長野の石仏3
駒ヶ根光前寺
高遠石工守屋貞治の石仏4

 天台宗宝積山光前寺は長野県では善光寺と並ぶ大きなお寺だそうです。観光バスが横付けされてたくさんの参拝者です。駒ヶ根観光には欠かせないお寺になっているようで、駒ヶ岳千畳敷カールと並ぶ観光名所になっています。
 「霊犬早太郎伝説」・「枝垂れ桜」・「ひかり苔」などが光前寺のHPでも紹介されています。
 「早太郎」についてはあまり興味がないのでパスして、「ひかり苔」は初めて見ました。石垣の穴の奥に不思議な緑色の点々の光が確かに見えました。
 私が光前寺を訪ねたのは、守屋貞治の石仏がおられるという理由です。しかしそういう人は稀なようで、お寺の案内板にも何の説明もありませんでした。だから捜し回るしかなかったのですが、売店の方に伺うことにしました。それで辛うじて対面することができたのですが、その売店の方は「ていじさんの石仏ですか?」と言って教えて下さいました。親愛を込めて「貞治さん」と呼ばれているのに心が動きました。

(1)地蔵菩薩像

 本堂前階段の左手にある地蔵菩薩像です。何でも貞治の若い頃の造仏だそうです。貞治が師事した諏訪温泉寺の願王和尚の讃が基壇に彫られています。光背が壊れています。そして側面に大きなヒビが入っていました。
 貞治の蓮台はどれも見事だと思います。表情も大変美しいとしばし見入りました。

(2)三陀羅尼塔と四天王

 基盤の銘に「文化七年」の文字が読み取れるそうです。三重塔だと思うのですが、相輪部分や基盤は宝筐印塔のようでもあります。三層目に四天王小像が彫られています。貞治唯一の塔だとか。

(3)阿弥陀如来座像

 阿弥陀如来は、歴代の住職の墓地の後ろに墓石に隠れるようにおられました。そのまえに霊犬早太郎の墓があって、みんなそちらを見ながら歩いていくので、だれも注目していません。ふくよかなお顔の阿弥陀さまです。

(4)賽の河原地蔵

 この場所も、観光客の方はだれも訪れることなくお寺を後にされています。一番大きなお地蔵さんが貞治のお地蔵さんです。貞治のお地蔵さんを中心にして数多くのお地蔵さんが祀られており、その前に石が積まれています。中には子どもの好きだったおもちゃなども置かれていて、賽の河原の悲しい物語が思い出されます。
 親より早く死ぬのは最大の親不孝だそうです。「地獄」という絵本があります。千葉のお寺に残る地獄絵巻を底本にして作られた絵本です。色々な地獄を描いた一番最後に「賽の河原」が出てきます。「地蔵和讃」はその物語なのですが子を失った親のあきらめきれない悲しみが切々と語られています。

地蔵和讃

 賽の河原の地蔵信仰は室町時代からだそうです。それが江戸時代に和讃として成立するようなのですが、なぜか地蔵和讃は空也上人作と伝えられています。空也上人は六斎念仏にもその名前が出てきます。地蔵和讃にも色々あるようです。現在一番よく知られているのが「賽の河原地蔵和讃」です。現行の地蔵和讃は26句の以下のものです。
地蔵和讃
これはこの世のことならず
死出の山路の裾野なる
賽の河原のものがたり
聞くにつけても憐れなり
二つや三つや四つ五つ
十にも足らぬみどり児が
賽の河原に集まりて
父上こいし母こいし
河原の石をとり集め
これにて回向の塔をつむ
一重くんでは父のため
二重くんでは母のため
日も入りあいのその頃は
地獄の鬼が現われて
くろがね棒をとりのべて
積みたる塔をおしくずす
その時能化の地蔵尊
われを冥土の父母として
思うてあけくれ頼めよと
幼き者をみ衣の
裳裾(もすそ)のうちにかき入れて
憐れみ給うぞありがたき
未だ歩めぬみどり児を
いだきかかえてありがたき
南無阿弥陀仏あみだぶつ
 光善寺の貞治仏はこれだけだと思っていましたら、売店の方は下の二体も「貞治さんやと聞いてます」とおっしゃってました。間違っているかも知れませんしあってるのかもしれません。一応ご紹介しておきます。
三重塔近くにあった四方仏 売店裏にあった如意輪観音
 左の四方仏は近寄れなかったのですが、確かに貞治のものだと言われれば…?思いました。右の如意輪観音はどうも違うように思います。しかしながらその表情や姿態が愛らしくて私は好きです。でも二つとも花崗岩のように思えて、貞治は花崗岩使うかな?とおも思ったのです。よく分かりません。
万治の石仏 修那羅安宮神社石仏石神群 安曇野道祖神
守屋貞治1諏訪温泉寺 守屋貞治2高遠健福寺 守屋貞治3高遠大聖不動 守屋貞治4駒ヶ根光前寺
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