木喰仏を訪ねる旅(3)
猪名川町の木喰仏

(兵庫県川辺郡猪名川町)

天乳寺木喰自刻像
 兵庫県川辺郡猪名川町には26体の木喰仏が遺されているそうです。
 東光寺には自刻像と閻魔大王などの十王像・葬頭河婆・白鬼・立木子安観音など。
 天乳寺には自刻像と観音・勢至菩薩像があります。
 他にも毘沙門堂というところにあるそうです。
 猪名川町には『猪名川木喰会』という木喰仏や郷土の歴史を研究するサークルもあるようで、その機関誌が『道の駅』や天乳寺に置かれていました。それを見ていたら、私も見せていただいた滋賀県蒲生町の狛犬見学ツアーを今年7月に行っておられることが書かれていました。
 90才の誕生日を京都丹波清源寺で迎え、十六羅漢をなど一千体を彫り終えた木喰さんが池田からここ猪名川へ入り東光寺などで清源寺で行ったと同様の造仏活動をしたものと思われます。

(1)東光寺の木喰仏

 HPで調べたら、境内は見学自由だが、文化財見学は予約が必要との事でしたので電話(072ー766−0831)をさせていただき「午前中なら」ということでしたので10時前に京都を出発しました。名神南インターから中国道豊中まで高速道を走り、あとはナビまかせで12号で川西市を通って猪名川へ入りました。お寺に着いたら11時20分でしたから約1時間半で到着しました。
 木喰さんは八木町から池田へ出たそうですから、摂丹街道を南へ下ったのではないでしょうか。(途中能勢妙見へ寄ったかな)そして川西から猪名川へ入ったのだろうと私は想像しながら運転しておりました。
 それにしても90才で健脚健康だと地図を見ながら感心します。木喰戒を守ったそうですから五穀は食べていなかったでしょうし、今ほど栄養のあるものを食べておられたはずがありません。まして廻国は乞食の旅ですからその苦労は並大抵ではないと想像します。
 では一体何を食べておられたのかと疑問になりますが、どうも蕎麦が好きだったようです。そば粉を湯でといて食したり時には二八蕎麦を食べたりもされたようでそういう歌が残されています。時には鰹汁も食したようです。それではなまぐさを食べたことになるので「どこが木喰?」になるのですが、廻国の聖と言われた人々をあまり聖人扱いしない方がいいようです。木喰さんも同様です。糊口を凌ぐための方便を様々にしながら廻国されたのでしょう。江戸時代にそんなことしながら全国を歩き回っていた多数の人がいたと考えると、江戸時代も豊かなイメージになります。木喰上人と言う言い方もありますが宗教家としての木喰さんが何かの教えを開かれたわけでもありませんので、私は木喰さんと呼ぶ方がいいのではないかと思います。
 木喰さんは、彫刻の才があったのでそれを頼りに廻国できたのです。その他絵の描ける人はそれを、何か芸のある人はそれを披露しながらお札をうったり勧進を訴えたりして村々を回ったようです。

立木子安観音

 木喰さんの造仏の中でもこれは他に例がないのではないでしょうか。境内にあった生木に子安観音が彫られたそうです。落雷のために木はすでに枯れています。白っぽい色になっています。このまま放置しておいても大丈夫なのかな…と心配になりました。
 生木への造仏は故西村公朝師の京都市伏見区善導寺榧の木不動で私はそのご苦労を知ったのですが、木喰さんも頼まれたのでしょうか、自ら申し出られたのでしょうか。

薬師堂の木喰仏

 薬師堂には木喰自刻像と閻魔大王などの十王像・葬頭河婆・白鬼がまつられていました。木喰最晩年の作でありそれがまた充実した作品であると言うところが木喰のすごいところです。
 自刻像は清源寺のものとほとんど変わらないものです。自ら菩薩を名乗っていますから僧形であごひげを蓄えています。しかし清源寺の和尚さんの記録では相当服装も容貌も異様だったようですからこれが木喰さんのその当時の姿だとは言えないようです。
 閻魔大王は本来怖いものだと思うのですがほおと口元に微笑を讃えています。目は見開き口も歯が見えて憤怒を表現しているように見えるのですが何となく笑っているように見えるのです。
 葬頭河婆は地獄の入り口で亡者の衣服をはぎ取るという役目のお婆さんですが、木喰さんのものはお婆さんと思えないふくよかな胸をしています。しかし顔や胸板には皺が刻まれています。そして大量の頭髪が編まれたように肩にかかっています。眉の太さの強調、見開いた目は鬼のようです。
 白鬼は大地を踏みしめ岩の上に立つ姿に彫られています。金棒を持ち目には歌舞伎役者のような隈取りが施されています。猪首なのは木喰仏すべてに当てはまるのですが、なぜ木喰さんは首を彫らなかったのでしょうか。一木ですべて表現しようとすると首が邪魔だったのでしょうか。顔からすぐに肩になり顔を大きくデフォルメする方が彫りやすかったのでしょう。それがまた木喰仏の味になっています。
 薬師堂に安置されている仏達は清源寺のものと比べますと色が黒っぽくくすんでいます。火災があったようでその時に煤がついたようです。一体木喰仏も焼けたようで写真のみ残っているものがありました。自刻像は杉で、他のものはケヤキではないかということでした。
 東光寺では地獄に関係するものを彫り残したようです。それがなぜなのか聞きそびれました。
 「木喰微笑仏」という5枚組の絵はがき大の写真集(1000円)があり購入しました。名前を書くノートが用意されていましたので書いていたら拝観料300円と書かれていて、あわてて1000円置かせていただきました。
本堂 薬師堂(ここに十王像など)
 

(2)天乳寺の木喰仏

猪名川町の屏風岩(木喰さんもきっと見たでしょう)
 道の駅「いながわ」のすぐ近くに天乳寺がありました。東光寺から5分ぐらいの所です。そしてその中間に『屏風岩』がありました。
 ここには予約をしておりませんし、はたして拝観させて頂けるものかどうか心配だったのですが、とにかく行ってみることにしました。
 道を歩いていきますと突然お寺らしい建物があらわれてお庭の方へ入っていきますと本堂や墓地が見えました。「ここかな」と思いながら享保という年号の入った石仏を見ておりましたら、庫裏から人が出てこられたので声をかけさせていただくことが出来ました。
 「すみません、木喰仏を拝観させていただきたいのですが」と申しましたら、女性(奥様かな)が笑顔で「どうぞ」といって下さり、本堂を開けて入れて下さいました。本堂の左側に木喰仏三体が安置されていました。「写真はだめですね」と申しましたら、「いいですよ」と言う返事。これはうれしいことだと拝ませていただき写真も撮らせていただきました。
 ここには3体の木喰仏がまつられていました。
勢至菩薩像 木喰自刻像 観音菩薩像
 この天乳寺でいただいたパンフ「天乳寺」に『わしは、“木喰さん”である』という文章がありました。このパンフ、コンパクトに木喰仏を紹介してあるなかなかの名文です。かいつまんで紹介します。
 わし(自刻像)が生まれたのは200年ほど前のことで、そのころは寺に住職がいたりいなかったりだった。ただ、寺子屋の日には子どもたちが来て賑わった。「子どもたちが手習いの墨で、わしの顔にいたずらをしたり、筆を振り回したりしてわしの身体を汚したりした。そして、わしを背負ったり転がしたり、さんざん遊んだものだった」「村の人々に可愛がられる身近な仏」「大正時代末、日本民芸運動が盛んになり、その開拓者であった柳宋悦が木喰仏の美を見いだし」「わしと同じ木喰仏は全国に約八百体」「中日新聞主催」の「展覧会」で初めて「旅行」を「経験」した。「平成7年1月17日の阪神淡路大震災は、わしの生涯で一番肝を冷やした出来事であった。まわりの物が大きな音を立てて落ち、わしも転落して首がすっ飛ぶかと思ったが、何事もなく済んだことが、摩訶不思議であった」
 「近頃、わしのニコニコ顔を見たいと言って、たくさんの人がやってくる。そして、みんな笑い顔になってお寺をあとにする。わしは、仏として、これからも世の平和を願い、人々を病気、災難から救い、亡くなった人を安楽国へ導いていこうと思う。もちろん笑顔を忘れずに。わしは“木喰さん”である」
 この自刻像の顔についている墨はどうも子どもたちのいたずらがきのようです。木喰仏は子どもたちの川遊びの浮き輪として担ぎ出されていたという話を読みましたが、今のように評価されだしたのはまだ日の浅いことなのです。
 仏像彫刻家としての木喰評価は必ずしも高くないようです。「円空は天才だが、木喰は達人」ということのようです。
 また、木喰の僧としての評価も柳宋悦が思ったほどではないようです。
 しかし、現代を生きる私は木喰仏の微笑みに魅力を感じます。晩年になって微笑仏を彫り続けた木喰さんにどのような心境の変化があったのか、木喰さんは何を悟ったのかそんなことも考えます。
 微笑仏の魅力…機会があればまた木喰さんに会いに行こうと思います。
 お寺を辞す時にHPに写真を掲載することの許可いただきました。ありがとうございました。本当に心豊かな時間を過ごさせていただきました。拝観料をと言いましたら「私とこの寺は、そう言う寺ではありませんので」とおっしゃいました。そのお言葉に甘えたのですがそれでよかったのかなと帰ってきた今も思っています。木喰仏と天乳寺の暖かさに癒されました。合掌。

2005・12・17(土)撮影
2005・12・18(日)作成

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