鞍馬寺仁王門(明治44年再建) |
□あらすじうたたねをしている亭主の顔を見てると、難しい顔をしたりニターッと笑ったり、怖い顔したりしている。女房が起こして、「どんな夢見てたのか」尋ねると、「夢は見てない」という。「女房にも言えへんような夢見てたのか」とケンカになる。そこへ、隣の男が仲裁に入り、女房を外へ出した後、「ほんまはどんな夢を?」と尋ねる。亭主は「見てない」というが信じてくれず、ケンカになる。 そこへ、家主があらわれ、同じように「言え」「見てない」になる。「家をあける」「あけない」の話に発展して、西の町奉行所のお世話になる。 そこでも奉行に責められ、とうとう松の木につり下げられる。 そこへ一陣の風が吹き、気がつくと鞍馬山の奥、僧正ガ谷の大天狗がいる。その大天狗も「わしは聞きとうはないが・・・」と責められとうとう八つ裂きの目にあいかけたところで、「ちょっとあんた、起きなはれ」と女房に起こされる。 |
鞍馬寺の奉納絵馬の天狗 |
鞍馬寺僧正ガ谷にある不動堂。謡曲「鞍馬天狗」の舞台。 |
謡曲「鞍馬天狗」は、源義経幼時の武勇説話を現代風に脚色した曲である。
鞍馬山東谷の僧が、西谷の花見の招きを受けて修行中の稚児平家の公達や牛若丸を連れて出かけたが、見知らぬ山伏が来たので気を悪くして帰ってしまった。ただ一人残っている牛若丸の素性を知り憐れんだ山伏は諸所の花の名所を案内し「自分は大天狗である。平家討滅の望みの達せられるように兵法を授けよう」といい、翌日からのはげしい修行の末、約束の如く兵法を授け再会を約して大天狗は立ち去ったという豪壮な物語である。
僧正ガ谷は牛若丸が天狗僧正坊から武芸を習った処で、老杉高く聳え、巨根地を這って昼なお暗く神秘性をただよわせている。(「謡曲史跡保存会」の案内板)
昼なお暗いところ。不動堂の向かい側に義経堂があり、大きな杉が何本もある。 ここで、義経は天狗大僧正から武芸を習ったという。 |
義経の名前は鞍馬寺で何カ所も出てくる。
鬼一法眼社 鬼一方眼は牛若丸に「六韜三略(りくとうさんりゃく)」を授けた武芸の達人で堀川一条に住んでいた陰陽師といわれている。 |
義経公供養塔 供養塔のある場所東光坊跡で、牛若丸が7歳から10年間住んでいた所だという。ここから不動堂まで毎日通ったらしいが、約1.5キロ、かなりきつい山道であり息次ぎの水などというのもある。 |
アラベスク模様の木の根道 義経はこれを除ける練習をしたと いうのだが・・・。 鞍馬寺表参道は、 清少納言が「枕草子」で 「近こうて遠きもの、くらまのつづらおり (九十九折)という道」と評している。 |
義経公背比べ石 奥州へ下る牛若丸は鞍馬山と名残を惜しんでこの石を背比べをしたという。私の肩ぐらいの高さの石ですから、130pぐらいかな。義経は背が低かったというのは本当かなと思わせる。 |
由岐神社の創建は天慶3年(940)。
10月22日の鞍馬の火祭で有名な神社。
現在は鞍馬の町の氏神だが、元は鞍馬寺の鎮守社であった。
由岐神社荷拝殿(にないはいでん) 重要文化財 豊臣秀頼の再建(1610年) 参道の石段で左右に分かれる。 |
由岐神社天然記念物の杉 昭和58年京都市指定天然記念物 京都市内でも有数の大きさで、拝殿建築時に植えられたものらしい。 |
鞍馬の火祭に使われる神楽松など | 由岐神社狛犬・重要文化財 |