葛城古道彼岸花巡り

九品寺から大和三山を望む
 葛城古道の彼岸花を求めてブラブラ歩いてきました。金剛・葛城連山の山裾を南北に走るのが葛城古道。ここは、古代この地を本拠にした鴨氏・葛城氏にゆかりの古社寺が点在する場所です。2006・9・24(日)
 近鉄御所駅からタクシーに乗りました。「風の森」まで。「風の森」何ともロマンチックな地名です。きっと「となりのトトロ」みたいな場所なのだろうなと想像しながらのりました。「金剛山からの風が下りてくるんですよ。谷間ですから。」ということでした。
 「風の森」から「櫛羅」まで約10kmののんびり散歩でした。

(1)風の森バス停

 「風の森」です。24号のバス停はこんな所でした。高鴨神社へ行くまでの道で彼岸花が咲いていました。やっぱりあぜ道に彼岸花はとてもよく似合います。
「風の谷」附近の米と彼岸花

(2)高鴨神社

 京都の上賀茂神社や下鴨神社の本家にあたる鴨一族の神社。京都では上賀茂神社や下鴨神社は古い神社の一つですが、なお古いのですから奈良はすごい!何でもこの地から北へ向かった鴨一族は、南山城の加茂町からさらに鴨川を遡り現在の京都の北の地に落ち着いたとかで、一体鴨一族に何が起こったのでしょうか。大移動だったのでしょうね、きっと。

(3)名柄の町並み

 高鴨神社から田園風景を楽しみながら歩いていくと、名柄という集落に着きました。ここは古い町並みが残っていてなかなか趣のあるところでした。
葛城酒造 重文中村家住宅 名柄神社

(4)一言主神社付近

 一言主神社(ひとことぬしじんじゃ)のことを、地元の方たちは「いちごんさん」と呼ばれるそうです。
 一言主の神は「善いことも悪いことも一言で済ませる」神だそうで、なかなか寡黙な方であったようです。葛城山で狩りをしていた雄略天皇と一触即発の出会いをします。「大和の大王は自分しかいない」と思っている雄略天皇。その前に、天皇と同じ姿の行列で現れた一言主の神は、雄略天皇を挑発したことになります。そのぐらいこの地の神と葛城氏が天皇家と拮抗するような力を持っていたことになるのでしょう。雄略天皇は、ひれ伏して同じ装束をしていた家来たちにその服を脱がせ一言主に献上します。そしてなかよくいっしょに狩りをしたそうです。
 その「いちごんさん」には樹齢1200年と言われている「乳イチョウ」がありました。祈れば母乳がよく出るのだそうです。幹に垂れ下がったふくらみがあるところからその名が付けられているようです。

 一言主神社参道付近の彼岸花は見物でした。見事!見事!

(5)九品寺の石仏と彼岸花

 この九品寺(くほんじ)は行基が開き、空海が再興したというお寺。本尊は藤原時代の阿弥陀如来座像。
 裏山へ続く細い道に千体石仏が並んでいました。何でも実数は2000を越えるそうで、南北朝時代に南朝側に加わった楢原氏の兵を慰霊するために造られたのだそうです。いずれも小さくて顔が分かりにくくなっています。

この千体石仏へ到るまでの道にも相当数の石仏があります。中にお顔のしっかりした阿弥陀如来立像がありました。

 九品寺から「番水の時計」へ行く道に葛城古道で一番彼岸花がかたまってたくさん咲いている場所がありました。この場所は小高い場所にあるため、大和三山が一望できます。そして、彼岸花越しに九品寺が見える場所で絶好の写真スポットです。陽があたっている彼岸花は色が薄く、あたっていない彼岸花は濃く見えます。

(6)番水の時計と白い彼岸花

 「番水の時計」というのがあったのですが、使途不明でよく分かりませんでした。時間になったら大きな音で時を知らせるのかなと思ったのですが…。その附近に色抜けしたような白い彼岸花が咲いていました。突然変異なのかどうなのか、珍しいので撮ってみました。
 櫛羅からバスに乗ろうとケーブルから来るのを待つこと15分。やっと来たバスは満員で、「次のバスに乗って下さい」とのこと。いっしょに待っていた8人のうち私を含め4人は「次も乗れるかどうか…」と思い近鉄御所駅まで歩きはじめました。約15分で着きました。「これなら初めから歩いたらよかったな」と思いました。
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