かばのしっぽの

西国三十三カ所巡り3
(摂津・播磨・丹後・近江・美濃)

西国33カ所巡り1(1番〜9番)
(紀伊・和泉・河内・大和・奈良)
 
西国33カ所巡り2(10番〜21番)
(山城宇治・近江・大津・山城・京・丹波) 
西国33カ所巡り3(22番〜33番)
(摂津・播州・丹後・近江・美濃) 
西国33カ所巡り
写真集
 
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 何とか15日間は連続で般若心経を唱え続けましたが、摂津中山寺・花山院御廟と岐阜華厳寺が残ってしまいました。
 京都から午後2時とか3時とかの出発では無理ですから4日後の日曜日4月18日に摂津中山寺と花山院御廟、そして美濃の谷汲山華厳寺へ行き、満願成就いたしました。総日数16日。3月31日から4月18日まで19日間で私の西国33カ所霊場巡りは完了いたしました。
 今回は摂津から播磨へ。西に向かいます。そして一転北へ抜けて丹後を目指します。日本海の天橋立と舞鶴はさぞかし遠かったことでしょう。次は琵琶湖の竹生島を目指します。きっと連続で順番通り巡られた方たちは、琵琶湖の西岸(湖西)近江今津辺りから船に乗られたのでしょうか。そして今度は湖東長浜辺りへ上陸し、近江を経て最後満願成就の美濃谷汲山華厳寺へ。
 私は車とバイクという文明の利器を使っての旅ですから簡単に回りましたが、昔の方はそれほど石標や道しるべもない時代に、地図もなく字もろくに読めない状態でどうやって巡られたのでしょうか。
 何で読んだのか、西国三十三カ所霊場巡りで一番最初に訪れるのは摂津国番外花山院御廟で、それから紀伊国第1番札所清岸渡寺に向かったとか。最後の16日目に私は花山院御廟から谷汲山華厳寺へ行きました。期せずして昔の人の最初と最後を訪れることになりました。
第1日目 紀伊(1)清岸渡寺 2010・3・31(水)       
第2日目  紀伊(2)紀三井寺・粉河寺 2010・4・1(木) 第2日目  和泉 槇尾寺 河内 葛井寺  2010・4・1(木) 
第3日目  大和 長谷寺・法起院・岡寺・壺阪寺 2010・4・2(金)  第4日目  播磨 圓教寺・一乗寺・清水寺  2010・4・3(土)
第5日目  近江 竹生島・長命寺・観音正寺  2010・4・4(日)  第6日目  大和奈良 興福寺南円堂   2010・4・5(月) 
第7日目  山城宇治 三室戸寺  2010・4・6(火)  第8日目  山城上醍醐准胝堂 元慶寺  2010・4・7(水) 
第9日目  近江 石山寺・岩間寺  2010・4・8(木)  第10日目  近江大津 三井寺  2010・4・9(金) 
第10日目  山城京 清水寺・今熊野観音寺    2010・4・9(金)  第11日目  山城京 行願寺・六波羅蜜寺  2010・4・10(土)
第12日目  丹波 穴太寺 丹後 頂法寺・松尾寺 2010・4・11(日)  第13日目  山城京 六角堂  2010・4・12(月)
第14日目  摂津 総持寺・勝尾寺  2010・4・13(火) 第15日目  山城 善峯寺  2010・4・14(水)
第16日目  摂津 中山寺 花山院御廟  2010・4・18(日) 第16日目  美濃 谷汲山華厳寺  2010・4・18(日)

第14日目(2010・4・13・火)
「摂津」総持寺・勝尾寺

第22番札所
補陀洛山 総持寺

高野山真言宗
千手観世音菩薩
中納言藤原山陰
寛平2(890)年
大阪府茨木市
072−622−3209
境内自由
8:00〜17:00
 大阪へ行くとき私の住む京都市伏見区からは京阪電車が便利です。ですから枚方とか門真とか京阪沿線の地名は馴染みがあるのですが、阪急沿線側淀川北側の茨木とか高槻など摂津は馴染みが薄いのです。それに私は大阪へ行く用事が今までありませんでした。最近でこそ文楽を見に行くことがありますが、大阪は私の興味をひく場所が少ないところなのです。この日訪ねる総持寺と勝尾寺は全く土地勘のない初めての場所です。京都府長岡京市から171号に入りバイクで茨木にあるという総持寺を目指しました。
 水無瀬を超え高槻を超えると茨木でした。案外近いのだなと思いました。171号に大きく案内が出ていたので迷わずに着きました。団地の中に古いお寺があるのだなという印象を持ちました。
 4月の平日の午後、お寺は閑散としていました。駐車場もほとんど車はありませんでした。帰りがけにツアーのバスと遭遇しましたが。
 お寺は掃除の時間だったようで若い修行僧でしょうか何人もの方が敷地内にあるお堂のぞうきんがけをしておられました。この本堂内にご本尊がおられるのかどうか、とにかく全く閉ざされていて中を窺うこともできませんでした。般若心経をよみましたが、何とも手応えのないことでした。本堂左手に納経所があるのですが、中は売店になっていました。
 このお寺の開基藤原山陰という人、一昨年あたりまでは全く知らなかったのですが、「京都検定」の時に覚えました。何でも京料理に関係のある人物で四条流だったかなの開祖です。式包丁という伝統の技を継承しておられる料理屋さんが京都にありますが、それとも関係があるのだと思います。もちろん中納言ですから政治にも関係したのでしょうが。境内に包丁塚がありました。山陰さん亀に助けられたという伝説ももっておられるのだそうです
第23番札所
応頂山 勝尾寺

真言宗高野山派
十一面千手観世音菩薩
開成皇子
神亀4(727)年
8:00〜17:00
土日祝は延長
拝観料400円
大阪府箕面市
072−721−7010
 勝尾寺…「かつおうじ」と読むそうです。
 総持寺からまた171号で大阪市方面へ、勝尾寺の案内が出ている道右折し、山の方へ向かってどんどん進んで行くとドライブウエーのような道に出ます。クネクネと行くと勝尾寺に到着。車なら簡単だが、昔の人はここまで来るのにしんどい目をしただろうことが想像できます。
 勝尾寺へ入るには売店の中へまず入って、拝観料を払います。そして上の写真の楼門形式の山門なのです。これが昨日塗り替えたのかと思うぐらい朱色が鮮やかでお稲荷さんかと思いました。写真でも左側がもやっているのが分かります。山門の向こう側に池があるのですが、まるでスモークでもたいたように湯気が立っていました。おそらく温泉が涌いているのではないでしょうか。ちょっと不思議な光景です。
 桜は終わっているとあきらめていましたが、この山門や多宝塔付近に色の濃いしだれが咲いていました。まだ木が若いようですが手入れも行き届いており、「花の寺」の面目躍如です。
 箕面と言えば、サルと箕面の滝が有名です。なかなか根性のきついサルがいて、観光客の持ち物をひったくるというニュースは箕面だったように思います。箕面の滝は33mだそうです。この近くにあると思うのですが、興味がなくパスしました。箕面は紅葉で有名です。ずいぶん若い頃に一度紅葉の時に行ったような行かなかったような…。
 この勝尾寺は勝ちダルマの奉納で有名だそうです。よく選挙事務所に勝ちダルマの片目入ったのに当選した候補者が目を入れるというのがありますが、ここにそのダルマ売ってました。買おうかなと思って見ましたが、高いのにビックリ!特別勝負で勝ちたいこともないので素通りしました。
 このお寺はたくさんのお堂があります。下の本堂は豊臣秀頼と淀君の再建だそうです。これも色鮮やかでした。豊臣秀頼と淀君再建という建物はあちらこちらにあるものだと感心します。二階堂は法然が晩年過ごしたとか、これは見たかったが時間がなくパスしました。

第16日目(2010・4・18・日)
「摂津」中山寺・花山院

第24番札所
紫雲山 中山寺

真言宗中山寺派(大本山)
十一面観世音菩薩
聖徳太子
推古天皇時代
(593〜628)初期頃
9:00〜17:00
境内自由
兵庫県宝塚市
0797−87−0024
 朝八時前に自宅を出発。中山寺到着は9時前でした。ちょうど1時間で着きました。
 駐車場はお寺のものはどうもないようで、一番近いというかなり大きな駐車場がありました。この駐車場私が入れた時にはすでに7割ぐらい車が入った状態でした。そして1時間ほどして帰るときには満車で待ち状態でした。何と700円でした。高い!と思いましたがいやなら駐めるなです。他にどうしようもありません。
 秀吉が子授けを祈願して秀頼を授かったとかで「子育て観音」として、また明治天皇の生母が安産の腹帯を授かって無事安産だったことから「安産の観音」さんとして全国に知られるようになったらしいのです。流行ってます、中山寺。
 私の前を若いカップルが歩いていました。女「何でそんないいかっこしてるの?」男「お寺来るときはええかっこしなあかんやろ」安産の「腹帯」をいただきに来たようでした。とにかく若いカップルが多いのです。そしてその親のような付き添いの人たち。お寺は次々と訪れる老若男女で一杯です。
 観音さんは毎月18日開扉。たまたま開扉の日に行きました。しかしそのお姿は見えたような見えなかったようなでした。
 本堂で腹帯やお守りなどを売って?ました。数千円のものばかりでした。
 私のような西国霊場巡りの人間は少数派です。この本堂に納経所はありません。この本堂へ来る最後の階段にエスカレーターがあるのですが、納経所はその手前の目立たない場所に実に地味にありました。お賽銭やロウソク・線香代と先ほどの駐車料金で私は一万円札しかない状態で納経所に行きました。「申し訳ありません」と一万円を出したら、「300円の納経料に1万円ですか」と嫌みを言われました。そして五百円玉7個と千円札6枚と百円玉2個おつりをもらいました。「細かくしていただきありがとうございました」とお礼を言いました。中山寺は数千円単位の参拝者を相手に布教(商売)されているようです。ちなみに納経所で朱印を押してくださる方は雇われているのだそうです。修行された方の字ではないのか…とがっかりしました。
番外 
東光山 花山院
(菩提寺)

真言宗花山院派(本山)
薬師瑠璃光如来
法道仙人
白雉2(651)年
8:00〜17:00
境内自由
兵庫県三田市
0795−66−0125

 中山寺から番外の花山院へ向かいました。高速道路をおりて花山院へ行く道は高層住宅街や整然とした新興住宅地のような場所でした。有馬富士公園と言うところも通りました。
 上の写真のお堂は花山法皇殿という本堂で、花山法皇の彫像が安置されていました。薬師堂がその横にありました。本尊のおられるところが本堂だと思うのですが、ここは花山法皇の祀られているところが本堂のようです。西国霊場巡りものは、法皇殿を拝みます。
 その向かい側にあるのが、下の写真の花山天皇御廟所です。供養塔が立っていました。西国三十三カ所霊場巡りの中興の祖である花山法皇の功績を讃えて、その廟所のある花山院が番外札所となっているようです。
 花山法皇という方は17歳で天皇になるのですが、政争に翻弄され騙されて京都元慶寺(番外の寺)で得度剃髪したのだそうです。それで皇位を失ってしまったという何とも哀れな方です。側近が騙した方法というのが、当時最愛の女御を失って失意にあった天皇に「供養のために位を退き出家されてはどうか。私もお供に」というものだったとか。こういうやり方に乗ってしまった花山天皇はやはり若かったということでしょうか。19歳…自分の19歳の時のことを思い出せばそんなものかなとも思いますが。
 徳道上人が西国33カ所霊場巡りを始めたのですが、普及かなわず閻魔大王から授かったという宝印を石棺に納めたのを、第24番札所の中山寺で掘り起こしたのが花山法皇だそうです。そして衰退していた西国33カ所霊場巡りを復興させたということのようです。ということは、花山法皇は西国三十三カ所霊場巡りをされたということのようです。そしてこの花山院がお気に召したようでここで隠棲生活を送られ、寛弘5(1008)41歳でなくなられたのだそうです。入山から5年後のことだそうです。
 この寺名標高418mの阿弥陀ケ峰にあり、お寺の庭から瀬戸内海や小豆島も見えるという景色のよい場所です。

第4日目(2010・4・3・土)
「播磨」清水寺・一乗寺・圓教寺

第25番札所
御嶽山 清水寺

天台宗
十一面千手観世音菩薩
法道仙人
推古天皇35(627)年
8:00〜17:00
拝観料 300円
兵庫県加東市
0795−45−0025
 京都と同じ名前のお寺があって、京都より古い創建の清水寺です。小京都と呼ばれているような所へ行くと「加茂川」とか「東山」とか京都の地名が使われていて、ああ、きっと都へのあこがれがこういう名前になっているのだろうなと思う習慣がついてしまっています。清水寺もそうなのだろうと思っていましたが違うようです。
 仙人?この寺の開基は法道仙人だそうです。花山院も一乗寺もそうです。仙人と言えば雲に乗って空を駆けめぐったり不老不死であったりの超能力者だと私は思うのですが。この方は1800年前にインドから来られたそうです。卑弥呼より古い時代です。何かに書かれているのでしょうか。私は初めて聞くお名前でした。
 少し調べてみました。播磨地方に法道仙人開基のお寺が2〜30か寺あるようです。鉄鉢を遠くへ飛ばして米や金を集めるという「千手飛鉢の法」で多くの貧民を救われ「空鉢上人」と呼ばれたという伝承がある方のようです。信貴山縁起絵巻に鉢を飛ばしてという話が出てきますが、時代は奈良時代辺りが相当のようです。
 播磨の清水寺は大正2年に火災にあわれたようで堂塔は大正から昭和にかけての再建だそうです。本尊が御開帳中でした。金ぴかの観音様でした。観音さんのひげっておかしなひげです。喜劇役者みたいなくるりと一回転しています。笑いそうになります。京都の泉涌寺に楊貴妃観音という美しい観音さんがおられます。その観音さんにもひげがあります。楊貴妃にひげか…と思っていたら、あれはひげではないと説明されました。しかし、どうみてもひげでした。播磨清水寺の観音さんも新しいだけにひげが目立ちました。
 このお寺へはドライブウエーができていて、今は簡単に行けますが、昔はさぞかしつらい参拝だったことでしょう。
 フォトコンテストをしておられるようで、そのパンフをいただきました。
お寺のすぐ近くに立杭陶芸センターなどもあるようですが、時間がありませんでした。残念。
第26番札所
法華山 一乗寺

天台宗
聖観世音菩薩
法道仙人
白雉元(650)年
8:00〜17:00
拝観料300円
兵庫県加西市
0790−48−4000(納経所)
 一乗寺という名前も全国各地にありそうに思います。京都市左京区を走る叡山電鉄の駅に一乗寺があります。しかしそういう名前のお寺が現存しないという珍しい駅です。
 播磨の一乗寺は播磨清水寺と同じ法道仙人開基のお寺です。法道仙人伝説はこの地域限定のようです。実在しただれかの話が、仙人伝説となって伝わっているのでしょうか。貧者を救われたというところがいいなと思います。先の清水寺は、その後行基さんも関係しているようですから、民間僧「聖」が活躍したことが想像できるのかなと私は思いました。
 車で行った感想です。だんだん人里離れたような場所へ入っていき、一乗寺ゾーンへ辿り着いたというような印象です。私は滋賀県坂本に似たイメージを持ちました。どう似ているかと言われても困るのですが、同じ天台宗だからでしょうか。
 入口で拝観料を払って、172段の階段を上ります。途中に三重塔があり、平安時代末の建造物で国宝です。三十三カ所のお寺は有名なお寺ですから当然かもしれませんが、おしなべて経済的にも潤っていると聞きました。そのためかどうか分かりませんが最近三重塔や五重塔を再建されたというお寺が多かったように思います。その中で、この三重塔は、やはり貫禄があるというかありがたいというか。
 本堂はさらに階段を上ったところにありました。この建物は重要文化財だそうです。本尊は白鳳期の銅像です。本堂同様重文だそうです。開帳が5月11日からだそうで拝見できませんでした。パンフレットにお姿が印刷されていました。秘仏をこういう形で見せていただくのも珍しいと思います。
 このお寺には奈良博物館に委託している国宝聖徳太子および天台高僧像十幅などがあり、宝物館があります。しかし年二回の一般公開だそうです。
 本堂から眺める三重塔もなかなかのものでした。桜の花が満開でした。桜に映えて美しい塔でした。 
 
第27番札所
書写山 圓教寺

天台宗
六臂如意輪観世音菩薩
性空上人
康保3(966)年
8:30〜18:00
拝観料 500円
兵庫県姫路市
050−3532−2379
 書写山という名前は前から聞いたことがありました。中国自動車道を走っていると、書写山トンネルというのがあって、「ああ、この辺りなのだな」と思っていました。今回の霊場巡りでやっとご縁ができました。
 ナビで検索してついたところがケーブルの駅。何のことやらと戸惑いながら、とにかく車を降りて、ケーブルの駅まで行きました。たぶん歩いても行けるのでしょうがケーブルを使うのが普通のようです。料金は往復900円でした。車は進入禁止でした。
 この書写山が西国霊場の一番西の端になります。「西の比叡山」と呼ばれるお寺です。ケーブルで上るところが比叡山と同じです。
 ケーブルで姫路の町を眺めながら上の駅についたら、ここから相当歩かなければ(2〜30分)本堂(摩尼殿)に着きませんでした。アップダウンのある山道で、マイクロバスを使いたい人は特別料金でした。これだけの設備を整えているということからもこのお寺が播磨では相当な観光客を含む人々を集めるお寺だと予想できます。
 本堂は上の写真のように舞台のある立派なものでした。いつもの通りお経を唱えロウソクとお線香をあげました。今日は死んだ父親の誕生日で「先祖供養」を祈願しました。
 本堂からさらに進むと、重文の三つの重厚な建物群に到ります。そのうちの二つが下の写真です。これは後白河法皇が指示して建てられた「食堂」(40m)から見た大講堂です、この前に能舞台にもなる常行堂があります。西の比叡山と呼ばれる理由はケーブルだけではないということが分かります。僧侶の修行の場所なのです。食堂は文字通り修行僧の寝食の場だったようです。ここに寺宝が集められていました。仏像はもちろん鬼瓦などもありました。この建物群の前に姫路の殿さまの墓所がありました。これも大名の墓所とはこういうものだという典型のような立派なものでした。
 和泉式部も訪れたというこの寺。何だったか古典の物語に出てきたのですが思い出せません。

第12日目(2010・4・11・日)
「丹後」成相寺・松尾寺

第28番札所
成相山 成相寺

高野山真言宗
聖観世音菩薩
真応上人
慶雲元(704)年
8:00〜17:00
拝観料 500円
京都府宮津市
0772−27−0018
 私は勘違いしていました。宮津市にある天橋立へは何度か行ったことがあって、天橋立の入口にあるお寺が成相山だとばかり思いこんでいました。あこは文殊堂のある智恩寺だったようです。
 同じ天橋立近くに籠神社という丹後一之宮があります。ここは元伊勢とも呼ばれる古社で、宮司は八十二代続いている海部氏です。丹後は日本海に面し大陸朝鮮半島と直接つながる場所で、古代から一大勢力を形成してきた場所です。
 成相山は智恩寺から籠神社へ行く道の途中から山側へ入り、丹後国分寺跡丹後郷土資料館を通った山の中にありました。これは車で行った場合で、元伊勢籠神社から天橋立ケーブルで傘松公園(天橋立股のぞきができる場所)からもバスが出ているようでした。
 雨が降っていました。駐車場から本堂まではすぐでした。お寺でいただいたパンフレットは雪に囲まれた本堂の写真でした。ああ、似合うなと思いました。丹後は最近めっきり雪の日が少ないとか。
 本堂の中に灯籠が下がっているのですが、これが美しいと思いました。
 その他にも左甚五郎作という「真向の龍」(真っ正面を向いている龍の意)が本堂右側にありました。確かに真っ正面向いていました。
 左甚五郎作というのはよく見るのですが、本当なのでしょうか。私は「またまた」とあんまり信用しないのですが、どうなのでしょうか。古い立派な彫刻があったら、左甚五郎が登場するのかなぐらいにしか思わない私はバチあたりなのでしょうか。
 本尊の観音さんは「美人観音」だそうです。その由来がパンフにあったのですが、わかりにくい文章でした。でも美人になれる観音様だそうです。シャクナゲが美しいそうですが、私が行ったときはもう少しでした。
 五重塔が復元されていました。立派な塔でした。 
 駐車場からさらに車で上ると、パノラマ天山展望台があり、天気のよい日には日本三景天橋立はもとより、白山まで見えるとか。残念ながら雨でしたから展望台へは行きませんでした。
 
第29番札所
青葉山 松尾寺

真言宗醍醐寺派
馬頭観世音菩薩
威光上人
和銅元(708)年
8:00〜17:00
境内自由
京都府舞鶴市
0773−62−2900
 
 松尾寺の本尊「馬頭観音」は拝観したい観音様でしたが開帳は昨年だったようです。松尾寺の馬頭観音は霊場巡りの観音様の中で唯一のもの。長野県諏訪と高遠にある守屋貞治の石仏を巡った時に西国三十三カ所石仏を見ました。その時松尾寺の馬頭観音が抜群の存在感を示していました。それにしても西国三十三カ所のお寺にどんな観音さまがおられるかを江戸時代に長野の石工が知っていたということに私はびっくりでした。きっと昔から秘仏だったはずでしょうから、自分の目で確かめながら巡ると言うことは考えにくいのです。きっと求める人には何らかの方法で知らせたのでしょう。三十三カ所観音巡りは板東・北陸・秩父などなど全国にいっぱいあります。そのもとになっている西国三十三カ所霊場巡りの観音さんはおそらく有名な存在だったのでしょう。
 松尾寺の先代住職は徒歩での霊場巡りを提唱されている方だそうで、その本がありました。何でも京大の哲学科をご卒業された方だそうで、天田愚庵という方のことを書いたものもありました。この天田愚庵という方の草庵が私の住む桃山にあったらしく、その木札を見つけたことがあります。興味ある方は「伏見の椿」をご覧下さい。
 松尾寺の本堂におられる職員の方は、お話し好きで親切に色々お話しをしてくださいました。現住職も今売り出し中だとかで、NHKの心の何とかという番組に出たりしておられるそうです。
 松尾寺の本堂が下の写真なのですが、なかなか美しい建物で桜ともよく調和していて美しいと思いました。江戸時代の建物だそうで宝形造りという二重屋根のちょっと変わった建て方です。
 青葉山はは若狭富士とも言われている美しい山だそうです。その中腹にあるこの松尾寺、車では簡単に登れますが、歩いたら相当堪えそうでした。山門下に駐車場がありました。納経所で「車で来られましたか」と聞かれます。「はい」と答えますと駐車料金を支払うというシステムです。私はこの松尾寺落ち着いたいいお寺だなと思いました。雨もあがっておりました。

第4日目(2010・4・4・日)
「近江」宝厳寺・長命寺・観音正寺

第30番札所
厳金山 宝厳寺

真言宗豊山派
千手千眼観世音菩薩
(観音堂)
行基
神亀元(724)年
9:30〜16:00
境内自由
入島料400円
宝物殿300円
滋賀県長浜市
0749−63−4410
   竹生島…一度渡ってみたい島でした。
 琵琶湖に浮かぶこの島を間近に見たのは去年のことでした。バイクで琵琶湖を一周したときに海津からさらに南下したらすぐ近くに竹生島が見えました。この島には伏見桃山城や豊国廟の遺構が移築されているのです。
 「神が住む島」であり、社寺関係者以外は住むことができない島。宝厳寺と都久夫須麻神社だけがあるのです。まさに日本特有の神仏習合を具現している島なのです。その開基が行基であると伝わっているのは意味のあることのように私は思っています。
 長浜から琵琶湖汽船(往復2980円)に乗って30分。上陸すると土産物屋、そしてすぐに石の階段167段が始まります。きつい!登り着いたところが本堂。ここに本尊の弁財天(秘仏60年に一度開扉)が祀られています。宝厳寺は日本三弁財天(他は江ノ島と厳島)の一つなのです。さらに平成12年に再建された三重塔。宝物館には太刀や文書国宝「法華経序品(竹生島経)」や弘法大師が唐から持ち帰った文書の目録などが展示されていました。
 観音霊場巡りのものは、次の観音堂(下の写真)がメインになります。豊臣秀頼が現在の寺観を整えるのに尽力したそうで、豊国廟の遺構。桃山建築を代表する建物。この観音堂(国宝)と都久夫須麻本殿(伏見城遺構・国宝)を結ぶ廊下は舟廊下(国宝)と呼ばれ、秀吉の御座船「日本丸」を活用したもの。国宝尽くしなのです。
 この国宝の観音堂の中に秘仏60年に一度開扉という観音さまがおられます。特別に2010・5/1〜30まで開扉のようです。納経所も観音さまを拝するところも建物の中でとても狭い場所です。
 都久夫須麻神社の鳥居は琵琶湖に向かって立っています。ここでかわらけ投げをすることができました。「家内安全」「心身健康」と書いたかわらけが湖面に曲線を描いて吸い込まれていきました。
   
第31番札所
姨綺邪山 長命寺

千手十一面聖観世音菩薩
三尊一体
聖徳太子
推古天皇27(619)年
8:00〜17:00
境内自由
滋賀県近江八幡市
0748−33−0031
 
   近江八幡は豊臣秀次の城下町で水郷めぐりをしたことがあります。琵琶湖のヨシ群生地をお堀跡を巡るのです。
 又ヴォーリーズというアメリカから来た宣教師で建築家の建物が近江八幡に多数あって、それを見に行ったこともあります。このヴォーリーズが関係したメンソレータムというお薬を作っている会社が近江兄弟社です。この近江兄弟社が学校をつくりました。その高校で今年夏(2010)日本作文の会大会が開催されます。その準備もあってこのところよく近江八幡へ行きます。
 メンソレは今も私の家にあります。最近はリップクリームもあります。
 と、わりと近江八幡には縁があるのですが、長命寺は行ったことがありませんでした。
 湖岸から長命寺の石段が始まります。なんと808段!えーっ!!!と思いましたが、そこからまだ車でお寺の近くまで登ることができました。ここも山の中腹にあるようです。狭い道を上から降りてくる車がないことを願いながら上りました。霊場巡りはこういう寺がたくさんあるなあと思います。町の真ん中の平地にあるのは京都市内のお寺ぐらいでしょうか。
 聖徳太子作と伝わる秘仏は一体どういう像容なのでしょうか。想像がつきません。聖徳太子が湖国近江で12か寺創建されたらしいのですが真実なのでしょうか。聖徳太子信仰が興ったときに色々な話が加わった可能性もあるなと私はかねがね思っているのです。法隆寺や四天王寺はともかく近江まで本当に足を運ばれたのでしょうか。しかしきっと聖徳太子の時代にこの地にお寺を建立しようとした人々がおられたことは確かなことなのだろうと思います。こういう地方での動きがあってこそ、「十七条の憲法」の「三宝を敬い」も生きることになったのでしょう。
 本堂も三重塔も重要文化財。808段の階段を登ってこられた方がおられた。あーすごい方がおられます。私はようしません。
  
   
第32番札所
繖山 観音正寺

千手千眼観世音菩薩
聖徳太子
推古天皇13(605)年
8:00〜17:00
境内自由
滋賀県近江八幡市
0748−46−2549

 
   長命寺からの道の途中、信長の安土城跡を通りました。桜が咲いていて、人が大勢出ておられました。安土という地名が安土町の近江八幡市への編入で消えるということなどで編入反対の住民運動があります。
 観音正寺もまた観音寺山頂上付近にあるお寺でした。ここは駐車スペースが限られていることと道が離合できないような狭い道のため、自動車道の途中で何人もの人が出て車を誘導しておられました。通行料は500円。この有料道路ができるまでは霊場巡りの中でも最大の難所だったとか。
 観音正寺の納経所で朱印を押してもらっていたら、何か運動会のような盆踊りのような音が聞こえてきます。「あの音は何ですか」と聞きましたら「ふもとの神社の春祭りです」とのこと。土日二日間春祭りが行われているようです。
 観音正寺本堂は平成16年に10年の歳月をかけて再建されたそうです。原因不明の出火で本尊も聖徳太子ゆかりの人魚のミイラもいっしょに焼失したのだそうです。現在の千手千眼観音が御開帳中でした。6.3mの白檀で作られた大きな像でした。ありがたくお経をあげさせていただきました。
  繖山は「きぬがさやま」と読むようで、観音寺山の形からの命名だそうです。この観音寺山に近江守護職佐々木六角氏がお城を築き、その庇護で観音正寺も大いに栄えたのですが、佐々木氏が織田信長に滅ぼされ、寺の堂塔も焼失したようです。 私は近江の中心は大津だと思ってきましたが、歴史の流れの中では必ずしもそうでもないようです。織田信長など東の方の人から見れば、この辺りが近江の中心だったのでしょう。「近江を制するものは天下を制する」と言われた戦国時代、都に近づきすぎない位置に慎重に信長は城を築いたようです。
 御開帳拝観記念で滋賀県で一番古い奥の院の磨涯仏が公開されていたのですが時間がありませんでした。残念でした。
   

第16日目(2010・4・18・日)
「美濃」華厳寺

第33番札所
谷汲山 華厳寺

天台宗
十一面観世音菩薩
豊然上人・大口大領
延暦17(798)年
8:00〜16:30
境内自由
岐阜県揖斐川町
0585−55ー2033 
   
     
 谷汲山華厳寺は2度目です。前回は2007年岐阜県本巣市の根尾谷薄墨桜を見に行った帰りに寄りました。その時にここが西国三十三カ所霊場巡り満願成就の寺だと知りました。
 私は第21番札所亀岡の穴太寺へ行ったときに、祖母のお通夜に町内の方や近くの方々が御詠歌をあげに来てくださったことを思い出しておりました。鉦と錫をならして「帰命頂礼、ありがたや」というので始まる御詠歌です。確かあれは西国三十三カ所巡りの御詠歌だったなあと思い出したのです。四十五日にも来ていただいたように思います。今はそんなお通夜やおたいやは私の近辺からはなくなりました。亡くなった人を弔うことも簡素化し、近所のつきあいも疎遠になっている証左のように思います。そう思うともう一度聞きたくなって、明くる日CDを購入しました。それを聞きながら谷汲山の駐車場に着きました。駐車場の方が、「熱心ですね」とおっしゃいました。私は思わず吹き出したのですが、そう見えたかもしれません。
 参道の門前町のお店は谷汲山ならではです。まず、菊花石を売っている店があります。それから三十三カ所のお軸を表装してくれたり、仏像を売っている店があります。何やらおもしろそうな古道具を売っている店もあります。野菜やこの辺りの品物を売っている店もあります。それがかなり長く続いて(800m)やっと山門へ到着します。
 山門が立派です。さらに歩いていくとお百度石がありました。
 そのお百度石見ながら、「おせんどさん」を思い出していました。私が子どもの時に町内行事で「おせんどさん」(漢字は知りませんでした)というのがあって、初めは御香宮神社で、割竹を持って何度も同じ所を行ったり来たりをしました。そのうちに、町内で参加する人が減ってきたので、「おせんどさん」という名前はいっしょですが、「お千度参り」はせずに花見をして飲み食いをするだけの行事に変身しました。そのうちにそれも参加者がないというので、「おせんどさん」そのものが消えました。これも地域のつながりが弱まっている証左です。「地蔵盆」だけかろうじて残っているのが今の姿です。どうも昔のことばかり思い出すようです。
 谷汲山の奉納のぼりが林立する本堂でいつものように般若心経をあげてロウソクとお線香をあげました。お線香がすごい勢いで燃え上がりました。風の具合のようですが、ビックリしました。
 納経所で朱印をお願いしましたら、谷汲山は3つ朱印を押されるのだとか、それが上の3つです。この寺には3つの御詠歌があるそうで、それぞれ、大悲殿(本堂)(現在)、満願堂(過去)、笈摺堂(未来)と書かれているのではないでしょうか。
 この本堂の床下は「戒壇めぐり」になっています。暗闇(本当に真っ暗です)を進み本尊につながる錠前を触れば願いが叶うとか。前回試みたのですが、触ったかどうか記憶にありません。とにかく真っ暗で「闇」の怖さを実感しました。
 本堂前の柱に「精進落としの鯉」という青銅製のレリーフが一対向かい合わせであります。参拝をすませた巡礼者はこの鯉にふれたら今までの精進潔斎の生活から解放され、俗界に戻れるのだそうです。私はずっと俗界で精進潔斎もしていませんでしたからさわる必要はなかったのですが、一応さわっておきました。
 最後に谷汲山の3つの御詠歌です。
・よろずよの ねがいをここに おさめおく みずはこけより いずるたにくみ
・よをてらす ほとけのしるし ありければ まだともしびも きえぬなりけり
・今までは おやとたのみし おいずるを ぬぎておさむる みののたにくみ
 合掌。
 谷汲山で西国霊場巡りもピリオドを打ちました。3月31日〜4月18日までの19日間。実際に要した日数は16日でした。
 しかしこのHPのページが完成しないことには終わった気分にはならないのも事実でした。それも今日5月2日(日)にやっと終わりました。
 退職しての約1ヶ月間、私の最大の関心が西国三十三カ所霊場巡りとその記録を残すことに使われました。
 私は特に信仰心が厚いから西国観音霊場を巡ったわけでも、現世利益を願ったわけでもありません。死んだときにお棺に入れてもらおうと思って朱印を集めたわけでもありません。では、何が私を突き動かしたのか…未だによくわからないのです。
 私は数年前から左腕に念珠をつけています。西洋では決闘の時に最後に左手で握手するとか。右腕の握手は友好の握手で、左腕は違うらしいのです。とかくかっかと熱しやすい自分がいらざる喧嘩(他人や自分と)をしないように左腕に念珠をつけています。和泉の槇尾山施福寺で西国三十三カ所の名前の入った念珠をあらたに購入しました。今私の左腕に加わりました。
 さあ、あと西国三十三カ所観音霊場巡りで撮った風景写真を番外でUPしようかと思います。見てやろうという方はご覧下さい。
 以上、わたしの西国三十三カ所観音霊場巡りはおしまいです。  
西国33カ所巡り1(1番〜9番)
(紀伊・和泉・河内・大和・奈良)
 
西国33カ所巡り2(10番〜21番)
(山城宇治・近江・大津・山城・京・丹波) 
西国33カ所巡り3(22番〜33番)
(摂津・播州・丹後・近江・美濃) 
西国33カ所巡り
写真集
 
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