像が肉厚彫りしてあります。その側面に右側に弥勒仏、左側には地蔵菩薩像が彫られている。一石に三尊彫ってある石仏は岩倉にもう一体あります。鎌倉後期のものらしいです。

(3)岩倉三面石仏
左京区岩倉上藏町

 石座神社の鳥居のすぐ東側に覆堂があり、そこに岩倉の二つ目の三面石仏があります。「大日さん」と呼ばれているようです。
 高さ1.9m幅1.65m厚さ53cmある花崗岩製。光背形を彫り定印阿弥陀如来座像を厚肉彫りしたもので、美しい像です。さらに右側に十一面観音、左側に地蔵立像が彫られている三面石仏です。なぜこの三石仏なのか、比叡山がすぐ近くに見える岩倉の地は天台浄土教や天台密教の思想が反映した石仏のある場所のようです。
地蔵立像 十一面観音
この阿弥陀さんの顔を大きく撮ってみました。なかなか整った美しいお顔をしておられます。

(2)市原野の石仏たち

 昨年「深草の少将百夜通い」のページを作りました。その時に市原野に「小町寺」があることを知りました。「通小町」はこの市原野が舞台なのです。その時以来機会があればと思ってきたのですがやっとその機会になりました。市原野がなぜ「通小町」の舞台になったのか、それはやはり理由のあることで、この土地が葬送の地だったことと関係があるようです。葬送の地に石仏が多数あるのは当然のことになります。清水寺に「鳥辺野」のものと思われる石仏がたくさんあり、化野念仏寺にもたくさんあり、「市原野」にもたくさんあります。「・・野」という地名は葬送と関係があるようです。

(1)小町寺の石仏群
(左京区静市市原町)

 小町寺の墓地に並ぶ300体近い石仏群の中でも大きな仏たちです。室町・江戸時代のものが多いけれども中には鎌倉後期のものも含まれるようです。
 折角小町寺へ行ったのですから小野小町に関係するものを捜してみました。
 まず、「小野小町供養塔」がありました。これは鎌倉後期のもので、軸部に四面石仏が彫られています。
 続いて「深草少将通魂霊…」(…は読めませんでした)というものがありました。これは宝筐印塔です。
 本堂には、小野小町老衰像(奪衣婆)がありました。絶世の美女と言われた小野小町は無常観を象徴するためか、晩年老いさらばえた姿が強調されました。山科小野随心院にも老衰像がありました本堂には平安時代後期の阿弥陀三尊像も安置されていました。

(2)恵光寺の石仏群
(左京区静市市原町)

 小野寺の筋向かいに恵光寺はあります。鞍馬街道の両側にあるということになります。参道を登り右へ行きますと目指す石仏群がおられました。そのうち真ん中の三体が大きく立派です。
 真ん中の石仏は弥勒仏で、その左右に阿弥陀仏という配置です。中央の弥勒仏は1.5m花崗岩に舟形光背、おだやかで鎌倉後期の作と思われます。向かいの小野寺同様ここは死者葬送の地であり、墓寺です。

(3)松ヶ崎二体石仏
左京区松ヶ崎小脇町

 この仏さんたちと巡り会うのに何回も松ヶ崎大黒天界隈を行ったり来たりしました。結論的に言いますと、この仏さんたちに会うには、北山通りを少し南に行かなければ行けません。松ヶ崎大黒天(妙円寺)を出て少し西へそしてすぐ南へ曲がり車のタイヤなど商っておられるお店の所で、北山を越えるとすぐのところにありました。何回も行ったり来たりしましたので本当に感動いたしました。
 二体おられます。ひょっとしたら私宅の庭なのではないかと思われる場所におられます。花などが植えられ大切にお守りしておられるのが分かります。
 左側の一体は如来立象で、南北両時代の釈迦如来ではないかと言うことです。1.9m花崗岩蓮華座に立っておられます。
 右側、もう一体はこれも如来座像です。こちらは弥勒ではないかと思われます。1.3m花崗岩製。鎌倉後期の作品と思われます。後ろに倒れるような感じでおられます。もう少し立てた方が楽そうだなと思います。お顔が摩滅しているので「トロケた仏」と呼ばれているそうですが、もっとトロケてる仏ありますからその名前はお気の毒です。

(4)大徳寺の石仏

 一休禅師のお寺として、織田信長の葬式が行われた寺として、千利休と豊臣秀吉の因縁の寺として、大徳寺は洛北随一の規模の寺です。その大徳寺にたくさんの石仏があります。

(ア)地蔵宝塔仏(平康頼の塔)

 高さ1.37m、花崗岩製。地蔵立像を厚肉彫りする。下に蓮華座を設ける。地蔵は右手を下げる与願印を示す古式形地蔵尊。鎌倉後期の作。この地蔵像の背面に宝塔が彫られています。宝塔内に二石が彫られています。釈迦と多宝如来です。京都では、このような宝塔をあらわした二面石仏は嵯峨清涼寺にあります。法華経を重んずる天台宗の信仰につながるもののようです。
 平康頼は鹿ヶ谷の陰謀の時平氏討伐を企てた人物。俊寛そしてわが子である成経とともに鬼界ガ島に流された人物です。

(イ)千体地蔵塚

なぜこんなにたくさん?と思うぐらいたくさんの石仏があります。七百体近いそうです。室町・江戸時代のものが多いそうです。上の地蔵宝塔仏のすぐ近くにあります。

(ウ)芳春院石仏

大徳寺塔頭芳春院は前田利家妻まつゆかりのお寺です。この芳春院へ行く道に下のような現代風の石仏を見つけました。

(5)船岡山石仏
(北区船岡町船岡山)

(ア)阿弥陀磨崖仏

船岡山の西北面中腹に弘法大師爪彫り不動という磨崖仏があります。肉眼でかすかにそれらしいものが見えますが、この写真では、何がなにやら分かりません状態です。蓮台寺野を望む西方浄土信仰の阿弥陀仏です。船岡山北側,船岡公園入口から右手に折れて坂道200m行くとあります。幅1.15m 高さ33cm 蓮華座を設け 座高1,32mの定印阿弥陀磨崖仏です。室町以前かと思われます。

(イ)如意輪観音

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