吉旺地蔵さま

 このお地蔵さまの由来を知っている人は、あまりおられないと思いますので書いておこうと思います。また、このお地蔵さまの名前は私がつけたものです。ひょっとしたら他の名前があるのかもしれません。この吉旺(きちおう)地蔵さまは、伏見区毛利長門東町にある京都府立桃山高校の敷地東北角の生け垣におられます。
生け垣が切れているところです

□吉旺地蔵由来

 私が高校2年生の秋でした。30年以上前のことになります。夕方4時頃、私はこの前にあるテニスコートでテニス部の友だちにテニスを教えてもらっていました。すると、「ドン!」と大きな音がしました。「何やろ?」とテニスコートにいた5人近くのものが駆けつけると、4輪トラックが溝にはまっていました。そこに、車の下敷きになった50ccのカブと若い男の人が見えました。そこに桃山高校の美術工芸担当の山口吉男(吉旺)先生がおられて(このすぐ近くに美術の教官室があって山口先生がすぐにかけつけられたのだと思います)、我々に「手伝え!」と言って車を押して溝からあげさせました。何度も何度も持ち上げたり押したりして、やっと若い男の人を車の下から引き出すことができました。なかなか救急車が来なかったように思います。やっと来た救急車に乗せられて男の人は病院に運ばれました。
 次の日新聞にこの事故のことが載りました。その若い人が立命館大学の学生さんだったこと、そしておなくなりになったことが書いてありました。
 しばらくして、山口先生が我々をこの場所に集めました。「君らに縁のある仏さんやからいっしょに」と言って自作のお地蔵さまをここに安置されました。型を作ってコンクリートを流し込んで作ったとおっしゃっていました。

何とも愛くるしいお地蔵です。

□故山口 吉男(吉旺)先生のこと

 山口吉男(吉旺)先生は名物教師でした。みんなに愛されていました。ギョロッとした目で無精髭をはやしてぼさぼさの髪の毛でした。
 どうも有名な日本画家らしく時々東京でも個展を開いておられました。国鉄桃山駅から作品を送るという話をしておられました。大きな襖などに寒山拾得や羅漢さんを描いておられたらしいです。年末の朝日新聞のチャリティにも日本画家として作品を提供されていました。
たしか下の「伏見五福めぐり」の色紙は山口吉旺先生のものだったと思うのですが。
 山口先生のことをだれも「山口先生」とは言いませんでした。「山口のおっさん」と言っていました。私が思い出す山口先生のエピソードです。
その@
 運動会や学園祭では山口先生がどんな登場の仕方を今年はするのか楽しみでした。ある年の学園祭のことです。この年は審査委員長でした。そのコスチュームは覆面レスラーでした。もちろん大受けでした。またある年の運動会。この年中国で「紅衛兵」が「毛沢東語録」を持って「造反有理」を叫んでいた時代でした。いわゆる「文化大革命」の時代でした。プログラムの途中突然山口先生が画家の格好で(デニムの上着とベレー帽)背中に自己批判文を背負いながら登場し運動場を一周し何事もなかったように走り去りました。自己批判文には「私はリンゴを青く描いたために自己批判を迫られ・・・」という内容が書かれていました。批判精神を持った硬骨の人でもありました。
そのA
 私は工芸という授業を受けました。竹をもってきて、「これでくつべらを作れ」と言ったり、直径20pあまりの木材を半分に切ったものを渡して「面を彫れ」と言ったりされました。なかなか楽しかったです。
 ある日、紙を配りながら、先生がつばをつけて紙を数えているのを見た生徒が「先生汚いわ」と言いました。「何が汚いねん。お前らお母(かあ)の一番汚いとこから生まれてきたくせに」これには参りました。

そのB
 卒業式の日に学校へ行ったら山口先生が「おい、これ持って走れ!」と言います。自分が作った凧を運動場に持ってきておられました。竹を組んで大きな絵が描いてありました。今残ってたら値打ちもんだったでしょうね。なにが描いてあったか覚えていませんが墨絵だったように記憶しています。大きなもので3〜4m四方のもので長いヒモがついていました。それを大勢で引っ張って運動場に揚げろと言うのです。何回走ったでしょうか。全然揚がりませんでした。いくつもあったと思います。結局その凧は体育館前の飾りとして使用されました。
 今、「山口のおっさん」が同僚でおられたらどうかなと考えます。たぶん山口先生らしく勤め続けるのは難しい世の中になっているのではないかと思うのです。私が勤めた頃はまだおもしろい名物教師と言われるような先生が大勢おられました。「大丈夫かいな?」と思うような方もおられました。今、教師が個性的である必要がない時代なのでしょう。そつなく能率良く人当たりのよい教師しか生き残れないのです。長嶋茂雄ではないですが「記録より記憶に残る」山口先生みたいな先生を大切にしない今という時代は、子どもにとって幸せな時代なのでしょうか?私はそうは思えないのです。

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