桜舞うPart6
上品蓮台寺の桜

 寺伝では、聖徳太子の創建と伝えられている真言宗智山派の寺。応仁の乱で焼失したが、秀吉の支援もあり、江戸時代には十二の子院を持つ大寺として繁栄した。千本北大路から南へすぐにある。天平時代の国宝「着色絵因果経」(京都博物館に寄託中)を伝える。仏師定朝の墓もある。
 千本通りという名は、卒塔婆が千本立てられていたところからの命名とか。この寺の西側が、かって東の鳥辺野、西の化野とならぶ送葬の地である蓮台野のあった場所らしい。
 ここに「源頼光朝臣」塚がある。この頼光塚に謡曲史跡保存会の説明板がありました。そこに書いてあったことです。「源頼光は平安中期の武将で謡曲「土蜘蛛」には、その頼光が、原因不明の熱病で臥しているところへ、化身した土蜘蛛の精があらわれ襲ってきたので、頼光は銘刀膝丸で斬りつけた。血のあとをたどって、家来の渡辺綱ら四天王が追って行くと“北野のうしろ”に大きな塚があって、大きな山蜘蛛があらわれ、これを退治したことが、述べられているが、その塚が、ここにあったといわれ、一名「蜘蛛塚」ともいう。北野とは、この辺一体の禁野(しめの)の一つで、ちょうど、ここが北野のうしろに当る。もと千本鞍馬口西入にあったのを昭和初め、ここに移した。」 
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