景清
(柳谷・清水観音仲間)

□あらすじ

 目貫師(刀の目貫を彫る彫金師)の定次郎は将来を嘱望されていたが、目をわずろうて失明した。周りのものはその腕を惜しむが、何処まで本気なのか陽気に暮らしている。
 甚兵衛さんが心配して「信心でうっすらとでも・・」と勧めると、以前柳谷の観音さんに二十一日日参したことがあるという。しかし夜中おこもりの最中に不埒なことをして柳谷をしくじったという。甚兵衛さんは、今度は「清水さん」を勧める。「同じ観音さん仲間や、、観音仲間の集会で」告げ口されるという定次郎もやっとその気になって、百日の満願をつとめる。しかし、目は開かない。観音さんに毒づく定次郎に甚兵衛さんは母親と定次郎の面倒を見ること見ることを約束する。
 帰り道雷雨に打たれて気絶した定次郎、突然清水の観音さんに「悪七兵衛景清」の目をもらい見えるようになる。その後大立ち回りをするさげもあるが、枝雀さんは、「目の見えないお方に目がでけました。まことにおめでたいお噂でございます。」で終わっている。
柳谷観音・・・立願山揚谷寺

□眼病といえば柳谷さん(京都府長岡京市浄土谷)

眼病に霊験あらたかな柳谷観音 弘法大師ゆかりの柳谷独鈷水
京都市内からかなり離れたところに柳谷さんはある。しかし眼病といえば柳谷さんだという信仰は近年になってもあったようで、私の祖母も目のわずらいと言えば必ず「柳谷さん」と言っていた。

□えらい目にあわされた柳谷さん

 定次郎が柳谷で延命十句観音経をあげていると女の声で同じく観音経をあげる声が聞こえる。声をかけて二人並んで拝み出す。そのうち
定「・・・ポーンとひじでついたったら、朝念観世音ポーンと揺り返し」
甚「地震やがなまるで」
定「・・・とソーッと手ェ握って」
甚「おい。それ何するのやいな。観音さんの前で」
・・・・
定「・・・こらしめたな、てなもんで、肩こう抱き寄せたら、こっちへスーッともたれてくるもんやさかい、そこ  へ二人でダーッ」
甚「おお、あほなことしなや。観音さんの前でなんちゅうことするのやな」
定「ああー『思わぬ御縁、不思議な御縁でこないして心安なりましたけども、なあ、どうでやす。お近づき  のしるしにこの山をたらたらと下ったところに、小料理屋かなんかおっしゃろ。そこでちょっと、一口どう  でやす。』『ほなお供さしてもらいます』言うてな、手に手を取って山下って、鶏で一杯やったんやが」
甚「ようそんな銭持ってたな、お前」
定「そらあんた、賽銭箱ひっくり返して」
甚「なんちゅうことするのやいなお前」
定「それから眼ェがうずいて、うずいて」
本堂の提灯 揚谷寺本堂
本堂前の賽銭箱・これ? 本堂内の賽銭箱・これ?
柳谷奥の院・新西国霊場17番札所 奥の院へ行く道から本堂を望む
奥の院前の賽銭箱・これ? 奥の院内の賽銭箱・これ?
山門 参道にある食事処

□定次郎は綾小路麩屋町(あやふやなところ)に住んでいる!

 これ前にも出てきました。そうです。「こぶ弁慶」の男と同じ住所です。それもそのはず、作者が同じ笑福亭吾竹なのです。この落語も「こぶ弁慶」同様最後に大立ち回りになるところも同じです。吾竹は京都の咄家。文政から天保年間(1830年頃)に京都の実力者として活躍しました。はじめは素咄、のち芝居咄でならし、初代都喜蝶と競った名人で、松富久亭から現在の笑福亭に亭号を改めました。
綾小路麩屋町東から西 綾小路麩屋町北から南
「こぶ弁慶」の写真は2002年2月の写真です。これは8月です。半年前にあった駐車場の看板はなくなってました。そして、東南角に大きな駐車場が作られています。これからも変化していくことでしょうね。

綾小路麩屋町については、3,『こぶ弁慶』を参考にしてください。

□女は仏光寺東洞院

仏光寺東洞院町内案内 北西にある郵便局

なぜ、女は仏光寺東洞院なのか
 定次郎は「へぇー、わてはな綾小路麩屋町。ご近所どすなあ。ま、眼が開いてたら、二へんや三べん、顔合わしたことがあるやらもしれまへんなあ」と言っている。確かに近い。
 でも、それだけの理由ではないと思う。
仏光寺東洞院の東現在洛央小学校のあるところは明治時代になるまで
盲人総取締
所當道職屋敷跡
であったという。吾竹はそういう建物があったところをわざと女の住んでいるところにしたのであろう。
南から東洞院通りの北を望む
當道職屋敷跡の説明板
目の不自由な人の保護支配するための當道制度
盲人総取締當道職屋敷跡の石碑
盲人取締はないやろと思います

□景清が眼を奉納した清水寺

定次郎は景清の奉納した眼をもらうことになる。
この景清は平家の武士で悪七兵衛景清といい、東大寺に来た源頼朝を殺そうとして失敗した。源氏の世の中見るのもいやと、われとわが手に両眼くり抜き、清水寺に奉納したという。奈良新薬師寺に秘仏景清ゆかりの地蔵がある。
景清守本尊観世音の文字 石灯籠の中に観音さまがあると言われたが分からなかった。彫ってあるような気がした。
清水寺三重塔と経堂
江戸初期の建物・重要文化財
左朝倉堂右轟門
いずれも重要文化財奥に舞台
清水坂
ここを通って清水寺へ向かう。
今、土産物屋さんが立ち並ぶ。

清水寺については4,『はてなの茶碗』 19,「殿集め」を参考にしてください。

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