京都の節分
■京都伏見・金札宮の節分
(2012・2・3)
節分前に藤森神社(ふじのもりさん)へ行ったら、追儺式の舞台の準備をしておられました。「節分やなあ…」とぼんやり見ていたのですが「そうや、今年は伏見の他の神社はどんな節分なのか見て回ろう」と思い立ちました。我ながらすごくいいアイデアのように思われました。伏見稲荷大社(おいなりさん)は初午大祭が同時に行われるようです。仕事が終わると同時に家へ戻ったら、来客!出かけることができたのは4時。もうあかんわと思ったのですが、御香宮神社(ごこんさん)だけでもと自転車で出かけることにしました。
御香宮はいつも以上に人がおられました。護摩木の受付が普段より多いようでした。節分の甘酒のテントが出ていて、富英堂が店を出して酒饅頭などを売っていました。のぼりも立っています。能楽堂の前にはお札などを納めて焼く場所が設けられていて次々来ておられました。私が火のそばに立っていたら、「ここに入れてもいいですか」とお札を持ってこられた方に尋ねられました。どうも神社の関係者と間違われたようでした。「みなさん、そうしておられますよ」と返事しました。御香宮は何か特別な催しめいたことはしておられないようでした。
それで、金札宮(きんさっつあん)へも帰りに寄ることにしました。何も予備知識がなく行ったのですが、何とちょうど追儺式巡行が始まるところで、行列の一行が今神社を出発するという場面に出くわしました。へえ、金札さんの神さんが呼んでくれはったんやなあと偶然に感謝して、しばらく行列を追いかけることにしました。
金札宮は伏見区鷹匠町にある古社です。何でも天平勝宝年間の創建だそうで元々は久米村の産土神であったそうです。この神社で有名なのが上右に写っているクロガネモチの大木で天延記念物です。樹齢は千年を超えるらしいです。もう一つはここが観阿弥の謡曲「金札」の舞台であることです。
追儺式巡行
下中の写真が一行です。一番前に一対の提灯が先導します。次いで鐘や太鼓を鳴らす人たち。そして赤鬼と青鬼。その後ろから御幣を持った人と豆を持った人(下左の写真)。その後ろから巫女さん二人にはさまれるようにしてえびすさん(下右)が弓と鯛を持って歩いておられます。えびすさんは豪華な衣装で、お名前書いた旗指物持った人もいます。えびすさんのお面は前しか見えないようで歩きにくそうです。そろりそろりと歩いておられます。
一行はまず伏見中学校へ。ここは私の卒業した学校です。先生方が校門まで出てきて応対しておられました。それから御駕籠町の方へ向かってお店を訪問していきます。まず、鬼が脅します。それを豆をまいて退散させます。その後にえびすさんが訪ねて福を授ける…そういう順番のようです。なるほど、アフターケアまで考えた一行のようです。
保育園がありました。園からかえる子どもとお母さん方がいました。鬼の活躍で子どもたちが怖がって泣いています。親たちは笑い顔。その周りで小学生が鬼をやっつけようと必死で豆をぶつけています。鬼も大声で脅したり、走って逃げたり、防戦したり大変です。学校帰りの中学生は冷静に鬼の様子を笑いながら見て、「こっちの方がこわいわ」とえびすさんを指さしてました。見事に発達段階が分かるなあと思いながら見てました。
この巡行がどのくらいの歴史あるものなのか知りませんが、えびすさんがいっしょにまわるというのは金札さんのオリジナルではないでしょうか。えびすさんは金札さんの主神ではないのですが、境内に祀られています。この金札宮の前に大黒寺があって、ここには秘仏の大黒さんがおられます。向かい同士にえびす・大黒がおられるおめでたい場所なのです。
この後、巡行がどのような順路なのか知りませんが、6時半まで、2時間あまり巡行が続きます。その後神社で護摩がたかれるようです。
藤森神社では午前10時から節分祭が始まりました。午後からは舞楽の奉納があり、社務所前では甘酒の接待も行われていました。
そして夜8時から追儺式でした。
宮司さんかなあ神職の方がマイクを持って注意兼挨拶を始められたのが7時50分。
2匹のかわいい鬼が前座で登場しました。金棒でイチローの物まねしたりしてました。本殿では年男達のお祓いが行われていました。
そして氏子の人たちの納めた人型に火がつけられ、夜空に煙と炎と火の粉が舞い上がりました。
そしてついに本物の鬼が登場しました。発煙筒がたかれました。ライトが当てられ、効果音に乗って割と自由な格好で金棒を持って現れました。動きは鬼任せのようで決まった型はないようです。
2匹の鬼は拝殿にすすみ暴れ回ります。そこへ巫女さん4名が現れ2匹の鬼に豆をまきます。そのとき「みなさん、ごいっしょに」という感じで「鬼は外、福は内」の大合唱になります。すると鬼は倒れ、またもときた道を引き返し姿を消します。藤森さんの赤鬼青鬼はお面をかぶっていました。
このあと年男の方達がさきの派手派手の陣羽織みたいなのを着て現れ、舞台から豆まきをします。説明によりますと7000袋用意されたそうで、その中の450個が当たりだそうです。
廬山寺に着いたのが午後3時20分でした。ちょうど緑鬼が本堂に入ろうとするところでした。
赤鬼が先頭で、右手に剣、左手にたいまつを持っています。この鬼は左右に睨みをきかせリーダー格です。次が緑鬼でこれは手に斧を持っています。それを振り下ろす格好で歩いていきます。最後が黒鬼です。この鬼は手に金槌を持ち、これまた振り下ろす動作を繰り返しながら歩いていきます。そして、本堂内で読経を続ける僧侶のまわりを何度も何度も回り続けます。残念ながらここは報道関係者と許可を取った人々が座っていて、その人たちがまたカメラを持っているので立ち上がるものですから、私たちのようなお堂の外から覗いているものは、チラチラ炎がしているのが見え、読経の声が聞こえてくるだけです。私は本堂の南側の廊下の前にいたのですが、鬼達は本堂内を回った後その廊下を通って中へ入ってくれたおかげで、目の前で鬼達を見ることが出来ました。
そしてしばらくすると今度は鬼達が本堂から逃げ出します。中で何が行われていたのか分からないのですが、おそらくお経が功を奏したということではないでしょうか。そういえばここのお寺にゆかりの元三大師(幟がいくつもありました)はその昔都に流行病がはびこったとき下のような絵を描いたお札を作ってその病から人々を救った方だそうで、現在比叡山の横川に元三大師堂があります。
逃げ出した鬼達は下におり、あとは子ども達の頭を撫でたり、お母さん方の写真撮影に応じたりして気さくなところを見せておりました。
鬼が退散したあと、弓法師が天地四方に矢を放ちます。そして蓬莱師が紅白の豆と餅をまき邪気を払います。
廬山寺は紫式部邸宅あとでも有名です。私のいるところへは「福餅」も「福豆」も届きませんでしたので、買って帰ることにしました。
2004・2・2
京都の節分といえば吉田神社は欠かすことはできません。
2日夜から「本宮前舞殿で古式にのっとり1919年(大正8)に復活した追儺式が行われる。大舎人が黄金4つ目の仮面をかぶり、黒の衣に朱の裳(下袴)を着けた方相氏となり、振子という8人の児童を従え、陰陽師が祭文を読み終わると大声を発し、楯を3度打ち、群臣呼応して舞殿を一巡、上卿以下桃の弓で葦の矢を放ち、悪鬼を追う。次いで豆まきが行われる。」(「京都府の歴史散歩」山川出版社)と書いてあります。たかったのですが見られませんでした。私の見た吉田神社2004・2・2です。
雨が降った後でした。吉田さんの節分は2月2日から4日まで3日間。1万人の人出だとか。もちろん節分では京都一の人出です。参道が長いのでたくさんのお店が出ます。今川焼きを買おうかなと思って気をつけてみてたら80円から120円まで何種類もありました。 他の祭りや縁日などでは絶対売ってない品物がありました。さて、それは、何でしょう?正解は、鰯の乾物とあぶったものでした。なるほど節分らしいですね。それから吉田神社のお店で目立ったのは、京都の老舗のお店でした。豆政が出てるのは節分らしいです。聖護院の八つ橋も地元らしいと思いました。そば屋さんの河道屋がマイク使って呼び込みをしているのにはびっくりしました。漬け物屋の大安などあんまり露店のイメージではない店が多かったように思います。
東大路から京大正門前を通って本宮まで、さらに大元宮までの参道が長く露店の数は半端ではありません。弘法さんや天神さんは古道具・植木・古着などの露店が多いのですが、ここにはそういうものはありません。ひたすら食べるもの飲むものの店が並びます。
道すがら仮装行列をしている一団に出会いました。新選組の格好をしている人たち、そして奴やお姫さんなどの時代劇みたいなかっこうした人たち。私は昔見たチンドン屋を思い出しました。
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