妙蓮寺椿と御会式桜
(京都市上京区寺之内通大宮東入)
妙蓮寺椿
「京都のツバキ」に私はこんなことを書いています。
『(7)妙蓮寺椿(上京区堀川寺之内西すぐ)
木のすぐ横に説明板がありました。早咲きの椿で、室町時代から有名な椿だったそうです。おもしろい句が書いてありました。この種の椿はみんなこの妙蓮寺の椿の檀家だという意味の句でした。それだけ色々なところでこの椿の接ぎ木が行われてということのようです。妙蓮寺椿というのにも何種類かあるようです。府立植物園にもありました。檀家が。』
しばらくして妙蓮寺の関係者の方からこんな指摘をしていただきました。
そうそう、妙蓮寺椿の歌ですが、
『余の花はみな末寺なり妙蓮寺』
の解釈ですけども。
本当は、妙蓮寺が咲き誇るように、当時は栄えていたので、他の寺はみんな妙蓮寺の末寺のようだと、歌ったものです。当時は、28ケ坊を有し、1キロ四方の周囲を水路で囲んだ大寺院だったのです。連歌師の歌とも徳川家康の歌とも言われています。室町時代末(戦国時代)のころの歌です。将軍家や公家の参詣も多く、家康も参詣したといわれております。
この指摘をいただいた時から、ずーっと訂正しなければと思いながら、今日まで放っておきました。
2006・2・4(土)再訪する機会に恵まれましたので、今分かることを記すことにします。
妙蓮寺でいただいたパンフレットにはこのように書かれていました。
妙蓮寺椿=「室町時代、連歌師として有名な宗祇(1421〜1502)が、妙蓮寺椿の一枚を写生し、その上に“余の花は みな末寺なり 妙蓮寺”と賛した掛け軸の写しが、妙蓮寺記なるものに載せられている。宗祇在京中は、妙蓮寺が皇室と関係深い日応僧正を迎えて興隆を極めた時代と一致し、即ち妙蓮寺椿の名称は、この時より存在し、500年以上の歴史をもつものである。」
若干ニュアンスの違いはあるのですが、要するに
@興隆を誇っていた時代の妙蓮寺は、他に並ぶものがないほどであったこと
A妙蓮寺椿は他の花(椿)の追随を許さない豪華な美しい花だということ
を言っているようです。
それにしてもお寺の名前が椿の名前ということがすごいと私は思います。確かにこの椿はふっくらした大振りな椿で豪華さを感じます。
妙蓮寺のお庭や襖絵を見せていただきながら、妙蓮寺椿も見せていただきました。何でも火災のために初代は現在ないそうで、2代目があるということでした。外にある椿は「京都のツバキ」にありますので省略して 庭にあった椿を紹介します。
十六羅漢石庭
妙蓮寺のお庭は「十六羅漢石庭」と呼ばれているもので、中央西よりの青石は「臥牛石」という名で、伏見城から秀吉により移された石だそうです。近年造園当時の姿に戻されたものだそうです。
御会式桜
2006・2・4(土)撮影
2006・2・6(月)作成
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