大和の石仏2005ー1

大野寺弥勒大磨崖仏

 すぐ分かります、大きいから。宇陀川の向こう岸に見えます。ところが、よく見えないのです。表情も手足の様子も。300mmの望遠に頼って初めてよく見えました。このページでどういう紹介の仕方したらいいか考えたのですが、これしかないと思って下の写真になりました。
 柱状の石英安山岩(ということは火山岩)に13.6mの光背を彫り窪め、内部をみがいて、そこへ蓮華座を入れると11.5mの弥勒大磨崖仏が陰刻してあるのです。
 表情は穏やかに微笑んでおられるように見えます。この写真で見ると左目は目を見開いておられるようです。しかし一筆で描かれたような目の方が柔らかくていいと思います。鼻は上向き加減で愛嬌のある若い女性のように見えます。頭の表現は珍しいと思います。手は、左手を挙げて親指と人差し指を合わせ、他は曲げられています。右手は下がっていて、自分の衣服をつかんでおられて親指だけ見えています。足は右足を前に出しておられて、指1本ずつ丁寧に彫られています。
 この磨崖仏の由来ははっきりしています。承元元年(1207)後鳥羽上皇の勅により、3年の歳月かけて彫られました。石大工は、宗慶及び宋人の二郎三郎らが従事したとか。笠置から仏像の下図を持ち帰って彫られたものだそうです(笠置の磨崖仏参照)

 後鳥羽上皇はこの大弥勒磨崖仏に何を祈願したのでしょうか。後鳥羽上皇と言えば、承久の乱(1221)で有名です。鎌倉幕府を倒さんと北条義時追放の院宣を発して失敗し隠岐へ流されました。鎌倉幕府を倒す祈願が込められた弥勒磨崖仏と見るのは、考えすぎでしょうか。一方多芸多才で「新古今和歌集」を撰し、蹴鞠・琵琶・箏・笛にも秀でていたそうです。方丈記で有名な鴨長明は後鳥羽上皇とつながりのある人物です。(「方丈記ワールドへ」…日野に鴨長明を探す)参照)
 この大磨崖仏に会うには、京都からだと、近鉄の八木駅まで行きます。これは橿原神宮行きだと急行1本です。八木で青山高原や名張へ行く急行に乗り換え、「室生口大野」駅という3つ目の駅で降ります。室生口大野駅からは、歩いて5分、すぐです。因みにこの駅からバスが出ていて、「室生寺」へ行くのにもここで降ります。今まで室生寺へは2回行ったことがあったのですが、今回はこの弥勒磨崖仏に会うためだけに行って来ました。丹波橋〜室生寺大野は1040円。所要時間は1時間半。やっぱり遠いなあ。「初瀬詣」やボタンで有名な長谷寺は、この駅の1つ八木寄り。急行は止まりません。

2005・3・2作成

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