2016かばのしっぽ日記
かばのしっぽはうんちをまき散らすための大切な働きをします。
まきふんは大切な威嚇の方法なのだそうです。 
でもおかしなやつです。
『オレは強いんだ』と言ってうんこまきちらすなんて。
何かユーモラスです。
自分にとっては大切な行動でも他人様から見たら滑稽なことって私もしてそうで
「かばのしっぽ」みたいな存在かもしれないなあオレって」と、思う今日この頃であります。
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 12月26日(月)
漬け物を漬ける
 これで3年目になる。大根のぬか漬け、ニシンのこうじ漬け2種類の漬け物をしはじめて。
 大根を8本を二つに割りにして天日干しした。
 こうじ漬けの方は2〜3日ほど干して塩漬けする。その後、ニシンと大根、ニンジンを2週間ほど重しを乗せて漬ける。こちらは「こうじ漬けのもと」を買ってきたのでそれを利用した。
 ぬか漬けは2〜3週間干した後、塩を加えたぬかに漬ける。昆布ととうがらし、カツオ節なども混ぜ込む。漬け込んだものを2〜3週間重しを乗せて漬ける。
 お正月にこうじ漬けの方は何とか間に合うが、ぬか漬けは、1週間ほど遅れる。今年もうまく漬かってくれるといいのだが。
 12月19日(月)
レアル対鹿島
 昨日の試合は正直驚いた。鹿島の大健闘だといえよう。
 しかし冷静に見て、両チームの実力差は歴然としていた。中盤での相手ボールを奪う力、キープ力、個々の走力、FWの決定力、パスの正確さいずれも格段の差があると思った。世界中からスターを集めたレアルは鹿島の17倍の年俸だそうだ。
 延長戦になって、ロナウドが2ゴール決めた。あの辺が日本のサッカーが最後及ばないところなのだろう。でも点差では一時はレアルに勝っていたのだから大したもんだ。あのPKを与えたのが痛かった。やっぱりFWのスーパースターが日本で出てくることを祈るしかないか、と思った。
 
 12月8日(木)
巨人の爽やかさ
 ソフトバンクの森福、DeNAの山口に続きファイターズの陽も巨人が獲得するらしい。今年フリーエージェント宣言した有力選手の中で糸井以外みな巨人へ行くことになるような印象をもった。未だに巨人へのあこがれが選手にあり、巨人という球団が求心力を持っていることの表れなのだろう。資金が潤沢だということもあるのだろう。今までも落合、清原、江藤、村田、杉内など他球団の4番やエースを多数獲得してきたこの球団は、自前で一流の選手を育てきる自信がないのだろうか。年令が上がってきて、往年の力が発揮できないレギュラー選手が出てきたときは、若手にチャンスが来るときでもある。その時に他のチームから有名どころが来て、チャンスの芽を摘んでしまったら、若手は腐るだろう。
 今年の広島は、巨人と全く逆の方法で優勝した。菊池、丸、田中、鈴木など自前で育てた選手が躍動して勝った。引退寸前まで追い込まれていた新井を蘇らせ最高殊勲選手にさせ、もう体が限界にきていた黒田の闘志に火を灯させた。
 入団時のゴタゴタ(江川、桑田清原、菅野)とごり押し以来、愛想をつかした元巨人ファンの私は今年勇気を持って若手を使った阪神金本に来年期待している。
 大谷を手元に置いておきたいであろう ファイターズが早々に大リーグ挑戦を認めた。英断である。若いのびしろのあるうちに、大リーグへ行って、大活躍してほしいという野球ファンの気持ちに合っている。巨人というチームに爽やかさが感じられないことが残念である。
 12月1日(木)
時間の長さ
 最近会った人が、「年をとってから、1年が早く過ぎる」とおっしゃっていた。私は一週間が早いと思う。現役で毎日仕事をしていたときの方が忙しかったし、時が早く過ぎているように感じるはずだと思うのだが、どういうことなのだろう。今も習い事や約束があって一週間何か出かける日がほとんどだ。でも何もないのでのんびりできる今日みたいな日もある。そんな日はパソコン触って、こんな雑文書いたり、写真整理したり、HPのページ作ったりしている。
 6月にクラシックギターを買った。猫に小判だが、私の実力ではもったいないラミレスのギターである。この音色がやはりいい。ほぼ毎日ギターを弾いてPPMのポールバージョンを歌っている。6月に10曲余りだったレパートリーが今は25曲になっている。やっぱり毎日触るというのは大事なことだ。これも時間があるからできることだ。案外仕事ではなく好きなことをしていると時間が経つのが早いのかも知れない。 
 11月21日(月)
紅葉見頃
 今週いっぱいだろうと思います。HPの写真は植物園の紅葉です。土日他の用事があって紅葉を楽しめなかったので、月曜日(今日)こそと思っていたのですが生憎の曇り空で気分がしぼみました。午後にでもと思いますが、京都は夕方から雨の予報。どこへ行こうかと迷います。南禅寺から永観堂、哲学の道から法然院。嵐山天竜寺から二尊院さらに釈迦堂を経て大覚寺へ行くか念仏寺へ向かうか。いや、大原もいいけど今阿弥陀三尊はおられないはず。大徳寺、東福寺、清水寺、要するにどこへ行っても美しいはず。パッと太陽が出てくれたらカメラぶら下げて出かけるつもりですが、今日はどうもだめなようです。 
11月12日(土)
もしよかったら
 
 非常勤講師を始めて3年目が終了。久しぶりに作文教育に関わる研究会に参加し報告します。11月19日(土)1:30〜5:00。場所は旧教育会館(京阪神宮丸太町下車約50m。川端丸太町通りを東へ。信号2つめを超えた入管事務所東の路地を入ったところ、駐車場右。
 学習会報告枠での話ですが、専門学校での国語の授業と作文教育の実践報告をします。学生さんの感想文を読んでいると「今まで国語が楽しいと思ったことがなかったが…」「国語の時間を楽しみにしています」などのありがたい感想を寄せてくれます。私の国語の授業は小学校から高校までの国語とどこが違うのかを聞いていただけたらと思います。私は自分がおもしろいと思う日本語表現の授業をしています。
 学生さんに最後に400字詰めで3枚の「エッセイ」を書いてもらいます。なぜこの学校を選びどんな未来を望んでいるのかを書く人もいれば、部活動での不合理なこと、学校でのいじめ問題、勤務しながら専門学校で学び直したいと思ったわけなどを書いています。高校までの楽しかったこと、悔しかったこと、恥ずかしかったことなどを書く人もいます。演題は「今だから書けることを書く」としました。
 11月11日(金)
年賀状
 一昨日、四条新京極にある金券ショップに、大きく年賀状販売の広告が出ていた。販売は49円。買い取りは44円。初め何のことか分からずにいたが、金券ショップでは52円の年賀葉書を49円で売っているということだ。
 数日前から2回、お知り合いの郵便局の方が「今年はどうですか」と電話をかけてきておられた。金券ショップの安い年賀状のことは知らなかった時だったから250枚お願いしていた。52円が49円で3円損した気分になった。。
 昨日、郵便局の方が持ってきて下さった。金券ショップで見たことを話し「大変ですね」という話をした。ノルマがあるらしく「まだ●百枚残っている」とおっしゃっていた。きっと親類友人縁者を頼っての販売なのだろう。そう言う人が少ない人は、損しても金券ショップへ持っていくのだろう。今なら44円だがだんだん値段も下がるのではないだろうか。これ自分が仕事でノルマを課されたら嫌だろうなと思った。これは人づてに聞いた話だがゆうパックのノルマもあると聞いた。アルバイトの人にもノルマがあるという噂も聞いた。
 まるまる年賀状が手許に残り損するより、8円損しても金券ショップに持っていく郵便局員の気持ち分かるなあ。頭下げ倒してお願いするより、損してでもさばく方がいい。
 売れ残った年賀葉書を郵便局は引き取るのだろうか。おそらく買い取りなのではないか。売れなかった人は努力不足だと言われたり、能力がないと査定されたりするのではないか。これって実質給料の値下げに等しい。こういうやり方って長続きしないし、不満が溜まると思いますが、どうでしょうか、郵便局の偉い方々。実態がこうなっていることを知りながら、局員にノルマを課すのは再考されたほうがよいとおもいます。  
 11月6日(日)
絵画オークション
 先月末、高島屋で京都新聞社の絵画書画工芸などのチャリティ・オークションがあった。作品によっては、5万円以上などと条件の付いているものがある。おしなべて1万2千円以上というのが入札の条件で、それは額装代金であった。
 21日(金)に一度見に行って、ああいいなと思う作品がいくつかあった。それで最終日の24日(月)にもう一度見に行った。そんなオークションに参加したことは今までない。絵画の値段の相場を全く知らない。最終日には、5人以上落札者希望者がいる作品にはその旨書かれていた。私も知っている有名な作者のものは軒並みそのマークが付いていた。おそらくそう言う人の作品は、プロの人たちが落札すべく値段をつけているだろうからパス。
 で、ああいいなという自分の感覚だけで3点選んだ。その内の1点は5人以上落札希望者のある作品だった。私なりに考えて値段を付けた。それから10日余り、当たっていたらいいなと少し期待していたら、昨日1点落札したと連絡が来た。5人以上希望者がいる作品だった。お気に入りの絵が購入できる。さて、どこにその絵を掛けようかな。
 11月6日(日)
初優勝
 今日、日曜日に行っているテニスクラブ内ダブルスの親睦大会があった。11チームが3つのブロックに分かれリーグ戦をした。リーグ戦を3勝0敗(セットカウント12−3)で勝ち上がり、1,2位決定戦に進出。それも6−2で勝って優勝した。
 最後の1,2位決定戦のサービスゲームを落としたのは心残りであるが上出来である。もちろんこれはパートナーのおかげである。
 よくよく思いだそうと努力したのだが、自分の人生の中で「優勝」と名のつく結果を得た覚えがない。珍しいことが起こった。
  
 10月27日(木)
大川小訴訟
 救える命を学校側の判断の誤り(過失)のため失わせたと裁判所は認定し、14億円の賠償を命じる判決を下した。
 TVのニュースで勝訴判決を知らせる原告(保護者)の手に「先生の言うことを聞いていたのに!!」という横断幕があった。この言葉が22人の写真と共に貼られた横断幕もあり、保護者の言い分、感情を的確に表現しているのだろう。
 「先生のおっしゃることをよく聞いて、しっかり勉強しなさい」と昔の親は子どもを学校へ送り出した時代があった。今も全くないとは言えないが、相対的に先生に対する尊敬の念は薄くなっている。無条件に学校や先生を信頼しているはずもないのに「先生の言うことを聞いていたのに!!」とは…と思った。特に「!!」が前のフレーズと不似合いだ。この「!!」には怒りの感情や憎しみの感情が籠もっている。その前にあるフレーズには「先生や学校を全面的に信頼していました、今まで」という隠れたメッセージがある。裁判のために考え出されたスローガンなのだろうが、違和感を禁じ得ない。せめて「…」ならと思う。
 校庭にいた78名中74名の児童が亡くなった。学校にいた教職員11名のうち10名が亡くなった。スクールバスの運転手も亡くなった。最後尾にいた教師と4名の児童は津波に呑まれながらも裏山へ逃げ命拾いしたのだという。
 校庭避難しているうちに避難場所になっている学校には地域住民や、迎えに来た保護者も来た。教職員にはその対応もあったろう。校長は午後から年休で不在だった。保護者が迎えに来て帰った子どもたちは無事だったようだ。
 校庭避難から二次避難場所へ移動するのに50分時間があったという。陣頭指揮は教頭や教務主任が担っていたであろうし、教育委員会や校長にも連絡をしていたのではないだろうか。電話が繋がっていたかどうか分からないのだが。
 二次避難場所は教師間で異論もあったようだ。しかし最終的には教頭が判断していると思われる。しかしその教頭も命を失った。この責任を問えるのか、自分がその場にいたら防げたか、そういう事を考えると、学校に責任があると言い切れる自信のある人がいるのだろうか。
 大阪教育大付属池田小学校に児童殺傷事件があった。その時も学校や先生に責任があるということになり、その後学校にサスマタなどが準備され、避難訓練が行われ、不審者対策がマニュアル化されて研修が行われた。しかしながら、私は初めから児童生徒に危害を加えようと進入してくる人物を学校内の努力で防御対策をするのには限界があると思う。学校というのは人間に対する信頼や愛情を育み「人間っていいな」という感情を育てる場であってほしいと私は思うのだが、「人を見たら泥棒と思え」的な不審者対策を学校や教師の責任だというのはどうだろう。あの事件前、京都市教育委員会は学校の周囲の塀をなくし、外から校庭が見える学校づくりを行っていた。しかし現在、校門は施錠し、外から見えないように目隠しを行っている。学校を開放的にするのか閉鎖的するのか、開放的な方が息がつまらなくていいように私は思うのだが。
 今回の判決で勝訴された原告団の方たちの心は晴れただろうか。裁判に訴えられなかった方々は何を思っておられるのだろうか。
 殉職された教職員とそのご家族、辛いだろうなと思う。悪意なく助けたいと思いながら行動したが。そのことに罪があるという判断は惨い。その人たちは訴えるべき相手がいない。生き残られた校長と教職員の方、このあとどうされるのか。余りにも重い十字架を背負わされている。
10月21日(金)
坂本龍馬展
 
 今年没後150年の坂本龍馬展が京都国立博物館で開催中。
 見てきた。2時間ぐらいのつもりが5時間以上かかった。丁寧に説明を読んでいただけなのだが手紙が多く時間がかかった。
 京都は龍馬の足跡が多く残されている場所である。伏見寺田屋、海援隊京都本部の酢屋、暗殺された醤油を商っていた近江屋、土佐藩邸跡、墓地である護国神社などなどである。全国的にそうなのだろうけど龍馬は信長と並び歴史上の人物として人気がある。関西だけなら秀吉の方が信長より人気がありそうだし、東京なら家康の方が人気があるかもしれない。現在の日本人がなぜ龍馬を好きなのか、そんなテーマも掲げてみたいと主催者は書いておられた。
 坂本家の子孫や近江屋の子孫が、戦前から国立京都博物館に多くの遺品を寄贈されていることも今回初めて知った。新資料も未だに見つかっているという。
 カタログを買うためにショップに行ったら、学生時代買ったが少しも役に立たなかったくずし字解読辞典(児玉幸多著)という懐かしい書物があった。未だにこの著を超えるものはないのだなと感心した。龍馬の手紙現代語訳という至れり尽くせりの本も売っていた。
 
10月14日(金)
ノーベル文学賞
 
 ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞報道を見た。へえ、ノーベル賞やっぱりおもしろいなと改めて感心した。
 私はボブ・ディランのファンではない。しかしPPMを通じて彼の楽曲のいくつかを歌うことができる。
・風に吹かれて(BLOW’IN IN THE WIND)
・くよくよするなよ(DON’T THINK TWICE IT’S ALL RIGHT)
・時代は変わる(THE TIME THEY ARE CHANGIN')
・WHEN THE SHIP COMES IN 等である。
 このHPは早速「風に吹かれて」にした。ボブ・ディランの「風に吹かれて」の歌い方はクセがありすぎて好きではない。彼の詞は難解である。ビートルズもそうだったが、LSD(薬物)の影響が云々された時期もあった。ロックを歌うようになり、フォーク歌手というイメージは薄れた。スポーツ選手の薬物使用は選手生命を失いかねないが、歌手はそうでもなくてノーベル文学賞も授与されるというのも皮肉だ。
10月13日(木)
孫 
 お知り合いの方が「孫が帰ってきたらうれしい。でも帰ったらもっとうれしい。男の子と付き合うのは大変。いっしょに動き回らないといけなくて、疲れる」笑ってしまった。なるほど、なるほど。
 7月に息子宅に初孫誕生。女の子だ。息子夫婦は他府県にいるので今まで3回会っただけである。写真を撮り家に飾ってある。
 しかし正直なところ数時間一緒にいただけで特別な感情が湧いて来るということはなかった。こんなものなのいかなと思っていた。
 しかし先週の日曜日にお宮詣りで自宅に二泊した。だっこする機会もあったし、泣き出したり、おっぱいを貰っている姿を見たり、ねている顔も、お風呂でだだをこねている声も聞いたし、孫中心の二泊三日が終わると、帰っていった。なんか疲れてそして寂しくなった。どうしてるかな、少し笑うような顔をしたり泣いたりしているのだろうなと思う。
 来年の2月には娘に男の子が誕生する。今度は私宅へ娘が帰ってきて一月余り寝泊まりする。これはきっと密度濃く接触があるので、帰ったら辛いだろうなと今から思っている。 
 9月25日(月)
東海地方の円空仏展
 昨日ガンダーラの会主催の円空仏を見るツアーへ行ってきた。
 行き先は、江南市の音楽寺、関市円空館と岐阜県博物館の三箇所であった。音楽寺も関の円空館も以前訪れたことがある。音楽寺は薬師三尊と十二神将(一体を欠く)、荒神、護法大善神と16体ある。
 関市円空館は直ぐ近くに円空の墓や住職だった弥勒寺がある。以前訪れたときは見られなかった神明神社の自刻像と呼ばれてきた像を見ることができた。対になっている像もあった。おそらく不動明王の脇侍である制多迦童子とコンガラ童子像なのだろうなと思った。しかし神社に不動三尊というのはどうなのだろうなと思った。正確に数を数えなかったが二十から三十体の円空仏を見せていただいた。
 最後は特別展「東海の円空仏」開催中の岐阜県博物館。ここで80体。いやはや今日だけで100体以上の円空さんと再会したり初めて出会ったりの一日であった。博物館では講演も聞いた。
 矢島新氏(跡見学園女子大教授)が「円空ー周辺故のオリジナリティー」という演題で話された。日本の美術史の中で円空はどういう位置づけになるのかというお話であった。江戸時代に日本のオリジナリティな文化芸術が最高潮(大津絵、絵馬(堤派、幟絵など)に達し、しかも宗教美術は地方で展開した(例えば、円空、白隠、木喰、仙崖)。その中に天才円空の存在がある。そういうお話だったと思う。江戸時代の絵画と言えば狩野派、歌麿・北斎などの浮世絵、若冲、応挙、蕪村などの京や江戸の絵師を思い浮かべる。仏像に至っては、鎌倉時代で見るべきものは終了したというような通説から、江戸時代の仏教芸術を見直すことがアカデミックな分野で進んでいるのだと感じた。円空はその先端で評価されているのではないかと思った。
 「東海の円空展」では岡崎の経津主神社の不動明王、毘沙門天像に初めて出会えてよかった。美並の八面荒神に再会できた。光りの加減か随分黒ずんでいて、しかも思っていたより小さくて驚いた。又、展示方法も工夫されていて、背銘が見られるようにしてあったり、荒子観音寺の最小5cmの小さい阿弥陀如来には正面も背面も虫眼鏡が当てられていて、表情や背銘まで見られた。円空はこんな小さな像を彫り文字も書けるぐらいよく見える眼をもっていたのだなと感心した。
 
9月13日(火)
海賊と手打ち? 
 「シーシェパード」にお金を払って日本の調査捕鯨の邪魔はしないと約束させたというニュースが1ヶ月ほど前にあった。意味がよく分からないニュースだった。実行グループはオーストラリアにいて、本部はニューヨークらしく、早速実行グループは「自分たちとは関係ない」と言ったと言う。ますます分からない。
 私が若かった頃、クジラの生息数の現象が問題になった。大江健三郎氏の第三エッセイ集は「クジラが死滅する日」であった、確か。その頃ボブ・ディランが「The Times they are a‘ changin‘」で、クジラがスピンしなくなることを歌っていた。西洋諸国では、クジラは地球の自然破壊を象徴する生き物であった。
 しかしクジラカツなど鯨肉を食する食文化を持つ日本では、クジラを象徴にすることはなかった。大洋ホエールズというプロ野球球団は、捕鯨と遠洋漁業の会社だった。朝日新聞社発行の「朝日年鑑」という少年向けの本があったが、この本でクジラが如何に捨てるところのない人間に有益な動物かを図解入りで説明していた。そういう少年時代を過ごした私は「なぜクジラだけ?」と思う。牛や豚や鶏の肉はよくてクジラはダメだという論理は、どこの国でも通用するのだろうか。ヴェジタリアンの方たちの主張は一貫していると思うが、あれは「肉が嫌い」で「野菜果物好き」の方たちが自身の健康のためにしておられることだと理解している。
 一時減少を言われたクジラは今増えているという。調査捕鯨という名の捕獲を日本は続けている。市場で鯨肉が売られている。姑息な手段でクジラをとり続けているという印象は私にもある。しかしそれを実力阻止する海賊集団と「手打ち」したというのは如何なものかと思う。
 捕鯨制限が世界の常識になってから、私自身もクジラを食べることはほぼ無くなった。別にクジラ肉をどうしても食べたいわけでもないので、海賊にお金を払う裏取引ずるぐらいなら、調査捕鯨も止めたらどうかと思うが、どうだろう。調査捕鯨は、学究的な目的が他にあるのであろうが、誠に不可解な「手打ち」である。
 
9月3日(土)
警察からの葉書
 
 伏見警察署から私宛に葉書が来た。会計課とか何とか書いてある。葉書の内容が読まれないように紙が貼られている。一体何だろう?警察に葉書を貰うような心当たりがない。良いことで呼び出されるはずはないから、悪いことなのだろう。でもそんな悪いことをした覚えもない。
 開けてみた。何と私が免許証を落とし、どなたかが警察に届けてくださったようで、それを何月何日までにとりに来るようにという知らせであった。ついでながら、拾得物を届けた人物に5〜20%のお礼をすることが定められているということも付け加えられていた。
 一体どこで落としたのだろうか。財布を調べたら、確かにない。3日間ほど知らずに過ごしていた。
 伏見警察署へさっそく出かけてきた。二階にある拾得物を扱っておられる窓口で手続きをして免許証が無事手許に帰ってきた。よかった。どうやら、いつも行くスーパーで財布を出したときに落としたようで、その店の人が届けて下さったようだ。「こういう場合のお礼はどうするのですか?」と聞いたら、「届けた人が権利を主張しておられませんので、スーパーで買い物でもしてあげたらどうですか」とのこと。そういうものかと思った。
  
 8月23日(火)
落語的京都幕末散歩
近畿・東海教育研究サークル合同研究集会が8月27日(土)・28日(日)京都市・京都府立大学をメイン会場にして行われる。
 1日目は全体会。12:30女性僧侶シンガーソングライター鈴木君代さんのライブから始まる。講演は「憲法・平和と子どもたち」と題して京大准教授藤原辰史さん。そして、6つの理論実技講座(道徳の授業・子どもと貧困・自分が自分であって大丈夫など)がある。
 2日目は各教科の分科会や生活指導関連の分科会などがある。
 その2日目の移動講座「落語的京都幕末散歩」(午後1時三条大橋北詰からスタート)を私が担当する。
 その案内文。
 「さあ、喜六。ここが三条大橋や。やっと京に着いたで」「な、清やん、これからいずこへ」「坂本龍馬の時代の京の町へ行こか」「そんなことしておもろいか」「そうやな。ま、おもろいと思う人にはおもろい」「おもろない人には?」「そう言う人は来いひんがな。落語の話も入れながら、伏見の寺田屋の浜までと言いたいとこやけど、四条南座辺りまで行こか」「ほな、つれもっていこか」
 高山彦九郎像、三条小橋付近(佐久間象山、大村益次郎)、高瀬川(桂小五郎・幾松・武市瑞山・一の舟入・大丸屋騒動)、池田屋騒動跡、酢屋(龍馬の寓居跡・海援隊本部)、新京極通り、誓願寺(安楽庵策伝・お半長)とその墓地、蛸薬師(こぶ弁慶)、近江屋(龍馬・中岡慎太郎遭難の地)、土佐藩邸跡、本間精一郎遭難の地、古高俊太郎邸跡などを見ながら歩いた。2時間半の予定なのだが、歩くだけで3時間半かかった。これに秀次の墓のある寺のことやら、京都の花街の事やらを入れながら「三十石夢の通い路」風のスケッチ落語的語りでと思っているのだが、余程省略しないと解散予定場所の南座前に辿り着けそうもない。
 それでなくても猛暑の京都である。私は南座へ行くのをやめて喫茶「フランソワ」へ寄り道することにした。ここは登録文化財の指定を受けている喫茶店である。午後三時満席だった。最後にここへ参加者を誘おうかと思っての寄り道だったが無理だなと思った。フランソワの近くで高瀬舟(森鴎外)や池大雅に関係するお地蔵さんを見つけた。
8月5日(金)
なんで?
 
 植物園の芝生広場に前からレストラン&カフェ風のものが建てられ、会館にあったレストランがなくなった。そのスタイルの方が人が集まるのだろう。
 その前での話。
 二人のお母さんが男の子(4〜5才)と女の子(3才)を連れて、出てこられた。軽くお茶しておられたようだ。男の子が、大きな声で
「さあ、芝生で何して遊ぶ?つかまえ?」
お母さんが
「せえへん」と一言。
「なんで?」
 男の子は、本当に不思議そうに聞いていた。おじいさんの私は、少々暑さ負け気味で歩いていたから、お母さんの気持ちがよく分かる。芝生を走り回るなんぞという気はさらさら起こらない。
 その後、結局子ども二人は、広い芝生の端まで走って帰ってくるという遊びをしていた。おかあさんは、履き物飛ばしに興じておられた。ま、これぐらいがええとこやなと思いながら、ベンチに座って、その光景を眺めていた。
 植物園でポケモンがゲットできるようだ。少なくない若者(中・高・大学)が一人二人とスマホ片手に園内を歩き回っている。「十匹ゲットした」という声も聞こえてきたから、間違いなく「ポケモンGO」をしているのだろう。最近聞いたのだが、「ポケモンGO」のダウンロードは無料だそうだ。しかし見つけたときにボールを投げて命中させるらしいのだが、そのボール代が、一球6円だという。上手く考えたもんだと感心した。そこかしこにあるらしく、一発で命中しないだろうから相当数打つだろう。それを世界中でやってくれるのだから、ソフト開発した人たち、キャラ提供者は、その後何もせずに大金が転がり込むシステムだ。若い者だけでなく、40前のファミコン世代にも広がっているようで、やってないのはそれより上の世代だけのようだ。
 私は暑いからではなく、興味がないので「せえへん」。 
7月23日(土)
初孫 
 昨日、息子宅に子どもが産まれた。女の子。少しはなれた場所に住んでいるので、今日初対面しに行こうと思っている。
 「孫はかわいい」とよくおっしゃる方が多い。あんまり孫のことを語られない方もおられる。自分がどんなじいさんになるのか、ああそうだ、これで本当におじいさんになってしまった。
 
7月6日(水)
梅酒と杏酒
 
 和歌山へ桃を買いに行った。
 ついでに梅の実もほしかった。梅酒を漬けるためである。4,5年前に一度漬けたことがあった。でもすっかりやり方を忘れていた。でもそんなに難しいことでもなかろうとタカをくくって売っているところで聞けばいいわと横着に思っていた。
 和歌山のその「めっけもん市場」という店はJA直営店の中で最高の売り上げなのだそうだ。本当に大量の商品で安価で売っている。京都から和歌山まで京奈和自動車道でいくのだが、京都から奈良までは有料だが、奈良から和歌山までは奈良市内が全線開通していないせいか、無料である。
 梅はすでに時期が遅いのか桃の横に遠慮がちに置かれていた。1kg200円のと400円のとがあった。「家で漬けて楽しむなら、上等の梅買わなくても、これで十分だよ」商品を並べておられた方がそう言いながら、漬け方を親切に教えて下さった。
@梅1kg
A焼酎1.8g(35度のアルコール分)
B氷砂糖1kg
を漬け込むだけでよいらしい。「氷砂糖は控え目にして(700g)飲むときに蜂蜜を加えるといいよ」 というアドバイスももらった。
 以前漬けたときは、大きい器8gと小さい4gと味付けのりの瓶でつけた。多分梅を4kg程でいけそうだと思い買った。ついでに子どもの時におばあちゃんが杏酒を漬けたことがあったことを思い出して杏も買った。
 酒は近くのスーパーで買った。結局8.1g使った。氷砂糖は5kg。
 梅の上部に芯があるのを取らないと、渋みが出ることがあるらしい。また、大体秋には漬かるらしいが、漬かったら梅の実は出した方が梅酒がおいしいと話も聞いた。さて、秋にどんな梅酒と杏酒が出来上がるか楽しみだ。
7月1日(金)
レトロな本箱 
   「昔の本箱を要らないか」と言って下さる方がいて、いただいた。ガラスはダイヤガラスというすりガラスで、棚は木のはめ込み式で棚板を乗せる。指物師の方のお仕事だなと思わせてくれる。
 さっそくマスキングしてオイルステンで色を塗った。金具が壊れていたので付け替えた。背面の紙が相当くたびれていたのでこれも花柄模様に貼り替えた。 なかなかいい感じに仕上がったので自分の部屋に入れて楽しんでいる。
6月29日(水)
今を生きる木喰仏
 
 全国木喰研究会主催一泊二日の猪名川・京都南丹木喰仏ツアーに参加してきた。参加者は、全国から二十余名であった
 その中に福島から来られた方がおられ、同じ部屋になった。相馬市の方で、その地名に見覚えがあった。知り合いの方が東日本大震災・原発事故の前に勤務しておられた校名と同じであった。震災・事故直後休校し教師であるお知り合いも、いわき市へ避難されたというその校名であった。
 その方と「相馬野馬追」の話をした。7月23日から3日間行われるこの行事の役員をしておられるそうで、気軽に「来るなら案内してあげるよ」と言ってくださった。次に「泉沢薬師堂磨崖仏」の話をした。相馬郡小高町にあるこの石仏群は東北地方を代表する平安時代の磨崖仏で、岩質が軟弱なため肝心の顔などが落ちてしまい、両手も失われているが、量感があり、一度行きたいと思っていた。そこも先祖の土地でよく知っているから案内してあげると言って下さった。
 小高町は現在南相馬市に編入されている、また相馬野馬追は、相馬、南相馬、浪江、双葉、小高などの3つの神社の氏子が担ってきた祭だそうで、この相馬郡の結びつきの深さが想像できる。
 同室の方は、今は相馬市だが、震災前は浪江町で自営業だったそうだ。浪江は全町避難を余儀なくされ町役場も移転している。言わば原発事故で何もかもズタズタにされてしまった町である。町に住む人々のくらしも無茶苦茶にされたことが、そのお話から伺えた。何より聞いていて辛かったのは三十二歳の息子さんが自死され、奥さんは鬱症状になられたということであった。「東電は信用できん。ウソばっかり」息子さんの自死を裁判で争うかどうか、随分葛藤があったと話された。自死に至るまでの日記もあるという。落ち着いて話されていたが、本当のところ悔しくて悔しくて仕方がないのだと思う。「しかし、何をしても息子は生き返りはしない」のだ。バイクが趣味だったそうだ。「ハーレーが高速を走っているのを見ると、息子と一緒にオレも走っていたかもなと思う」ともおっしゃった。
 その方が、遠いところを参加して木喰仏を見に来ておられた。後で、震災後色んな寺をめぐり仏像を拝むようになったと語っておられたと他の方から聞いた。この方が、どうして木喰仏に出会われたのかわからないが、木喰の微笑に心癒されておられるのだとしたら、木喰仏は今を生きている。
 京都駅でバスを降りて最後に「福島へ来るときは手紙をよこしてくれ」と言って下さった。来年福島へ行こうかと思っていて、近々手紙を書こうかと思っている。
 
6月13日(月)
ライブハウスで歌う
 
 6月11日(土)京都三条木屋町上がるライブハウス「モダンタイムス」で「PPMフェスタin京都」という催しがあった。
 一部は2時から。PPMのコピーを楽しんでおられる11バンドが出演した。東京など関東、愛知、静岡、三重など中部地方、そして京都中心に近畿のバンドが4曲ずつ歌った。
 二部は6時からで、セッション中心に行われた。PPMのよいところは、パートさえできれば、誰とでも手軽にいっしょに楽しめるところである。このフェスタは毎年東京で行われてきたらしいのだが、今年は京都開催になったらしい。私の友人のバンドも今年初めて一部で出演した。
 二部はバンドを超えて組むのだが、ここに私も加わったというわけである。高校時代の友人二人は、この会を主催している「PPMファンクラブ」に入会していて、そのお陰で出演権がえられて私も初めで「モダンタイムス」の舞台に立って厚かましくも演奏し、歌わせてもらったという次第である。
 馴染みのない三人組の演奏に対して、アンコールの声が起こるほどみなさん盛り上がってくださった。ピーター役の彼の力量であり、フェスタの実行委員に名を連ねているマリー役の彼女の出演のせいだったのだろう。ポール役の私は他バンドの方のガットギター(しかもガットギターで演奏するのは初めて)という離れ業での出演であった。
 私のHPに「The cruel war」がバックに流れている。この曲を録音してからもう一度楽譜・CDチェックをし直したら、私の歌や演奏に数カ所のオリジナルとの違いを見つけた。最後の3日間でその修正を試みた。何しろPPMのコピーバンドの人たちの集まりである。間違いはすぐに露見する。しかし長い年月かけて間違ってきたものを3日間で修正するのは大変だった。その不安感で、出演前、いたく緊張した。「初めて弾くギター、ギターコードの変更、パート部のメロディの変更」この不安三要素は相当なものだった。
 しかし、終わってしまえば勝手なもので、又機会があればやってみたいと思う。それには仲間がいる。どうやって捜そうか、現在思案中。
 6月4日(土)
写真展
 5+One写真展、今回で13回目になる。6人でやっているような名前だが、実際は10人ぐらいがメンバーで、生け花もいっしょに発表される。
 写真技術は少しも進歩していない。ただ撮りたいものを撮っているだけだ。
 何を出品しようかなと考えるのは楽しい。組写真風にテーマを考えたりする。今回のテーマは、「模様」「円空顔」「表情」などで、18作品。撮影場所は青森、岐阜、愛知、京都。ついでに仏像彫刻も出す。みなお恥ずかしい限りのものばかり。ようやるわと自分でも思う。
5月31日(火)
塗毒鼓 
 塗毒鼓…毒を塗った太鼓。この太鼓の音を聞けば、みな死んでしまう。そのように仏の真実を聞けば、一身のうちに貧瞋痴はみななくなる。真理の言葉を言う。
 駿河国沼津生まれで白隠という臨済禅中興の祖と言われる僧侶が江戸時代中期に宗教画や書を残しておられる。京都国立博物館で「禅展」に行って「白隠の日めくりカレンダー」と「白隠禅画の世界」という文庫本を買ってきた。独特の禅画はユーモアがあり愛敬がある。
 しかしながら、その解説書も「日めくりカレンダー」の言葉や禅画も私には難解である。何が分からなくて理解できないのかが分からない。
 今日30日の日めくりカレンダーは「塗毒鼓という書であり、その解説が最初に書いたものである。「ズドッコ」は太鼓の擬音でシャレになっているのであろう。この太鼓の音を聞けば死ぬということは、「貪瞋愚」(貪欲、瞋恚、愚痴のことで、三毒と言う)という三種の根源的な煩悩がある人間が聞けば死ぬということなのでろう。仏の教えを体現できる(悟りを開いた)ものは死なないということなのであろうが、それは、余程の修行を積んだ者に限られ、生き残れる人間などいるのであろうか。そんな恐ろしい太鼓は要らない。
 こういう太鼓があるぞと言う警句として「塗毒鼓」が考え出されたとか、努力目標として「貪瞋愚」を無くすための方便としてあるというのならまだ理解できるのであるが、上の解説だけでは訳が分からない。
 貪欲(自己の欲するものに執着して飽くことを知らぬこと)も、瞋恚(自分の心に逆らうものをいかりうらむこと)も、愚痴(理非の区別のつかないこと・言っても仕方のないことを言って嘆くこと)から自由になれたらとは思うけど難しい。
 「塗毒鼓をありがたがるのは自力で悟りが開けることを信じる人たちなのではないか。その自信がある人は貪欲とは言わないのか、ますます訳が分からなくなるなと思いながら「日めくり」に見入る。
  
5月29日(日)
THE CRUEL WAR 
 HPへ入ってきたら急に「The cruel war」(悲惨な戦争)が聞こえだして、さぞかし「何やこれ?」と驚かれたことでしょう。ピーターポール&マリーならまだしもと思われた方もおられたことでしょう。ご迷惑をおかけします。
 高校時代、同級生とフォークソンググループを作りました。PP&Mがお気に入りだった私たちはそのコピーをして楽しみました。大学生になり、1〜2年程、マリー役は変わりましたが練習は続けていました。時には他大学の文化祭に出演したこともありました。しかし、それぞれの大学での生活が忙しくなり解散しました。
 進学先の大学で自らアメリカ民謡研究会を立ち上げた同級生は、その後も演奏活動を続けました。そのコンサートへ行ったら、彼はベースギター(ウッド)を弾いていました。卒業後関東地方に転居した彼は10年前から本格的に演奏活動を再開したそうです。
 3年ほど前、彼が大学の仲間と京都でコンサートをするという知らせをマリー役だった彼女が連絡してきてくれて、聴きに行きました。PP&Mの曲を聴かせてくれました。
 その彼女は、ギターを習いに行っていると言い、グループも作っていて、私以外の二人は、音楽を楽しむことを生活の中に組み込んでいました。もう一度「やってみようか」と同窓会で話が決まり、3月に1回、そしてつい最近5月に2回目会って練習しました。その中の1曲がHPに貼り付けた「悲惨な戦争」なのです。高校時代は私がピーター役でしたが、彼は今ピーター役をしているというので、私はポール役(低音部)になりました。
 私も誰か京都でいっしょにグループが作れたらおもしろいだろうなと思う今日この頃です。
 
5月17日(火)
昨日はこの時間まだ
 
 親戚にご不幸があり、お通夜と葬儀に参列してきた。
 お亡くなりになったのは女性で、88才だった。喪主はそのご主人であった。お通夜で、ご主人がポツリとおっしゃった。「昨日は、この時間(午後六時半頃)まだ、生きてたんですけどね…」寂しいとか、悲しいを超えた、何ともやりきれない思いが私に届いた。
 葬儀の最後に喪主挨拶があった。
 「妻の人生三分の二は幸せでした。残りの人生は様々な病と闘った日々でした。腎不全から週三回の透析の日々。そして感染症などの難病の連続。入退院の繰り返しもありました。最終的には左足に血が通わなくなりかけました。若いときはふっくらした妻が、病魔に襲われてから痩せました。30年間の闘病生活でした。今、このように花に囲まれて極楽に行くであろう妻が生前みなさまにお世話になったことに、感謝します」
 いっしょに歩んでこられてきたご主人の無念さに胸を打たれた。
 ふと、あのご主人は、今晩どうされるのかなと思った。きっと子どもさんやお孫さんがフォローされるのだろうけど、その辛さの深さを想う。
 
5月14日(土)
いい畑 
 ウグイスがいい声で鳴いている。
 4年前に植えたミカンの木にたくさん花が咲き今年はミカンが採れるかもしれない。植林して2年目に実をつけたイチジク、3年目に実をつけた柿、そして今年のミカン。確実に大きくなり実をつけている。
 今年もメダカが産卵し小さい子メダカが泳ぎ回っている。すごい数孵るのだが、みながみな大きくなるわけではない。1週間ぐらいの間で容器を変えて飼わないと、少し大きくなったのが食べてしまう。今年はペットボトルも使おうかと思っている。
 昨年イチゴの苗を二種類いただいた。甘いのと少し酸っぱいのとがある。鳥が食べに来るので網をした。しかし何か分からないが小動物が食べているようで、穴を掘って食べ頃になったものから食べている。猫かイタチか、それともタヌキか、分からない。トマト、なすび、キュウリを育てるために、土を耕したばかりなのだが、その軟らかい土に、小動物の足跡がたくさん付いている。1週間ほど前からしばらく、毎朝採りたてのイチゴが食卓に出たのだが、ここ2,3日早起きでコツをつかんだらしいその小動物に先を越されている。
 
いい家
           まど・みちお
家がたつと
すぐにカが きてすむ
クモも ゴキブリも きてすむ
ネズミも すむ
スズメも すむ
さっさと きてすむ

みんな じぶんを
人間のかぞくだと思っているのだ
むろん 家も
じぶんの家だと

うでの立つ
二本足の兄きが 作ってくれた
ちょっとばかり
いい家だと


 うちの畑に来る小動物たちも、私たちのことを「うでの立つ二本足の兄きたち」だと思っているのだろうか。 
5月8日(日)
取り返しが
つくこと
つかないこと
 「あの時ああしたらよかった、こうしとけばもっと違ったろうに」と私は今までそれほど思わずに来た。、昨日ふと思ったのだが、過去の過ちや不十分さについて「取り返しがつくことと、つかないことがある」のではないかと。問題解決の糸口やいくつかの選択肢が選べる場合は、取り返しがつきそうだが、問題が決定的に進行している場合や、何とも選択肢がないときは取り返しがつかない。 謝罪するにもしようがないのは、問題解決の選択肢が閉ざされているからである。
 息子や娘を殺された親が、相手に極刑を求めたり一生働いても返しきれないような金額を要求するのは、相手に「あなたのした行為は『取り返しがつかないことだ」『責任などとれないことだ」ということを知らせるためなのではないか。相手の非道に対して抱く憤りをそういう形でしか表現できないからなのだろう。
 吉野弘さんの詩に、『過』がある。



               吉野 弘
日々を過(す)ごす
日々を過(あやま)つ
二つは 一つことか
生きることは
そのまま過ちであるかもしれない
日々
「いかがお過ごしですか」と
はがきの初めに書いて
落ちつかない気分になる
「あなたはどんな過ちをしていますか」と
問い合わせでもするようでー

 この詩を読みながら昨日からためいきをついている。
 5月5日(木)
詩を楽しもう
 今勤めている専門学校の学生さんと「詩を楽しもう」というテーマで現代詩を読み合った。その前段で歌謡曲について話した。一昔前の歌謡曲は七五調の歌詞が多かったこと(例えば都はるみの「北の宿」)。テーマとして東京へ東京へと向かう人の流れを歌う歌が多かったこと(「ああ、上野駅」「木綿のハンカチーフ」「大阪で生まれた女」、そして失恋した女の人はなぜか北へ向かうこと(「津軽海峡冬景色」「函館の人」)などを話題にした。社会や経済、政治状況が歌詞に影響することを問題にした。
 つまり歌詞を発想する時点で、時代が反映されると言うことが言いたかったのである。その中でたえる女性像をひっくり返した中島みゆきの功績にもふれた。
 最後に西野カナの「トリセツ」の歌詞の発想の面白さと、彼女の演出する女性の現代的なかわいさについて触れた。「トリセツ」とは取扱説明書のことで、要するに私の取り扱いについての注意書き形式をとりながら、一人称文体と説明形文体を混ぜ合わせて、おもしろおかしく「これからもどうぞよろしくね、こんな私だけど笑って許してね。ずっと大切にしてね。永久保障の私だから」となる。いや、見事な発想で、男を突き放す(「君よ永遠の嘘をついてくれ」)中島みゆきにはない、まとわりつくような若い女性のかわいさを演出していることを説明した。西野カナの歌が若い人の心を捉えるのは女性の自立に逆行しているのか、それとも新しい男女関係を示唆しているのか私は判断つきかねるが、とにかくかわいくて楽しい歌だと思う。
 と、そんな話をしたら、学生さんたちの反応は、私が西野カナの「トリセツ」を聴いていることへの驚きであった。ついでにキャリーパミュパミュの歌詞の発想にはついていけないと言う話には笑いが起こった。
 
5月4日(水)
東北旅行桜巡り 
 4月30日(土)〜5月2日(月)2泊3日の「みちのく桜街道3日間」というツアー旅行をしてきた。東北で桜の三大名所とは、「岩手北上展勝地」「青森弘前城」「秋田角館」なのだそうだ。
 青森出身の方と同じ職場にいたとき、「青森ではちょうどゴールデンウイーク中に、桜も梅も花という花が一斉に咲く」と聞いた。それは美しいだろうなと想像した。NHKの「新日本紀行」は私が好きな番組なのだが、二年ほど前に「角館」特集があった。今も「お嬢様」と呼ばれている元城主の子孫が出ておられた。町並みが美しく、武家屋敷から道へ桜が見事に咲き広がっているのが印象に残った。弘前城の桜もTVで見たことがある。今お城を移動させて工事中だということも興味を引いた。ぜひゴールデンウイークにと出かけた。
 結論から言うと弘前城及び津軽鉄道茅野公園はギリギリ間に合ったが、今年の桜前線は駆け足で東北を通り過ぎていた。
 申し込んだのは2月の末であった。今年は早そうだという観測は流れていた。出発日をどうするか考えたのだが、例年予想と直接青森の方に聞いたことを優先させた。自分の判断でこの日を選んだのだし、自然相手のことだから残念としか言いようがない。写真を撮ってきた。整理して又ページを作ろうと思う。
 ついでながら、ぼちぼちいこかHPのこいのぼりの写真は北上展勝地で撮ってきたものである。
 
 4月23日(土)
双眼鏡
 最近メガネをかけていてもよく見えないことがある。パソコンなどをやったあと外へ出るとぼやけていることがある。特に博物館や美術館で目を凝らしてもよく見えなくて「こんなはずでは…」と老化を意識せざるを得なかった。
 それで、双眼鏡を買った。なぜ急に双眼鏡を買う気にうなったかというと、日曜日にお知り合いの方が、使っておられたのを見せていただき、その見え方にビックリしたからである。
 説明によると50cm離れれば見られるという。オペラグラスのように劇場等にも持って行けそうだ。今日植物園へ行って使ってみたら、中々使い勝手がよい。バードウオッチングにも花を詳しく見るのにもいい。近いうちに博物館や美術館でも試してみようと思う。面白いものが手に入った。インターネットショップで一万円強で売っていた。
  
4月6日(水)
いじけてない?さくら 
 伏見港公園でテニスを楽しんだ後、カメラをぶら下げて三栖の閘門へ出て写真を撮った。昨日は快晴の天気予報だったのであるがそれほどでもなく、太陽は雲に隠れ写真日和ではなかった。そう言う日が続いていて、せっかく満開なのだが冴えない。青空の下でこそのさくらなのだなと実感。
 私が子どもの頃からのさくらの名所の木が最近思い切りきられている。開花時期はいいものの、花や落葉の後始末のことや、「道にはみ出している」「毛虫が…」などという近所からの苦情が寄せられて、管理側も手早い対応が求められるのだろう。
 伏見の上板橋通りは、京阪電車踏切から八科峠まで、民家、桃山中学校のソメイヨシノ、民家、農林試験場のソメイヨシノや八重桜、浄水場の山桜(現在藤城小学校)そしてため池(現在北堀公園)とさくら通りである。伊達街道を行けば、呉竹養護学校、民家、桃山高校も美しい。北堀公園から行ける伏見桃山城も美しい。しかし昔の方が木がのびのび枝を伸ばしていたように思う。
 JR藤森駅から北へ数分のところに天理教の教会がある。ここは現在泉涌寺塔頭となっている即成院跡であるが、ここのさくらが見事である。実に伸び伸びしている。一昔前学校のさくらはこんな風だったと思わせてくれる。
 4月3日(日)
加茂川土手の所有権
 サクラ見物しながら北大路から出町柳まで加茂川土手を歩いた。土手に植えられた桜が川側へ大きく伸びて桜並木になっている。東側を歩いた。加茂川東土手は民家と接している。その民家と土手の境目が「どうなっているの?」状態である。
 あの桜はおそらく京都府が植林したはずで、土木事務所の管理下にあるはずだ。ということは、植えられている土地は京都府の持ち物のはずなのに、民家の囲い(樹木やフェンスや塀)が桜を取り込んでいるところがある。土手の斜面が埋め立てられて、民家の裏庭のようになっていたりしている。土手の斜面下までを自宅として、フェンスを設置してあるお宅もあるが、少数派だ。
 斜面は民家の所有地なのか、京都府の持ち物なのかが気になった。斜面を民家が所有しているとしたら、河川の管理上問題はないのかと思った。まあ、あれだけ正々堂々とたくさんのお宅が自宅の土地として使用しておられるのだから、民家のものなのだろうが、やはり土手の管理のことが気になった。
 3月28日(月)
期待外れ
 昨日用事を早めに済ませて急いで5時過ぎに帰ってきた。千秋楽の相撲を見るためだった。白鵬が日馬富士を下して優勝するのか、稀勢の里と豪栄道の勝者との優勝決定戦はあるのかが見たいからだった。きっと私と同じ思いで大相撲中継を見られた方が多かったのではないだろうか。
 まず大関戦の結果は、稀勢の里が勝ち残った。勝負はあっけなかった。場所途中で豪栄道がけがをしていたことが知らされ、さもありなんの感想を持った。
 稀勢の里・白鵬戦が見られるかもしれない、期待は高まった。日馬富士もけがを抱えているが何とか健闘してくれないものかと思った。しかしここ数日の白鵬の相撲は圧倒的で「強い白鵬」の復活が印象付けられていたので、結果として立ち合いでの変化は「エーッ!?」であった。大阪府立体育館は異常な雰囲気に包まれたとTVは伝えた。白鵬への厳しいの声が起こり、優勝賜杯授与式を見ないで席を立つ人がいつもの場所より多いことは明らかだった。
 優勝力士インタビューで白鵬は受け答えができず泣いた。そして「申し訳ない」と謝罪した。
 白鵬は自他ともに認められる実力者で、他者の追随を許さない歴史に残る大記録を達成している大横綱である。その力士が立ち合いの変化で勝利を取りに行くことが「潔さ」とは正反対の「セコさ」や「度量の狭さ」を感じさせ「失望」につながったのだ。とにかく期待外れだったのだ。
 昨日の日馬富士戦はそれでも大事な対戦をいかにリスク少なく勝利するかを考えた結果だったと言えばそうであり、相撲のルールに反したわけではない。「稀勢の里もやったじゃないか」と白鵬は言ったらしい。琴奨菊戦のことを言ったようだ。その通りである。しかし稀勢の里もまた「情けない」と思われたのである。「正々堂々」でないことは相撲では致命的になることを番付上位者は肝に銘ずるべきだ。
 白鵬対栃煌山のここ3場所の相撲は、ひどいと思う。強い力士が実力下のものをもてあそんでいるようで、何か個人的に悪感情を持っているのかと思ってしまう。「張り手」や「カチアゲ」といった立ち合いの飛び道具は番付上位者だからできる技で、下位者が横綱にすれば、「失礼」だといわれると思う。こういう技は強い力士ほど「封印」することが品格だと思う。大砂嵐が張り手を繰り出しているのを見ると、だれがこれを教えたのだろうと思う。
 立ち会いの変化といえば、私は初代若乃花を思い出す。15日間で3日間ぐらいは立ち会いの変化で勝っていたように記憶している。その時の解説者は「体格差」があるのだから仕方がないと言っていたように思う。稀勢の里も白鵬も体格差の言い訳は通用しない。私は、幼いながら若乃花は横綱だから相手が引っかかるのだと思った。相手は横綱だから何の奇策も持たずぶつかっていく。それで勝つのはずるいと思っていた。
 立ち合いに変化すれば「ア〜」と何とも言えない嘆きと失望の混じった声が上がる。ルール違反ではないが理不尽を感じることは世の中にたくさんあって、せめてスポーツだけはガチンコであってほしいと思っているのではないか。まして相撲は正々堂々を所作に込めた格闘技だ。相撲界は八百長はじめ不祥事が連発したとき危機を迎えた。相撲人気が回復してきた今だからこそファンの期待に応える取組に期待したい。
 
3月17日(木)
彼岸の入り
 
 今日は彼岸の入りだそうだ。春分の日が3月20日でその前後3日間が彼岸で、今日が「彼岸の入り」3月26日が「彼岸の明け」。彼岸(あの世の極楽浄土)と此岸(この世、現世)は三途の川で隔てられている。お彼岸はあの世に行った先祖を偲び供養する1週間ということである。
 今日ぼた餅を買ってきた。「おはぎ」ではなく春は「ぼた餅」が正しいと思うのだがどうだろう。春は「牡丹餅」秋は「お萩」だと言うからそう思ったのだが。
 子どもの頃は嫌いだった。小豆の甘ったるいのが嫌で食べられなかったが、いつの間にか好きになり、年をとるほどおいしくなる。今日売り場には「普通」と「きなこ」と新メニュー「抹茶」の三種類売っていた。ぼた餅にまで抹茶入れるか!?と思った。
 墓参りを三連休の一日にしようと思う。父親が建てた墓だが、息子も娘も行ったのは父親の葬式の時だけで、幼少期だったから覚えていないだろう。きっとこんな風に墓は忘れられて行くのだろうなと思う。 
3月9日(水)
広島・中3自殺 
 学校側の間違った資料に基づく進路指導のために中3生が自殺に追い込まれたという痛ましい報道に驚く。当然ながら学校や教育委員会の責任、担任の責任はもちろんこれからも追求されるであろう。
 この残念な自殺の報道に接して、高校進学システムの現状とその指導のありかたについて思ったことがあった。
 この子の場合は万引きなどしていなかったのであるが、一度万引きで補導された子は、高校進学時にハンディを負わされるということについて違和感を持った。中学校(担任)は、なぜそういう指導をするのか、あるいはさせられるのかについてである。
 私立校の「専願」では、中1時の万引きが推薦出来ないほど重大な問題になるというのが理解できない。常習でその後も継続して問題を起こしており、非行グループに所属しており、学校の指導が入らなかったというのなら「推薦できない」ということもあろう。しかし明らかに生徒に不利になるような情報を学校が進んで提供する必要があるのだろうか。一度間違ったことをしているが、その後は更正しているで十分ではないのか。
 思いたくはないが、考えられるのは、「一度の間違いでもこういう目に遭うんだ」という前例を重ねて、中学生を従わせる威圧感を進路指導時に発揮しているのではないかということだ。実に姑息で非教育的なやり方だと思う。
 そもそも少年は、少年法で保護されている。少年法で少年が保護されているのは、年少の時代の犯罪行為については、これから更正するであろうことが大いに期待されているからであろう。例え「魔がさして」犯罪に手を染めたとしてもその生育歴を考慮する必要や十分な思慮が不足していたからと言う理由によるものと思われる。こういう法の精神が、学校で通用しないのならそれは「教育」を放棄していると言えないか。
 私立高校「専願」制度について、私は経験がないのでよく分からないのだが、「ノルマ」を科されていることはないだろうか。学校で何人という枠があって、人数制限されている場合、何かを理由に落とさなければならない。自殺した子の場合、成績がよかったという。公立校を第一志望にし、私立校は第2志望であったらしい。言わば、「滑り止め」のための「専願」志望だったようだ。インタビューに答えていた同じ中学校の子と塾関係者は、「専願」指定を受けなかったら「ほぼ合格は望めない」と言っていた。中学校は、このシステムのために生徒を選別しなければならないのではなかろうか。その時に過去に起こした生徒指導上の反社会的行為を選別の手段に使うと言うことが、酷であると思う。
 まだまだ、事実関係が明らかになっていないことばかりだが、有名高校の後に、私立校の「専願」制度がまずあって、その後から公立高がそのおこぼれを拾っているようで、現状の高校制度に今回の自殺事件は大いに関係がありそうに思う。
 3月6日(日)
植物園散歩
 しばらく前から、週1回京都府立植物園へ足を運んでいる。午後に行くのだが、毎週何か変化している。
 梅林で白梅紅梅が徐々に開きはじめ先週満開になった。アブラナ科の野菜に花が咲き始めた。日本の里山や山野の植物を育てているゾーンは園芸種でない可憐な花々が次々咲いている。モクレンのつぼみがほころび、杏の花が2〜3分咲き。あれ?何か花が咲いている、なんだろうと近づいていって「へえ…」と新発見をするのが楽しい。
 今年はツバキが美しくないように思う。京都府立植物園のツバキはいつもよく手入れされていて、品種も多く楽しみなのだが、今年は花数が少ない。
 平日に行くと、赤ちゃんをバギーに乗せた若いお母さんによく出会う。たいてい、二人でおられる。こういう過ごし方もいいなと思う。カメラをぶら下げている人が多い。花か鳥か。目的は半々か。結婚写真を撮りに来ているカップルとスタッフ一行にも出会う。
 ぶらりぶらりと陽光を受けながら園内の数千歩の散歩をして帰ってくる。 
2月27日(土)
今こそ生活綴方
 
 2月27日(金)朝日新聞夕刊(全国版)社会面の半分を使って、大阪の勝村謙司さんの10年間にわたる教育実践が取りあげられた。勝村さんの実践を何度かお聞きして、今こそ生活綴方教育に希望が持てるという思いを強くさせてもらってきた私はとてもうれしく読ませてもらった。
 見出しだけ紹介する。「絆や思いやり作文が育む」「堺の市立小「生活綴方」全学年で10年」「子どもと先生に相互作用」「壁と向き合う2人の作文 クラスも変えた」などの大見出し、小見出し。
 さらに、「山びこ学校」の無着成恭氏が「綴方、もっと見直していい」という談話を寄せておられる。
 今の日本の教育の現状に対する意味づけを川地亜弥子神戸大学大学院准教授がしておられる。「格差拡大や競争主義が学校に影響を与え、子どもや親、地域のつながりが希薄化した「関係の貧困」が進む中、作文教育は重要な意味を持つ」「子どもは作文を書いて、自分の内面を見つめ、それを読んだ先生がその子の気持ちをより深く想像しながら関わる。その相互作用を起こすのが作文です」と。
 「学習指導要領」から「作文」という文字が消えて久しい。しかし日本で生まれ日本で育てられてきた「生活綴方教育」は今も輝かしい教育的成果を発揮していることを勝村さんの仕事は証明している。
 ぜひ、新聞記事を読まれることをお勧めする。大阪版では、来週月曜日から勝村さんの連載が始まるらしい。   
2月21日(日)
京都3区 
 連日ワイドショーで報道されている宮崎謙介前議員の選挙区(京都3区・京都市伏見区と長岡京市などの旧乙訓郡)に私は住んでいる。
 前回の選挙の時投票所を訪れた彼を見た人が「オーラが出ている。なかなか腰の低い感じのいい青年だ」と好印象を語っていた。
 ところが、ここに来てそのオーラがキラキラではなくぎらぎらしたものだったのではないかと思わざるを得ない事実の続出である。さぞかし、がっかりしておられることだろう。その結果、補選が行われることになり、一躍全国的に注目を集める選挙区になった。
 小選挙区制になって最初の選挙で、寺前巌氏(共産党)がこの選挙区を制した。その次の選挙で、自民党の市会議員の方が勝った。共産党は寺前氏を降ろし、新人を立てて破れた。民主は泉健太氏が初挑戦し、健闘したが及ばなかった。泉健太氏は若さを前面に押し出しながら、2回目の挑戦で小選挙区を制した。「そうだ、ケンタがいるじゃないか」というポスターが新鮮だった。その後は泉健太氏が勝った。前々回、公募で東京出身の宮崎謙介氏が自民公認候補として立った。接戦だったが宮崎氏が勝った。前回も宮崎氏が大接戦を制した。いつのまにか共産党候補は勝てない選挙区になった。
 あるTV局が、この選挙区は35歳以下の候補が勝つ選挙区になっていると報じていた。また、京セラなどの京都のIT産業本社がある働く若い世代の選挙区であるとも言っていた。伏見区も長岡市・向日市・大山崎町も、京阪電車や阪急電車そしてJRで、京都市内なら2,30分、大阪市内なら4,50分の通勤圏である。
 この10年余りで伏見区は徐々に変貌してきた。酒蔵の多くは規模を縮小し、マンションに変わった。旧伏見区内は総じて高齢化が進んでいる。伏見最大の商業地である大手筋通り及びその周辺には、マンションと医院ばかりが目立つ。京阪電車の特急が停車する丹波橋と中書島駅前は、商店街が連なり、繁盛していたが、今は乗り継ぎ機能が主な駅になり、駅前も活気がない。
 早々に泉健太氏が名乗りを上げたらしい。自民は中央と府本部で分裂状態。共産とおおさか維新は前向きに候補を立てる方向とか。野党共闘が実現するのかどうかに注目が集まる。
2月11日(木)
春画展
 
 現在京都細見美術館で春画展が開催されている。昨年東京の永青文庫で開催され好評だったものが京都で実現した。大規模な春画展開催は本邦初公開らしい。海外では大英博物館で行われ高い評価であったらしい。
 昨日行ってきた。細見美術館は京都岡崎にあり、ちょうど旧名「京都会館」と琵琶湖疎水と道1本挟んだ西側にある。
 平日の午前中にもかかわらず部屋の中は老若男女多くの人がおられた。私は私ぐらいの年配のおっさんばかりだろうと思っていたのだが、思いの外女性が多く、若い人も多い。まず入ってすぐ、屏風仕立てになっている肉筆画がほぼ等身大であり度肝を抜かれた。長崎のホテル所有らしいが、元は平戸藩大名家に伝わったものらしい。
 私は春画と言えば、浮世絵の1ジャンルだと思ってきたのだが、そうではなく絵巻物のものも装幀本も出版物もあり形態は様々であった。肉筆画で有名どころが描いたものは大名家所蔵のようだ。それを大衆化したのが浮世絵であったということのようだ。
 作家は浮世絵作家の作品もあるが、狩野派、土佐派他応挙の春画まであった。要するに主だった人たちに依頼があったことが想像できる。
 特に心に残ったことである。
@さすがに歌麿、北斎、国芳たちの作は達者であり独創的であった。
A古典や芝居に材をとってパロディ化したものも印象に残った。いつの時代も教養であり、批評精神がなければ表現は出来ないものなのだなと思った。
B衣装の模様など決して手抜きしていないし、テーマとの関連も意識しているようだ。
C春画は掛け軸にしてずっと飾っておく性質のものではない、大切にたたんで保存されてきており状態がよい。
D解説を読んでいたら明治時代に初めて春画を見せられた外国人の驚きが書かれていた。春画を説明するのは夫婦共で特に女性が説明していたらしい。嫁入り道具だったのなら、女性が説明しても何の違和感もない。
E江戸文化、性風俗や浮世絵の研究に春画は欠かせないのだなと思った。
 図録4000円が飛ぶように売れていた。私も買ってきた。 
 2月7日(日)
ワレはオレが好き
 「ことばの由来」という本を図書館で見つけた。岩波新書941堀井令以知氏2005年の著作である。
  「私」という言葉の由来からこの本は始まり、「あなた」で終わる。
 第一人称「私(ワタクシ)」は「公(オホヤケ)」に対する一般的な名詞であったが、室町時代あたりから人称代名詞として使われ出したのだそうだ。
 ではそれまで自分ことを何と言っていたかというと、奈良時代は「ワレ」と言った。「ワ」「ア」「アレ」とも言ったらしい。中世以後は「ワレ」はニ人称として、目下や身分の低いものに対して「ワレ」と言うようになった。これに対して「オレ」は奈良時代から平安時代まで二人称として相手を卑しめて言うことばだったが、中世から一人称として男女とも用いるようになり、現代では主として男性が使っている、と解説してあった。
 小学生女子が「オレ」と言っているのを聞いたことがある。「オレ」に対して相手のことを「オマエ」と呼んでいた。活発で男なんかに負けて堪るかという女の子が使っていた。「オマエ」に「さん」をつけると時代劇で粋な年増が自分の佳い男を呼んでいるようで、これはこれで色っぽい感じがする。
 青森へ行ったとき、青森の人は自分のことを「ワ」と言うと聞いた。雪国で寒く、少しでも口を開けなくて済むように、ことばが省略されるのだと言っておられたが、「ワ」が奈良時代以来ずっと使われてきているとなると、これは貴重なことのように思える。
 「ワレ」が二人称として使われるのは今でもあるのではなかろうか。「悪名」という勝新太郎の映画で出てくる八尾の朝吉親分の河内弁では「ワレ」は相手のことを指していた。私が子どもの頃、よい子?は使わなかったが、けんかの時相手を威嚇するのに「ワレ、しばきたおしたろか」と言うのは常套語だった。
 しばらく前に、「自分」という言葉を「自分自身」と言う意味でも、「相手」にも使う関西弁はおかしいとTVで問題にしていたことがあった。例えば「自分昨日心斎橋歩いてたやろ」などと使うのは理解できないという標準語圏からの指摘であった。しかしながら、ことばの意味の変遷を見ると、一人称と二人称が混じり合うことはそう珍しくもないのだなと、思った。
 平安時代、やんごとなき方々はどのように喋っておられたのかわからないが、下々のモノが「ワレはオレが好き」などと言い合っていたと思うと可笑しくなる。現代ではワレもオレもすっかり品のないことばのようになっている。
 さて、「ことばの由来」このあとどのようなことばの由来が語られるのか楽しみである。
 
2月3日(水)
節分 
 今日は節分。各地で豆まきが行われたことだろう。夕方TVを見ていたら、鬼について解説していた。
 鬼のいる方角は丑寅(うし・とら北東)辺りだそうである。だから鬼は丑のように頭に角が二本あって、虎の皮のふんどしをしているという。北東の真逆の方角は南西である。その辺りは、未申(ふつじさる)で、すぐさるに続いて酉(とり)戌(いぬ)がある。つまり鬼の逆方向に(犬、さる、きじ)があって、桃太郎の話はこういう組み合わせの話になっていると説明していた。おもしろい。本当にそうなのかどうかはわからないが、うまく説明できる。
 この節分を警察の留置所で過ごすことになった清原。深夜の速報をTVで見た。バカなことをしたものだと思った。今日は清原をよく知っている知人がインタビューを受けて、薬に手を出していることは、既成事実であったという趣旨の発言をしていた。Xデーが何時になるかだけが問題であったようなニュアンスの伝え方である。一昨年週刊文春が報道していたらしい。週刊文春と言えば甘利問題のスクープで一躍注目された。文春は独自の情報を持っているかもしれない。続報でこの後、闇社会とのつながりが出てくるのだろうか。野球界全体にその影響が及ぶ可能性もなきにしもあらずである。巨人OBでもある清原。球界の模範を自負してきた球団は、昨年野球賭博問題、そして今年は麻薬問題、ああ、困った困ったとはきっと思っていないことだろう。巨人は生え抜きの選手だけを巨人OBと思っていそうに思う。
 
1月29日(金)
自己への懐疑心 
 今日の朝日新聞文化・文芸欄に鷲田清一(折々のことば担当)と高橋源一郎(論壇時評担当)の対談のエッセンスが載っていた。鷲田氏が次のように言う。
 「知人の銀行員が『口べたな行員の方が成績がいいんです』と話していました。立て板に水で話すタイプの人って、僕苦手なんです。隙なく、書き言葉のように話す人がいますよね。それからプレゼンテーションのうまい人。そしてヘイトスピーチがそうですが、自己への懐疑心がなく、当たったら相手が絶対ケガをするとわかっているのに、つぶてのような言葉を投げるタイプ」
 それを受けて高橋氏が「(前略)難民や弱者をののしる言葉にしても、常識や良識で考えればありえないと思うけれど、意外と人間は弱い。僕たちの知的な部分は、通俗的な感情と切り離されてるわけじゃないですよね。同じ人間の中、その根っこでくっついているのは認めざるを得ない。だからいつも注意して、言葉と世界に向かい合っていないと」と展開している。
 自己への懐疑心がなく…という指摘は実に的確であるし、同じ人間の中で、その根っこはくっついているというのもそうだ。訥弁な人は言葉を選ばざるを得ない。雄弁な人は難なく次々言葉が出てくる。
 学校では今プレゼンテーション出来る雄弁な子どもの育成をめざして言語活動が行われている。できれば英語でとも考えられているようだ。
 今の時代を生き抜くには、そういう能力も必要だと思いつつ、子どものうちは、じっくりゆっくり考え考え話したり、書いたりしながら自己への懐疑心を高めることの方がより重視されるのが本来のあり方なのではないかと考えたのだがどうだろう。
  
 1月28日(木)
上には上がある
 錦織が完敗。ジョコビッチは強い。正確で強いボールを打ち込んで徐々に錦織を追いつめ焦りを誘い勝った。錦織が次の対戦では、さらに成長した姿を見せてくれることを楽しみにしている。
 サッカーはよく勝ったなあと思う。あれが作戦だったのかどうか分からないが、わずかなシュートで決めた。圧倒的に相手の方が試合の流れを作っていた。アジアで優勝しても、オリンピックへ行けばもっと強いチームはいくらでもあるのがサッカーだ。ヨーロッパもアメリカもアフリカも世界中に強豪がいるサッカー。圧倒的な強さでアジアで勝っても世界へ出たら心配なのに、大丈夫なのだろうか、あのシュート数で。
 先程ニュースで甘利大臣が辞任したというニュースを報道していた。50万円を2回受け取ったことは認めた。庶民にとっては、50万は大金だ。もしそれ程親しくもない人が「あげる」と言えば「なぜ?」と思うだろう。何を期待しての金なのか考えるのが普通だと思う。もらい慣れているのだろうなと思った。
 自分自身にやましいところはないが、秘書に対する監督責任と、国会を混乱させ内閣に迷惑をかけていることに責任を感じ辞任するといういうことであった。そしてそれは自分の矜持(自分の能力を信じていだく誇り、自負、プライド)であると。(きょうじ)にも色々同音異義語がある。「凶事」「興じ」「教示」。
 今回のことは、不思議だ。なぜ告発者は急に週刊誌にこの手の話を暴露する気になったのか。甘利氏は「はめられたのではないか」と高村副総裁が言っていた。きっと上には上があって、見つからないように、はめられないように、もっと上手にお金を集めている政治家がいるであろうになぜ甘利氏がという疑問が残る。
 1月25日(月)
勝った
 錦織が勝った。全く危なげなく完勝だった。エンドラインから下がらずに前で捌くので展開が早く、しかもストロークが正確なので相手が追いつけない。ツォンガ選手のようなビッグサーバーのサーブに対してもキチンと対応する勘の良さと動体視力も凄い。これでジョコビッチとの明日の準々決勝が楽しみだ。
 琴奬菊も勝って優勝した。私は23日に日本人力士と書いたのだが、軒並み報道は日本出身力士となっている。これどこが違うのかと考えたのだが、日本で生まれ育った力士は、国籍や人種を問わず、日本出身力士と呼ぶという意味合いなのかなと思った。外国人力士ではなく、外国出身力士、これは生まれ育ちが外国だという意味であろう。人種や国籍が日本なのか外国なのかを問題にしていられないほど、今の相撲界は外国出身力士に依存している。
 マスコミが日本対外国という観点から、10年ぶりに日本出身力士が優勝したということを過大に報道するのを見たら、白鵬、鶴竜、日ノ富士三横綱たちはどう思うのだろうか。彼らは賢いから口には出さないかもしれないが、日本のナショナリズムに理解を示しつつも内心おもしろくないことだろう。この10年間大相撲を支えてきたのは自分たちだという自負がある。琴奬菊も苦労しただろうが、自分たちも言葉の分からない日本でケガもしたし人一倍努力もしたと思うことだろう。相撲が世界に通用するエンターテインメントスポーツとしてこれからも発展するには、日本出身力士と外国出身力士の切磋琢磨が欠かせない。琴奬菊の優勝が稀勢ノ里の奮起を促し、御嶽海や正代などの若手をその気にさせたとしたら効果は大きかったと言える。照ノ富士が早くケガを治して3場所前の頃のような強さで復活してほしい。相撲がますます、おもしろくなる。
 最後に残ったサッカーの準決勝はどうなるのだろう。 
1月23日(土)
スポーツ中継
 
 朝9時からテニス全豪オープン錦織圭選手のテニスを見る。明日はフランスの強豪選手とやる。何とか勝って、ジョコビッチとの熱戦に期待したい。今まで日本のテニス選手の試合を見たことがなかったが、錦織選手の活躍のお陰で見る機会が出来た。土居美咲選手の試合を深夜見たのだが、惜しい試合だった。紙一重の実力差だなと思ったが、その紙一枚が相当なもののようだ。錦織は今までの日本選手にない競り勝ち、勝ち抜く力がある。
 夕方、大相撲を見る。琴奬菊が今日は圧勝し、白鵬が負けた。これで1敗が琴奬菊一人になった。白鵬の今日の負け方は、一時の圧倒的な実力を感じないものだった。10年ぶりの日本人力士の優勝の可能性が出てきた。それにしても、国技相撲は、活躍するのはモンゴル出身の力士ばかりである。モンゴルの力士はぎこちなさが全くない。強い。やっとチャンスが日本人の力士に出てきた。昨日、琴奬菊が豊ノ島に負けた。「なんで、豊ノ島がんばるの?がんばらんでもいいのに」と思った。これって、大変失礼な話で、どこかで八百長を期待していたことになる。琴奬菊にも豊ノ島にも失礼であった。私は強い力士が堂々と勝てばいいと思ってきたつもりだったが、ハラハラしながら琴奬菊に優勝してほしいと願っている。
 サッカーのオリンピック予選が10時半からある。予選リーグを全勝し、決勝リーグも1勝した。あと1勝すればオリンピックの出場権が得られる。私はサッカーのことはよく知らないのだが、素人目に見てここまでよく勝ち上がってきたなと思う。解説の方々は思いきり日本びいきだ。圧倒的に押されているように私には見えるのに、日本が有利なように言っていると思う。サッカーを知らないからなのだろうか。
 朝も夕方も夜中も、TVのスポーツ中継に釘付けになっている。今楽しいのだが、これ終わったら、寂しいだろうな。
  
1月22日(金)
京都国立博物館 
 日本刀ブームなのだそうだ。私の家の近くの藤森神社へ行ったら、刀剣にいわれのある神社4社を巡る朱印帳があった。NHKで京都国立博物館で特別展が行われていることと、刀女子(刀剣に興味を持つ女の人たち)で賑わっているという紹介をしていた。何でもコミックやゲームソフトに日本刀を扱ったものがあって、流行っているらしく、ブームを起こしているのだそうだ。そう言えば「美の壺」でも日本刀を紹介していた。
 このところ京都国立博物館へ行っていないので刀剣ブームとやらを見がてら行ってきた。
 京博は今明治館が改装中で(耐震補強)明治館北側、平成館東側を発掘中であった。新聞記者を集めた説明会が行われていた。方広寺の遺構発掘である。
 刀剣は以前から一つのコーナーを設けて展示されていたのであるが、特別展として広い部屋で行われていた。半藤一さんという方のコレクションを始め、源氏ゆかりの刀とか、坂本龍馬の刀、虎鉄など二十振りがあった。以前「へえ、これが正宗か」と感心したことがあったが、国宝・重文が揃っていた。若いカップルが「虎鉄は10本あったら、10本ともニセモノっていうからな、これどうかな?ニセモン違う?」と言いながら見ている。
 申年にちなんで二階はサルをフューチャーした展示が続いていた。室町時代まではサルを描くと言えば中国の牧谿を真似た手ながざるが多かったが、江戸時代になると写実的なニホンザルが描かれていた。長沢廬雪、曽我蕭白、伊藤若沖の作が並んでいておもしろかった。大阪のサルを描かせればこの人と言われたという初めて聞く名前の作家のサルはリアルさという点では抜きんでていた。
 3時から映像上映があり、「藤原氏の経筒」を紹介していた。国宝「道長経筒」他3点の国宝紹介の映画であった。3階で本物が展示されていた。
 その他の展示はどうかなと見て回った。仏像では二尊院の二尊があった。(あれ?本尊ではないの、大丈夫と思った。十王像と地蔵が、向かい合って展示されていた。一番よかったのが陶磁器コーナーの朝鮮白磁の瓶。見惚れた。狛犬と獅子は違うことも初めて知った。一対(阿吽)でも狛犬二体のものと、獅子と犬のものがあることを初めて知った。
 私が一番うれしかったのは、最後に訪れた販売店のコーナー。お正月特別企画で今まで開催された特別展のカタログを安価で売っていたことであった。私は「蕭白」を500円で買った。他にも「京焼」も500円であったのだが、重たいので次回(2月21日までやっているらしい)にすることにした。
 京博はやっぱり凄いなと思う。近いうちにもう一度行こうと思う。
 1月21日(木)
在来線で名古屋へ
 2016・1・19(火)ガンダーラの会「観音寺の円空仏を見る会」に参加した。昼からの開催だったので、今日は新幹線を使わず在来線で往復した。運賃はJR藤森〜金山(愛知)。その比較である。
列車の区別 所要時間 料金(往復) 乗り換え回数
新幹線  1時間16分  10140円  3回 
在来線 3時間8分 5190円 4回
 列車で読みたい資料があった。家にいたらきっと他にしたいことができて読まないかもしれないので、列車で読むことに決めて乗り込んだ。新幹線で名古屋までの所要時間は34分。これではまとまったものは読めない。しかし在来線での乗車時間は2時間28分。往復にしたら5時間余り。おかげでA4資料を100頁読めた。だから退屈はしなかった。乗り換えもそれほど苦にならず、待ち時間も10分以内でイライラすることもなかった。列車もずっと座れたし、快適であった。
 何より料金が半額で済んで、すごくもうけた気になった。 
 1月8日(金)
伏見中央図書館
 伏見中央図書館へ行った。京都市伏見区にはいくつか図書館がある。深草や醍醐それに久我や淀などに。しかし旧伏見にあるのはこの中央図書館だけではないかな。伏見区の人口は26万人だと聞いたことがある。その「中央」図書館かなり古く、醍醐の図書館に比べても規模も機能も見劣りする。近年、区役所は建て替えられたのであるが、その隣にある図書館は旧態依然である。館内は狭く、蔵書も限られることだろう。
 読書する椅子と机のあるスペースは30人から40人で学校の教室ぐらいの広さ。キュウキュウに詰めてである。利用者のほとんどは年配者。純粋に調べ物や読書を楽しみに来ている人もおられるが、新聞を読んだり週刊誌を読んだりしておられる方も多い。眠っている人もおられる。
 あんまり偉そうなことをいえない。私も時間的余裕があるとき、暇つぶしに図書館へ行くときがある。そして眠ってしまうときがある。
 こういう人間も含めての図書館だと思うのだが、それにしても読みたい本が少ないし、読書スペースが不十分である。もっと居心地のよい図書館にならないものかと思う。
 その図書館に張り紙があった。20冊ぐらいの最近のベストセラー本を寄附してほしいという依頼であった。新刊本が売れないのは図書館が貸し出すからだということがニュースになっていたが、そうでもないのではないかと思った。話題になっている本や人気作家の本を、少なくともこの伏見中央図書館では見たことがない。例えば湊かなえや東野圭吾のコーナーに本がない。
 そこで私は古典を読むことにした。今「徒然草」を読んでいる。これは競争なしで読むことも借りることも出来る。
 
1月5日(火)
携帯の変更
 
 私の持っている携帯電話に「もうしばらくしたら日時表示ができなくなる」という連絡が12月ぐらいから入ってくるようになった。同じ時期に妻の携帯も購入しているので同じように警告が来た。
 私たちの携帯は所謂「ガラ携」というやつでもう8年使っている。この8年間の間にスマートフォンの普及が目覚ましく今頃私のような携帯を持っているものは、すっかり少数派になった。スマートフォンの機能がすごいことは私にも理解できる。カメラであり、電話、メールは勿論、財布であり、音楽を楽しむ機械であり、ゲーム機であり、調べ物を音声で行っているのなどを見るとたまげる。なんて賢いツールだろうと。
 しかし今の自分に必要かと考えるとそうでもなさそうに思い、昨日ガラ携の機種変更をしに行った。二人で4000円までで交換できた。機能的にはガラ携も進化していて、万歩計機能はあるし、ラジオも聞ける。地図機能もある。
 しかしながら、いずれスマートフォンしかなくなる世の中が来そうなことは分かる。
 一台で多種多様な機能を持つスマートフォンはすごい。が現在の私には宝の持ち腐れだということである。明らかに時代の進歩が私を置き去りにしていった。
  
1月1日(金)
年賀状
さるとたまねぎ
   まど・みちお
よくばりな さるが
たまねぎ ひろった
まるいぞ まるいぞ でっかいぞ
きのみだ みかんの おやぶんだ
だれにもやらずに
たべちゃおう

よくばり さるが
たまねぎ むきだす
むいても むいても かわばかり
とうとう なんにも でなかった
なみだは ぽろぽろ でたけれど


 さるまね・猿知恵・猿芝居・猿の尻笑い・猿に烏帽子・猿も木から落ちる…サルに関することわざや慣用句でサルが幸せそうに思えるモノが見つけられない。
 申の刻というのは夕方の3時から5時ぐらいを言うらしい。そして方位としては西南西辺りを指すという。日が沈む方向だ。
 「さるかに合戦」のさるは相当な悪だ。桃太郎のサルはたかがキビ団子一個で家来になる従順さ。孫悟空は悔い改めた後はスーパースターだが相当な悪ガキだった。
 小2の時の私のあだ名は「さる」だった。学芸会で「さるかに合戦」のサル役だったからである。今年は私の年かもしれない
1月1日(金)
新年 
 新しい年になった。いい天気なので気持ちがよい。さて、朝から何をしようかと考えた。
 大晦日は家の中の大掃除だった。風呂もトイレ、それに各部屋のフローリングにワックスを掛けたので光っている。鏡も磨いた。
 12月初頭から準備したダイコンのぬか漬けもニシンとダイコンニンジンのこうじ漬けもうまくいった。イカの塩辛もおいしい。こういう漬け物を漬けるというのは楽しい。
 仕事を週1回の専門学校非常勤講師だけにして、もう1年半になる。
 それから始めたことがいくつかある。絵を描くこと、仏像彫刻教室へ通うこと。英会話講座をラジオで聞くこと。そしてテニスを楽しむこと。ギターを弾きながらPPMの曲を歌うこと。
 この中で今、一番自分の生活の比重を占めているのがテニスで、4つのグループに入って、多いときは週に4回3時間〜4時間やっている。土曜日一日中やっている日もある。それでどれくいらい上達したかと言えば心細いが、楽しんでいる。
 英会話は少しも覚えられない。今基礎英語3を聞いている。中学校3年生対象らしいが、テキストなしで聞いたら全くのチンプンカンプンだし、テキストを見ていてもすぐに分からない。仏像彫刻も何とかなるだろうとたかをくくって始めたのだが、進歩しない。おおよそ1年余り足踏みしている。このまま続けるかどうか迷っている。家で好きな円空仏を彫っている方が楽しい。
 ギター演奏はコードを探したり歌のパート練習をしたりが楽しい。これで仲間がいればもっと楽しいのになと思う。
 今年は読書の時間を増やしてこれを読んだという実感を味わいたいと思っている。