かばのしっぽ日記2004

かばのしっぽはうんちをまき散らすための大切な働きをします。
まきふんは大切な威嚇の方法なのだそうです。
でもおかしなやつです。
『オレは強いんだ』と言ってうんこまきちらすなんて。
何かユーモラスです。
自分にとっては大切な行動でも他人様から見たら滑稽なことって私もしてそうで
「かばのしっぽ」みたいな存在かもしれないなあオレって
と、思う今日この頃であります。

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12月31日(金)
大晦日
 いよいよ今年も最後の日になりました。この日記も1ヶ月以上ごぶさたしてしまいました。書くことは色々あったように思うのですが書けませんでした。
 25日から29日まで大分へ行って来ました。臼杵を始め大分各地にある磨崖仏石仏巡りが主目的で、ついでにカバさんにあったり、レンガを見たりしてきました。大分別府はフグの産地でフグ料理もいただいてきました。湯布院別府は温泉地ですから、しっかり温泉へも入ってきました。
 車で行くことにしていましたので、ナビを車に付けることにしました。操作になれてなかったのですが、ナビというのはすごいなあと感激しています。今回はほとんど道に迷うことなく行けました。
 でも一番困ったこと。別府から大阪南港へフェリーで帰ってきたときのことです。ナビは大坂に着いていることが理解できていないようで、フェリー内で自宅へ帰るよう設定したら別府から自宅までを表示します。まあ、船外へ出たら何とかするだろうとタカをくくって出たのですが、相変わらず別府港の地図から抜け出せずにいます。朝6時過ぎのことですから真っ暗で案内板も読みづらく、だいたい道を調べずに出かけているのでどの道路へ出たらいいのか分からずこの時は難儀しました。南港内を一周している間に大坂にいることをナビも理解できたようで、帰ってくることができました。
 今年もたくさんの楽しいこととたくさんのそうでないことがありました。
 HP『ぼちぼちいこか』今年も見てくださりありがとうございました。
 今HPを二つに分けることを計画しています。PC内のページ移転準備のために整理しています。膨大な写真量でちょっと辟易してます。
 今年は年賀状作りに手間取り今日31日にやっと出すことが出来ました。お友達のみなさま、年賀状遅れますが申し訳ありません。
 では、よいお年をお迎え下さい。
11月23日(火)
勤労感謝の日
 午前中テニスをして「石仏と紅葉」「お寺と紅葉」をテーマに午後から出かけました。
 昨年から京都の石仏巡りをしてきました。紅葉の中で栄えそうな石仏は案外ありません。というのも京都市内の石仏は覆屋やお堂の中に安置されているものが多いからです。真如堂・大沢池・赤山禅院・愛宕念仏寺これぐらいしか思い浮かびませんでした。それで今日は大沢池をメインにして出かけることにしました。
 結局今日は、真如堂・霊鑑寺・赤山禅院・禅華院・曼殊院・大沢池を訪ねました。行ってみてビックリしました。曼殊院あたりは車の離合が出来ない人出でした。紅葉は確かに美しいのですが車で行ったらダメなお寺です。道が狭いのですあの辺りは。真如堂はいいですね。私は塔周辺や本堂付近より石仏や大仏のおられるところで写真を撮っていたので案外人は多くありませんでした。霊鑑寺は4日間だけの特別拝観。弥勒石仏八重侘助を見ることが出来ました。大沢池は思っていたほどではありませんでしたが何とか紅葉と石仏を撮ることが出来ました。
 20日土曜日円山公園の奥安養寺(法然親鸞ゆかりの地吉水)でお寺の屋根の鬼瓦と紅葉や銀杏がとてもよく似合うと思ったので、今日は意識して写真を撮ってみました。
 昨年撮ったような写真は外して「京都紅葉写真館」にUPしてみます。
11月10日(水)
今年の紅葉
 去年紅葉求めて走り回りました。去年は紅葉名所巡りだったので今年は紅葉写真にこだわろうと思います。来週ぐらいから冷え込んできたら…。
 紅葉のメカニズムはかなり明らかになっているようです。最低気温が何度かと言うことと、最低気温と最高気温の差が問題だそうです。このところ最低気温が高いのでもう少し先に美しい時期は来そうです。加茂街道の紅葉、東本願寺の銀杏も今ひとつのように思いますがさてこれからが本当に楽しみです。
11月8日(月)
何とも…
 郵便局へ行って7000円払い込んできた。ホンマニ腹が立つ!
 金曜日7時前まで仕事をしてやっと目途をつけて家庭訪問一件して帰ることにした。いつもは堀川通りを南へ向かうのだが、加茂街道を南下した。この道はまっすぐで片側が賀茂川なので、知らず知らずスピードが出る。やっと1週間が終わったという解放感もあって気分よく走ってたら、北大路橋のところで警察官!公衆便所の前へ誘導された。スピード違反だった。原付は30kmだが、私は49km出していたそうで減点1で、罰金7000円であった。
 私が違反して現行犯逮捕されたのだから文句の言いようがないのだが、腹が立つ。当然気分が悪いので無愛想な対応をしていた。せっかくゴールデンカードだったのに次回の更新時には又時間がかかるなあとか、もっと他にむちゃくちゃな運転してるヤツおるやろ!とか、ほんまに事故を心配してるのなら、こんだけの数の警察官が、道に立ってる方がみんなスピード落として安全やないか、卑怯者!とか次々言いたいことが出てくる。
 書類作りが終わった。その間5〜10分だっただろうか。私の他にだれも捕まる人はいなかった。「私だけですね、捕まってるの」と言ったら、「そんなことありませんよ。小宮山さんはこの道初めてですか?」と聞いてきた。馴れ馴れしく人の名前呼ぶな!と思うけど小宮山さんだから仕方ない。「いえ、私この近くの学校に5年勤めてます」「ここでいつでもやってるんですよ」「そうですか、私初めてですわ。堀川通りや川端通りはよう見ますけど」「いえ、これから年末にかけて、またここでやりますので気をつけてください」「そうですか、おおきに」で、また原付乗って帰ってきた。
 また走りながら考えたのだが、明らかにさっきの警察官は、私に事故に気をつけるように言ったのではなく、捕まらんように気をつけるというニュアンスで「気をつけてください」と言っていた。彼らもあんまり楽しい仕事ではないのだなと思った。
 まあ、事故起こしてケガしたりさせたりしなかったのだから、よかったと言うことにしてあきらめることにした。
 しかし7000円払い込んだらやっぱり腹が立った。
10月14日(木)
脳ドッグの結果
 春先に人間ドッグと脳ドッグの申し込みを希望するかという調査があったので申し込んだ。そしたら当たった。費用の一部を援助してもらえるというのだから大当たりだ。
 人間ドッグの方は夏休み中に行った。結果はいつもの通りで胃の再検査をするように警告があった。胃カメラを飲まなければならないので遠慮することにした。胃カメラはごめんだ。一度飲んだが涙は出るは、鼻水は出るは、エズキ倒してもう二度とあんな目には遭いたくないと思った。
 脳ドッグは10月2日に行って来た。その結果が最近4枚の写真が送ってきた。2枚は脳内血管画像で2枚は断層画像であった。その断層画像は目玉の当たりで横に輪切りにしたものと、顔のど真ん中で鼻の線に沿って一刀両断になったものであった。自分の脳の断層写真を見るというのは初めての経験で複雑な心境になった。気持ちのよいものではない。自分が動物であることを確認できる代物であった。
 そしてこのように書いてあった。
 「MRI診断 著変なし
 アドバイス 今回のMRI検査による脳検査では、出血、梗塞、萎縮をはじめ、動脈瘤を疑わせる所見もなく、健康状態と見て良いと考えられます。」
 よかった。今のところ異常はないということであった。
 しかし、ここで考えたのだが、もし異常が見つかったらどうするのだろうか。脳の手術をする場合もあるのかもしれない。見つかるにこしたことはないが、見つかってもなかなかなことだなと思った。
 物忘れがひどくなっている。特に名前を忘れる。横文字はほとんどダメである。最近のことより昔のことの方がしっかり覚えている…といった老化現象は私にもはっきり自覚できる。そういう微妙なことはこの検査では見つからないのだろう。
 脳を若がえらせるということは無理なのだろうなとぼんやり考えた。
 脳だけ若返るのと、肉体や容姿だけが若返るのと、どっちか選べたらあなたはどっちを選びますか?これはなかなか難しいなと思った。脳だけ明晰で体が動かないというのはつらいものがあると思う。また逆に体はぴんぴんしているけど自分が自分であるということも分からないというのは、本人には分からないけど周りのものは辛かろう。やはり同時に老化して消えていきたいものだと思った。
 しばらく前はこんなこと考えたことなかったのになあ。そういう年齢になってきたのだなと感慨深いものがある。
10月7日(木)
5プラスOne写真展
 発端は半年前ぐらいに「写真展せえへんか」ぐらいの軽いのりだったように思います。それが「何時するんや」になって「ほんまにやんの?」あたりからその気になり、いよいよ明後日写真展を開催します。京都民教連事務局の方々がお世話下さいました。ありがたいことです。
 私はこの1週間準備が出来ませんでした。学期末で通知表作成があったので考える余裕もありませんでした。今日何とか通知票の目途が立って急ぎ準備をしています。明日仕事が終わってから会場へ行って準備をするので朝車に作品は積んでおかなければなりません。
 私は結局「デジカメ写真劇場」作品5つを1つのパネルにし、「石仏と語る」をパネル2枚に、紅葉と散華2003をパネル1枚にすることにしました。
 石仏のパネルの前に自分の彫った仏像を文机の上に置こうか…とか、いや床の間の違い棚を利用して、花やオブジェや写真といっしょに置こうかと考えています。巾着が作れませんでした。今ある10袋ぐらいあるものを並べようかと思ってます。これは写真展を見に来ていただいた方でほしいと思われた方や、来ていただいた知り合いの方にプレゼントしようかなと思ったりしています。
 近畿直撃の台風が9日にあるとか。カンニンしてほしいなと思ってます。
 私以外の5人の方々、それぞれ感性豊かで個性的な面々ですので、どんな写真展になりますか、楽しみです。「5プラスOne」のおまけみたいな「One」は私かもしれない、いやきっとあの人だろう…作品見ながら感想言い合う9日(土)6時からの談笑会も盛り上がりそうです。
 のぞいてくださればうれしいです。
10月4日(月)
通知票をつける
 みなさん忙しくお過ごしのことと思います。私たち教師も今が一番忙しい時期になっています。2期制になり前期が終わるので通知票を作成しているのです。
 顔を思い浮かべながらため息つく時もあります。「がんばってんねんけどなぁ…」「これ見たらがっかりするやろうなあ…」と思います。「がんばろう」がたくさんある通知票を見て「よし!後期は頑張ろう!」と思ってくれるだろうかと思うと悲観的になります。出来なかったこと、分からなかったことを確認して、あれもこれも不十分でしたよとだめ押ししているような通知票…それを自分がつけていることに責任を感じます。きっと子どもたちはけなげに自分の至らなさを思うのでしょうけど、申し訳ないことです。
 指導している時は「みんなが分かるようにできるように」願いながら教えます。しかし絶対評価と言いながら全員「よくできる」にはならない矛盾。「よくできる」は「よくできる」なのであって、その評価項目において、集団の中で選抜されたものだけがもらえるという運命を始めからもっています。一定の到達目標を設定しておいてそれに到達すれば「できる」で、その発展性が認められれば「よくできる」なのですが…。悩み多い通知票です。さあ、今からもう一がんばり。
9月26日(日)
九条の会講演会
 昨日シルクホールで大江健三郎・鶴見俊輔・奥平康広三氏の講演会があった。私は開会20分前に行ったのだが、997という整理券をもらった。すでに席はなく立見だと言うことであった。入り口から長蛇の列が出来、烏丸四条を南へ折れ地下鉄入り口をまだ越えたところでやっと並べた。私の後ろにも続々人が詰めかけてきていた。新聞報道よると2000人を超える人たちだったという。第二会場が設けられたが、そこも満員で入れない人が200人いたという。
 大江さんは「想像力=与えられたイメージをつくりかえて新しい現実を作る活力のビジョン」について語り、「憲法の意志を使って現実をつくりかえ憲法の規範に近づけること」の大切さを強調された。そして自分の書くものが「親密な手紙」になるようにしたいと語られた。
 私にとって大江さんの文章は難解だし話も難しい。しかし教育基本法第3条について自身の体験を語られた次の話は印象に残った。家庭事情で進学をあきらめようと思ったそうだ。しかし、教育基本法第3条を読み、希望を感じて、母親に「ぼくは進学する。国と地方公共団体が僕の面倒を見てくれるでしょう」と語ったという。
 教育基本法第3条とは次の通り。
 @すべての国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
 A国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難なものに対して、奨学の方法を講じなければならない。
 今、教育基本法を変える動きが急だ。国を愛する心を盛り込むと言う。そして憲法9条を変えて、「国のために死ねる人材」を海外に派兵するための準備がすすめられている。そして教育を受ける権利やそのための措置は「自助努力」や「自己責任」の名の下で大切にされない。
 国連常任理事国入りと引き替えにいつでも軍隊を海外に派兵できる体制を作ることが日本の名誉なのかどうか考えなければならない。既成事実が積み上げられている。そういう中で立ち止まってゆっくり考えようよというこの集会の持つ意義は大きかった。大江氏の言う想像力を働かせ、新しい現実を作る努力が大切なのだなと思った。

9月21日(火)
仏像を彫る

 何でもやりたがりの私はしばらく前から仏像を彫り始めた。これはもう30年前からの願望であった。具体的な彫り方も何にも知らない。道具に何をそろえたらいいのかも分からない。とりあえず彫刻刀を買いに行った。三角刀と丸刀2本そして切り出しを買った。ちょっと奮発して1本1200円から1600円のものを買った。確かによく切れる。伏見にあるTという江戸時代創業の刃物屋さんで買った。気に入っている。材料の木は兄にもらった。とても良い香りのする檜である。
 で、彫ってみた。上の写真の二体が彫れた。彫ると人に見せたくなる。これを写真展で飾ろうと思っている。巾着と写真と仏像…ますます訳が分からないことになりそうだ。
9月9日(木)
授業参観
 今日は授業参観日である。ぼんやりしたことで恐縮だが私は一昨日授業参観日であることを意識した。これは実に困ったことなのだ。一時間の授業を見てもらおうと思えばその前からそれを意識して計画をする。こういう授業をしようとイメージしたらそういう授業の進め方を少なくとも1回はシュミレートした方が自分も自信がもてる。
 夏休みが終わり9月に入って約1週間。台風で途中から帰宅もあったし、宿題の発表会もしたし、工作・絵画や書き方のコンクールへの出品というようなこともある。私はそういうコンクールは嫌いなのでなるべく避けるようにしているがどうしてもというものもある。何より9月23日にある運動会の準備のための取り組みが始まっている。ダンスの練習、地域のお年寄りへの手紙作りというのもあった。
 今日はそういう中での授業参観日である。普段通りでいいのだとだれでもいうが、そういうわけにも行かないと思う。せっかく来てくださるのだからクラスの子らが楽しく学習している様子を見てほしいと思う。また教室の掲示物も準備しなければいけない。
 今日は音楽をする。9月に入って初めての音楽の時間である。4月から7月までに学習してきた歌声やリコーダーを聞いてもらいながら「遊び歌」に挑戦しようと思っている。さて、うまくいくだろうか?
8月29日(日)
発熱
 一昨日から喉が痛くなりはじめた。困ったなと思ったけれど、まあ、よくあることだから何とかなるとその日はそのまま寝た。
 翌28日(土)、かなり悪化してるなと思ったが、午前中は学校で子どもたちと約束があったので出かけた。それを終えて午後からは大阪枚方の教育講座に講師として参加することになっていた。「国語教育、これを教えたい」という2時間の講座である。一度家に戻って昼食を摂ってから出かけたのだが、家から京阪丹波橋まで歩くのに普通なら10分ぐらいで歩くのに20分かかった。喉は痛いしどうも熱がありそうだ。
 元々私は熱に弱い。平熱が低いのかもしれない。37度になるともうそれを見ただけで何もする気が起こらないので、熱は測らないことにしている。
 会場に着いて話し始めた。「今日私は体調が悪いので申し訳ありません。話を聞きながら寝るというのは当たり前ですが、話しながら寝るという離れ業に今日は挑戦しようかと思います。どうぞみなさんも適当に休憩しながら聞いてください」てなこと言いながら話し始めた。話し始めると何とかなるもので休憩を途中で入れたのだがその時は治ったのかと思った。2時間が終わり帰ることにした。歩き始めるとだんだんしんどくなってきた。駅までたどり着いて電車に乗ったら急に疲れが出てきた。丹波橋駅から家まで着いたのだがその時はもう話す元気もなかった。
 帰ってすぐに寝ることにした。うたた寝する気でいたのだが悪寒がし始めた。これはまずいと思いふるえが止まらないのでバスタオルをかけて寝た。二時間ぐらい眠っただろうか、目が覚めたらもう暗くなっていて明らかに熱が出ていた。フラフラするしいつもの風邪とは思えないので時間外だったが急患でお医者さんへ行くことにした。自分が急患になるのも初めての経験だった。
 誰もいない救急病院の待合室で問診に答え熱を測った。熱は38.9度であった。自分がそんな発熱をするなんて信じられなかった。ウワー新記録や!喜んでいる場合ではないが何かうれしいのは何故だろう?お医者さんは問診されて聴診器を私の体に当てられた。「ニチャ」と何とも気持ちの悪い音がした。申し訳ない気持ちになった。
 抗生物質の錠剤と座薬をいただいた。どちらが効いたのか分からないが少し楽になってよく寝られた。29日(日)は京都教育センター主催の夏季研究集会で午前中に「長崎少女殺人事件などに見る子どもの言葉の力」について発言するように言われていたので明日は行けるかなとぼんやり考えていた。
 今朝目が覚めたら昨晩よりずいぶん楽になっていた。熱を測る必要もないようだった。出かけた。自分が話したいテーマでもあったので無理をした。研究会そのものはおもしろかった。新しい資料ももらえたし自分の問題意識も整理できたので有意義であった。午前中で失礼しようと思っていた。しかし午前の部がのびて午後にずれ込んで、残ったほうがいい雰囲気になり、自分でも大丈夫かもしれないと思い午後も続けて参加した。午後からは国語教育三分野説について提案があった。私は自分で国語教育の構造について考えていたことがあったのでそれを提案してみた。それは説明文教育・文学教育・作文教育という3つの教育とその芯になる言語教育という構造を考えているというものである。そして私が前に書いていた1,生活言語2,学習言語3,インターネット言語をその中にどう位置づけるのかについても発言した。「ことばの力」を豊かに確かにつける国語教育について自分の考えをまとめられたのはうれしいことだった。しかし論議をしている間に自分が熱っぽいのを感じ始めていた。熱がある時の方が自分が雄弁(多弁)になっているのを感じた。そして集中力が増すように思った。これは昨日の講座で話していても思った。こういう経験が前にもあったなあと思った。小学生の時にそろばん大会で優勝した時、発熱していたけどすごく集中力があって普段の力以上のものが出たことがあった。
 研究会が終わって家に帰り熱を測るとまた38度を超えていた。元の木阿弥である。座薬の世話になって寝ることにした。
 しばらく寝ていたら信じられないぐらい熱が下がり2時間後には36度に下がった。そして今こういう日記を書いている。喉の痛みは若干残っているが他に気になることはない。座薬の効果で今楽なだけで明日朝になったらまたしんどくなっているかもしれない。
 夏休みも後二日。ろくでもない風邪を引いてしまったものだ。
8月16日(月)
古書まつり
 今年も下鴨神社で古書まつりが今日まで行われている。昨日昼から出かけた。全国から40以上の古本屋さんが集まって開催されている。
 今年は石仏の本を買おうと決めていた。何か買おうと思っていくのもいいが、テーマを持って買うのも楽しい。図書館で借りる本で手元に置いておきたいと思うものが何冊かある。それを探しながら知らない石仏の本はないかと思ったのである。川勝政太郎「京都の石造美術」が見つかった。5300円であった。しかし他の店では5500円だったので思い切って買った。「昭和京都名所図絵6洛南」は1500円だった。「防人の歌・比島」(京都新聞社)は1000円の店と200円の店があった。もっとゆっくり回ったらと思う。3時間半でもまだ時間が足りなかった。
 今日は最終日、4時までだそうだ。残念ながら今日から仕事再開だ。
8月3日(火)
名無しの権兵衛考
 子どもがテストに名前を書き忘れたりすると「名無しの権兵衛さんがいます。だれでしょう?」などと私はよく言う。また「権兵衛が種まきゃ、カラスがほじくる」などとも使うことを知っている。
 しかしこの権兵衛について考えたことがなかった。それで辞書を引いてみた。「@百姓、またいなか者の蔑称A幼児の頸の後面の中央のくぼんだ所に剃り残した毛髪」とある。「権兵衛が種まきゃ、カラスがほじくる」は「愚かしい、無駄骨折りをするたとえ」の意味に使われるのだそうだ。そうか、蔑称なのかと初めて知った。
 要するに「権兵衛」は都や中央都会に住む者が、地方出身のものや農民百姓を蔑む時に使う名前のようだ。それに「名無し」がつくと、これは江戸時代名字帯刀を許されなかった百姓農民を蔑んで、武士が優越感を持って使った言葉ということになるのだろうか。そしてこれは京都で生まれたことばではなく、江戸で生まれた言葉なのではないか、身分制度が確立した時期に生まれ、明治時代ぐらいから新たな装いで盛んに用いられるようになったのではないかと考えた。それは人口の移動が本格的に始まる明治時代の方がこの言葉のニーズが高くなるからである。そして現代まで「第一次産業従事者と第二次・第三次産業従事者」「都会と田舎」「中央と地方」という構図の中で生き続けている言葉なのではないだろうか。
 東京へ行って来た。横浜で泊まっていたので東京駅で券売機の前に並んだ。地図をにらみながら「関内」まで540円であることを確認した。ところが東京周辺の券売機は京都の券売機と様子が違う。まず左側に選択ボタンが用意されている。「JR線」なのか「他社との連絡線」なのかなどをまず選択しなければならない。私は「関内(横浜の中華街・山下公園などに近い駅)」までが何線なのかを把握していなかった。券売機では金額さえ押せばよいと思いこんでいる私のような「権兵衛」はここで迷ってしまい、次に先行経験を優先させる。確か朝に「関内」から「武蔵小杉」までは「他社線との連絡」を押したということがトラウマになってそれを押した。すると、今度は画面が変わり、何線との連絡なのか聞いてくる。「えっ?」と思ってもう一度地図を見る。「品川」から「山手線」と分かれて横浜の方に向かうようなので「品川」の文字を追うとあった、これだ!と思って押したら、やっと金額を入力する画面になった。ところが、540円がない!?あせってしまう。私の後ろには7〜8人の人が並び「はやくしろ!」という無言の圧力が働いている。で、私はどうしたかというと、「リセット」ボタンを押してとりあえずお金を返してもらいやり直すことにした。少しでも早くその場から離れたくなったのだ。
 その後、私はあと2度同じことを繰り返した。「オレハ、ホテルニ戻レルノダロウカ?」という不安が頭をよぎった。次に券売機をかえてみることにした。つまり違う場所にある券売機に向かったのだ。これはどこかに「優しい券売機はないか」願望がそうさせたのではないかと思う。残念ながら「非情な券売機」しか東京駅にはなかった。この券売機のあるところは少し人が少なかったのでゆっくり考えてみることにした。「帰れないはずはない。実際関内の表示も金額も書いてある。どこかで操作ミスがある」「ひょっとすると、関内はJR1本で行けるのではないか」と思い「JR線」を選択すると「540円」が出てきた!。何とチケット買うのに15分近くかかってしまった。何という「権兵衛」状態であろうか。昔のように人がいて発券するシステムならこんなことにはならない。「権兵衛」には優しくないシステムは経済性という合理性と引き替えになっている。
 無事東京駅から乗車した。蒲田で乗り換え大船行きで関内に着いた。東京から横浜という大きな駅を結ぶのに乗り換えが必要だとういうのがどうも合点がいかない。京都大阪神戸間は乗り換えなど必要ではない。翌日50名近くの方相手に「日記指導」講座を担当した。東京神奈川の方が8割おられたので聞いてみた。やはり直通で行けるようだった。私の行き方はどうも能率的ではなかったようだ。そして未だによく分からない。東京から横浜関内へまともに帰れない私はやはり「名無しの権兵衛」なのだ。
 「山本権兵衛(1852〜1933)」という総理大臣がいた。海軍軍人政治家鹿児島出身。日清戦争では大本営に入り作戦指導。日露戦争遂行に尽力。二回にわたって総理大臣になった人物で「関東大震災時には東京市に戒厳令を敷き、また治安維持令を公布、朝鮮人・社会主義者へのテロルを実施」と角川日本史辞典にある。この人は「ごんのひょうえ」と読むのだそうだ。私は「ごんべえ」だと思ってきた。やはり「ごんべえ」では具合悪かったのであろうか。
 ついでに「権官」とは「令制で定められた正官以外の官の一。正官としての資格に欠けるが、事務に練達した者を便宜的に官に任じ俸禄を給した権(かり)の官から起こった」もの、「兵衛府」は「つわものとねりのつかさ」とも言い、令制官司の一つ。宮門の警備・巡検・行幸の際の守護などを行ったようだ。兵衛には身分の低い地方官僚の子弟のうちで21歳以上で、無役の者の中で身体強健で弓馬に長じた者を選び任じたとのことだ。くっつけると仮の位の身分の低い力自慢の若い田舎者貴族というようなことになる。「名無しの権兵衛」は身分の低い田舎者で有名でないことを揶揄する言葉であって、名前を書き忘れたというような時に使われる言葉ではなかったかもしれない。
 となると私がはじめに江戸時代の東京(江戸)にこの言葉の発生を見たのは間違っていたのではないだろうか。京の都に住む大宮人から「権兵衛」と蔑まれた人々がいたのだろう。
 そういう言葉が民衆にも広がり、「田舎者」「都の事情に通じていない者」「無教養な者」「文字を知らない者」「イキなことが分からない者」などを「権兵衛」とからかったのであろう。
 私は「名無しの権兵衛(ごんべえ)」で十分だ。「権兵衛で何が悪い」と開き直るほどムキになるつもりもないが「権兵衛」だから分かることもたくさんありそうに思う。「名無し」を有名人に対する「無名人」ととらえ、「名もない地方の人間」=「名無しの権兵衛」が中央の横暴や権威主義に対してもの申すことは大切なことだと思うのだがどうだろう。 
7月29日(木)
九条の会アピールに
賛成です

 日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています。
ヒロシマ・ナガサキの原爆にいたる残虐な兵器によって、五千万を越える人命を奪った第二次世界大戦。この戦争から、世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓を導きだしました。
 侵略戦争をしつづけることで、この戦争に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法を制定し、こうした世界の市民の意思を実現しようと決心しました。
 しかるに憲法制定から半世紀以上を経たいま、九条を中心に日本国憲法を「改正」しようとする動きが、かつてない規模と強さで台頭しています。その意図は、日本を、アメリカに従って「戦争をする国」に変えるところにあります。そのために、集団的自衛権の容認、自衛隊の海外派兵と武力の行使など、憲法上の拘束を実際上破ってきています。また、非核三原則や武器輸出の禁止などの重要施策を無きものにしようとしています。そして、子どもたちを「戦争をする国」を担う者にするために、教育基本法をも変えようとしています。これは、日本国憲法が実現しようとしてきた、武力によらない紛争解決をめざす国の在り方を根本的に転換し、軍事優先の国家へ向かう道を歩むものです。私たちは、この転換を許すことはできません。
 アメリカのイラク攻撃と占領の泥沼状態は、紛争の武力による解決が、いかに非現実的であるかを、日々明らかにしています。なにより武力の行使は、その国と地域の民衆の生活と幸福を奪うことでしかありません。一九九〇年代以降の地域紛争への大国による軍事介入も、紛争の有効な解決にはつながりませんでした。だからこそ、東南アジアやヨーロッパ等では、紛争を、外交と話し合いによって解決するための、地域的枠組みを作る努力が強められています。
二〇世紀の教訓をふまえ、二一世紀の進路が問われているいま、あらためて憲法九条を外交の基本にすえることの大切さがはっきりしてきています。相手国が歓迎しない自衛隊の派兵を「国際貢献」などと言うのは、思い上がりでしかありません。
 憲法九条に基づき、アジアをはじめとする諸国民との友好と協力関係を発展させ、アメリカとの軍事同盟だけを優先する外交を転換し、世界の歴史の流れに、自主性を発揮して現実的にかかわっていくことが求められています。憲法九条をもつこの国だからこそ、相手国の立場を尊重した、平和的外交と、経済、文化、科学技術などの面からの協力ができるのです。
 私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考えます。そのためには、この国の主権者である国民一人ひとりが、九条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です。それは、国の未来の在り方に対する、主権者の責任です。日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます。
2004年6月10日

 井上 ひさし(作家)
 梅原 猛(哲学者)
 大江 健三郎(作家)
 奥平 康弘(憲法研究者)
 小田 実(作家)
 加藤 周一(評論家)
 澤地 久枝(作家)
 鶴見 俊輔(哲学者)
 三木 睦子(国連婦人会)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~west-mt/9zyookatteren.htm
 九条の会のアピールに賛同し趣旨を広める会の方からメールをいただきました。私もこの日本の知性を代表する方々の呼びかけに賛同します。二度と日本が戦争の道を歩まないように、そして世界中の憲法に日本と同じ9条が書き込まれ世界中に平和が訪れることを願っています。
 上記HPを主催されている方は私と同じ高校の卒業生の方だそうです。わずかな期間にたくさんのアクセスがあるようで私はそれだけでも勇気づけられました。憲法9条の大切さを思われる方でひアクセスしてみてください。
7月23日(金)
教師の夏休み

 明日から夏休み。今週はことのほか暑かった…。
 一昨年から自宅研修は実質認められなくった。自宅研修は一応まだ言葉としては消えていない。しかし自宅研修計画を出しても、「どうしても自宅でしかできないのか」(はじめから自宅研修を認める気などさらさらない)という校長の意向(実際は教育委員会の指示・それに逆らうような校長はいない)で認められない。
 とにかく教師を学校に来させるため、補習が4日間これも無理矢理入った。今までは教師が自主的に必要に応じて行ってきたのだが。また研修会を無理矢理並べることになった。学校の研修、支部の研修、全市規模の研修、それも指名研修という無理矢理な研修である。「先生は働かんと給料もらえていいなあ」という夏休み中の私たちの勤務に対する世論の攻撃の中で、教育委員会が教師の管理統制強化のチャンスと乗り出したのだ。私の場合、研修や当番(プール・日直)などがない日は9.5日である。
 私たち教師にとって夏休みは自分を磨いたりリフレッシュするチャンスである。私の場合夏休みの学習がずいぶん自分の力になってきた。日本作文の会はじめ各種民間教育研究団体が開催する研究大会へ参加することで教育という仕事の可能性とロマンとあこがれを自分のものにしてきた。自分のレポートを発表をすることで、励まされ批判されて教師を続けることができたと思っている。
 ところが学校へ出ることが前提になってきたため、各種民間研究団体の大会や研究会が土日の日程を組むことになった。私は今年の夏休みの土日は、ほとんど日程が詰まった。
 若い人とりわけ今年度採用の方たちの夏休み中の研修日程はすざましい。学習することは大事だ。しかし教師が教師として研修するというのはお仕着せの決められた研修をこなすことだけではないだろうと私は考える。ぜひ色々な場所に出かけて色々な人の実践に出会ってほしいと思う。
 明日「第29回生活綴方夏期講座」を私たちは開催する。
 私は「日記指導」の講座を担当する。多くの方に聞いてほしいと願っている。今日4時間かかってレポート作成した。このレポートをもう一度磨いて「日本作文の会神奈川大会」へ出かける。ここでも3日目にある「日記指導」の講座を担当する。100部の資料を用意するようにと言われている。3時間あまりの講座を一人で担当することになっているので緊張するが、私はこんなことを夏休み繰り返しながら自分の仕事をまとめ学習してきた。そして今年も貪欲に学習するため学校に閉じこもることなく出かけようと思っている。
7月7日(水)
アツイ!
 京都市の各校あたりの教育予算を2割から3割減するという通告が京都市長選挙終了後すぐに今年度3月行われました。どう削減するか各学校から報告が求められました。光熱費も聖域とせず削減するという計画が各校からなされました。実際それは無理だろうと教育委員会から指摘された学校もあったようです。しかし、2〜3割削減せよと言われれば、「そんな無茶な」と思っても誰も文句を言わずに従わざるを得ないのです。今まで特別光熱費を無駄遣いしていなくても何とかしなければならないのです。大体学校予算に占める光熱費の占める割合はかなりなものなのです。だから何とかするにはここをどうにかせざるを得ないのです。
 今年は7月に入り連日の猛暑です。私の学校はクーラーのある教室はありません。みんな汗だくだくで授業を受けています。「先生、しんどい」と訴える子が多くなってきました。無理ないなと思います。平成19年度までに各教室にクーラー設置をすると教育委員会は発表しました。でもせっかく設置しても使うなと言う制限がありそうです。今年この暑さにもかかわらず職員室のクーラーは稼働していない現状を見るとそういう校長が続出しそうです。これも2〜3割削減効果なのでしょう。教育委員会のみなさん、校長はがんばってますよ。教師に我慢を強いながら、忠実に職務を遂行しておられますよ。2期制になり夏休みは7月26日からです。でも7月いっぱい補習などで教室が使われます。まだこれから暑さを増す中、先生も子どもも苦行真っ最中です。
7月5日(月)
中江藤樹
 ひょんな事から中江藤樹について調べるため滋賀県の安曇川町まで出かけました。安曇川町には中江藤樹記念館があるためです。実は私は中江藤樹についてほとんど何も知らずに出かけました。行ってみて、すごく興味が湧きました。
 戦前の修身の教科書の中で二宮金次郎と中江藤樹は双璧だったこと、忠孝教育の忠を代表する人物が楠木正成で、孝を代表したのが中江藤樹だったことを知りました。しかし、ビデオや入門書などで見る限り藤樹がその両親に孝を尽くす具体的な話はないようなのです。母親が年老いて故郷にいるので、伊予大洲藩を脱藩して安曇川町へ戻ったという事実が最大のもののようです。いくつかの藤樹にまつわる話があったのですが、藤樹が直接出てくる咄は少なく、その徳が村人の行いを通じて語られるという特徴がありました。そういう感化を村人たちに与えた「近江聖人」としての藤樹像が語られているのです。
 もう少し詳しく調べてみたい思いにかられました。
 藤樹神社がありました。この神社は大正11年に滋賀県が作ったというのです。東郷平八郎の額がありました。戦後修身の教科書とともに忘れ去られた人物中江藤樹。一体どういう魅力がこの人物にあったのか調べてみたくなりました。二宮金次郎は薪を担ぎながら勉学にいそしんだという話はたいていの日本人が知っていると思います。しかし中江藤樹のそういう代表的な話を私は知りません。戦前と戦後で評価が変わった人物は大勢ありますが、中江藤樹もその中の一人だったようです。私は「致良知」という藤樹の言葉はいいなと思いました。
 
7月3日(土)
インターネット言語
 掲示板に書いたことをこっちにも写しておきます。
 佐世保の事件が起こってショックを受けています。
 小学生が殺人を犯す可能性はあると思ってきましたし現に今までもありました。しかし、学校の中でしかも給食準備中にというのは前代未聞のことでした。
 倉本頼一滋賀大助教授を講師にした佐世保事件緊急集会は90名を超える人々の参加でした。
 私は、加害者があれほど憎しみを増大させ殺人という攻撃性に転化させた要素として「ことばの問題」があるのではないかと思い発言しました。
 私たち教師は経験的に子どもの言語を2種類考えてきたと思います。
1,普段日常会話として使う「生活言語」
2,学校で学習時間に使い教えられる「学習言語」
それぞれが正しく獲得され個々の中で豊かに育まれることを願って国語科を中心に学習を重ねてきたのではないかと思います。しかし、佐世保の事件で彼女たちがインターネット上で使っていたのは明らかにその2つとは違うと思います。
3,チャット、掲示板などで使われる独特の「インターネット言語」
でなはいかと思うのです。この言語で培われる思想(?)感情、想像力はどういうものなのか、私はそう言う課題をあの事件は突きつけているように思います。
 丁寧な分析の上に立っての発言ではなく「思いつき」の域を超えないのですが私の問題意識です。言語能力が高い人間は犯罪を犯さないということはないのです。
人間の価値形成と言語能力の間にある問題、
言語と思想・認識の関係
そして教育の課題
 加害者の彼女は小学生にしては高い言語能力を持っていました。それを歪んだ言語能力と見るのかどうか。バトルロワイヤルもどきの小説を書いたということはバーチャルでそういう経験をしたと言うことになります。そういう間接体験ができる言語能力が犯罪に結びついたのではないか、これは、かなり厄介な問題だと思っています。
6月19日(土)
石仏巡り
 行きたいとなったらどうにかして行ってやろうと思います。石仏巡りがおもしろいので今はそれにはまっています。
 比叡山も弥勒仏が見たいのでまた出かけました。この弥勒さんは威厳があり立派です。こういう感じは北白川石仏や岩倉の石仏・大原の石仏と共通したものがあります。
 どこの石仏が美しいか…なかなか難しいところですが、私は今日UPした石像寺(洛中2)の阿弥陀さんは5本の指に入ると思います。まだ写真はあるのですが整理できていない仏さんたちが大勢おられます。ぼちぼちと思いながらなぜか全力疾走してしまうこの性は治りそうにもありません。
6月17日(木)
花泥棒
 花泥棒は罪が軽いか?私は決して軽くないと思います。私の妻は花を作るのを趣味にしています。かなりの時間土を作ったり様々な世話をしています。家の前を通る人が花のことを誉めて下さったり、種をあげたり、そのことでコミュニケーションがあったりしています。 
 つい最近家の前に出していたアジサイが鉢ごと盗まれました。直径40pぐらいの大きなもので重いものでした。たぶん車で夜中に運んでいったのでしょう。計画的です。今まで盗まれたものは「ハナショウブ」「牡丹」「サフィーニア」「ベコニア」などが盗まれています。鉢ごとプランターごと持って行かれています。一番美しい時に盗んでいくわけです。盗んでいってそれを鑑賞して心晴れ晴れするものなのでしょうか。私はそれが分かりません。アジサイは挿し木すればふえるものです。頼めばいやとは言わないものです。たぶん花のすきな人は同好の士が頼めば「いや」とは言わないように思います。
 「東林院の夏椿」見に行ってきました。もう少し後に訪問される方が良いようです。さっそくその様子UPしました。妙心寺の近くJR花園駅の北に法金剛院というお寺があります。このお寺「関西花の寺25」に選ばれている京都市内唯一のお寺です。東林院の帰りに寄ってきました。アジサイ・ハナショウブ・大賀蓮(HPの蓮)など見事でした。これもUPしようかなと思ってます。
6月15日(火)
近鉄・オリックス合併!?
 私はどこが好きという野球ファンではありませんが野球は好きです。近鉄とオリックスの合併話はビックリしました。近鉄が球団の赤字を足手まといだと考えていることは今年の春の時点で分かりましたが、まさかシーズン途中にこういう形で発表するとは。これは近鉄という会社のイメージにとってプラスになるのでしょうか。今選手たちはペナントレース真っ最中です。シーズンオフにリストラされる人が半分は出るのです。そいうことが分かりながらみんなで力が合わせられるのでしょうか。せめてこういう話はシーズンオフまで待てなかったのでしょうか。まして1シーズン制を見越した合併だということになると、またしてもあの金満家の球団が後ろで糸を引いているのだろうと思ってしまいます。傍系のスポーツ紙は「次はダイエーとロッテ合併」を報じたとか。10チームで1シーズン制にしたいという意向がこういう形ではじまるのは、決してファンを大切にするプロ野球ではないと思うのですが、どうでしょうか。近鉄にはガッカリしました。
6月3日(木)
今年の子ども達の詩
 やっと今年の子ども達のことのページを作る気になりました。文集通信はもう30号近くになっていますし作文も書かせましたし、日記指導もしているのですがどうもHPにする意欲が湧きませんでした。これからぼちぼち始めます。また読んで下さい。
5月14日(金)
年金未払い
 国会議員の年金未払い問題は、国民の怒りを買うと言うより呆れてものが言えなくなる状態になっている。
 同じように払ってなかった議員でも資産家としても有名な議員の場合は「あの人はそういうものに頼らなくてもやっていけるから…」と庶民は金持ちをうらやむ構図になっている。大体国会議員を長くやっている人は別立ての年金システムになっていて月40万以上もらえるそうだというのも「そらだれも入りたいと思わへんやろ」ということになる。ここでは呆れるより羨ましい方が先に立つ。「自分に必要がないもん手続きせんわな」で許される。しかし、入る必要がないと判断した人はこれは確信犯だ。年金問題というのは相互扶助的な性格を持つ制度だと私は思っている。だから必要あろうとなかろうと全員入ることが前提ではないだろうか。それを自分は老後に不安がないから入らないというのではそういう制度を作ったことに責任を負う国会議員としては無責任だ。
 一方正義の味方を振りかざして「未納3兄弟」とか「福祉の党」とか「がんこに…」とか言ってきた人たちもそうだったのだということになるとこれはもう絶望に近い気持ちになる。そして怒りはこっちの方に向く。世間の風当たりは余裕のある方へ向かわず弱いものいじめの方へ向く。それを敏感にキャッチしながら報道されたり世論誘導されたりする。
 結局五十歩百歩で痛み分けになる。政権政党の方は「金持ちケンカせず」を地でいっているようで、責任の取り方が急に未来志向になったり、また急に人権感覚に鋭敏な党になったりして情報公開をしないことで足並みをそろえる。公開したら困るからだとだれもが思っている。
 江角マキコさんの時にも思ったのだが自ら納税したり保険料を払う立場の人たち(つまり給料天引きされない人たち)と給料天引きされるものの保険料の納付率を比較してほしいものだと思う。私はかなりな差があるように思うのだが、それは給料天引き組のひがみだろうか。
5月4日(火)
誕生日
 5月4日は昔から私の誕生日です。「国民の休日」になったのはその後で、私のせいではありません。憲法記念日と子どもの日に挟まれてちょっと肩身の狭い誕生日だったのですが休みと決まればなかなかいいものです。
 ところで、誕生日を全国民から祝って貰える人って国家元首でも特殊な人です。そういう人は自分の誕生日を使って何か謀を企んでいそうな気配を感じないのでしょうか。自分が全国民から崇拝され尊敬を受けているから自分の誕生日を見ず知らずの人が祝ってくれても当然だと思っているのでしょうか。まあ、それを快適だと思うから「止めて!」と言わないのでしょうけど。個人崇拝のために誕生日が利用されるのは如何なものかと思います。
 まあ、個人崇拝とまでは行かなくてもせめて家族ぐらいには忘れないでいてほしいものだと思います。「あれ?今日やった?」とか「ウソ!」とかはなしにしてほしいものです。私の誕生日の次の日が藤森神社の祭礼で、子どもの日です。これもいっしょにされるとついでみたいで寂しいものです。「誕生日のケーキ欲しい」という質問もやめてほしいと思います。特にほしくはありませんが聞かれると辛いものがあります。こういうものは本人が気づかぬうちに用意してほしいものです。と、ここまで書くと私の誕生日がすごく惨めに思えてきました。今日はどんな誕生日になるのでしょうか。
4月29日(木)
スポーツデー
 私の同じ町内で知り合いの方が「4月29日は空いてますか」と先週の日曜日にお越しになりました。何でも学区のソフトボール大会があるとかで出ませんかというお誘いでした。私は休みの日にテニスをしています。スポーツすることに不自由しているわけではありません。迷ったのですがきっとそれほど親しくもない私の家まで誘いに来られたのはきっと一念発起してこられたのだろうと思うと断れませんでした。もう15年以上使っていないグローブを取り出しました。守れるかな、打てるかな、走れるかな。もう50歳をかなり前に過ぎた私は子どものころはかなりのものだったソフトボールですが、不安になりました。
 今日その試合がありました。出場チームは2チームでした。私は混合チームのサードでした。打順は7番。試合の方は派手な打ち合いというかエラーの仕合でした。結果はラグビーみたいなスコアで28−27。私のチームが最終回に8点を入れて大逆転勝利。審判も笑い出すという楽しい試合でした。私は5打数4安打1四球、サードの方は守備機会7回でアウト5回エラーというか強襲ヒット2、という結果でした。まだ、やれるなあと思いました。
 昼からテニスへ行きました。たっぷり4試合してきました。
 さすがに疲れました。
 今、困ってます。足がつりそうになっています。おかしな具合になってます。明日どういう状態になっているのでしょうか。今晩寝られるでしょうか。ちょっとやりすぎました。 
 
4月8日(木)
入学式のピアノ
 今日は3つの式がありました。着任式・始業式・入学式の3つです。私の学校は単級(1学年1学級)の小さな学校です。入学式では、在校生代表として新2年生・5・6年生が出席します。その度に校歌を合唱しますから今日は3回歌いました。
 私は昨年度1年生を担任しましたから入学式での「おむかえのことば」の指導をしてきました。新2年生が楽しく学校の紹介をするのが「おむかえのことば」です。歌を歌ったり合奏したり一輪車に乗ったり、独楽回しをしたり、大縄飛びしたりしました。そのピアノ伴奏をしなければなりませんでした。教室ではまあまあそこそこごまかす程度に和音を使ってオルガンを弾きます。難しい曲はギターを弾きます。ピアノが堪能な方と同じ学年を組むときはお任せするのですが何と言っても単級ですから私が弾かざるを得ません。自慢にも何にもなりませんが、ピアノは先生になってから練習しました。しかもだれかに教えてもらったわけではなく我流です。保護者の中にはピアノの先生がおられたり、子どものころ習っていて弾ける方がおられます。そんな中で入学式などというハレの場で弾くには度胸がなければ弾けません。
 子ども達よりきっと私の方が緊張していたのではないかと思います。きっと他の先生方も私が緊張していたとは思っておられなかったと思います。今日の「おむかえのことば」ではギターも弾きましたがこれは緊張しません。慣れないことは加重な負担がかかるものです。疲れました。
4月5日(月)
学校で花見
 昼食を先生たちと食べるために近くのお店へ行くことにしました。道路へ出ますと学校の運動場が外から見えます。京都市はしばらく前から学校の周りを花壇にして中が見えるようにしています。これなかなかいいなあと思います。運動場で元気に遊んだり体育をしている子どもたちを見るのは楽しいものです。私が子どもたちと体育をしたり遊んだりしていると熱心に見ておられる方が時々おられます。
 どこの学校もたいてい桜の花が沢山植えられています。私の学校の桜も今満開です。この道沿いのフェンス近くで子ども達がお弁当を食べていました。敷物を広げて遠足の時のお弁当みたいな感じで食べています。5年生と2年生の子ども達男女7名でした。みんな私が一度は担任した子ども達でした。「学校で花見せえへんか?」と言い出したのはきっとNちゃんだと思います。そして同級生や姉弟誘って花見になったのだと思います。前にもそんな計画を立てたことがあったように記憶しています。「ええなあ。おいしいか」「うん」楽しそうでした。フェンス越しに見る子ども達は楽しそうでした。「学校で花見」というのは案外いけますね。こういう春休み企画もいいなあと思いながら通りました。
3月27日(土)
卒業式2
 卒業式の日3つのメールが入りました。前の学校で1・2年生担任した子ども達が卒業式を迎えたのです。その関係のメールでした。
お母さんから@
昨日の雨が嘘のようにあがり、いいお天気になりました。
無事にS校の卒業式が、終わりました。
小宮山学級にめぐり合ってから、はや6年・・・
子供達も心身共に、大きく成長いたしました。
小宮山先生にも、見ていただきたかったです。
写真を、何枚か撮りましたので又、送らせていただきます。
それと、心温まるメッセージをありがとうございました。
では、お体を大切に・・・

追伸:「ぼちぼちいこか」は、小宮山学級の子供達にとって
    宝物のようです。Sを含め、他の子供達も
    折にふれ、読みかえしているようです。

お母さんからA
S小学校の保護者のKです。昨日無事穏やかな卒業を迎えることができました。たくさんの制限のある中、6年生の担任の先生方の子ども本位の授与式にしようというお気持ちを感じることができ,うれしい思いをしました。Mちゃん(小学校途中から不登校になった子)はみんなの努力にむくいることなく学校にくることはありませんでした。そして、昨日、Kたちは卒業を祝う会の届け物をしてかなり強引ですがMちゃんに会うことができました。もちろんMちゃんのおかあさんの協力があってのことです。そこに私も行ったので、唐突でしたがMちゃんの卒業式を行いました。こどもの一人Hさん(同級生)が校長となり証書を読み上げ証書をMちゃんに授与しました。Mちゃんは決して顔をあげることはありませんでしたが,自らの手で証書を受け取りました。その場に立ち会ったみんながMちゃんの卒業を祝いました。Mちゃんにとっては大変エネルギーのいることだったろうし,負担をかけたと思います。でもその朝,Mちゃんの欠けた80名の卒業を寂しく思っていたみんなにとってうれしい卒業でした。Mちゃんにとっても良いきっかけになることを願っています。こんなみんなに育ったのはあの2年間があってのことだと思っています。先生の教え子たちはみんなすてきに育っていますよ。それと,祝う会へのことばありがとうございました。

本当に感動しました。私が担任したころから不登校気味だったMちゃんを地域のみなさんが気にかけて下さっていること、そしてMちゃんの家で卒業式をした仲間達。私の作った文集を大事に読んでくれている子どもたち。色々な制約の中でがんばっておられる現担任達。そんな姿が思い浮かび感動しました。

もう一通はH君からでした。
『卒業しました』
ただそれだけでした。この子はずいぶん手こずらせてくれました。たぶん大勢の先生を手こずらせたことでしょうし、これからもお世話になることと思います。彼は4年前の私の離任式で花束を私に渡す役になりました。私が「Hがなあ…」とよく職員室で話していたので他の先生が彼を選んで下さったのです。彼はやんちゃ坊主です。乱暴なこともいっぱいしました。花束渡しながら彼の頬を大粒の涙が流れました。私は「こいつは大丈夫!」と固く信じました。『卒業しました』たったそれだけのメールなのですが、私はうれしいのです。
さっそく返事を書くことにしました。
「卒業おめでとう。中学生やね。クラブ何やるの?3年間がんばって続けや。時々どうしてるかメールちょうだい。Hのことはいつも気になってます。がんばれよ」
教師という仕事は本当によい仕事です。
3月27日(土)
卒業式1
 卒業式が終わりました。しばらく前は卒業式そのものを工夫する自由や子どもを主役にする卒業式のあり方はどうあるべきかを創造する楽しさがありました。しかし今や教育委員会の強制と監視・報告処分体制の中で式そのものは息が詰まるような重苦しさを感じるものになりました。東京では教師が「君が代」を大きな声で口を開けて歌っているかどうかの点検がなされたとか。京都もそれに近いものです。
 私は思想信条の自由や良心の自由は最大限尊重されるべきであると思います。「君が代」を歌う自由も歌わない自由も大切にされるべきだと思います。歌いたい人も歌いたくない人の自由を尊重すべきだし、そのまた逆も当然です。私はあなたの意見には賛成ではないが、あなたがそういう意見を持っていることは大切にしたいということを認め合うのが成熟した民主主義ではないかと思います。日本人として自国に誇りを持てない人間はダメだとよく言われます。私は日本という国に生まれて、その文化や風土・伝統など好きです。他の国をそれほど体験してないので比較は出来ませんが日本人であることに誇りを感じています。しかし、そのことと「君が代」を歌うこととは同じではありません。「君」はあなたの意味だとか、そんな堅いこと言わなくてもサッカーでも何でも歌っているではないかとか、よく言われます。しかし違和感のあるものを大声で歌っているかどうか点検し処分することは間違っていると思います。
 15年ほど前に卒業式で子どもたちに歌わせたいと強権的に「君が代」が入ってきました。その時に「君が代」強制の目的は教育内容の国家統制的な側面と教職員の管理統制的な側面を持つと思いましたがやはりその通りの結果でした。 
3月11日(木)
泣いてる場合か?
 体育の時間が始まりました。私が運動場へ出て行ったら、10名足らずの子しかまだ運動場へ出てきていませんでした。大縄を持っていたので、大縄をすることにしました。体育倉庫の前で大縄をしていると、ぽつりぽつりと人数がふえはじめました。それでも、なかなか人数がそろいません。
 おかしいなあ?と思って子どもたちに運道場5周走るという課題を与えて、教室へ行くことにしました。
 どうしたのかな?と思って教室に行きますと、二人の子が、Sくんという子に話しかけていました。何で泣いているのか聞いている様子です。二人は、体育の服装に着替えています。
 二人を運動場へ行かせて、Sくんに聞いてみました。さて、何で彼は泣いていたのでしょうか?
 実は、その前に図書室で読書をしていたのですが、Sくんは「ほたるの墓」を読んだらしいのです。もちろんアニメ版です。そしてそれに感動して(かわいそうで)、泣いていたのでした。私はSくんが「ほたるの墓」を読んで泣いたことに心動かされました。そして、「君はやさしいから、涙が止まらへんかってんな。Sくんがやさしい子やということがよう分かった」という話をしました。そして、二人で運動場へ出て行きました。 
 と、まあここでこの話が終わりますと、「ちょっと1年生のいい話」なのですが、これで終わらないところが、これまた現実です。
 体育が終わった運動場。最後までSくんとNちゃんという女の子の姿がありました。私は、体育倉庫を閉め終わって教室へ戻りかけていて、彼らのやりとりを見ることになりました。
「S、そんなことで泣いてたらあかんで」
というNちゃん。Sくんは、それに対してパンチで応酬。大きな声で、私が言いました。
「Nちゃん、それは、Sがくんかわいそうやで」
Nちゃんに悪気はなかったのでしょう。きっとNちゃんも「ほたるの墓」見て感動したことがあったのだと思います。でも、そんなことで泣きやまないなんて、「オイ、しっかりせえ!」という励ましのつもりだったのでしょう。人生これから辛いこと悲しいこといっぱいあるのに、そんなことぐらいで泣いてどないすんねん…ということだったかもしれません。
 やっぱり小さいときから現実をしっかり見ている女性に、男は頭が上がらないものなんだとあらためて思うことでした。
3月1日(月)
「ゆる気」考
 子ども達が使っている言葉の中に「あれ?」そんな言葉あったっけ?というのがあります。「ゆる気」という言葉です。こういう言葉を聞いたことがないので(TVで流行ってるのかな)使い方を注目してたら「ぼくはゆる気でやってた」という風に使います。本気とか真剣とか全力に対して、「それほど真剣ではなく緩い気持ち」を「ゆる気」ということのようです。
 私が子どものころにこういう言葉はありませんでした。なぜ現代(いまどき)の子どもがこういう言葉を使うのか考えてみました。
 「適当に相手に合わせる必要がある」「真剣にすると浮いてしまって笑いものになるので余裕を見せる必要がある」「まじめで真剣で全力で頑張るのはカッコ悪い」こういう子どもの人間関係感覚がこういう言葉を生み出したのではないかと思うのです。「ゆる気」という言葉に含まれる現代の子どもの人間関係の複雑さが見えてきます。
 1年生は「ぼくはゆる気でも…に勝てる」という使い方をしている時があります。これは、自分の優越感を確認しているわけで今までの「真剣勝負」の延長にあります。競争社会を生き抜かなければならない豆戦士が相対的な自分の位置をこの言葉で表現しているわけです。
 私は最初から「ゆる気」でしか自分を表現しようとしない子どもたちがいるのではないかと思っています。傷つくことに疲れた子どもたちは「ゆる気」で生きることでかろうじて自分のバランス感覚を保っているように思います。それは生きる上での知恵であり人間関係を円滑に進めるための知恵なのです。子どもたちの「気づかい」ということが、しばらく前に問題になりました。ズカズカと心の中に踏み込まれること、踏み込むことに対する躊躇が「ゆる気」ということばを支えているように思います。
 一方で学校的価値は「一生懸命」「まじめに」「真剣に」を求めます。しかし子ども達はそれに対して「ゆる気」でアイデンティティを保とうとしているのではないか…そんなことを考えています。
 この言葉を子ども達が使うことはそれだけ子ども達を巡る状況が複雑になってきていて、自分の「ありのまま」だけでは生きていけないことの証明であり、一方ではそれに対して現代を生きる子どもたちの繊細な感性が「ゆる気」を生み出したと言うことではないかと思います。
 いや、ひょっとすると私たちも「ゆる気」でしか生きられなくなっているのではないでしょうか。
2月23日(月)
ちょっといい話
 私の学校では以前から後始末の悪さが問題になっていました。放課後子ども達の帰った後にボールが散乱したままでした。また、どろだんごづくりが流行っているときには運動場に穴ぼこがあいていて如雨露が出しっぱなし。一輪車は乗り捨て状態…とまあそんなこんなでした。
 見かねた前の教頭は、出しっぱなしになったボールを返さないという強硬手段で対抗しました。(今までなら「落ちてました」と担任に返してくれてたのです。担任は子ども達に「出しっぱなしはいけない」と注意するのですが効果が上がりませんでした)困った子ども達は返してもらいに来るのですが、一言も二言も言われるものですからだれが返してもらいに行くかもめます。あまりに効果が上がらないことにいらだった教頭は、運動場の見回りを輪番制で各担任にするよう提案しました。後始末が悪いという地域からの声が電話であって、部下である担任に責任を分担しろと言うことだったのでしょう。まあ、ここからうかがえることは、後始末が悪いのは各担任がきちんと指導しないからだという管理職の基本的な認識です。
 私は「ちがうな…」と前から思っていました。子ども達は責任が自覚できるように指導すれば必ずボールの後始末が出来ると思っていました。私は生徒指導担当で、学校の約束についての係をしています。そこで昨年10月次のような提案をすることにしました。
@子どもたちが使えるボールを増やそう。(クラスに軟式テニスボール2こ・ドッジボール1こ・ソフトドッジボール1こ…今までドッジボール1個あるかないかでした)
A新しくクラスに空バット1本(プラスチックバット)を配布する。(ただし使えるのは放課後のみ)
B今まで体育館の横にあったボール置き場からボールを持っていき返すのではなく、各教室に段ボール箱を用意してその中にボールとバットを保管する。
Cボールの紛失については補充しない。
D体育館の屋根にのったボールはとらない。(無理に蹴ると体育館などにのるのです)
 さて、結論を言いますと、この約束で運動場のボールが転がることはなくなりました。見事に約束を守って子ども達は使っています。私はいつも子ども達を誉めることにしています。「君らはエライ!」一輪車の始末の方は完全とは言えませんが私はましになっていると思います。子ども達はやりがいのあることはやるのです。約束を守ったら良いことがあることがわかれば守るのです。私たち担任も信頼されずに責任だけ負わされるイヤな気分の見回りをする必要がなくなりました。
2月20日(金)
風邪が治らないのは

 先週木曜日当たりから風邪気味だったのが、今週に入り、すっかり本物の風邪になりました。一週間の長かったこと長かったこと。一度治りかけたのですが、夕方になるとしんどくなりました。お医者さんへ行って、体温を測ったら35.8度?あれ?オレって低体温だったっけ?鼻声で頭はボーッとしてるし確かにしんどいのです。喉は痛いし。にもかかわらず熱は出てない。それどころか平熱以下。熱が出ないと何かウソでしんどがってるみたいでお医者さんの前で元気そうにしてしまうこの小心さ。家で体温計り直してみたのですが、36.6度…さっきよりはましだが平熱だ?!何かおかしい。
 今年の風邪はこういう風邪なのだろうと決めることにしました。おかげさまで食欲は減退することなく風邪の間に痩せると言うことはありませんでした。残念!
 この梅雨時みたいにじとじとした感じの風邪のひき方は50歳を超えてからです。要するに治りにくい。お医者さんへ行って注射打ってもらって一晩で快復する、ということがなくなりました。そういえば風邪ひいてお医者さんへ行っても注射打つことがなくなりました。飲み薬を処方してもらうのですが、思わしい効果がない。どう考えても年のせいです。
 さあ、明日は気分転換。楽しい一日になりますように。
2月14日(土)
伏見MDMA事件
 昨日京都市総合教育センターで保健主事研修会が行われ参加してきた。講演『薬物乱用防止教育』というのに惹かれたからである。
 2月5日に発覚した「伏見・中学生強盗事件 教育現場に衝撃 薬物使用「想像以上に低年齢化」(毎日)「大麻買う金に困ってやった」中2生が強盗容疑京都(朝日)「MDMA欲しさに強盗 京都で中2少年逮捕」(共同通信)のすぐあとだけに、京都市教育委員会がどういう見解を述べるのか注目して行った。残念ながら詳しい報告はなく新聞報道の域を超えるものではなかった。
 この事件そのものについてはきつく箝口令が敷かれているようで、当該の学校教職員の口は堅いそうである。また定例の京都市教育委員会で、委員からこの事件について報告を求められた教育長は、傍聴者を閉め出し報告するということであったらしい。ただ、学校は懸命の努力を続けていたが、生徒が抱える困難が大きいという報告はなされたという。
 この生徒が通っていた中学校では「02年11月にも覚せい剤所持容疑で2年生が逮捕」(毎日)されており、「同署によると、少年は学校に行ったり行かなかったりを繰り返しており、「大麻や合成麻薬MDMAなどを服用していた。中学生の仲間と使った」と供述。自宅には大麻などを吸うためのキセル状のものがあったという。」(朝日)
 京都市内各校は2月10日付で急ぎ保護者向けプリントを配布した。もちろんひな形は教育委員会が用意したものである。「家庭の中にも、アルコールやタバコなどの依存性の高いものもあります。今回の事件合成麻薬(MDMA)のほか、大麻・LSD等の薬物が若い世代に広がりつつあり、薬物についての誤った情報も氾濫しています。美容・ダイエットや疲労回復などの効果を示し、言葉巧みに誘惑されたり、咳止めや風邪薬などの一般家庭薬が乱用されるケースも見られます。」と現状を訴え、『薬物から子どもを守る10か条』が示されている。1,飲酒・喫煙・薬物について子どもと話し合いましょう 2,子どもの話をよく聞きましょう・・・など書いてある。その通りではあるのだが、こういう一般的な心得が、なかなか届かない環境にその中2生たちがいたのではないかと想像せざるえない。
 私の家から車でわずか10分の場所で起こっている事件である。喫煙・薬物・飲酒の低年齢化の問題が言われては来ていたが、こんな近いところで麻薬の問題が起きようとは想像できなかった。私の中で「それは東京など大都会でのこと」という思いがあったのは否めない。これからどこまでこの事件についての解明が行われ、どういう発表が行われるのか注目したいが、この学校だけの特別な問題ではないだろうということは想像できる。事件の全容と、現在の子ども達を巡る薬物使用の状況を正しく市民に知らせるだけでも、十分親たちへの警鐘になると私は思う。
 私はMDMAについてまったく無知であった。いや、薬物そのものについて今も無知である。昨日の研修会で聞いた話は驚くことの連続であった。そのいくつかを書いておく。
@薬物乱用というのは、薬物を間違って(目的外に)使用することであり、1回でも乱用である。
AMDMAは(メチレン・ヂオキシ・メタンフェタミン)の略で、メタンフェタミンというのが覚せい剤である。日本に密輸され入ってきているMDMAは世界各地で作られたものであり、品質にばらつきがある。ものによっては、覚せい剤以上に幻覚性を伴うものがある。簡単な技術で製造できる。錠剤であり、気持ちが良くなるとか(高揚感)痩せられるとか(美容)言って売られている。1粒3500円から5000円で売買されている。
B逮捕された中2生はMDMAなどの購入のために1月20万円使っていたらしい。(この事件もバイクを盗み無免許で走り強盗に入ったことが分かってから薬物使用が明らかになったのであるが、そういう事件がなかったら薬物使用の実態は明らかにならなかった)
C覚せい剤は「乱用」から「依存」へ移る。使用中は「高揚感」があるが、「切れる」と落ち込む。この「落ち込み」から逃れるためにまた使用する。この依存状態になると、薬物を手に入れるために何でもする状態になる。(家族などに対する暴力・強盗傷害など)女性の方が依存する率は高い。そういう意味で言うと今回の事件はおこるべくして起こっている。
DMDMAは、平成11年度1万7千錠押収されていたが、平成15年度には39万3千錠押収されている。(前年の2倍以上)
E薬物依存症の人たちのリハビリ施設でリハビリがなされているが、その社会復帰率は1割である。(この数字は一人歩きすると恐いと思う。何をもって社会復帰とするかにもよるが、そういうことが語られるほど、依存症からの脱出は難しいと言うことであり、薬物乱用防止「薬の正しい使用」に社会が目を向けなければならない警鐘とうけとめるべきであろう)
F「合法ドラッグ」などいうものはない。携帯などに「合法ドラッグ」販売のメールが入ることがある(らしい)が、脱法ドラッグというのが正しい。現在まだ厚生労働省の検査が追いついていないと考えるべきである。
Gインターンネットで「ケミカルドラッグ」とか「合法ドラッグ」などといって販売されているものもある。クラブで開かれるパーティーなどで乱用されたり、アダルトショップなどで売られるだけでもない。東京都立高校の校内で売買されていたという事件がつい最近あったが、駅街頭などでもすぐ売人が近づいて来るぐらい若者に身近なものになっている。
2月5日(木)
大阪名物
 昨日大阪の富田林であった作文研究大会へ出かけてきました。寒い日でした。行きは自宅から2時間かかりました。帰りは2時間半かかりました。2つも授業を見ることが出来ました。また研究討議も2つ参加して講演も2つ聞きました。たくさん勉強して行き帰りに川柳の本読んで頭使ったせいかすぐ寝てしまいました。
 話は変わりますが、子ども達におみやげ買う約束してたので京橋で「京阪デパート」へ入ったのです。地下の食品売り場で大阪名物を買って帰ろうと思ったからです。大阪名物「あわおこし」その他に何があるのかな?と思いながら店を探したのですが、大阪名物の店がない!のです。和菓子は京都の店。洋菓子は神戸の店なのです。「あわおこし」もないのです。これはどういうことでしょうか。大阪の人は大阪の店や品物を大切にしてないのでしょうか。京都や神戸の老舗有名店のブランド品の方がよく売れるのでしょうか。
 前に他都市でデパートに入ったらやはり京都の漬物店や和菓子屋さんの店があってへえ!!!と感心したことがあります。でも地元の土産物もありました。京阪デパートの地下のお店だけかもしれませんが、大阪は懐が深くて地元にこだわらないのでしょうか、それとも大阪名物は時代に取り残されているのでしょうか。たこやきとお好み焼きは確かに大阪名物だと思います。でもデパートで売るようなものではないということでしょうか。大阪名物の旨いお菓子って何でしょうか?しかたなく「えびせんべい」を買って帰ったのですが入る店間違ったかな。
2月2日(月)
鬼の歌
・「鬼さんこちら手のなる方へ」そういう誘いがいちばん恐い(鬼学校の先生の教え)
・なけなしの 銭を鬼子が 無駄遣い(たまりません)
・父母に似て 鬼を欺く ご面相(不器量)
*鬼を欺く・・・鬼も負けそうなぐらい力強い、又は容貌が醜いこと
・世間では 鬼の居ぬ間が あるらしい(圧制下に苦しむ?)
・鬼よりも こわい取り立て おにーさん(サラ金地獄)
節分というのは季節の変わり目だということ感じますね。確かに寒いのですが木々の芽は春を迎える準備をしています。昨日植物園へ行ってきたのですがもう梅林の蝋梅は旬を過ぎていました。今晩から明日にかけて京都市内各地で鬼やらい節分祭が行われます。どっかでかけようかな。鬼退治に。
1月27日(火)
寒い!
今日の一句
「学歴詐称(うそつき)と
色ボケ親爺
どっちまし?」
(福岡の選択)
 寒いですね。昨年は寒くても50ccで通勤していたのですが今年は1月から車通勤です。このところコタツに入って座っていると膝が痛いのです。立ち上がるときや曲げるときに「イテテテテ」状態になります。早い内にお医者さんへいった方がいいだろうなと思うのですが、「運動しては行けません」とか言われてテニスできなくなるのがいやなので、徹底的に痛くなるまで我慢してます。
 寒い中50ccで走って余計に膝が痛くなるのがイヤで車です。一度車に乗るとその快適さに負けてしまいます。久しぶりに枝雀の落語順番に聞きながら楽しく通勤してます。しかし何回聞いてもおもしろいですね。今日は「不動坊」と「くやみ」昨日は「口入屋」。明日は「代書屋」。暖かい車内で好きな落語聞いて笑いながら出勤するのですから極楽です。
 今年の正月に行った永平寺は今すごい雪の中みたいです。勝山永平寺線の架線が雪の重みで切れたとか。その中で修行しておられた道元さんは偉いなあと改めて思います。毎年たくさんの瓦が雪のために割れるそうでそのための募金(?)をしておられたのですが、私が行ったときはほとんど雪がなくてそんな気が起こりませんでした。鎌倉時代に雪深く厳冬の山中で修行するだけで命をすり減らしそうに思います。とても真似が出来るものではありません。
 昨日朝日百科仏教シリーズの配本が届きました。「明恵・叡尊・忍性」でした。この方達は鎌倉新仏教に対して旧仏教側の改革派の方達です。「戒」をないがしろにする念仏教団に対して批判し愛を解く明恵。ハンセン氏病患者の人たちや当時最下層にいた人々に対する救済を実践された叡尊とその弟子忍性。その時代時代を誠実に生きた方達なのだなと思いながら読みました。
1月14日(水)
新選組
 正月からNHKの大河ドラマが「新選組」だというので話題になっている。本屋さんはコーナーいっぱいに新選組の本を並べている。子母澤寛からはじまって司馬遼太郎・浅田次郎・村上元三など歴史小説を書く人はたいてい書いているのではないだろうか。昨日は森村誠一の新選組の本を見かけた。小説だけでなく新選組の遺跡を追いかかる本もたくさん出ていてびっくりする。京都は新選組のいたところだからたくさん紹介されていてこれも今まで知らなかったことがてんこ盛りでビックリだ。堀川塩小路にある大きなホテルの前を車で通ったら「近藤勇」の文字の入った碑が出来ていた。今までなかったのになあと思った。あそこは近藤勇の「妾宅」跡だと思うのだがそれで碑を建てるかな。
 私の住んでいる伏見も新選組との関係がある。これだけでもページを作ろうかなと思うのだが、あまりにも知らなさすぎて作れない。私のHP作りのお友だち犬夜叉さんは、土方歳三のファンだそうで、新撰組のこと(犬夜叉さんは新選組とは書かないこだわりをもってはります)伏見鳥羽の戦のことUPしたはります。なかなか手に入りそうもない資料や写真をふんだんに使っておられておもしろいです。新撰組ファンの方、興味をお持ちの方一度訪ねてみられてはどうでしょうか。MIYAKOWEB〔伏水物語〕
 私は黒鉄ヒロシさんのマンガ「新選組」を買ってきて読みました。なかなかおもしろかったですよ。それにしても新選組のことをよく知っておられる方が多いのにびっくりしています。
1月11日(日)
冬の花

京都のツバキ
 ツバキという木は「椿」という漢字です。他にも「山茶」「海石榴」と書くこともあるようです。あまり意味を考えたことなくきたのですが、春を代表する木として意識されていたことは間違いないようです。桃山時代から江戸時代にかけて多くの品種が生まれたようで、品種によって美しい時期も12月〜3月までと長く楽しめます。「侘助」「有楽」などという名前を聞くと茶道との関係を思います。ちょうど花のない時期に咲いてくれる椿。雪景色にも似合う椿。
 京都は椿に恵まれているようです。府立植物園には250種栽培されています。この冬は椿を追いかけて京都の各地を訪ねてみようかと思っています。
 昨日府立植物園と北野天満宮へ行ってきました。蝋梅が香りを発していました。北野では何本かの木で梅がほころんでいます。
1月6日(火)
2004年
 今年は重装備の自衛隊がイラクに本当に派遣されることになりそうだ。日本国憲法の前文を9条と関係なく読んで海外派兵の説明をする首相の決断でだ。アメリカの物資を運ぶ仕事をする自衛隊が中立の人道支援をする人たちだとどうしてイラクの人たちに見えるのであろうか?
 私はどう考えてもアメリカの軍事行動に正義があるとは思えない。戦後復興を巡ってお金が動き出すとこの戦争を望んでいたとしか思えない組織が動き出す。その組織のバックアップを受けているものが人の血が流れることを決定する。「死の商人」は今もいるのだ。

 昨年3月22日に私が書いた日記を読み直してみた。あの時感じていた疑問はアメリカが戦争終結を宣言したときもフセインが捕まったときも私の中で解決していない。それは、フセイン政権が@大量破壊兵器(核兵器や化学兵器)を本当に保持しているのかAアルカイダなどのテロ組織を保護したり緊密な関係を持っているのかということであった。また他国の政権が非人道的・非民主的・好戦的な方針の国造りをしていたとしてもそれを軍事行動で解決することが果たして許されるのかということであった。9・11のアメリカへのテロ攻撃は憎むべき犯罪であり卑劣なことであるが、その報復のためにフセイン政権に攻撃を加え多数のイラクの人たちを殺傷した罪は消えない。
 日本は平和を訴え続ける国であってほしい。暴力を使わずに平和を訴える国であってほしい。暴力を使う国や人々に対して「間違っている」とねばり強く言い続ける国であってほしい。アメリカの決めたことに追従するのが国益だという理由で自衛隊の方々をイラクへ派遣しないでほしい。それでは派遣される自衛隊の方々に失礼だ。人道支援の御旗の向こうに打算が見えるような命がけの仕事はしてもらうべきでない。
1月5日(月)
一乗谷朝倉氏遺跡
 福井ICから大野へ向かう国道158号の途中に戦国大名朝倉義景の城下町一乗谷へ行く道がある。福井県立の資料館や史跡公園になっている朝倉館跡・復元された武家屋敷・室町末期庭園などがある。近くにあったレストランは3月まで営業を停止すると書いてあったから多分冬場はだれも訪ねないのであろう。人のいない館跡に立っているとゆっくり時間が流れた。石を積んだ城戸から武将が現れそうな気になる。足利義昭も接待を受けたという庭園を眺めているとその時代が何となく近づいてきそうに思う。
 私が一番心惹かれたのが西山光照寺跡の石仏群であった。完全にのこっているものは少ないがそれでも魅力的な仏達が覆家の中で並んでおられた。それも三十体以上。これはぜひ紹介したいと思う。 
1月4日(日)
道元さんの永平寺
 4日福井県にある永平寺へも行ってきました。3回目の訪問です。
 初めて行ったとき、京都や奈良の大寺院になれた私のようなものは少し違和感がありました。まず吉祥閣という建物の大広間でまず、説明を受けるのですが、どうもそれが押しつけがましくて野暮ったい気がしたのです。「ここは観光気分で来るところではない」とはっきり宣言されるのです。「ここには国宝や重要文化財といった建物も仏像もない」とも言われます。「ここは修行のお寺であって今も240名の僧侶が修行しているから、その妨げになるようなことはするな」という趣旨のことを言われます。若い頃、それなら完全に門を閉ざして修行だけをすればいいのではないかと思いました。大勢の参拝者(観光客)が落としていくお金がずいぶんお寺の台所を潤しているのではないかと思ったものでした。観光気分で来るものをその宗教の本質に触れさせてこそお寺の使命感が達成されるのでは?とまあ生意気なことを思っていたものでした。少しは奈良の薬師寺や京都の大徳寺を見習ったらどうだと思いました。
 でも、今回の訪問ではこんな言葉の方に気持ちが動きました。「ここの建物や仏像の写真を撮るのは自由だが、修行僧にカメラは向けないでほしい」ナルホド・・・。これはもちろん人権に対する配慮もあるのでしょうが、修行中の僧侶にカメラが向くと修行の邪魔になると言うことなのでしょう。承陽殿で作法の練習をしていた僧侶達は随分不自然な歩き方を何回も繰り返し練習しておられました。町の中でもしあの歩き方すれば大笑いなのですが、永平寺の中では何か不思議な威厳がありました。自分が写真を撮りたかったからということもあったのですが、京都の万福寺同様、建物などの写真を撮ることを許可しておられる永平寺の方針はそういうものがこの寺の本質ではないぞというお寺の姿勢を示しておられて感心しました。
 永平寺に入るときは「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえて、すずしかりけり」という道元禅師の歌で始まり、帰りは「てふてふひらひらいらかをこえた」という種田山頭火の句におくられて帰ってきました。
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