胴乱の幸助

柳馬場押小路虎石町西詰

あらすじ

 ケンカの仲裁だけが唯一の道楽という『わりきやのおっさん・幸助さん』が主人公。  その幸助さん、浄瑠璃の稽古屋の前を通りかかると、中では『桂川連理柵〜帯屋の段』という有名な(と言っても私も知らなかった)お半長右衛門の心中ものの稽古の真っ最中。のぞいている一人が「この芝居の嫁いじめくらいえげつないのはおまへん」と言うた『嫁いじめ』ということばが幸助さんの耳に入ったからたまりません。さっそくその住所を聞き出します。もちろん有名な浄瑠璃とは知らずに。 
 それが、『柳馬場押小路虎石町の西詰』。
 そして、やってきました、京都の町。目指すは『柳馬場押小路虎石町の西詰の帯屋』。まんの悪いことに偶然そこに帯屋があったそうです。幸助と番頭のちぐはぐなやりとり。そのうち番頭がお半長だと気付く。「お半も長右衛門もとうに桂川で心中しましたがな」に、わりきやの幸助さん、「しもた、汽車で来たらよかった」
 ちなみに幸助さんは三十石船で淀川をのぼってきたのでした。
虎石町の町内案内

『柳馬場押小路虎石町の西詰』の今

柳馬場押小路虎石町西にあるIかまぼこ店  京都では有名な茨木屋というかまぼこやさんのあるところが虎石町でした。虎石町という名前のついているもの探してみました。ありました。 ガレージの名前と昔の古い町内の案内板。

お半の過去帳のあるお寺がある!

 御池通にお半の過去帳が残っているというお寺がありました。名前は明福寺です。でもどういうわけか長右衛門のものはないようです。このお寺一中節の創設者にも関係があるそうです。

お半長のお墓発見!

 これはたまたまなのです。見つけました。お半長右衛門の墓。所は誓願寺の墓所。安楽庵策伝の墓を探しに行ったらお半長右衛門の墓がありました。心中した二人のお墓はいっしょのところにありました。そしてその墓を大事に守っておられるのではないかと思われる方が先ほど紹介した虎石町にある京都の有名なIかもぼこやさんでした。
 「何でお半長の墓があるんですか?」と寺で尋ねましたが「さあ、なんでですやろ。」という返事でした。誓願寺は新京極六角です。墓所はその誓願寺で許可を得なければ参拝できません。墓所はすぐ近くです。その墓所には山脇東洋(杉田玄白よりも前に人体の解剖をした蘭学者)や先ほどの安楽庵策伝の墓もありました。(詳しくは誓願寺と策伝の項で)
お半長右衛門の墓
 

2,「三十石夢の通い路」へ

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