近畿作文の会大会を終えて |
小宮山 繁(近畿作文の会会長・京都) |
2011・6・1作成 |
まず第二十一回近畿作文の会滋賀大会を成功裏に終了できたことを喜びたいと思います。 今年の大会は、八月に日本作文の会大会を控えたプレ集会という位置づけのもと行われました。そして日本作文の会合宿研究会を兼ねておりました。近畿の仲間とは普段通りの私たちの研究会スタイルでやろうと意思統一しておりました。そのことが全国の仲間からどのように映ったか、ぜひ感想を聞かせてもらえたらと思っています。 日本作文の会のプレ集会という位置づけの近畿作文の会大会はこれで四回目になります。最初は大阪(一九九〇)で、二回目は京都(二0〇〇)で、三回目は大阪(二0〇八)で、そして四回目が滋賀(二0一0)ということになります。 近畿作文の会発足当時のことを何かに書き残しておく必要があると思いますので書きます。 私たちの近畿作文の会は最初「近畿生活綴方教育サークル連絡協議会」という名称でした。初めから「近畿作文の会」では無理だろうと判断していたのです。それぞれの独自性を大切にする必要があると思っておりました。大会を重ねる課程でもう「近畿作文の会」でもよいだろうということで発展的に名称変更しました。 近畿を統合する形の生活綴方サークルが必要だと私たちが考えたのは日本の生活綴方運動が、戦後すぐの興隆期を経て、六十二年度活動方針以後四分五裂していることへの懸念でありました。近畿でまず同じテーブルについて生活綴方を語り合おうではないか、そのことが日本の生活綴方運動の前進に必ず寄与するだろう、そのためには「大同団結」の旗を高く掲げていこうというのが私たち京都の考えであったわけです。 近畿のサークルが集まれた直接的な要因は大きく三つあると考えています。一つは日本作文の会に結集しているサークルがあったことです。(滋賀・京都・奈良・兵庫) 二つめは同授研運動でのつながりです。故佐古田好一氏(京都綴方の会初代会長・同授研事務局長)を通じて同授研の集会などで「なにわ作文の会」や「滋賀作文の会」「紀南作文の会」(和歌山)とのつながりがありました。 三つ目は東海近畿サークル合同集会「生活綴方分科会」でのつながりでした。この研究会では恵那「大阪綴方の会」京都・奈良も同じテーブルで研究会を重ねておりました。 私たち京都は「大阪綴方の会」や「なにわ作文の会」が日本作文の会との関係を完全に絶っていることは不幸以外のなにものでもないと思っておりました。何とか大阪の仲間に日本作文の会へ合流してもらう機会を作ろう、それが日本の生活綴方教育をより豊かにする、それができるのは京都だけだと密かに自負しておりました。 自負は立派ですが、私たち京都には近畿全体をリードするだけの理論も実践もありませんでした。サークルの歴史の浅い新参者でした。今現在大阪もなにわも奈良も兵庫も滋賀もサークルの歴史は六十年を超えます。しかし私たちはわずか四十年に足りないのです。私たちが呼びかけても鼻であしらわれるかもしれないと私は思っておりました。 しかしとにかくやってみようということで、故岡本博文氏に呼びかけ人になっていただき会議を数回行って、近畿生活綴方教育連絡協議会が発足したのが一九八八年のことでした。会長のいない会でした。事務局は必要だろうと言うことで小宮山が担当することになりました。 そして翌年第一回近畿作文教育研究大会を奈良教育大学で開催しました。奈良作文の会の大奮闘のおかげで近畿各地から四百人近くの人たちが集まりました。 その翌年日本作文の会大阪大会が開催されます。大阪の仲間と日本作文の会とのパイプが少し開いた大会でした。 その後も紆余曲折はありますが、「生活綴方運動の大同団結」「生活綴方このよきものを広げる」という近畿作文の会の活動はそれなりの成果をあげてきたと言えます。 とにかく今年夏の滋賀大会を成功させる。そのために近畿が協力する。その機運は高まっています。 |
題 名 | 発表年月日 | 発表雑誌・発表研究会など |
確信をもって進めよう綴方・作文教育 | 2010・8・5 | 第59回日本作文の会滋賀大会基調提案 |
近畿作文の会大会を終えて | 2010・6・1 | 日本作文の会会員通信 |
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