京都東山の石仏巡り1

左京区の石仏

(0)霊鑑寺弥勒石仏
(左京区哲学の道)

 鎌倉時代に遡る弥勒石仏です。霊鑑寺の秋の特別拝観で拝見することが出来ました。場所が分かりにくかったので案内の方に尋ねましたが、その方もご存じありませんでした。しかし寺内の地図で確認してくださって分かりました。入り口近くのトイレの近くにおられました。それほど大きなものではありませんでしたが、顔もよく残っている優品です。光背に彫られている種子のある如来像の弥勒さんです。

(1)安養寺前阿弥陀石仏
左京区粟田口町字山下

地下鉄東西線「蹴上」から三条通沿いに東へ行くと安養寺と日向神社の案内がある。その道を北へ登って行くと琵琶湖疏水九条山浄水場やインクラインへ出る。疎水工事で亡くなった方々の慰霊碑の横に大きな石仏がある。それがこの安養寺前阿弥陀石仏である。
高さ1.6mの舟形光背を背負い蓮華座に結跏趺座する像高91cmの定印阿弥陀如来。鎌倉末期のもの。義経にゆかりのある話が伝わり「義経大日」と呼ばれているそうだ。

(2)聞名寺阿弥陀石仏
左京区北門前町(東大路二条下ル東側)市バス東山仁王門下車

鎌倉時代の阿弥陀石仏。高さ1.6m蓮華座に二重円光背を負って趺座する定印阿弥陀石仏を厚肉彫り。花崗岩製。昔火事にあったようで首が折れ右手肘にも折れた跡がある。11個の小月輪を浮彫りし、阿弥陀の「キリーク」の種子をきざんでいる。鎌倉末期に「石像寺」の阿弥陀石仏を模して作られたのではないかと言われるのだが…。

(3)知恩寺墓地石仏
左京区田中門前町(今出川東大路東入る)市バス百万遍下車すぐ

法然上人が念仏道場として建てられ、元弘元年(1331)都で疫病が流行したとき時の住職全阿上人が百万遍の念仏を唱えたところたちまち悪病がおさまり、後醍醐天皇から百万遍の号を賜ったと伝えられる大きな浄土宗にとって由緒ある寺。私が訪れたとき本堂で4人の僧がお経を唱えておられました。しばらく聞かせて頂いたのですが4人の声がハモって大きなお堂の中でこだましてなかなか美しい響きでした。木魚と太鼓が適当にアクセントになり「南無阿弥陀仏」が意味ある念仏として聞こえました。昔の信心深い人たちが感じた法悦というのはこういうものなのだろうと思いました。
さて、このお寺の墓地の東の隅に目指す阿弥陀仏があります。花崗岩製、高さ1.7mの大きな石仏です。光背を負って結跏趺座する定印阿弥陀石仏で厚肉彫りしたもの。カビが生えているのでしょうか、黒くなっています。見たところ肉付きの良いダイナミックな石仏です。私は日本の石仏と言うより中国のもののような気がしました。鎌倉時代のものでしょうが、何らかの理由で欠損したため、首から上は江戸時代に復元したようです。
知恩寺墓地の石仏の中に面白い阿弥陀さんを見つけました。デジカメ写真劇場「98,阿弥陀の頭髪」をご覧下さい。この阿弥陀さんは江戸時代の五劫思惟の阿弥陀石仏です。五劫(四劫は世界の成立から破滅にいたる四大期のことで、五劫となるとさらに長い時間になります)という長い時間の間思惟を重ねた仏だというので頭部螺髪が異様に長く伸びて作られています。

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