私の地元伏見区にも魅力的な石仏たちがあります。数は少ないのですが平安時代から江戸時代まであります。伏見で有名な石仏と言えば石峰寺の伊藤若冲の石仏群があります。それについては「深草石峰寺(秋)」を参考にしてください。もう一つ有名なのは「油掛地蔵さん」これは、「伏見のお地蔵さん」をご覧下さい。
伏見には京都市内にあるような比叡山延暦寺系浄土教に由来する鎌倉時代の阿弥陀石仏はありませんでした。伏見に住んでいても今回まわったお寺は初めてのところが多く知らないところがまだまだあるなと思いました。
(1)安楽寿院の石仏
伏見区竹田内堀町
近鉄地下鉄竹田駅から西へ向かうと近衛天皇の安楽寿院南陵の多宝塔が見えます。この前にあるのが安楽寿院です。この辺りは平安時代末期鳥羽離宮のあったところで院政が行われたところです。他にも白河・鳥羽天皇の陵があり、安楽寿院の前にはその鳥羽離宮発掘を説明する絵図などがあります。
この安楽寿院に有名な三尊石仏が二基あります。今覆屋の中に安置されています。江戸時代に旧成菩提院跡から発掘されたそうです。その時に三基出土したそうで、うち一基は京都国立博物館庭内に置かれています。もともとは四基あったのではないかと言われています。つまり釈迦・阿弥陀・弥勒・薬師の顕教四仏であり、それが塔の四方仏だったのではないかというのです。もしそうだとしますと高さ1m幅1.2m厚さ40cmあるものですからかなり大きな層塔だったと思われます。平安時代末藤原時代の石造文化を伝える貴重な史料です。凝灰岩で作られているもので残念ながら摩滅や欠損がひどく残念です。
薬師三尊・中尊薬壺を持っている 釈迦三尊
京都国立博物館にある阿弥陀三尊…この石仏が一番しっかり残っています。中尊の阿弥陀如来は定印、右隣の観音菩薩は蓮台を捧げています。左の勢至菩薩は合掌しています。両菩薩が如来によりそうように彫られています。
京都の平安時代の厚肉彫り石仏で現存するものはこの安楽寿院の三石仏のみだそうです。石質がもろいために早くに姿を消したものらしくその意味でもこの安楽寿院の石仏は貴重なのです。
(2)悟真寺四尊仏
伏見区榎町(近鉄伏見駅西南700m市バス住吉下車上板橋通り)
このお寺の前は何回も通っていました。私の小学校の校区でしたし今もよく通ります。しかし中には入ったことがありませんでした。門前に「戊辰戦争東軍慰霊碑」があると表示されています。
悟真寺は天正3年(1575)に開創された浄土宗寺院。現在本堂を改築中でした。
この四尊仏はその本堂前にありました。花崗岩製。高さ48cm幅40cm厚さ20cm。周囲を枠取りして上下二段を作っています。上の段に舟形光背を彫り地蔵座像二体を並べ浮き彫りにしています。一体は合掌しておりもう一体は錫杖と宝珠を持っています。下の段は合掌する座像で10cm。上の地蔵は蓮華座がありますが、下の二体はありません。
この四尊仏は親孝行な施主が二親(下の二体)の極楽浄土を願って作られたもので、時代は南北朝時代のものと見られています。
(3)源空寺即一六躰地蔵尊 伏見区瀬戸物町(京阪桃山駅下車西へ5分大手筋通り3筋目北すぐ)
六地蔵さんは珍しくないのですが、これは珍しいと思います。私が知らないだけかもしれませんが。六角形にして六体が彫られているのなら珍しくないのですが(そういう石幢は見たことあります)これは、五角形の台座の各面に一体ずつ地蔵尊が刻んでありさらにその上にもう一体の地蔵尊があるのです。源空寺の山門(これがちょっと不思議な魅力のある建物で元々伏見城内の建物の一部だそうです)にある『即一六躰地蔵尊』は伏見城の巽櫓から徳川家光によってここへ移されたのだそうです。お寺の説明書きによると「太閤秀吉御持念」とありました。
『即一六躰地蔵尊』は山門向かって右手にあります。いっしょに愛染明王像もあります。山門左手には朝日大黒像があります。この大黒さんは秀吉に天下統一の大福を授けたといういわれがあるものです。石仏ではありませんが紹介します。
大手筋通りに面しているとのことでした。しかし私が思っていたところは本教寺という日蓮宗のお寺でした。さてそうなるとあっちへいったりこっちへいったり。ある本には南部町と書いてあったので南部公園辺りをウロウロ。捜すのに苦労しました。なまじっか分かっていると思いこんでる伏見だけに思いこみが捨てられないのです。大手筋通りのアーケードが切れる寸前の北側にありました。見つけたらそういえばここにお寺あったなという感じでした。
大光寺の四面石仏は本堂の東側庭内、墓地の手前にありました。花崗岩製。高さ60cm、幅55cmのサイコロ状の方形石です。上に穴が空いています。線香立に転用していたと思われます。しかしこの四面石仏は層塔塔身の残欠です。四面に舟形光背を彫りくぼめ、蓮華座に坐す39cmの如来形四仏を厚肉彫りしてあります。薬師如来・釈迦如来・阿弥陀如来・弥勒仏の顕教四方仏をあらわしています。「像容・蓮華座もすぐれた鎌倉後期の造立であろう」と言われています。
下の写真…上は現在北面、左は現西面、右は現東面、下は現南面です。如来の本来の方位は東が薬師如来、西が阿弥陀如来、南が釈迦如来、北が弥勒如来です。私は現東面が阿弥陀如来だと思います。ということになると現在あるものを90度右回りさせる良いということになるのでしょうか。
伏見で2つ目の四面石仏です。山門入ってすぐ右側に覆屋があり。「大日如来」の鉦の紐が見えます。現西面している如来を「大日如来」として拝んできたようです。大光寺と同じ鎌倉末期の層塔塔身の残欠。こちらの方が大きいです。もともと伏見城から移してきたという寺伝があります。立派な十三重石塔だったでしょうね。この四面石仏は高さ84cm幅76cm四方の花崗岩。舟形光背に如来形四仏が半肉彫りしてあります。
下の写真の方位と仏たちの名前です。
上は現北面…薬師如来
左は現西面…弥勒如来
右は現東面…釈迦如来
下は現南面…阿弥陀如来
だと思われます。
この四面石仏の大日堂の北側に千手観音など数点の木像と布袋さんがあります。何時代のものなのかよく知りませんが素晴らしい魅力的な仏たちです。そしてその北側にさらに地蔵堂があります。このお地蔵さんがのっぺりした感じのちょっとおもしろいものでした。その3つを紹介します。
■地福院の墓地元禄地蔵
大津街道のあとを追いかけていたら、たまたま地福院の墓地に出ました。この墓地に大切に覆屋に入っておられるお地蔵さんが見えましたので近づきました。背面に「元禄」の文字が見えました。