八幡の銭湯
 京都府下の銭湯紹介第2弾!
 京都府公衆浴場業生活衛生同業組合「南山城支部」の銭湯紹介です。南山城支部といっても八幡市にしか銭湯はありませんから八幡市の銭湯紹介になります。
 八幡市には2つの銭湯です。京阪電車八幡駅近くにある八幡温泉、京阪電車橋本駅近くにある橋本湯です。
 銭湯へ行き帰りの道すがら見たあれこれも紹介することにします。
 *銭湯名をダブルクリックするとその銭湯へとびます。

◆八幡市の銭湯

名前 場所 営業時間 定休日 一言コメント
八幡温泉 八幡市馬場
41の1
午後3時30分〜9時 金曜日 京都府下最南端の銭湯。途中松花堂旧跡など見ながら歩くと楽しい。
2 橋本湯 八幡市橋本
小金川36
午後4時〜11時 月曜日 大阪府枚方市に隣接。屋根瓦が立派な銭湯。銭湯近くに遊郭だった建物あり。

1,八幡温泉

営業時間 午後3時30分〜9時
定休日 金曜日
所在地 八幡市馬場41の1
お風呂の種類 深い風呂・ジェット風呂・くすり風呂・電気風呂・水風呂・サウナ(有料100円)
駐車場 銭湯東側に数台
アクセス 京阪「八幡」駅からケーブルと反対方向へ、頓宮へ行く道(歴史街道で東高野街道)を南へ約15分。善法律寺の前。
かばのしっぽ
入湯記
 地図では近そうに見えたのですが実際行ってみるとかなりな距離でした。途中で道を尋ねたら「かなりありますよ」と言われました。でも八幡市の町を歩くのは初めてだったので楽しかったです。
 さて八幡温泉です。現在のご主人が商売を始められてかれこれ15年だそうです。その前に5年ほどあるそうですから20年ぐらいになるとのことでした。私はもっと前から営業されていたのかと思っていました。番台形式です。
 サウナ料金は100円。バスタオルはなし。サウナは脱衣場から入るようになっています。このサウナは山小屋風でログハウスみたいな感じです。
 浴室へ入ると、左手に水風呂。右手はシャワー。
 真ん中にイルカにのったというかまたいでいるというかの70cmほどの裸婦の像があります。初め鯉かなと思って見たけど、どうもイルカみたいです。イルカの口から水が出るようになっているようですが、今は出ていません。その像を囲むように半円のタイル壁があります。ちょうど桶を置くのにぴったり。
 一番奥に薬湯があります。今日は白い色をしていて「何とかハップ」らしいです。お湯はどの浴槽もぬるいめです。座るジェットが2つあるのですが1つはジェットが吹き出していません。電気風呂は薬湯の次に奥にあってこれは腰掛けたらよく効きました。
 八幡温泉の浴槽はどれも一番上は御影石です。タイルの上に御影石の飾りになっています。
 シャワーは蛇口を手前にひねる形のものです。
 一昔前の銭湯に行った気分になる八幡温泉です。
                             2003・9・21(日) 
 八幡温泉への行き帰りに私が見た八幡市レポートです。私が子どものころに八幡へ行くといえば目的は2つでした。
 1つはお正月に石清水八幡宮へ行くことです。石清水八幡宮は、宇佐(大分)筥崎(福岡)と並ぶ日本三大八幡宮の一つです。ケーブルカーに乗せてもらって男山(143m)頂上まで行きました。
 その時にエジソンが八幡に来たという話を聞いてへえ!と驚いた記憶があります。八幡はエジソンが白熱電灯のフィラメントを作るための竹を求めて来たそうです。駅前にはエジソンの銅像がありますし、エジソン通りという通りもあるようです。石清水八幡宮の社務所西にはエジソン記念碑があります。
 
*私は父親からエジソンが日本に来たと教えてもらい信じてきたのですが2011年正月それが間違っていたことを知りました。実際は、ムーアという冒険家が竹を探したらしいのです。八幡や嵯峨野の竹がたくさん白熱電灯用に輸出されたそうです。

 2つ目の目的は水泳でした。今はなくなりましたが、夏に八幡駅から歩いて木津川の川原に出ると、そこに水泳場がありました。大勢の人がここで泳ぎました。京阪の鉄橋みながら泳いだものです。ついでに思い出しましたが、現在の近鉄は昔奈良電と言っていました。この奈良電には夏に臨時駅が出来ました。その駅で降りて木津川で泳ぎました。あれはどの辺りだったのでしょうか。私が子どもだった45年ほど前の話です。 

 
 石清水八幡宮というと徒然草第52段に「仁和寺にある法師」の話を思い出します。こんな話です。
 「仁和寺のある法師が、年寄るまで石清水へ参ったことがないので一人徒歩で出かけました。極楽寺や高良神社を拝んで結局男山の頂上の石清水八幡宮へは行かずに帰ってしまいます。そして僧仲間に「長く念願していたことが果たせてよかったです。尊いところでした。でも不思議なのは参っている人々が山を登っていくことでした。上の方に何かあるのでしょうか。行ってみたかったけど神参りが目的だったので山には登りませんでした」と言いました。「すこしのことにも、先達はあらましき事なり」(小さな事にも、案内者(指導者)はほしいものである)というのがこの話の兼好法師の結論です。「仁和寺にある法師」のこと笑えないなあと思います。知ったかぶりして恥をかく。恥をかいていることさえ分かってない。「仁和寺にある法師」は身につまされる話です。
高良神社 走井餅を売るお店 松花堂旧跡付近 奈良街道の道標
放正川に架かる安居橋 小野頼風塚 善法律寺
 さて、私が八幡温泉へ行くまでに気になって立ち止まった場所です。八幡市は観光にも力を入れているようで駅には旅行案内所がありました。
 走井餅のこのお店は頓宮前にあり、18世紀後半に開業されたとか。
 松花堂というのは松花堂弁当にその名を残しています。石清水八幡宮の社僧で寛永の文化人松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)ゆかりのお寺です。
 八幡市にはたくさんの道標がありました。それも京都の三宅安兵衛という方の遺志で昭和3年に建てられたもので、本当にたくさんありました。

 八幡八景というのが市制5周年を記念して1982年(昭和57年)に公募して制定されました。その1番目が「安居橋の朧月」です。この写真のように石畳が歴史街道東高野街道では続きます。なかなか風情があります。
 小野頼風塚は図書館の方へ入ったところにありました。これは謡曲「女郎花」の話の主人公小野頼風の墓です。それはこんなお話です。男山の麓に住む小野頼風と深い仲にあった都の女が、男の足が遠のいたのを悲しみ放生川に身を投げて死んだ。女の脱ぎ捨てた衣が朽ちてそのあとから女郎花が咲いたという。その女郎花が恨み顔に風になびいている様を見て頼風も後を追って入水した。これを憐れんだ人々が男塚女塚を建てた。苦界をさまよっていた二人は旅の僧の回向で結ばれる。とまあこういう話です。これは男塚で女塚は1.5km離れたところにあるそうです。
 善法律寺は足利義満の母良子の母方の菩提寺で、この前に八幡温泉はありました。このお寺秋の紅葉の季節美しいだろうなと思いました。

 八幡温泉をさらに南へ行くと松花堂庭園や八幡市松花堂美術館があるそうです。  

2,橋本湯

営業時間 午後4時〜11時
定休日 月曜日
所在地 八幡市橋本小金川36
お風呂の種類 クスリ風呂・超音波ジェット風呂・電気風呂・水風呂・深い風呂・サウナ(有料150円)
駐車場 なし
アクセス 京阪「橋本」駅改札口を降りてしばらく南へ最初の交差点を西(右)へ踏切を渡ってしばらく行くと三叉路。それを左へすぐ。約5分。
かばのしっぽ
入湯記
 京阪橋本駅を降りたら私が今興味を持っている道標が迎えてくれました。
 橋本は三十石船の下りの乗り場でした。
 さて、橋本湯です。この銭湯は昔の遊郭があった通りのつづき南側にある銭湯です。さらに南は枚方市です。
 この銭湯の屋根の瓦立派です。特注なのでしょうね。
 サウナ料金100円出したら「すみません。150円です」とのこと。黄色いバスタオルをもらいました。ご主人穏やかな話しぶりでお客さんに丁寧に接しておられます。障子のような格子の入った戸を開けると番台でそこから暖簾をくぐると脱衣場になります。
 浴室はいると左奥まったところにクスリ湯があります。これ緑色していました。そして左壁に沿ってジェット風呂電気風呂深い風呂が続きます。右の壁に沿って席が設けられています。そして一番奥に左手サウナ、右手に水風呂があります。サウナの前にも席があります。
 サウナは2段で5人ぐらい入れます。水風呂は2人ぐらい入れます。お馴染みさんがいつもの顔を合わせてお話しておられます。相撲のこと(今日は千秋楽で朝青龍が優勝しました)自民党の三役役員人事のことなどみんな立派な相撲評論家や政治評論家になってああだこうだと議論しておられます。一番長老の方の顔を立てながら「なるほど」と相槌をうっておられる姿を見ていると昔から銭湯はこんなことを繰り返してきたのだろうなと思わせてくれる橋本湯です。
                        2003・9・21(日)
 橋本湯近くで私が興味を持ったものの紹介です。まず道標です。@Aは駅降りてすぐにあります。Bは淀川の土手すぐ近くにあったものです。もう一つ旧街道沿いにありましたが暗くなって撮影不可になりました。それには明和(1764〜1772)の文字がありました。もっと早く気づいておればと思いました。
@橋本渡船場三丁
湯沢山茶久蓮寺跡
A京大坂街道・三宅安兵衛銘 B柳谷の文字
大坂下り舟乗り場の文字
 @Aしばらく眺めていたのですがこの道標は三宅安兵衛さんという方の名前が入った昭和3年のものでした。湯だくさん茶くれん寺跡という文字に?と思いました。秀吉がこのお寺で茶を所望したが何度も湯ばかり持って来るのでこの名がついたとかいうお寺で、これ京都市上京区にある浄土院というお寺のことです。これはもともとこの場所にあったのでしょうか。それにしても三宅安兵衛さんという方すごいなあと思います。たくさんの道標を残しておられます。Bの道標はこの道の西側が淀川で向こう岸が大山崎町になりますからここから渡し船が出ていたのです。@にも渡船とありますから昭和3年にはまだ渡し船があったのですね。三十石の下り船もここから乗れたようです。
 下の写真は橋本の古い街並みです。立派な欄間で飾られた格子の家が続きます。この防火用水は石造りでタイルが貼り付けられており店の名前が見られます。ステンドグラスが残っているお宅もありました。しばらく前この道は夜でも明るく歓声や嬌声が行き交ったところだったのでしょう。こういう街並みは保存の方向で検討されているのかなあ。大変魅力的で貴重な街並みだと私は思いました。

2003・9・24(水)

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