確信をもってすすめよう生活綴方(作文)教育 (大会参加のみなさまへ) |
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小宮山 繁(日本作文の会常任委員会副委員長) | |||||||||
第59回日本作文の会滋賀大会(2010・8・5木)基調提案 この原稿の一部が2011日本作文の会編月刊雑誌「作文と教育」3月号に掲載されます。 |
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大会参加のみなさん、ようこそ滋賀大会へお越し下さいました。御礼申し上げます。 今日から三日間、この滋賀大会を始めるにあたりましてその基調提案をいたします。 私がこの報告で申し上げたいことの第一は、子どもが今おかれている生きづらさや困難について、そして今教師が迷っていることや悩んでいることの深刻さについてであります。 第二はそれに対して生活綴方教育は本来どのような教育活動であり、この現状をどう切り開く可能性のある教育実践なのかを明らかにすることであります。私の役割は参加者のみなさんに日本の生活綴方教育が「安心と希望」につながる仕事であることを感じとってもらえる話をすることだと思っています。 お手許の袋の中の「確信をもってすすめよう生活綴方(作文)教育」をご覧いただきながらお聞き下さい。なおこの中にいっぱい間違いがございます。訂正が数カ所なら申し上げるのですが、あまりにその数が多く訂正をしているだけで私がいただいた40分という時間が無くなりそうですので訂正をいたしませんのでよろしくお願いいたします。 言いたいことがいっぱいございますので先を急ぎたいと思います。 まず、日本作文の会が編集しました学年別児童詩集が発行されました。その中から子どもの詩を数点紹介しながら、子どもの今おかれている状況について話をいたします。 T、教師受難の時代と子どもの生きにくさ 1、子どもの生きにくさとしての行動
「わたしだってあまえたい」「わたしだってだっこしてほしい」だれだって「かわいがってほしい」「認めてほしい」「愛してほしい」のです。木村さんは、それを正直に綴っています。
しかしどうでしょう。最後の二行を読んで「そうか、そうか心の中では大きな声で歌っていたのか」とうれしくなります。生意気で無気力に見える子どもたちの言動の裏で、心の中の元気な歌声が、私たちに「子どもはすてたものではない」という安心感を与えてくれる詩です。 今子どもたちは「周囲への気づかい」の中で大変不自由にしか生きられないのです。楽しい正直な気持ちそのままの行動がとれないのです。
今4つの詩を例に挙げて子どもの生きにくさが、子どものかなり心の深いところに蓄積されているということを言いました。そして子どもたちはそのイライラやむかつきを次にあげるような行動にして表しているのです。 @子どもの暴言と暴力 Aいじめ問題 B不登校とひきこもり 子どもたちの攻撃性は外と内に向かいます。年間6万件を超え過去最高になった暴力行為、相変わらず深刻ないじめ問題はその攻撃性が周りにいる教師や教室の中の友だちに向かったものです。内にむかう攻撃性は不登校・引きこもりとして相変わらず深刻な状況です。 最近明らかになってきた学習障害や高機能自閉の子どもたち発達上の課題をもつ子の問題は、私たちの子ども理解を前進させるという点で大きく役立っていると言えますが、未だその対応に戸惑いがあったり、クラスの中での比率の多さに悲鳴が上がっているのが現状です。 そして、この子どもの深刻な生きにくさの根底にあるのは、日本社会の格差貧困の問題です。失業、就労不安定な家庭の問題、そこから家族崩壊、子育て放棄の問題、さらに児童虐待…こういう問題を教科書の入ったランドセルとともに背負って子どもたちは登校してくるのです。 2、「もうやってられるか教師なんか」という時代 では、こういう子どもたちの現状に対して私たち教師の現状はどうでしょうか。 本来子どもに変化がみられるときは、私たちの子ども観や教育観を鍛え深化させるチャンスでもあるのです。まさに「はじめに子どもありき」で対応するしかないのです。 このサイクルが正常ならよいのですが、今はそれぞれの問題がエスカレートしそれを解決できない教師の責任が問われ教師が追いつめられ、指導力不足教員というレッテルを貼られ、精神を病んだり職場を離れざるをえなくなったりしているのです。 今私たち教師に「もうやってられるか教師なんか」という気分が蔓延していることは決して望ましいことではありません。 私たち教師の現状について、つい最近朝日新聞が「いま、先生は」という特集を組みました。 その記事を見てみましょう。
U、学習指導要領・新教科書と作文教育 @新教科書の「書くこと」は 次に作文教育の現状について論を進めたいと思います。 新教科書については「作文と教育」9月号が特集を組みます。ぜひそれでお確かめいただきたいのですが、ここでは京都の浅尾さんの論文で学んだことを書きましたので参考にしてください。新教科書とどのようにお付き合いしたらよいかを提言しておられます。 A井上一郎氏の推薦する作文とは その教科書編集のもとになっている「学習指導要領」には「書くこと」はありますが『作文』がありません。指導要領改訂の際に主導的な役割を果たしたと言われている研究者の方は「生活を書かせることに意味はないし、子どもを賢くすることはない」「生活を書くことで、書く力はのびない」と各地で断言しておられる方です。その方の推奨する実践から生まれた作品をみることで、私たちの生活綴方(作文)教育との違いをお話ししたいと思います。
「テーマ」や「段落相互の関係」を云々するまえに、言葉・表現の虚実を問うべきでしょう。 実際に言ってもらった言葉があるのであれば、その言葉をかけられた、ある日の体験を具体的に書けばよいのです。それを書かないで、実際との関係が曖昧で、態度も曖昧な「・・・と思います。・・・と思っています。・・・と思っています。」ばかりでは、文章も空虚です。 「生活を書くことに意味がない」といって、生活体験を書かないで、段落相互の関係を云々しても、言葉・表現が虚しいものにしかなりません。 *野名龍二「綴方・作文教育の意味と今日の課題」(2009)より B「生活を綴る」ことこそ 私は夏目漱石が語ったという次のことばを味わいたいものだとつくづく思っています。 「少年時代の文章は…生半可なことを分かりもしないで書き立てるよりも、自分の思ったこと、感じたことを、すなおに、正直に書くのが一番好い。文章の練習としてはそれが一番である。」(夏目漱石)「文章のみがき方」(辰濃和男岩波新書2007年)より V、生活綴方教育における子ども観と実践課題 私たちの生活綴方教育は、子ども観・子ども論を抜きには成り立たない仕事です。ここを鍛えながら前へ前へと仕事が進められてきました。 その中で資料に紹介した田宮輝夫と村山士郎のまとめは、その集大成的な意味合いをもっています。 ■田宮輝夫と村山士郎のまとめ *田宮輝夫「生活綴方と学級づくり」 (1987・百合出版) ○一人ひとりの子どもを固有名詞でとらえる ○生活者としてとらえる ○集団の中のひとりとしてとらえる ○発達可能体としてとらえる ○内面をとらえる *村山士郎「現代の子どもと生活綴方実践」 (2007発行・1999長野大会) @子どもを生活においてとらえる A子どもの表現から内面の波動を読みとろうとする B子どものあるがままを受けとめる C発達上の困難をバネにして、その子に内在する発達力にはたらきかけていく D最も困難を抱えている子どもを大切に これについてくわしくはふれている余裕がないので、あとの実践紹介のところで具体的な実践がこのまとめを具体化しているとお受け取り下さるようお願いします。 そして、現代の実践課題を考える上で示唆に富むことを氏岡真弓さんが書いておられましたのでそれを紹介したいと思います。 ■氏岡真弓「社会のきしむ音が聞こえる〜暴力行為6万件の背後にあるもの〜」より 「作文と教育」2010・7月号より 「いじめと校内暴力と不登校。現象は違うが、三つのねっこにあるのは、子どもたちのイライラ、むかつき、不安感、抑圧感であり、そこから生まれる攻撃性は、ますます高まっていると見るべきだろう。」 「十年あまり前に指摘されていた『新しい荒れ』が拡大し、件数が増えていると見てよいのではなかろうか。『新しい荒れ』はもはや新しくないのだ。」 「こうした特徴の多くは、特別支援を必要とする子にもあてはまる。「新しい荒れ」はもはや新しくないのだと思う。」 「家庭は「ハウス」であっても安心できる場所である「ホーム」になっていないのは、大人も同様のようなのだ。家庭が安心できる居場所になっていないとするなら、学校がその場にならなければならない。そこで子どもたちはどうやって人と人がむすびつくのかを体験しながら育っていってほしいと思う。」 「最後に書いておきたいのだが、子どもたちが文を書くことの大切さだ。人と人の関係がバラバラになっているいま、たとえ読み手が教師ひとりであっても、子どもが心の内にいるもう一人の自分を見つめ、ありのままの気持ちをつづることの意味は重い。 誤解を恐れずに言えば、今最も大切なのは、文章という結果ではなく、子どもが自分の内面と向き合い、考えるという行為であり、誰かに受けとめてもらえるという経験そのものではないか、そして、子どもを指導するのではなく、伴走する人間としての教師が求められているのではないか。そう私は思っている。」 W、安心と希望につながる生活綴方(作文)教育 さらに論を進めます。この氏岡さんの提起に応える意味を込めて、私が生活綴方教育から学んできたことを紹介しながら、この教育が安心と希望につながる教育であることをお話ししたいと思います。 今日私は一番言いたいところです。 ちょっと目を開けてしっかり聞いていただきたいと思います。 ■その一、教師として、人間として愚直に生きる 奈良の谷山清先生が「古都のいぶき」「継承し発展させてほしいーわたしの教育史Uー」という二冊の本をお送り下さいました。ご存じの通り谷山先生は第一回中津川大会から日本作文の会とともに歩んでこられた方です。 現職中は作文教育、歴史教育、授業のありようなどについて発言を続けられ、退職されてからは奈良の児童文詩集「学びの園」を発行し続けられました。そして今も平和運動に精力的に取り組んでおられます。 谷山先生の著作の中で私が一番心惹かれたのは、新任で赴任された奈良県生駒郡平群西小学校での実践でした。「六十二人の子どもたちと」と題されたその実践記録はまだ生活綴方に出会われていない頃のお仕事です。軍国少年・青年として育たれた谷山先生が日本の敗戦をへて、復員されてお勤めになった学校での話なのです。 このクラスの六十二人の内訳がなかなかのもので落第生三名、長期欠席十人あまり、大阪からの疎開児童十四人で、毎日十人ぐらいは欠席です。毎日学校には来ているけれど学力が極端に低く後れている子がこの他に三、四名いたというのですからまあすざまじいと言えます。 「先生、こんな子ほっときなはれ、めったに来いしまへん。親がよこす気あらしません。家へいってもむだですわ」 と同僚の先生に言われた若き谷山先生は、「カッとして」(こんなことが許されていいのか、小学生の落第生、聞いたこともない。おれのクラスにこんな子がそのままにされてもいいのか。おれはなんとかするぞ)と決意して行動を起こします。 家庭訪問してもはかばかしい結果にならなかった先生は、村の路地に出没します。子どもたちと遊ぶことにしたのです。メンコやビー玉で認められた谷山先生は、自分の宿直の日曜日に学校へ遊びに来るように誘います。 この時の彼らが現れる様子や「チャンバラ」しながら教室へ入る様子は大変感動的です。 彼らが学校へ来たら来たで、それは大変なことでしょう。このあと彼らの学力を保障するための取り組みの他に、家畜を飼ったり、畑を作ったり、排水工事をしたりそれこそ「無我夢中」(という小題がついています)の仕事が続くのです。 このあと生活綴方教育に出会われた先生は「これだけは離すまい」という著書名通りの教師人生を全うされました。 私は生活綴方教師の愚直なそして熱い心を谷山先生に見ております。私たちの生活綴方教育というのは、こういう情熱に溢れた良心的な教師たちの後に続くものなのです。 ■その二、子ども観を鍛える生活綴方 「そんな尻ふったぐらいで子どもは変わらんわな」 「かえるの学級」「綴方教育論」の著者大阪綴方の会野名龍二先生が私の仕事の感想で言った唯一の言葉でした。えっ?と思いましたが私の実践報告に対して他には何も論評をされませんでした。 同じ時に報告した人には 「あんた、この子らきらいか」 「いいえ、好きです」 「ほんならなんでそんな子どもの悪口ばっかりいうの。あれができひん、これができひん。子どもの悪口ばっかりや」 と言われていました。 野名先生は「厳しい現実」とか何とかいう前書きを述べてから自分がいかにもそれを変えたかのような仕事は子どもに対する愛情が足りない不遜な実践だとそれは手厳しかったのです。 作品を読む力にもおそれ入りました。虚実を見抜く力、子どもの命輝いているところを瞬時に見つけ指摘されました。どうすればこういう力が身に付くのかと思いました。 最近なにわ作文の会の若い人たちの実践が続けて「作文と教育」誌上で紹介されています。例えば佐藤寛幸さんの「オレのこと怒鳴ってもムダやからな 浩二くんと関わった一年間」や山口文洋さんや太田久美子さんの「若手先生、走る」でのお仕事、などです。 読ませていただくと、サークルでの学びが自分を支えているいると書かれています。それは先に紹介した久富先生の指摘「教師の職場集団づくりと職場外の仲間づくり」につながることで、作文の会のサークルが「若い教師を育てる」機能を発揮している例です。 子どもの可能性を信じること、子どもの自己教育力を信じること、子どもを愛おしい希望として育てていくこと、私たちの生活綴方はこのことを前提とした教育実践です。 私たちには、今まで積み重ねられ鍛えられてきた「子ども観」があります。それを惜しみなく若い方々に伝えながら、ともに育っていく生活綴方運動を各地で展開しようではありませんか。 ■その三、子どもを安心の世界に誘う生活綴方 北海道の太田一徹さんのお仕事を「子どもの心を受けとめたい」(「作文と教育」2010・4〜6月号)で読ませていただきました。太田先生の子どもへの接近の仕方が実に柔らかくて優しくていいのです。 さあ、みんなでオニごっこしようとはじめたら 「わたしオニごっこをしたくない」と泣きながら言う一年生の里恵さん。 こりゃあたいへんだぞ。今の一年生は、みんなと遊ぶこともできないんだ。と思ったそうですが、そのあとが素晴らしいと思いました。この子は六月にはみんなと遊ぶようになるのですが、先生はこのようにとらえています。 「彼女は『オニごっこをしたくない』と自己主張をし、「参加しない」という関わりを持ち、次に、遊んでいるみんなを『見ている』という形で関わり、そして最後に、『自分も遊びに入り直接みんなと関わる』という、ていねいな道順を通ったのかもしれません。」と書き、「子どもを一面的に見てはいけない、持ち味や道筋の違いはあれ、どの子にも成長への願いと可能性があるのだと強く感じました」と結んでおられます。 すぐ電車や地下鉄に乗ってしまう政也君くんのことをこのように書いておられます。 「政也君は、どうしてなのか電車や地下鉄に乗ってしまうのです。暗い夜の世界で遊んでみたくなる。それは本人には説明のできないことなのです。ただ、自分の気持ちがわかってくれる人には心を開き、その言葉を受けとめることができるのです。そこに回路が生まれたのではないでしょうか。そこに信頼という水が流れ始め、広がるなかで、自分の中に周りの人や友だちが存在する場所ができるようになったのだと思うのです」 そして、お仕事のまとめをこういう言葉で締めくくられています。「いつの時代も、今を生きる子どもたちは、やはりその生活を背負って生きているのでしょう。私たちにできることは、子どもたちの生活や思いを受けとめて一緒にその時を生きる(過ごす)ことくらいなのかもしれません。」 この控えめな感想に心が動きました。太田さんのクラスの子どもたちはきっと安心の世界で居心地よく過ごしているのだと感じました。こういう安心感を子どもたちに保障したいと思うのです。太田さんが指摘する通り「速く」「強く」「正しく(できる」が求められる今の時代、子どもが無理によい子を演じなくても、ありのままの自分が出せるような教室にぜひしたいものです。 ■その四、綴方の仕事には希望がある一 同じ北海道の中学校の先生鈴木哲実さんのお仕事を「自分を裸にする」(「作文と教育」2010・1月号)で読ませてもらいました。鈴木さんは最近の子どもたちの書くものはだれかに向かって書くのではなく、自分に向かっていると感じておられます。そして紹介されている作品はこういうものです。そして先生の記録が続きます。 班ノートから 中三 菊池 謙吾 今の母が母になったのは、小六の夏だった。その日から一緒に暮らし始めた。一緒に暮らしているのに「母さん」って呼べなかった。恥ずかしかったのもあった。母も母で「君」づけで呼ぶ。母との距離は縮まらない。 そのまま、約一年が過ぎた。 それからは、離れて暮らすようになり、母とは会わなくなっていた。距離がだんだん広くなっていくような気がした。 中学に入ってから、たまに遊びに行く。たった二日や三日だけ。何も話すことができない日もあった。 そして今。たまにだけど、連絡を取り合っている。 受験の日、メールが届いた。 「今日、受験でしょう?落ち着いてがんばって。ファイト。浦河の母より」 うれしかった。言葉に出来ないくらいうれしかった。やるぞって気にもなった。心配してくれている、ということが分かったから。 そのメールの返事は返せなかった。メールでいくら「ありがとう」って言っても、口で言えないと意味がない。だから返さなかった。 そうは言っても、メールで伝えることが出来ても口で伝えられるようにならない限り、返事は送らない。 近いうちに会うと思う。だから、その時絶対言う。 「メールうれしかったよ。ありがとう」 って。それに、母親は一人しかいないんだもんね。離れる前に伝えておこう。言わなきゃ…。 入試も終了し、卒業間際のノートである。これもまた、書くことで自分を確認している文章である。 卒業式の日、私は筆者と一緒に筆者の母の入院先を訪れた。病室には筆者だけを向かわせた。手に花束を持っていた。しかし、ものの二〜三分後に、くすぐったそうな顔をしながら筆者は戻ってきた。前述の作文が掲載された学級通信と花束を渡し、「ありがとう」のことばを伝えた、と彼は言った。 数日後、学校を卒業した彼に町で会った。彼は言う。 「母さん、あの通信、何回も何回も読んだって…」。 近頃の中学生は書かないのではないかと私は思ってきました。しかし書いています。見事に書いています。これが希望でなくて何であろうかと私は思っています。 遠藤芳男さんが詩記録「卒業 高校生に詩を書かせた先生」という本を出版されました。先生は埼玉の定時制高校の先生でした。このように書かれています。 「平成の定時制高校には厳しい現実がある。職につきたくともつけない生徒、十五才ではアルバイトもない。小中学校の学力優先のいびつな教育の中で受けたイジメが原因の不登校生徒。親のネグレクトやおとなの都合による離婚の犠牲になった生徒たち。さまざまな理由での高校中退者生徒。懸命に生きる有職青年ひとことでは言えないほど多様な生徒たちが学んでいる」 この人たちは「口に出しては言えない叫びで彼らの胸がいっぱいになっている」と言うのです。 きっとそうであろうことは想像がつきますが、高校で「○字でまとめよ」的な回答文しか指導されたことのない私は、高校で生活綴方実践がなされていることに感動するのです。 いくつも感動的な作品はありますが、私は不幸な家庭環境のために母親や弟妹といっしょに暮らせず、病気になっても保険証がないために病院に行けないというMさんのこの詩が気になりました。
■その五、綴方の仕事には希望がある二 高知の浦木秀雄先生の実践記録「命のふるえによりそいながら さとちゃん」(2010・2月号)と・「命のふるえによりそいながら 本質のところでたくし君のねがいにせまる」(3月号)は感動して読みました。 このお仕事では記録の一文一文に生活綴方教育の知恵と精神が反映していると思いました。 クラスに理由はそれぞれでしょうがなかなか集団に入れない子がいます。家庭環境からさみしさをかかえ、暴力を振るったり、孤立したりします。学力に問題があったりもします。友だちから認めてもらえない子もいます。 私たち教師はそういう子にクラスが居心地よい場所になって仲間からも認められるようにという願いを持ちます。しかしそれが必ずしもうまくいくとは限らないのが現状です。 浦木さんのお仕事は、保護者の率直な話を聞くところから始まります。そして子どもの書いている日記や詩から的確に子どもの発達成長の芽や願いを見つけていきます。そして集団の中でその子が活躍できるような取り組みをします。子どもの成長が見えるようになる頃に、保護者への働きかけが行われ、保護者と共に子育てしていくことが実現していきます。そして友だちに認められるようになった子はさらに自分の成長を実感し自信を深めていくのです。 浦木さんは、二月号の自分の実践のまとめをこんな文でしめくくっています。 「よりそうことの意味は何か、それは、個々の子どもの本質的なところでの命のふるえを感じとり、心を通わせ、確かな心の受け渡しができるような人間関係を築き上げることにあったように思います」 三月号ではこのようです。 「命のふるえを感じ取り、本質のところでその子の願いにせまり、確かな親子関係を築くために、保護者とともに努力することの大切さを、今、わたしは痛感しています」 浦木さんがいう「命のふるえ」ということばは重いと思います。私ははじめ「ねがい」のことを言っておられるのかなと思いましたが、もっと形にならないカオス状態の未分化な感情も含めて、人間の成長発達に向かう心の胎動を指しておられるように思います。しかもそれに「本質的」という修飾語がついています。私はここに浦木さんの仕事の厳しさを見ています。 「よりそう」などということはそう簡単なことではありませんよ。「よりそう」のはただ近くでいるだけの意味ではないのではありませんか。本質的なその子の命のふるえを感じ取り、その命のふるえを真ん中に据えて、その子や親と心通わせることでしか実現しない大変厳しい道のりの仕事ですと主張されていると読みました。 浦木さんは一人ひとりの本質的な命のふるえを作文や詩の中から見つけ出そうとしておられるのです。そして生活綴方教育は手放すことの出来ない、希望に満ちた仕事であると主張しておられるのです。 W、おわりに 「何でも言える学級とは、好き勝手に、思ったことをなんでもしゃべるのではなく、クラスの中で、一番言いにくいことを持っている子が、その言いにくいことを、みんなの中で言えるようになった時、何でも言える学級というのです」 これは京都の故佐古田好一先生のことばです。 私はこのことばをこの子どもも教師も困難な時代に今一度読み直すことが大切なのではないかと考えています。 このことをお話しになった当時の佐古田先生の「一番言いにくいこと」と現代の子どもの「言いにくいこと」はかなり違うものに変化していると考えられます。しかも現代の子どもはその言いにくいことを、それは言いたいことであるのですが、それを一体だれに向かって言えばよいのかが分からなくなっているのではないかと思います。 私たちは、この現代に「一番言いにくいことをもっている子がみんなの前で言えるような実践」をめざしたいと思うのです。 それは決して決して苦しいことや辛いことが、子どもを痛めつけているだけでなく、村山士郎の子ども観で言うC発達上の困難をバネにして、その子の内在する発達力にはたらきかけていくことにつながると信じるからです。 一昨日大阪の勝村謙司先生の今大会のレポート「表現と安井の子ども〜うれしいことも つらいことも〜」をいただきました。私は電車の中で一気に読ませてもらいました。少し紹介させてもらいます。
「この子は産まれて時から難病で、私の病院での付き添いが長くなったり、この子の治療費がかさんだりして、いろいろなことが重なり、今主人とうまくいっていません。私自身も持病をもっているので、九州の実家でどうしても面倒みてもらわなければならない時があります。でもこの子まで面倒をかけるには、辛く、そのことをこの子は知っています。それがまた辛いのです。でもこのごろ学校に行ける日は少ないのに、学校のことを楽しそうに話してくれます。そしてこの文集です。学校の行事には、この子が参加したいと言ったら、ご負担をかけるのは、十分承知していますが、お願いできますか。申し訳ありません。よろしくお願いします。 この後学校長が、車いすで門から教室まで、自分一人で出入りできるように門やスロープの改修を教育委員会に強く要請してくれます。そして、授業では発表が増え、特に国語の授業時間は、後でふれるKくん同様に授業を深めていってくれる中心になります。 もう一つA・Aさんの作文です。
今私たちの前には本当にしんどいこと苦しいことが山積しています。時には絶望的な思いに陥るときもあります。 しかしみなさん、私たちの生活綴方教育はそれを乗り越えるだけの財産を蓄えた教育であり、さらに新しい地平を切り拓き発展していく教育です。 この三日間そのことに確信がもてる学習になる研究大会になりますよう、みなさんのお力を発揮していただきますことをお願いいたしまして、私の基調提案を終わります。 |
題 名 | 発表年月日 | 発表雑誌・発表研究会など |
確信をもって進めよう綴方・作文教育 | 2010・8・5 | 第59回日本作文の会滋賀大会基調提案 |
近畿作文の会大会を終えて | 2010・6・1 | 日本作文の会会員通信 |
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