「温暖の洛南は、桃山文化が伝える椿花を桃山丘陵に温存し、江戸時代から京の椿の切花の給源となった花園の中に、数々の名花が残されている」これは、『京椿』(京都書院・1991・水野克比古)の解説に日本ツバキ協会顧問の渡邊武さんが、書かれた文です。
へえ、知らんかったなあ…伏見・洛南は椿でも有名やったなんて…と思いながら読みました。伏見の椿では御香宮の「おそらく椿」ぐらしいしか知らないのでさっそくぶらぶら出かけることにしました。
ア)おそらく椿
この椿は確かに前から知っていました。色んな本の写真を通じて。本物を見てやろうと思って昨年末に御香宮へ出かけました。社務所で宮司さんに尋ねますと「3月末頃です」とのこと。「どこに咲いているのです?」と伺いましたら「参集館脇」とのことです。参集館近くには入れませんから、塀越しに見るしかないようです。
何でも茶人・造園家としても有名な小堀遠州が伏見奉行として赴任してきて、春の例祭でこの椿を見、「おそらくこれ程見事な椿は他にあるまい」と言ったとか言わなかったとか…いや言ったとになってます。晩咲きの紅白交りの散椿の名品。
「伏見歴史紀行」には、こんなことが書いてあります。「利休の影響であろうか、太閤秀吉も茶花に椿を好んで用いた。したがって大名も競って椿の名木を屋敷内に植えたものが、、今なお桃山の丘に残っている。御香宮参集館の脇にある五色の散り椿もその1つである」
塀越しのおそらく椿見ることが出来ました。(2004・3・27)
イ)御香宮はヤブツバキが立派
御香宮の大手筋側も24号線側も毛利橋通り側(つまり御香宮を囲んで)ヤブツバキが塀越しに顔を見せています。大手門から入ったところから桃山天満宮あたりもヤブツバキ一杯です。相当な本数です。駐車場の周りには散椿や紅侘助もともう1種類絵馬堂の北にありました。
(2)森林総合研究所の椿
(桃山町永井久太郎)
24号線上板橋通りを東へJR奈良線の踏切を越えた南側にある森林総合研究所。ここは永井久太郎町というおもしろい町名です。伏見の町名は大名屋敷の名前がそのまま使われているところが多くあり、特に桃山学区にはそいいう名前が多いようです。何でもこの永井久太郎町というのは、永井右近太夫と堀久太郎の二つの屋敷がまたがっているところからの命名らしいのです。上板橋通りの拡幅工事の際、遺構が出てきました。大名屋敷の塀跡らしかったのですが、土佐高知山内屋敷の跡との説明でした。永井・堀両氏はその後なのか先なのか不明です。現在永井久太郎町に桓武天皇陵があります。
しばらく前まで、この森林研究所は「農林試験所」と呼ばれていました。今は独立法人になったそうです。メタセコイア並木がきれいです。また竹の研究でも有名とか。上板橋の入り口からすぐのところに10種類ぐらいの椿が咲いていました。
この上板橋通りをさらに東へ行きますと清涼院という尼寺があります。ここはヤブツバキで垣根が作られています。私が小学生だったころ(40年以上前)このヤブツバキは見事なものでした。藤城小学校が開校され北堀公園が整備されてから清涼院も駐車場が作られ見事な椿の垣根の花数が少なくなったようです。清涼院は「伏見の道しるべ」でも紹介しています。
先ほどの「京椿」という本には「桃山御陵域の椿群、乃木神社の紅妙蓮寺」椿の樹林、黄檗山万福寺境内のヤブツバキなど、洛南の椿は樹勢たくましく生育している」と書かれています。
それで、桃山御陵のどこに咲いているのか捜してみました。他にも咲いているところがあるのかもしれませんが、私が見つけられたのは2カ所です。@明治天皇陵事務所付近A桃山御陵参道乃木神社付近からパーキングまでの2カ所です。ここには、散椿が1本(これは立派!)そしてかなりの数のヤブツバキと白ヤブツバキです。書かれてあるとおり樹勢たくましい大きな木です。言い換えれば全然人間の手が加わっていないような状態の木です。他の木が大きく伸びているせいでしょうか、ここの椿は他の木と背比べしているようで、10m越えていると思います。したがって相当高い位置に花も咲いています。
桃山御陵名物230段の階段(しんどい!) |
この階段の上左側へ行くと事務所があります。そして、階段下を左(つまり西)、乃木神社までに椿が見られます。
桃山御陵参道から乃木神社へ折れますと、桃山小学校を経て伊賀団地へ向かい外環状線へ出られます。この道を野坂通と言います。乃木神社には「紅妙蓮寺の樹林」と先ほどの本にはありました。でも私には樹林は見つかりませんでした。石の鳥居付近に大きく成長した何本かの椿がありました。それのことかなと思うのですが…。とりあえず写真upしておきます。
乃木神社の中には幾種類かの椿の木があります。その中でうまく写真が撮れたのは一枚だけでした。椿の写真はなかなか思い通りになりません。美しい状態の花を見つけるのが難しいのです。せっかく見つけても高いところだと、望遠レンズが着けられるカメラでないと撮れないものですから悔しい思いをします。
乃木神社から南へJR奈良線の手前の道を東へ行くと橘女子高校へ行きます。私は乃木神社から橘女子高校そして桃山御陵のパーキング辺りが「伏見坂」だと思うと「伏見の道しるべ」に書きました。そしてこの「伏見坂」に現在桃陵中学校にある道しるべがあったはずだと書きました。そのことについて、ある方が「伏見坂」を前から捜していたのだがやっと分かったというメールをいただきました。何でも伏見坂に瓦屋さんがあったのだそうでそれを調べておられるとか。どなたか「伏見坂」について詳しくご存知の方ありませんか?
今は、椿のことです。
このJRの南側の道を東へ行きますとたくさん椿の木があります。種類も多くあります。どなたかの畑です。その道沿いと畑の中に咲いています。それにしてもその北側のJR奈良線はなぜこんなに深い谷みたいなところを走っているのでしょうか。はじめからこういう地形の所を線路にしたのか切り通しにしたのかどちらなのでしょうか?
また、脱線しました。
もう一カ所、これは伊賀団地のすぐ北側に見事な椿が2本斜面に咲いています。大輪です。今日見た椿の中でこれが一番見事でした。急勾配の斜面登って写真撮ってきました。
伊賀団地を外環状線へ出て桃山南口の方へ歩いていきますと何軒かのお家の前や庭に立派な椿が咲いていました。唐子椿も見えました。月橋禅寺と西運寺(ここにマリア観音があるらしい!)へ行きたかったのに間違って東へ向いてしまったので、引き返すことにしました。
でも何と言うことでしょう(ビフォーアフターか?)。またまた龍源寺から崇光天皇と光明天皇の大光明寺陵へ行きたくなって行き先変更です。龍源寺にも立派な椿がありました。大光明寺陵は「圓光寺(足利学校伏見分校)」の写真を補足するために立ち寄りました。気儘なぶらぶらです。そのおかげで清水の次郎長の養子で天田愚庵という人が伏見にいたことが分かりました。ぶらぶら歩いてるといろんな人に出会えます。これは本多上野にありました。
京都府立桃山高校のすぐ南側にあるお寺です。
よく伏見の紹介をした本などに平安時代伏見桃山丘陵の南斜面が月の名所で、巨椋池を望む景勝地であり、貴族が山荘を構えたなどと書いてあります。また、秀吉の最初の伏見城はそういう条件の整った場所であったそうです。私は前から一体それはどの辺りを言うのかなと思ってきました。
明治御陵の230段の階段てっぺんからは確かに一部見えています。また、八科峠を下りていきますとこれも一部見えます。でももっとしっかり見える場所が平安時代にはあったはずです。ひょっとするとここではないかと思うのが、この龍運寺のあるところです。ここは、かなり高くて今も竹藪越しに南が望めます。南斜面で、巨椋池まで見えそうな場所はここかもしれません。
このお寺をなぜ桃山善光寺というかと言いますと一光三尊仏阿弥陀如来像があるからだそうです。また、関ヶ原の戦いの時に伏見城で討ち死にした鳥居元忠ら300人の菩提寺でもあるそうで、徳川幕府との関係の濃いお寺です。また桃山の名前の由来になっている桃の木がこの辺り一帯に数千本植えられていた時期があったそうで、春先はさぞかし美しかったであろう事が想像できます。長沢廬雪、大田蜀山人の筆跡、富岡鉄斎の襖絵などもある美しいお寺です。あまり知られていないけれど、ゆっくり訪ねたいお寺です。s
椿は、三門すぐ右に立派なものが2本ありました。
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