長野の石仏6
修那羅山安宮神社石仏・石神
(長野県東筑摩郡築北村坂井修那羅山рO263−67−3810)
麻績ICで下りて、「冠着(かむりき)荘」という村営宿泊施設を越えて修那羅峠までの道を安宮神社の案内にしたがって山(舟窪山)へ山へと登っていきますと安宮神社の駐車場に到着しました。
まあすごい虫の攻撃です。私がドアを開けた途端に数匹入ってきました。あとで安宮神社の社務所附近にも同じ虫がいるので「何です?」と聞きましたら「アブ」だとのこと。参りました。神社に?いえアブに。
上の写真のような配置を考えて置かれてあることが察せられる場所は珍しく、道沿いに高さ30cm余りの石仏石神がずらっと並べてあります。その数一千百余体、すべてこの神社の摂末社だということのようです。
もともとこの場所には、大国主命を祀る小石祠があったようです。江戸時代末安政2年、この地に後にこの神社の開祖となる修那羅大天武命(望月幸次郎)が来て、雨乞いの法で信頼を得、居を定め、「筆神楽」という占いで予言を行ったそうです。修那羅大天武は、9才の時に天狗に従って家を出て、60年間白山や立山などで修行したとのことです。
酒神(酒泉童子) |
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この大天武さん、他にも色々お名前をお持ちだったようです。光聖菩薩、法重上人、讃的胎順坊天武王塚とまあすごいことすごいこと。私は天武という名前を聞いて「天武天皇」を思い浮かべました。戦前この名前は迫害を受けなかったのでしょうか。天武の上に大が付いているのですから。(修那羅山安宮神社絵図』参考)
この神社の石仏及び神像の魅力は見る者にユーモアを感じさせるところではなかと思います。そんな神さん見たことないとか、神さんと言うよりそのへんにいそうな農家のおじさんやおばんさんを感じさせるものがあることです。名前は私が勝手につけたものもそう呼ばれているものもあります。
アポロ地蔵 |
左うちわ |
クワ(?)かつぎ |
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騎馬神 |
鬼子母神 |
力士(?) |
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私が力士と名付けた神像は南の国の腰簑付けた王様みたいにも見えます。左うちわという神像はお金儲けてそうなりたいという庶民の願いの繁栄のようです。騎馬神の馬の表情は愛嬌を感じます。アポロの頭の表現はオーラでしょうか。鍬かつぎの神は田んぼで一休みしていそうですし、鬼子母神はどう見ても農家の主婦です。どうみても子どもをとって食う神には見えません。
修那羅の魅力その二つ目。既成の神や仏なのですが、優しさを感じるところです。
修那羅の魅力その三。リアルにかっこいいところです。