西山光照寺石仏

一乗谷朝倉氏遺跡(福井県・特別史跡)を訪ねる

2004・1・4写真撮影
2004・1・6作成

 福井市の東南10kmにある一乗谷朝倉氏遺跡は、戦国時代の城下町がそのまま400年以上土に埋もれて残されてきたという遺跡です。当時万をくだらない人々が住んでいたであろうという城下町です。昭和46年に278haが特別史跡に指定されました。普通城下町だったところはその後も都道府県の県庁所在地になったり都市になるのでそのままの形で残ることは少ないと言えましょう。一乗谷は、朝倉義景が織田信長に攻め滅ぼされた後、だれもそこにお城を建てようと思わなかったおかげで残ったのです。確かに今でもえらい山の中にある遺跡です。

(1)西山光照寺跡

 この一乗谷の遺跡の中でも「西山光照寺跡」は谷のすぐ入り口にありました。何でも一乗谷には浄土真宗(一向宗)をのぞく仏教各派の寺院が40数か寺あったそうです。なぜ浄土真宗だけないのかといいますと、越前朝倉氏は、この一向宗徒との戦いに明けくれていたわけで、これだけは許せないというところだったのでしょう。この西山光照寺は何宗のお寺だったのか分かりませんがとにかくたくさんの石仏が覆家の中におられました。
 西山光照寺跡のイメージは大体つかんでいただけたでしょうか。すぐ近くに「一乗谷駅」(越美北線)がありました。福井から大野へ行く鉄道で時々蒸気機関車も走るようです。確かに蒸気機関車が走ったら似合う景色です。そして下の写真の「福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館」(入館料100円)があります。この資料館見応えがあります。1月4日でしたが開館していて、ここを見学していて最初に行きたくなったのが西山光照寺でした。

(2)西山光照寺跡石仏群

これらの石仏は笏谷石で出来ています。

@北側覆屋
A東側覆屋 B西側覆屋
C南側覆屋

心にのこった石仏たち

心にのこった石仏@不動明王像
心にのこった石仏たちA地蔵菩薩像
心にのこった石仏たちB

(3)朝倉館跡

 この館は第5代朝倉義景の住まいした所です。
 朝倉氏はもと兵庫県養父郡の武士でした。応仁の乱(1467〜77)の時にはじめ西軍に参加していましたが1471年に東軍に寝返り、ここ一乗谷へ居城を移したと言われています。
 戦国大名朝倉氏の戦いは3期に分けられるようです。@主家である越前守護斯波氏やその家臣甲斐氏との戦いの時期A一向宗徒との戦いB織田信長との戦いの3期です。
 初代と2代目が@の戦い。3代目がAの戦い。4代目が近江、山城へ出兵し、また京都や奈良の貴族僧侶をここ一乗谷へ招いたようです。そして5代目義景の時に室町幕府第15代将軍足利義昭を迎え歓待しますが、将軍を奉じて上洛することなく終わりました。
 1573年(天正元)刀根坂の戦いで織田信長軍に破れ、朝倉氏は滅亡、一乗谷は焼土と化したのです。

上の写真は江戸時代に建てられた西側の唐門です。
下はこの門側から見た館全体の模型です。

この城は三方を濠と土塁に囲まれています。その中に17棟の建物があったそうです。俯瞰した写真、地図そして濠と石垣です。

義景の墓と石仏
明治時代に造られた墓が館の中にありました。

特別名勝室町末期庭園3つ

朝倉館跡庭園 湯殿跡庭園 諏訪館跡庭園
現在も発掘が続いているようでした。
そして、この他にも武家屋敷、町屋、寺院跡などが発掘されていて、その一部は復元されています。しかし私が行った1月4日はお休みでした。少し覗いた写真です。
出土遺物は分かりやすく『福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館』に整理展示されていました。武器・仏具・陶器・茶道具・将棋の駒などの遊戯具など当時の生活を伺える出土品の数々です。

武家屋敷跡

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