殿集め
(清水さんの舞台から)

あらすじ
 さる大家のお嬢さん。歳が18。評判の美人。そのお嬢さんが清水の舞台から飛び降りるという評判がたちました。口コミで噂が噂を呼びその日清水の舞台の下はいっぱいの人だかり。仕事休んで来てる者もいます。
 舞台下では今か今かと待ちながら「ところで、何でそのお嬢さんは飛び降りるのか」の詮議が始まりました。「父親の白内障を治すために願掛けしてたのが満願で飛び降りるのだ」「いや、横根切るために飛び込む」という者もいます。そこへ浪人が現れ、娘は恋患いでその相手は自分だ」と言い出します。
 と言うてますうちに、女中さんを3,4人連れて、綺麗な娘さん、現今の女優さんで言いますと松坂慶子と岩下志麻二人をチャンポンにしたような顔。清水さんへご参詣あそばして、参拝すました後、清水の舞台へ出ておいでになりました。さあ、下では大騒ぎ。「イヨーッ、待ってました、頼んまっせ、白内障でっか、それとも横根でっか、恋患いでっか」
 娘はん、ずーっと見わたして何思いはったか、そのままお帰りになりました。「モシ、モシ、モシ。飛ばしまへんがな、どないなったんだ」「フム子細が分からぬ。跡をつけよう」世話好きなヤツが後ろから付いていきますと、お嬢さん、女中を呼びまして、
「すみや、すみや」
「ハイ」
「のう、たくさん殿御は集まったが、よい殿御はないものじゃなあ」
*横根・・・硬性下疳(こうせいげかん)という病気で両足の鼠蹊部(そけいぶ)に固い塊が出来て、ウミがそこへたまる。昔から高いとここから飛んだら横根が切れるといったらしい。良家のお嬢さんがかかるはずがないところにこのギャグの面白さがある。

「上方落語」(笑福亭松鶴・講談社刊スーパー文庫)より

◇清水寺が出てくる落語3つ目

「はてなの茶碗」 「景清」に続いて3回目の登場です。もう一つ「新壺坂」というのがあります。
茶わん坂から見た清水寺

◇清水寺

 開創は奈良時代末778(宝亀9)年。平安時代に入り坂ノ上田村麻呂が滝の清水と延鎮上人の教えに導かれて妻室とともに観音に帰依し、仏殿を寄進建立しご本尊十一面観音を安置した。798(延暦17)年寺域を広げた。
 ご本尊(秘仏)は本堂に祀られ“清水型観音”と呼ばれる42臂の最上の両手を頭上に上げ化仏をいただく清水寺独特のもの。『源氏物語』『枕草子』『今昔物語』などの他謡曲にも取り上げられる京都市の中でも観光客の多い寺院の一つ。1994年ユネスコの世界遺産に登録された。

◇本堂・・・舞台

 江戸初期1633(寛永10)年再建。先の清水型観音=十一面千手観音を祀り「大悲閣」とも言う。正面11間(36b)側面9間(30b)高さ18b。寄棟造り、檜皮葺の屋根。平安時代の宮殿や貴族の邸宅の面影を伝える。本堂南正面に懸造り・総檜張りの「舞台」を錦雲渓に張り出している。思い切って何かをすることを「清水の舞台型飛び降りるつもりで・・・」などという形容にも使われる場所である。
舞台から下を・ここに人が集まった 下から舞台を見上げるとこんな感じ
清水寺舞台 弁慶が修行に使った鉄下駄と杖
 「はてなの茶碗」のところで弁慶の下駄のことを書きました。今回行って見つけました。昔は本堂の舞台のところにあっように思うのですが現在は本堂西側大黒さんの前にありました。すごく懐かしくてうれしくなりました。こんど桜の時に行こうと思います。
 「殿集め」では舞台の下からみんな見上げていることになってますが夏などは樹木(桜)のために上の方は見えないと思います。冬でもこんな感じですから。
 今回の清水寺行きでもう一つ発見がありました。「景清観音」を見つけました。早速「景清」のページの写真を変えます。また見てください。

20,「紺田屋」ー四条新町しん粉屋新兵衛ー
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