長野の石仏7
安曇野の道祖神
(長野県安曇野市穂高)

 安曇野へ行けば、道祖神に会える!と思って穂高神社へ行くことにしました。なぜ穂高神社にしたかというと、ナビで行けるからです。道祖神のあるところは有名な場所ではありませんからとりあえず穂高神社にしたのですが的確であったのかどうか自信はありません。 
 穂高神社には千国街道(塩の道)街道沿いにあった道祖神が集められていました。過疎の村(八坂村)に残された道祖神、二十三夜塔を関係者の願いで由緒深いこの場所にお祀りされたそうです。安曇野の道祖神と違い砂岩のものが多いそうです。
この穂高神社の道祖神の中で一番興味深い道祖神は、「餅つき道祖神」です。群馬県安中市にあるそうで寛政8年(1796)銘があるそうです。杵を男、臼を女に見立て、男女の睦事を「餅つき」とし、夫婦円満の神として祀ったのだそうです。寄贈者の名前があったのでおそらくレプリカであろうと思いますが…。
 さて、次にどこへ行ったらよいのか全く見当がつかず、あまり丁寧でない旅行案内書片手に困りました。ブラブラ町を歩いていたら、案内板や地図などがあるかなと思って歩いてみたのですが、全くありません。あきらめて帰ろうと神社へ戻ってきたら、何と新しい感じの道祖神があります
 ここは、何?と役所っぽい建物に文字を捜してみたら、「長野県安曇野市穂高総合支所」でした。ここに観光課があれば、地図があるかも知れないと思って訪ねてみました。ありました、産業観光課。受付係の女性は電話中で、私と目を合わせることなくお仕事されておりましたので、私は勝手に地図を捜させてもらいました。ありました、ありました。「あずみ野穂高 道祖神めぐり」A3版のもので地図と写真付きです。私は「もらってもいいのかな?」と思って、もう一度その女性を見ましたが、全く私など眼中になく電話中でした。黙って地図をもらって帰ることにしました。お礼ぐらい言いたかったのですけど。

「あずみ野穂高 道祖神めぐり」より長野県安曇野市穂高総合支所発行より)

■道祖神とは日本に古来からあった生産、生殖の神として、五穀豊穣や子孫繁栄、縁結びの願いをかけたものといわれます。また村に悪いものが入るのをさえぎる護りの神ともいわれます。
■二十三夜塔とは、月齢23の月の日(二十三夜)に「講」(集い)を組織した人々が集まって月の出を待つ月行事「月待」にまつわる塔。
■庚申塔は庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。庚申の日、寝ている間に体内にいる「さんしの虫」が天帝に悪事の報告をするを防ぐため夜通し眠らず集団でにぎやかに過ごす信仰。
 それでは、私が会ってきた道祖神のみなさまです。本当に私は道祖神に対して何の知識も持っていません。感想しかないのですが、要するに古き良き時代の日本の農村の男女の出会いをプロデュースする企画だったのではないかと気がしました。「夜這い」とかと同じ発想のものだったのかなと思いました。これに仏教や神道が形を与えて、共同体が公認したというのが道祖神信仰に対する私の感想なのですが、合っているでしょうか。
 男女の神さまが手をつないでいたり、肩を抱き合っていたり、酒器を持っていたり、松本市の道祖神の中には男女の睦事そのものの姿だったり。(「松本の道祖神」参照(松本市教育文化振興財団)。双体道祖神の他に二十三夜塔や庚申塔がありました。その他大黒天、蔵王権現、如意輪観音や千手観音などの観音さま、そしてお地蔵さまが同居しておりました。
 私が穂高神社の東側を徘徊した場所は「等々力」という地名の場所でした。そして同じ名前の苗字のお宅がありました。東光寺という名のお寺がありました。そしてわさびを生業にしておられるお店がたくさんありました。
 私はもっと安曇野の道祖神巡りはメジャーな観光コースになっているのかと思いましたが、全くそう言う方とは出会いませんでした。
 安曇野は観光の人は来ないのかと思っていましたが、これは見当外れでした。このあと、「大王わさび園」というところへ行ったら、人人人、車車車でした。駐車場いっぱいで、入るのあきらめました。
 そして次に「ちひろ美術館」へ行ったのですが、ここも盛況でした。ちひろ美術館は前から一度訪ねたいと思っていた場所です。いわさきちひろの人となりと作品、そして世界の絵本の原画を楽しみました。ゆったりしていて、リクライニングシートが用意されていました。私、しばらくウトウトと寝てしまいました。
万治の石仏 修那羅安宮神社石仏石神群 安曇野道祖神
守屋貞治1諏訪温泉寺 守屋貞治2高遠健福寺 守屋貞治3高遠大聖不動 守屋貞治4駒ヶ根光前寺
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