かばのしっぽの

西国三十三カ所巡り1
(紀伊・和泉・河内・大和・奈良編)

西国33カ所巡り1(1番〜9番)
(紀伊・和泉・河内・大和・奈良)
 
西国33カ所巡り2(10番〜21番)
(山城宇治・近江・大津・山城・京・丹波) 
西国33カ所巡り3(22番〜33番)
(摂津・播州・丹後・近江・美濃) 
西国33カ所巡り
写真集
 
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 2010年3月31日(水)から西国三十三カ所巡りを始めました。
 なぜ?………なぜでしょうか。それほど固い決意があるわけではなくて、巡っている間におもしろいことが見つかればいいなぐらいのことです。
 行く前にいくつか決めていたことです。
@観音さんの前で「般若心経」を唱える
Aおロウソクとお線香をあげる
B納経帳を用意して朱印を受ける
C桜前線とともに北上する
 Cは私の夢なのです。「桜前線とともに日本列島を北上する」「紅葉前線とともに日本列島を南下する」。これは最高の贅沢だろうなと思っています。 3月31日(水)〜4月4日(日)の5日間、西国三十三カ所霊場巡りをしながら、近畿の桜前線を追いかけようと考えました。和歌山から奈良・大阪・京都・兵庫・滋賀をと考えました。
 はじめバイクで巡ろう思っていました。そして日が暮れたら宿泊先を考えようと思っていました。これも私の夢なのです。しかし、この計画はこの5日間の天気予報で頓挫しました。最初の3日間雨という予報なのです。しかも私が出発3日前から風邪気味で、のどが真っ赤でした。バイクで出かけて肺炎でも起こした日には動きがとれなくなります。
 仕方ありません。車で行くことにしました。そしていったん自宅に戻り、翌朝出かけるという計画に変更しました。

 かばのしっぽの西国三十三カ所巡りスタートです。
第1日目 紀伊(1)清岸渡寺  2010・3・31(水)       
第2日目  紀伊(2)紀三井寺・粉河寺 2010・4・1(木) 第2日目  和泉 槇尾寺 河内 葛井寺   2010・4・1(木) 
第3日目  大和 長谷寺・方起院・岡寺・壺坂寺  2010・4・2(金)  第4日目  播磨 圓教寺・一乗寺・清水寺  2010・4・3(土)
第5日目  近江 竹生島・長命寺・観音正寺  2010・4・4(日)  第6日目  大和奈良 興福寺南円堂   2010・4・5(月) 
第7日目  山城宇治 三室戸寺  2010・4・6(火)  第8日目  山城 上醍醐准胝堂 元慶寺  2010・4・7(水) 
第9日目  近江 石山寺・岩間寺  2010・4・8(木)  第10日目  近江大津 三井寺  2010・4・9(金) 
第10日目  山城京 清水寺・今熊野観音寺    2010・4・9(金)  第11日目  山城京 革堂・六波羅蜜寺  2010・4・10(土)
第12日目  丹波 穴太寺 丹波 頂法寺・松尾寺   2010・4・11(日)  第13日目  山城京 六角堂  2010・4・12(月)
第14日目  摂津 総持寺・勝尾寺  2010・4・13(火) 第15日目  山城 善峯寺  2010・4・14(水)
第16日目  摂津 中山寺・花山院御廟  2010・4・18(日) 第16日目  美濃 谷汲山  2010・4・18(日)

第1日目(2010・3・31)
「紀伊(1)」清岸渡寺

第1番札所
那智山 青岸渡寺

天台宗
如意輪観世音菩薩
裸形上人
仁徳天皇御代
(313〜399)
和歌山県那智勝浦町
0735−55−0001
本堂5:00〜16:30
境内自由
 1番から順番に巡ろうと思いました。清岸渡寺は数年前に行ったことがあります。熊野三山の一つ熊野那智大社と那智の滝へ行った時にお隣に清岸渡寺があることを知りました。
 ここから始めるので「西国三十三霊場納経帖」(1,500円)購入。駐車場は人がおられなくて無料。前回は有料でした。駐車場から500段の階段を歩いて清岸渡寺まで。
 この途中に那智黒という石を使った硯を売っている有名なお店があります。私は前回その店でたくさんうんちくを聞かせてもらってから購入しました。
 左の本堂は秀吉が再建したもので重文。
 私の家(京都市伏見区)からナビを頼りに車で行ったのですが、8時半出発して第二京阪(2010年3月20日開通)、近畿道、阪和道と進み、中辺路から新宮へ入り那智の滝方面へ。清岸渡寺に着いたら何と午後2時半でした。遠い!
 その昔京都市伏見区にある城南宮辺りから天皇や貴族たちが「熊野詣」に向かったのだそうです。淀川を船で下り大阪湾をさらに船で進んで泉南で上陸して熊野三山を目指したとか。
 帰りは新宮から国道168号を十津川に入りました。できれば1日で和歌山県を巡りきりたいと思ったのですがとんでもない話で、清岸渡寺で紀三井寺を検索したら到着が7時を回ると出ました。自宅までを検索したら8時。えらいこっちゃと思いながら全く寄り道せずに帰ってきました。
 桜はちょうど満開でした。境内に桜がいっぱいという感じではありません。昭和47年に再建された三重塔の近辺の桜が満開でした。那智の滝と桜と三重塔、絵になるなあと思いながらの一枚です。 
   

第2日目(2010・4・1
「紀伊(2)」紀三井寺・粉河寺

第2番札所
金剛宝寺 紀三井寺

救世観音宗
十一面観世音菩薩
為光上人
宝亀元年(770)
和歌山県和歌山市
073−444−1002
8:00〜17:00
拝観料200円
 紀州二日目の今日は、朝に用事があって出発が9時半になりました。
 昨日同様第二京阪、近畿道、阪和道で紀三井寺まで。阪和道を和歌山で降り紀三井寺に向かいました。ここも2回目です。昨年桜の咲く少し前三分咲き頃に来たことがあります。「満開の時はさぞかし…」と思っていましたが、今回はさすがに見事でした。いつも新聞などの桜情報では近畿で一番先に咲く場所で桜の名所だけのことはあります。
 紀三井寺の楼門から本堂までは231段の階段。途中に芭蕉の句碑があったり、紀三井寺と言う名前の由来になっている井戸の一つがあったり、ふり返ると山門から門前町の辺りの景色がよかったりで飽きずに登れます。
 下の写真が本堂で、ご覧のように桜のトンネルの向こうに本堂があります。 その他に多宝塔や鐘楼など重文の建物もあります。
 つい最近建てられた別料金で拝観しておられる神仏殿があります。大千手十一面観音が平成20年に落慶法要されました。前回行ったときに拝観させていただきましたが、日本最大だそうです。とにかく大きい。松本明慶という京都の仏師がお作りになったそうで、その製作過程が写真で紹介されていました。階段を上って行くと、観音さんのお顔が間近になるなど工夫がしてあります。
 紀三井寺というぐらいですから、三井寺が先にあってその紀州版かなと私は想像するのですが、違うかもしれません。
 西国33カ所霊場巡りをしていて気づくのですが、「上人」と呼ばれている開山僧はたくさんおられるということです。今まで名前を聞いたことがなかったような方々が、こうして寺を建てて仏教を広める努力をしてこられたのだなと思います。
第3番札所
風猛山 粉河寺

粉河観音宗(総本山)
千手千眼観世音菩薩
大伴孔子古
宝亀元年(770)
和歌山県紀の川市
0736−73−4830
境内自由
8:00〜17:00

 粉河寺は今回3回目です。
 今までは京都から京奈和自動車道(国道24号)で行ったのですが、今回は紀三井寺から国道24号を京都へ戻るという行程です。紀三井寺から近いなと思いました。数年前に国立京都博物館で国宝「粉河寺縁起絵巻」を見ました。子どもが出てくるのです。その話がおもしろかったので一度行ってみたなと思っていました。
 機会は意外なことですぐ訪れました。粉河寺近くに「めっけもん市場」というJA和歌山のやっている青果中心の店があります。この店は果物もあって特に梅や桃、柿やミカンなどその旬の時季はあふれるような品物が安く売られるのです。私は桃の時季に行ったのですが、感動いたしました。粉河寺はその近くだったのです。ついでながら根来寺も近くです。ここも秀吉の根来責めとかで一度と思っていたものですから、「めっけもん市場」が二つのお寺へ案内してくれたと言うことになります。
 上の門は山門ではなくて中門ではないでしょうか。立派なもので「風猛山」という字は紀州徳川の殿さまの手とか。四天王がおられます。
 山門はその手前入り口に朱色であります。山門からJRの駅まで門前町が広がっています。山門からさらに入ったところに駐車場があります。この駐車場お寺のものなのか民営なのかよくわからないのですが、その横にある茶店の人が世話しておられるようで、ついでに店に寄るように誘導されます。ありがた迷惑です。
 境内に縁起絵巻に出てくる子ども童男行者のお堂があります。
 秀吉の紀州責めで本堂も千手千眼観音も消失してたようで現在の本堂は江戸時代再建されたようです。本堂手前に国の名勝指定を受けている石庭があります。サツキの時季が良さそうです。ソテツも見事です。
  

第2日目(2010・4・1
「和泉」槇尾寺 「河内」葛井寺

第4番札所
槇尾山 施福寺

(槇尾寺)
天台宗
十一面千手千眼観世音菩薩
行満上人
欽明天皇時代
(539〜571)
大阪府和泉市
0725−92−2332
境内自由

8:00〜17:00 冬期16:00
 粉河寺からナビ任せで槇尾寺へ向かいました。さっぱり自分がどこを走っているのか分からないのです。山の中を走っています。和歌山のかつらぎ町から大阪府へ。泉佐野?河内長野?確か出てきたように思います。「父鬼」とか何とか言う場所を通っているのですが、これは大峰山とか役の行者の関係かなとか考えているうちに何とか「施福寺」の名前が出てきて一安心。この山ハイキングや野外学習にも使われているようでその案内があります。
 駐車場は広くありませんが、それほど多くの参詣者でもなかったので駐めることができました。雨でも来そうな天気でした。
 槇尾寺はしっかり歩かなければいけませんでした。山門までの坂道はふくらはぎにちょうど応えました。山門で終わりかと思ったらここからは階段や山道。私は立木観音の参詣道を思い出していました。私が必死で登っていたら、降りて来られた団体さんは、どうもどこかのお寺の住職が先導されているようでした。「もう少しです」と励ましていただいたのですが、なかなか。山門からさらに歩いて30分あまりで本堂に着きました。
 槇尾山は530m。その山腹にあるのがこの寺だそうです。西国三十三カ所の中でも上醍醐と並ぶ屈指の難所だそうです。
 下の写真は「弘法大師御剃髪所跡」という草庵風の愛染堂。弘法大師空海はここで剃髪得度したようです。
 本堂のある場所に境内茶店がありました。私はその近くで景色を見ていたのですが、中から店員さんが出てこられて「桜きれいでしょう」と話しかけてこられました。何でも33本寄贈された方がおられるそうで、もうしばらくしたらきっと美しくなるでしょう。「テン」が出るそうです、この寺に。
第5番札所
紫雲山 葛井寺

真言宗御室派
十一面千手千眼
観世音菩薩
行基
神亀2(725)年
大阪府藤井寺市
072−938−0005
境内自由
8:00〜17:00
毎月18日本尊開扉300円
 もういい時間でしたが、ひょっとしたら葛井寺に間に合うかもしれないと思って槇尾寺を出発しました。ナビ任せですが、駐車場が分かりません。お寺の駐車場があるのだろうと思って通り過ぎたら、近鉄の駅へ行ってしまい、お寺を通り過ぎてしまいました。時間もないのにそんなことで時間使ってる場合ではないのですが、お寺の駐車場に車を入れたのは4時40分。駐車場の方が歩いて4分とおっしゃったので走ってお寺に行きました。お寺は、もう後片付けに入っておられました。
 それでも般若心経もあげて納経所で朱印を受けお線香を上げてロウソクを献灯できました。
 ご住職かお寺の僧侶の方が親切に色々話してくださいました。桜は多くありませんでしたが若いピンクのしだれの木がありました。
 この寺の観音さんは国宝の天平仏です。一度拝みたいとは思っていましたが、今回拝観できるという期待はしていませんでした。しかしご住職は4月18日に来たらよいと案内してくださっていました。その頃になったら藤の花もきれいだと言うことや舞踊もあることなど何度も話しかけてくださっていました。
 私が一番最後だろうと思っていたら、あとお二人来られました。
 葛井寺は近鉄の駅では藤井寺だと思いますし藤井寺球場のある場所でもあると思います。
 ここは百済系の渡来人葛井氏の氏寺だという説があるそうです。行基開基の説もあるそうです。行基も渡来系ですから何れにしても朝鮮半島の人々の活躍が想像できる寺です。
 そういえば、槇尾寺からここへ来るまでの道で近つ飛鳥資料館や応神天皇陵古墳などもありました。
 古代日本の中心地へ行ったようです。

第3日目(2010・4・2)
「大和」 壺阪寺・岡寺・長谷寺・法起院

第6番札所
壷阪山 南法華寺

(壺阪寺)
真言宗
十一面千手千眼
観世音菩薩
弁基上人
大宝3(703)年
奈良県高取町
0744−52−2016
拝観料600円
8:30〜17:00
 壺阪寺は2回目になります。このお寺へ5年前石仏を見るために来ました。壺阪寺香高山五百羅漢が壺阪寺から高取城に行く途中にあるのです。
 前回来たときは近鉄でした。駅からバスに乗ったのですがちょうど彼岸花の時季で、彼岸花だらけでした。そして今回は桜でした。
 「壺坂」という名は「お里沢市」の壺坂霊験記で小学生の頃にラジオで知りました。「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ、頃は六月中の頃、夏とは言えど片田舎、木立の森もいと涼し…」…これは浪曲だったように思います。文楽にも「壺坂観音霊験記」があります。今年平成22年1月に上演されました。文楽には「西国三拾三所観音霊場記」というのがあり、その一つにこの話もあるのだそうです。
 盲目の夫とその夫に献身的に尽くす妻、その二人のいたわりに壺坂の観音様が心動かされて二人の命を救い、沢市の眼も開けてあげるというハッピーエンドのお話です。壺阪寺の観音さんは眼病に御利益のある観音さんとして信仰を集めてきたのです。
 ところでその重文の観音様をいつ行っても拝むことができるのはいいなと思います。この寺の本堂は八角円堂でその前に礼堂がつながっています。礼堂からもおがめるのですが、八角円堂へも近づいて間近で拝むことができます。唇の色が残り頭髪にも色が残っており、白檀ではないでしょうか。若々しい南国風の観音様だなと私は思います。今回33カ所巡りをしてみて思ったのですが、御前立ちのお姿もはっきりしないし、ましてや本尊も秘仏でお厨子の中という観音様が多いのです。特別ご開帳というのが33年に一度とか百数十年に一度とかの観音様もおられます。お姿を排して拝む方がやっぱりありがたいと私は思いました。
第7番札所 
東光山 岡寺
(龍蓋寺)

如意輪観世音菩薩
義淵僧正
天智天皇2(663)年
奈良県明日香村
0744−54−2007
拝観料300円
8:00〜17:00
(12〜2月)16:30まで
 岡寺を初めて訪ねたのはかれこれ四十数年前のことになります。その頃の記憶をたどってみるのですが、私は内陣へ入れていただいてすぐ間近で如意輪観音を全身拝ませていただいたと記憶しています。5m近い巨大な塑像です。作られたときは漆が塗られたり彩色がなされていたのでしょうが、粘土そのものでした。そのお顔は威厳に満ちていました。遠く彼方をご覧になっていました。
 岡寺の如意輪観音は、二本の手で、右手は施無畏、左手は与願の印を結んで、結跏趺坐をする姿です。台座内部の調査で、当初は左足を踏み下げて坐る半跏像であったことが分かったそうです。如意輪観音と言えば、河内長野観心寺のを思い浮かべます。手が6本あって片足を立てておられるあのお姿ですが、岡寺は違います。寺伝では弘法大師が義淵僧正の威徳を偲んでお作りになったとか。
 奈良東大寺の大仏、長谷寺の観音と並んで三大仏だそうです。
 今は、外から上半身だけお姿を拝することができます。何でも西国霊場巡り中興の祖花山天皇崩御一千年を記念して二年前京都清水寺から「西国三十三カ所結縁御開帳」が始まり、今年の5月までそれぞれに行われています。岡寺もしておられました。
 私は四十数年前に訪れたときのあの牧歌的で無警戒な岡寺が忘れられません。ああ、明日香に来ているなあと思いました。「大丈夫かなこのお寺」と思うぐらい開放的でした。
 西国霊場になっている寺はそれぞれ台所事情は潤沢だそうで伽藍を整備されたり仏像を作られたり、さらにたくさん季節の花を植えられたり、新しい魅力を加える努力をされています。そして本山から独立して自らが本山になられたりだそうです。
 昨年岡寺へは、シャクナゲを見に行きました。見事です。
第8番札所
豊山 長谷寺

真言宗豊山派(総本山)
十一面観世音菩薩
徳道上人
朱鳥元(686)年
奈良県桜井市
0744−47−7001
拝観料500円
8:00〜17:00(4〜9月)
ただし時季によって
微妙に拝観時間が変化注意 
   長谷寺は美しいお寺です。これは今回行かせてもらってあらためて思いました。 私が長谷寺を訪れたのは、ボタンの時季ばかりで、今回で4回目です。
 最初は三十年ほど前でまだ父親が存命中で5月の連休にいっしょに行きました。ボタンの時季の華やかなことと人出の多さにビックリしました。お弁当を持って近鉄で行ったなあと来るたびに思い出します。遠いなあ…と思いました。父親の誕生日が4月3日で、今日は「先祖供養」と書いたロウソクにしました。
  昨年来たときにも特別に開帳しておられました。本堂の中へ入れていただいて室町時代の11mの重文長谷観音を見上げました。そして足を触わりました。大きくて立派な観音さんでした。今回は外から「般若心経」をあげました。
 ボタンに負けないぐらい桜の時季も美しい。舞台からの景色は最高です。きっと紅葉の時もいいだろうなと思いました。「初瀬詣」…平安時代天皇や貴族がこぞって長谷寺の観音さんを詣でたらしいですが、季節ごとの魅力のあるお寺だと言うことはよく分かります。
 ところでこのお寺はお坊さんの方から挨拶されるお寺です。「ようこそお参り下さいました」昨年ボタンの時季に大勢の参拝者にご挨拶されていました。これは修行であり教育なのでしょうね。
 納経所で朱印を押していただくときに「お願いします」と挨拶しても何も応えずただ無言で書いて突き返すようにされるお寺もあります。「ようお参り下さいました」とおっしゃるお寺もあります。色々対応が違うとどうあるべきかなと考えてしまいます。
 ゴールデンウイーク中に車で長谷寺で行くと、お寺の駐車場は参道が人だらけで入れません。今日初めて入れました。
   
 
番外 
豊山 法起院

真言宗豊山派
徳道上人像
徳道上人
天平7(735年)
奈良県桜井市
0744−47−8032
境内自由
8:00〜17:00
納経8:30〜16:30
   法起院?Where?です。どうも長谷寺のすぐ近くらしいのですがはっきり分かりません。ナビで検索したら数百メートル内。長谷寺から駅までの門前商店街を左へ曲がってすぐにありました。駐車場も近くにありました。
 徳道上人という方は長谷寺を開基された方です。病に倒れ仮死状態になったときに、閻魔大王から苦しむ人々を救うために三十三カ所の観音霊場を作るようすすめられたそうです。それで西国三十三観音霊場巡りを設定されたものの、その普及はなかなかすすまず、失意のうちにこの寺で余生を過ごされたのだそうです。
 このお寺の山門前にある石標には「西国三十三所開基徳道上人御廟所」とあります。
 長谷寺には「開山堂」があり、ここには徳道上人の像が安置されていました。そしてその後ろに三十三カ所霊場の仏像が置かれていました。
  
   

第6日目(2010・4・5)
「大和奈良」興福寺南円堂

第9番札所
興福寺南円堂

法相宗
不空羂索
観世音菩薩
藤原冬嗣
弘仁4(813)年
奈良県奈良市
0742−24−4920
境内自由
 2009年興福寺展が全国何カ所かで行われ大盛況のうちに終了したことが報じられました。とりわけ阿修羅像が全国的なブームを起こしたらしいのです。そのせいかどうか知りませんが、阿修羅のある国宝館がリニューアルしていました。国宝館のリニューアルも新聞で宣伝が出ていますから興福寺の力の入れようが分かろうというものです。
 私は新しく建物が建てられたのかと思っていましたが実際には建物は同じで、中にある宝物もほぼ同じでした。変わったところは、照明のあて方や、仏像をケースから出したことそして仏像に合わせたバックの壁紙などの変化でした。それに大画面TVで二種類のDVDが繰り返し放映されていました。ミュージアムの売店も充実していて今までほとんどグッズが売れていなかったのによく売れていました。
 興福寺は今中金堂を再建中です。その気運を盛り上げ資金を集めるためにも興福寺の新しい魅力をアピールする必要があるようです。国宝と重文の仏像が山ほどある興福寺がその気になれば何とかなりそうだと思います。薬師寺や法隆寺みたいに入山料を徴収されたらいいのにとまず思います。でも奈良公園のイメージが変わってしまいますね、そんなことしたら。
 この南円堂に祀られてい
る不空羂索観世音菩薩は運慶の父康慶の作。3.36m、大きいものでした。2009年10月17日私は雨の中、中へ入って拝みました。大勢の人でした。10月17日は毎年開扉。
 この南円堂と同じ北円堂があります。ここには無着世親像があるそうです。これも普段は見られません。
 興福寺は古代から中世ま最大の勢力を誇る寺でした。比叡山と並ぶ大勢力でした。何しろ千年以上朝廷の中で君臨してきた藤原氏の氏寺ですから。そのわりに明治時代以降勢いがなくなっています。私はもっと全部見せて!と思っていますがそのためには伽藍を整備して本来の伽藍を配置せねば仏様の位置が定まらないのでしょう。 
西国33カ所巡り1(1番〜9番)
(紀伊・和泉・河内・大和・奈良)
 
西国33カ所巡り2(10番〜21番)
(山城宇治・近江・大津・山城・京・丹波) 
西国33カ所巡り3(22番〜33番)
(摂津・播州・丹後・近江・美濃) 
西国33カ所巡り
写真集
 
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