木喰さんを訪ねる旅(6)
西光寺の十二神将
(新潟県柏崎市西山町長峯・рO257−48ー3193)

 前島から寶生寺へi行く時、車の中から真福寺へ電話をかけてくださったのですが、繋がりませんでした。寶生寺から柏崎の西光寺へ向かう道で携帯が鳴りました。真福寺からでした。そして正午にお伺いしてもいいという返事をいただきました。私は親切な対応に感心しました。非通知の電話に私は反応しないようにしているものですから、そう思いました。
 電話をかけてくださったMさんは、何度か西光寺へ行き着けるかどうかを心配してくださっていました。というのは、前日に山崩れがあって、お亡くなりになった方がおられるというニュースがあったからです、西光寺へ行く道が通れるかを心配しておられたのです。西光寺へ電話してくださったら「通れる」とのことでしたので一路西光寺へ向かいました。
 柏崎市西山町と言えば、故田中角栄氏の地元です。高速道路から一旦定期バスはICを降りることなどのお話しを聞きながらJR西山駅前を通りました。記念館や生家もすぐ近くにあるとのことでした。
 大勢の消防や警察関係者、地元消防団の方々の姿があり、山崩れを起こした爪痕が残る場所がありました。その前が白鳥が飛来する長峯大池で、その池のほとりにあるのが真言宗豊山派の西光寺でした。
 ご住職は袈裟をつけて正装して我々を出迎えてくださいました。
 ご住職は全国木喰研究会会長をしておられる遠藤正光さんでした。
 さっそく本堂にご案内下さいました。中央ご本尊(阿弥陀如来)のおられる向かって右側に、ガラスケースがありました。厨子に入っておられる薬師如来と共に木喰さんの十二神将が安置されていました。
(1)西光寺の木喰仏発見!
 西光寺は度重なる山崩れで、過去帳を除いてすべての文書が散逸しているので開山の詳細は不明だそうです。ただ、寛永20年(1643)と伝えられているのだそうです。「当初は現在地に建立されたが、正徳5年(1715)大雨と山崩れにより、村はずれの五百地(現在も寺屋敷といわれている)という所に移築されたが、万事不都合なために、明和2年(1765)に長峯の庄屋伴内が現在地に再び建立したという」(ご住職にいただいた西光寺の説明書より)
 十二神将の背銘から製作年月日が予想できるようです。文化2年(1805)六月廿二日から廿七日までの年月日の記載が十体。少し離れた日付の七日が二体。これは廿七日の誤りではないかと言うことで6日間で12体造像したと考えられているようです。背銘に書かれた月日が作られた日と一致するのかが問題ですが、おおよそその前後に作られて、開眼したであろうことは予想できます。(小島梯次論文「円空・木喰展」図録・2008)を参考にしました)
 「その昔、西光寺には本堂に接して薬師堂があって、十二神将はそこで薬師如来を守護してきたのであるが、明治期に薬師堂を取り壊して経蔵を建てることになり、そのとき本尊は本堂内陣に、十二神将は粗末に出来ないと新聞紙に包み、内陣の天井に上げておいたということである。(「木喰仏を巡る旅」(高橋実著・新潟日報社・2011)より)
 西光寺でこの十二神将が見つかったのは昭和4年(1929)。本堂屋根葺き替え中、天井裏から偶然発見されました。

(2)西光寺十二神将のおもしろさ

 すべての像の背銘に、薬師如来の種字「バイ」があり、「薬師如来」と書かれているものが二体。「十二神」と書かれているものが十体。年月日については上記参照。
 十二神将の何を彫ったのかについては記していないということです。
 木喰の十二神将は他に栃木県荻窪薬師堂の一例があるそうです。この製作は安永9年(1780)です。これは甲冑を着け、又は前頭部に十二支の動物が彫られているらしい(小島梯次論文「円空・木喰展」図録・2008)を参考にした)のですが、西光寺のものは、全く自由です。上半身裸とか、力士か仁王にしかみえないものとか、頭がソフトクリーム状のものとか、上半身裸なのに甲冑をつけているとか。常識的な十二神将に拘らないで自由に発想するからおもしろいのでしょう。
 これらは49cm〜52cmまでの大きさで、三頭身か四頭身。木喰仏の中では小さい部類です。眉毛の太いお目々ぐりぐりの人形が並んでいるようにも見えます。「かわいい」と言えばよいのでしょうか。きっと御本尊に合わせて造ろうとしたらこうなったのでしょうね。小さくても丁寧な彫りです。

(3)自身を十二神将に入れる

 木喰さんは、この顎髭の像を十神将の中に紛れ込ませています。群像の中に紛れ込ませるというのは、清源寺の十六羅漢でも見られます。
 自刻像を彫ることを楽しんでいるのではないかと思いますが、これが聖の修行の一つだと読んだ記憶があります。シャレでやっただけではないようです。
 このUPした神将、サンタクロースだと言っても「へえ」で終わりそうに思いませんか。頭に被っているのは甲冑だと思いますがサンタの帽子みたいでもあります。上半身は裸で、足首を絞った作務衣みたいなものをはいています。両手に長短二本の細長いものを持っています。これは武器でしょうが、磐座に乗って太鼓でもたたいて楽しんでるように見えてしまう神将像です。

(4)私が一番気に入ったのは

 「私はこれが好きです」
とご住職に言いましたら
「頭がソフトクリームみたいで」
とおっしゃいました。なるほど!ソフトクリームみたいです。
 この表情は男でしょうか女でしょうか。私には目鼻立ちのはっきりした女性に見えました。撫で肩に見えませんか。
 最初若い女性に見えたのですが、何度も見ていると、この人は老女のようにも中年の女性のようにも見えてくるなと思いました。
 「いや、やっぱり男やで」という気もします。
 そういう不思議な思いを抱きました。
 木喰仏には愛敬があると思うのです。
 この神将には女性的な愛敬があると感じたわけです。
 寶生寺の如意輪観音にも愛敬があります。そうか木喰仏の魅力は、私の場合『愛敬』なのかと気づいた次第です。 

(5)ご住職の話

 ご住職のお話の中で、この十二神将の中の一体が、高校の美術の教科書に掲載されたというお話がありました。どれなのか聞くのを忘れてしまいました。 
 地元の小学生が、夏休みの自由研究でこの十二神将像を取りあげたそうです。最後に一番お気に入りの神将といっしょに写真を撮ってあげたと楽しそうにお話しておられました。
 それにしてもこの辺りは、山崩れ、地滑りが起こりやすい土地のようです。なぜなのか分かりませんが、このお寺の歴史や前日のニュースからそんなことを思いました。私たちはこの後、真福寺へ向かったのですが、山崩れを起こしてニュースになっていた場所は避けました。
 すぐ前の長峯大池は周囲1kmで、夏は蓮の葉で覆い尽くされ、冬は白鳥の飛来する池なのだそうです。白鳥の飛来は1978年頃からだそうで、年々数を増し最近は300羽ほどになっているとのことです。
木喰さんを訪ねる旅(1)
京都丹波清源寺
 
 木喰さんを訪ねる旅(2)
滋賀蒲生町竹田神社
木喰さんを訪ねる旅(3
兵庫猪名川町
木喰さんを訪ねる旅(4)
新潟上前島金毘羅堂
 
木喰さんを訪ねる旅(5)
新潟長岡寶生寺
 
木喰さんを訪ねる旅(6
新潟柏崎西光寺
 
木喰さんのを訪ねる旅(7)
新潟長岡真福寺 
     
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