かばのしっぽ日記2003

2003年7月〜12月

かばのしっぽはうんちをまき散らすための大切な働きをします。
まきふんは大切な威嚇の方法なのだそうです。
でもおかしなやつです。
『オレは強いんだ』と言ってうんこまきちらすなんて。
何かユーモラスです。
自分にとっては大切な行動でも他人様から見たら滑稽なことって私もしてそうで
「かばのしっぽ」みたいな存在かもしれないなあオレって
と、思う今日この頃であります。

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12月26日(木)
2本の映画
 祇園会館へ映画を見に行きました。「壬生義士伝」と「たそがれ青兵衛」の二本立て。
 映画の方は2本とも「さすが映画!」でした。「壬生義士伝」では中井貴一と佐藤浩市演ずる吉村某と斉藤一という新撰組隊士中心に描かれいました。中井貴一演ずるところの吉村某が時折見せる「義」の迫力が常時ニヒリズムを漂わせている佐藤浩市演ずるところの斉藤一を圧倒する場面が時々あって唸ります。いっぱい涙が出ました。
 「たそがれ青兵衛」の方は藤沢周平の原作ですから誰も有名な人物は出てきません。勤務時間終了したらさっさと家路を急ぐ「たそがれ」とよばれるこれも下級武士を描いた作品です。この青兵衛さん、腕はめっぽう立つ。しかし普段の生活ではおくびにもそれを見せないしそういうふうには見えない。本家や身分の高いところからきた嫁(この嫁の葬儀の場面から映画は始まる)からは出世を期待されるが無理はしないという生き方を貫きます。青兵衛さんの母親はボケがきていて息子の青兵衛さんにまで「あなたさんはどちらさんでしたかいな」と毎日尋ねます。クライマックスの場面でそのセリフを宮沢りえ演ずる青兵衛さんの幼なじみ(後青兵衛の後妻になる)に言います。その時に宮沢りえが「ハイ、私は・・・」とこたえるのですがここで涙が頬をつたいました。上手にこのフレーズを生かしている脚本だなとこれもまた感動しました。さすが山田洋次・朝間義隆脚本です。あのセリフで宮沢りえの魅力が最高引き出されていました。
 2作品とも幕末という時代を生きた貧しい東北地方の下級武士の生き方を描いていて感動しました。
 別に宣伝するつもりはないのですが、祇園会館で1月16日までやってるそうです。木曜日は1000円です。
12月22日(月)
思い出したこと
 やっと冬らしくなったのかもしれませんがなかなかこの寒さはこたえます。きっと京都より寒い地方の方々は大変だろうなと想像しています。  昨日本当に久しぶりに「終い弘法」へ行ってきました。弘法さんへおばあちゃんによく連れてもらいました。私のおばあちゃんは字が読めませんでした。電車の切符を買うとき「お稲荷さん(伏見稲荷駅)」「弘法さん(東寺駅)」と言って買いました。その他の所へ行けなかったのではないでしょうか。字が読めなかったら切符も買えませんからね。字が読めない悲しさ、これは想像を絶するものがあります。私のおばあちゃんは決して怠け者だったり、字を覚える能力が無かったわけではありませんでした。でも機会を逸して字が読めないまま一生を過ごしました。
 弘法さんのお店をあちこち見ながらおばあちゃんのこと考えてました。年に何回かおばあちゃんのこと思い出します。昨日はしみじみおばあちゃんのこと思い出しながら歩きました。私を連れながら何かおいしいものを食べるわけでもなく、ただひらすら1円玉を私に渡して色々な仏さんに供養させ続けました。無茶苦茶純粋に祈っていたのではないでしょうか。私は仏教に対して興味はありますが無条件に信じているわけではありません。お釈迦さんや三蔵法師、行基や空也を偉いなあと思います。それはガンジーやマリアテレサが偉いと思うことと変わりません。
 私のおばあちゃんと私、果たしてどちらが人間として幸せなのかと考えるのです。おばあちゃんは信じるものがあるということの幸せがあったように思います。私は残念ながら絶対的な価値を何に対しても持たずに暮らしています。
12月15日(月)
鬼子母の話
 鬼子母には500人(千人とも)の子どもがいました。鬼子母はこの子らのお腹を満足させるために毎日多くの人間の子どもをさらってきて、殺して食べさせます。お釈迦さまは、鬼子母を諭すために彼女の最愛の末っ子ビンガラを隠して、わが子を奪われた母親の悲しみがいかにつらく耐え難いものかを体験させて思い知らせます。鬼子母はやっと改悟しします。お釈迦さまは自分の弟子達に命じて、各自の食分の極少量をさいて鬼子母の子どもたちに与えさせるようにします。(大般涅槃経)禅門の「生飯(さば)」の作法(ほんの数粒の穀類を食卓や食膳の前に出し合掌して供えること)はここから来ているとか。
 鬼子母神という神さんの話、辛く悲しくなる話しです。母とも思えない所業をする人を鬼子母神に例えるようですが少なくとも鬼子母神が人間の子どもをさらって殺す理由はわが子への愛情ですからまだ分かりやすい。しかし現代の鬼子母はわが子を殺すのですから、これはお釈迦さまもビックリの所業ということになるのではないでしょうか。
 食べることに感謝して、それを人間以外の生命を保つ存在と共に食事をしようと言うこの「生飯」の作法「共生」という理念そのもので2000年以上も前にこういうことを考えておられたお釈迦様はすごいなと思いますし、それを
毎日の食事時に思い出させる禅門の作法にも感心しました。
12月7日(日)
国語教育学習会
 無事終了しました。6月は60名近くの方の参加があったのですが今回は20数名でした。それでも熱っぽい報告と討議が出来ました。私はクラスの一人の子の作品を使いながら自己表現の大切さを報告しました。報告「Mちゃんの作品から学ぶこと」の概要は「子どもの詩」にupしますのでまた見て下さい。
12月3日(水)
自主研究とは?
 金曜日、私の学校は研究発表の日です。「自主研究発表」という名の発表会ですが、みんなで自主的に話し合って研究発表しようと決めたことはありません。研究発表が悪いことだとは思いませんが何か変です。いったいこれは誰のための研究発表なのでしょうか。そして私の学校は十数年間「道徳」を研究しています。これもなぜ道徳を研究するのかという話し合いが十分にされているわけではなく「道徳をします」という神の声か何の声か分からない声で決まっています。まあ、文科省も教育委員会も「心の教育」を叫んでいますから「道徳」を研究することは都合が良いのでしょう。(何に都合がよいのやら???)私も初めは戸惑ったのですがイヤでも特設道徳の授業というものに慣れてきました。まあ、2年もいればどういうことをするのかぐらいは分かります。これで4年目なのですが3年連続で授業を引き受けています。今年は1年生で「のりもの」の授業をします。公共心公徳心の学習をします。
 12月5日、土曜日。「緊急国語教育学習交流会」(京都アスニー・1時半から)これは私がやりたくてやっている研究です。本当の意味で自主的な研究会です。国語教育の危機問題を話し合う研究会第二弾。何がどう危機的なのか、本当は何をすることが子どもたちの国語の力を伸ばすことになるのかを話し合います。ぜひご参加下さい。私は「私たちの考える作文教育(実践編)」で話をします。20分ぐらい話します。今のクラスの仕事を話します。今日やっと資料が出来ました。
12月2日(火)
サンタのプレゼント

 師走に入りました。ちっともそういう気分にはなりません。暖かいからでしょうか。私のよくいくスーパーはしばらく前から「あわてんぼうのサンタクロース」を流していて、いつのまにか口ずさんでしまいます。「あわてんぼうの サンタクロース クリスマス前に ・・・・・」と言うのですが、さてここにどんな言葉を入れるとおもしろいと思われますか。「酔っぱらう」「風邪ひいた」「リストラに」このへんを思い浮かべたのですが、今年の流行語大賞を入れてみたらどうでしょうか。「なんでだろう?」「毒まんじゅう」「マニュフェスト」これ誰がいっているのかと考えるとおもしろいですね。
 サンタクロースカルタを子どもたちと作ったことがありました。「トナカイに おいていかれた サンタクロース」とか「えんとつから まっさかさまの サンタクロース」などサンタさんにはちょっと気の毒なものもありましたが、おもしろいものができました。
 日本の外交官2人が犠牲になられました。ご冥福をお祈りします。サンタさん、今年はイラクへぜひ出張願ってイラクの子ども達に平和のプレゼントをしてほしいものです。ついでにブッシュ氏に「愛」を。小泉氏に「命の尊さ」を。
 憎しみと 不信うずまく 「戦争終結」の地
 戦争後 すぐにはじまる 戦争前
 
ガンジーという人の偉大さを改めて思っています。 
11月11日(火)
赤っ恥
 9日(日)の教研の帰りにJR京都駅にある「伊勢丹」に寄りました。最近デパートへ行ったことがないのでお店に入るだけで何となく落ち着きがなくなります。伊勢丹はこれで3回目ぐらいで何階にどんなお店があるのかも不案内です。
 よく分からないので地下へ行ってケーキを買って帰ることにしました。ここはあんまり他の店と変わらないので安心です。和菓子も洋菓子も栗を使ったものが季節感があっておいしそうです。
 さっそく和菓子の店で「「栗羊羹」を買いました。
 洋菓子店では栗とチョコレートのケーキを買うことにしました。「すみません、これ下さい」とショーウインドーの上から指さしますとその上にあるケーキの名前を「・・・ですか?」とお店のお姉さんは言います。私は「いいえ違います。その下の『渋皮ロマンチョコレート』というやつ」と大きな声で言いましたら、「ああ、『渋皮マロンチョコレート』ですね」と私に負けないような大きな声。近くにたくさんの人がいたのですがクスクスと笑われてしまいました。そらそうやね。栗はマロンでした。ロマンではありませんでした。
 私はもともとカタカナに弱いのですがこういう読み違いよくします。今日もスーパーの健康食品のコーナーで「ウコン」と書いてあるのを「ウンコ」と読み間違って「???」状態になりました。
 渋皮にまあロマンは感じませんね。よく考えたら渋皮のついた栗なのですね。今やっと意味が分かりました。ケーキはおいしかったですよ。
11月10日(月)
国語教育

 長岡京市大阪成蹊大学で教育研究集会がありました。その国語分科会でレポートしなければなりませんでしたので出かけました。
 私の主張は要約すると以下のようなことでした。
 国語の学力があると思われる子の秀でている特徴は3点です。
@音読の力に秀でている。
A文章の暗唱能力に秀でている。
B読書量が多い。
 これは、その他の力(聞く力・話す力・読解力・漢字の読み書き能力・作文する力など)があるからこの3つが秀でるという側面があるのですが、逆に音読・暗唱・読書の3つを意識的に鍛えれば国語の能力は伸びるということを示してもいるのです。音読の力を伸ばすためにはどんな事が出来るか、暗唱の力を付けるには、読書好きの子にするにはなどここから課題が見えてきます。
 言わずもがなですが、国語の力・・・つまり「ことばの力」のない子が他の教科でも苦戦するのは当然です。ことばの力をつける道筋について仮説をたててしっかり研究していくことは急務だと思っています。
 @楽しく日本語のきまりやおもしろさが体験できる「ことばあそび」などの授業。A確かな力につながるひらがな・カタカナ・漢字などの文字指導。B楽しくて力のつく読みの授業(文学・説明文)C読書の世界を開く「読み聞かせの時間」などの読書指導D自己表現ができる作文の授業E音読や暗唱に力を入れる授業や取組
 この6つを総合的に展開することが私は大切だと思います。今「ことばの力」がつきそうもない国語の時間が横行しています。本当に子どもたちに力がつく国語教育を展開しないと大変なことになると思います。
 と、いうようなことを自分の実践を入れながら話してきました。
10月19日(日)
桓武陵マテバシイ

 昨年「治部池伝説」のページをUPしたときに桓武陵の参道にマテバシイの木があって大きい実がなると書きました。ながさ5cm幅1cmを越えるものがあると書きました。今年採りに行ってきました。残念ながら5cmよりは小さくて4cmぐらいでした。でも直径は1.5cmありました。例年もっと大きいように思います。採りに行くのが遅かったのかな。今年はちょっと不作だったのではないかと負け惜しみみたいなこと思ってます。
10月10日(金)
水晶湯廃業
 伏見の銭湯水晶湯が廃業されます。そういう情報をいただいていました。私が先月寄せていただいたらすでに開けておられる雰囲気がなく廃業が早まったのかなと思っておりました。しかし今月御香宮のお祭りへ行ったときに見ましたら営業されていましたので今日寄せていただきました。まだまだ美しい銭湯です。タイルもきれいです。何より女将さんが気さくな良い感じの方です。
 御香宮神社のすぐ近くですので明日明後日お祭りのついでに水晶湯も如何でしょうか。14日で営業を止めるとポスターが貼ってありました。これで伏見桃山地域から銭湯がなくなることになります。近鉄桃山御陵駅から2分。抜群の立地条件なのです。最近ご不幸があったようで今日お風呂から上がって服を着ていたらお悔やみを言っておられた方がおられました。
 私はもう一度14日の最終日に入ってこようと思っています。
10月2日(木)
10日終業式
 私の学校は今年から前後期の二期制を採用している。昨年度急に二期制が決まった学校がほとんどであり、来年度から殆どの学校が右へならえするだろう。果たしてそれでどれほどのメリットがあるのだろうか。私はさっぱり分からない。10月10日が前期の終業式になる。だから通知簿を私は今つけている。あれやこれやの資料をひっくりかえしている。3学期制で3回通知票をもらうほうが親にも子どもにもいいように思うのだが・・・。
 年々通知簿をつけるテンポが早くなっている。しばらく前私は終業式前日まで悩んでいたことがあった。伝聞だが、ある先生は終業式の日に子どもの顔を見ながら所見欄を書いて渡していたという。今では考えられない。
 私の学校は今日が一覧表の提出期限であった。つまり今日までに通知票の項目の評定は終わっているのだ。来週の学習はそれは前期の通知票には反映しないのだ。
 通知票の教師の所見欄の下書きを提出することが義務づけられている。これも来週の月曜日か火曜日になる。学校によってはそんな検閲制度はないのだが、担任教師が信用できないのだろう私たちは提出させられる。余程日本語の能力がないと思われているのだろうか?ほっておけば何を書くか分からないと思われているのだろうか?ずいぶんバカにしていると腹が立つ。
 それにしてもこの通知票のわかりにくさはどうだろう。保護者はどう思われるだろう?懇談会で説明しなければならないのだが困惑している。本来学校独自の通知票でよいのだが画一的な通知票が押しつけられている。何もかも押しつけるくせに「特色ある学校作り」を教育委員会から押しつけられる管理職も大変だろう。
9月20日(土)
雨が降って
 今日はさて、何をして一日すごそうかなとワクワクしながら起きてきたら、昼から電気屋さんが来るとのこと・・・。ということは昼から家にいなければならないということです。仕方がないので遠出することは諦めました。奈良へ花の写真を撮りに行こうかと思ってたのです。萩とコスモスと彼岸花。
 昼までに帰ってきたらいいのですからテニスに出かけました。楽しい試合が出来て、2試合目をしようかと思ったら雨。帰ってきました。今日はサークルがあるのですが欠席です。
 昼から伏見の道しるべのページを作ることに没頭しました。おかげでずいぶんはかどりました。今までに12の道標のうち10の道標の場所を特定しました。ぴったりだ!とスゴイ発見をした気分になってます。伏見の道標は舟乗り場への道案内が多く墨染までに集中していたようです。深草からは道が決まっていて少なくなるようです。私は伏見街道の姉妹編のつもりでこれを調べたのですが竹田街道のものや鳥羽街道のものもあるのではないかと思っています。そんなことも調べられたらおもしろいでしょうね。
9月19日(金)
龍野落し語の会
 「龍野落し語の会」水曜日に行ってきました。梅団治さんの「宇治の柴舟」よかったです。虹や夕焼けの描写は梅団治さんのオリジナルとか。確かにその描写が光ってました。それにしてもこの落語一体いつ頃の話しなのでしょうか。柴舟がまだあったころで、サイダーがあって、宇治の電車があって、宇治に「菊屋」という旅館があった時代です。春団治さんはもうこの咄はされてないそうですし、春蝶さんは亡くなったし、上方ではおそらく梅団治さんだけではないでしょうか。本当に珍しい咄を聞かせてもらいました。
 福車さんの「代脈」もなかなか達者なものでした。福車さんのマクラも楽しかったです。東大教授は1400人、上方に落語家が202人、東京に400人合わせて600人、どっちがなるのが難しいか明らかだというのです。そしてクジラ保護の話しで「私はオリビアニュートンジョンというやつおうたら、しばいたろうとおもうんです」「『オオ、日本人残酷です。あんなかわいいクジラを食べるなんて・・・』もちろん日本語で言いまへんで。英語でゆうてもええんですけど、今日は英語で言うても、おそらくわからへんと思うので日本語で言いますけど」「大体クジラと牛とどこが違うねん」「そんな何万頭何十万頭と増え続けている海の中にほとんど外敵のいないクジラと落語家とどっちを保護しないかんか」これも明らかだというのです。笑わしてもらいました。
 落語家さんもずいぶんリラックスしておられたしアットホームないい落語会でした。
9月16日(火)
伏見の道しるべ
 この3連休は遠出せずに伏見の近くを文字通りぶらぶらしてました。久しぶりにテニスも2日間しました。土曜日に小学校や中学校、寺社にある道しるべの写真を撮ってまわりました。この道しるべの紹介ページを作るのおもしろいです。なぜかというと私が推理を働かせる楽しみがあるからです。この道しるべは一体どこにあったのかを推理するため、道しるべのミニチュア(紙)をつくって地図を広げながらその辻に建ててみるのです。うまくはまると「ヤッタ!」という気分になります。というような調子で1日1個の道しるべ紹介をしていきますので、しばらくいっしょに楽しんでくださればと思っています。
 伏見街道のつづきも気になっていて、一橋小学校の近くを散策していたら見つけました!一の橋川(音無川)石碑、そして「夢の架け橋」という何ともロマンチックな橋の石碑。毎日通っていても今まで見つけられなかったのにラッキーでした。泉涌寺へ行ったらまた浴室発見。大きなお寺ってみんな持ってたんですね、お風呂。今まで浴室に気をつけてお寺へ行ったことがなかったのです。そう言えば奈良の法華寺にお風呂あったなあ。あれは古そうでした。ひょっとして奈良時代?これは奈良へ出かけたくなりました。来週行こうかな。
9月10日(水)
龍野落し語の会
 落語「宇治の柴舟」が聞けます。この落語「崇徳院」と似ているということもあるのでしょうが、米朝一門の方々の落語会では聞いたことがありません。NHKの持っておられるテープで作られてるビクター落語上方編には春団治師匠と故春蝶さんのものがあります。でも最近春団治師匠が演じられらないそうで「宇治の柴舟」はその弟子である梅団治さんが演じたという記録だけ見てました。その梅団治さんの「宇治の柴舟」聞けます。京都市山科区の三条商店会にある「リカーショップ龍野」で第62回「龍野落し語の会」で演じられます。このリカーショップ龍野さん、平成5年4月から自分のお店で落語会を62回赤字覚悟で続けておられます。山科在住だった藤山寛美さんの映画会もしておられます。みなさん、聞きに行かれませんか。このリカーショップ龍野と相互リンクしました。一度覗いてください。他に林家染太「動物園」桂福車「代脈」も聞けます。予約1000円。当日1200円です。
9月5日(金)
毎日暑いですね
 毎日暑いです。8月より暑いですね。お茶ばかり飲んでます。
 宇治の銭湯巡りにいよいよ拍車がかかってきました。勢いがないと銭湯巡りもなかなかできないもので、どうしても近くや帰り道で済ませてしまいます。一番遠い梅湯へ行ってきました。城陽市です。もうあと何回かいったら宇治の銭湯も完了します。場所がなかなかわからなくて探すことが多く今回も「開温泉」の位置が「京都府浴場組合」のHPの地図が間違っていて探し回ること3回。全く見当違いの位置でやっと見つけました。
8月31日(日)
始まる!
 夏休みも終わりました。明日から前期が再開します。すぐに運動会の練習です。そして前期の通知簿をつけなければなりません。いつもの2学期が始まるというのとは違う感じです。
 子どもはあんまり変わらないでしょうね。
 この夏休みはお地蔵さん巡りをしました。「京の六地蔵巡り」「伏見のお地蔵さん」をupすることが出来ました。勝手に「伏見の六地蔵巡り」のコースも決めました。その他にも仏教関係の本をいくつか読みました。去年は落語地図とレンガ求めて京都をあちこち走り回って楽しんでましたが今年は学生時代からやりたかった研究の一つができたというところです。
 昨年試した文学の授業のこともまとめられたし、4回実践報告や講演させてもらったおかげで昨年の作文の仕事もまとめることができました。
 滋賀作文の会が来年の近畿作文の会へ向けて活動を始めました。近畿各地の作文のサークルの活動紹介や研究会案内をこのHPでしていこうかと考えてます。
 有意義な楽しい夏休みでした。 
8月26日(火)
東山動物園
 今日は午前中宇治市の小学校の校内研究会の講師をしてきました。演題は「宇治市の銭湯」ではなくて、「生活や学習の中で大切にしたいこと」。まあ何をしゃべっても許されるような演題なので気楽に話せました。聞いてる先生方がどう思われたかは別ですが。私は一日年休をとっていました。講師は午前中で終わりましたから昼からも空いてます。ラッキー!というわけで昼からどこへ出かけようかと考えました。
 帰りの車の中で「ようし、東山動物園だ」と突然決めました。「今日はずしたらたぶんカバの赤ちゃんは見られない」と思って出かけました。カバの赤ちゃんかわいかったですよ。またカバの話に写真をUPしますから見て下さい。とりあえずかぼのポスターやモノレールなどを「かば写真館」にUPしました。東山動物園がカバを見て欲しいと思って宣伝しておられることがよく分かりました。
8月25日(月)
父親と!?
 今日入院中の母親と話をしていて「へー!」とびっくりした話。
 この夏は「迎え鐘」も「送り鐘」も「六地蔵巡り」もしてきた、という話をしたら、「お前、子どもの時に父親に六地蔵巡り連れて行ってもらったことがあった。自転車に乗せてもらって」と言うのです。「へえ?いくつぐらいの時」「小学生の時やろ」「いやあ、覚えてないなあ」「お父さんは、信心深い人やったから毎年自転車に乗って夕方から出て、明くる朝帰ってきていた」と言うのです。「鞍馬口地蔵で『疲れた』と言って動かへんから氷まんじゅう買ったと言ってた」というのです。氷まんじゅうというのがすごくリアルです。
 私が父親に連れてもらって覚えているのは『伏見七福神巡り』です。自転車に乗って行きました。これの話をしたら母親がよく覚えていたので、今はない『伏見七福神巡り』再訪してみようと思います。
 私の父親が特別信心深い人やったとはそんなに思わなかったのですが確かによくいろんな神社や寺へ行ったように思います。祖母には弘法さん(東寺)やお稲荷さんに連れて行ってもらってお賽銭を一つ一つの神さんや仏さんにあげるのが私の役目でした。
 二、三日前珍しいやろと、稲荷で『稲荷せんべい(きつねせんべい)』を買って帰ったら息子と娘が「なつかしい」と言いながら食べました。私は買ってやったことがないので「なぜ?」と聞きますと小学生の時に息子は私の父親に、娘は父親がもう亡くなっていたので母親にそれぞれ毎月稲荷へ連れて行かれて帰りに買ってもらって食べたというのです。娘は「歩くのがいやで、なんでこんなとこ来ないかんのかと思った」と言っていました。
 繰り返すのですかね、こういう体験。
 私が「・・・巡り」とかお寺や神社が好きなのは、子どもの頃に連れて行ってもらったことに関係があるのかもしれません。すっかり忘れているのですが。 
8月24日(日)
笑わせて笑わせて
桂枝雀
 という本が淡交社から出ました。21日に買ってきて早速読みました。この本は上田文世という朝日新聞の学芸担当記者だった方の本です。朝日で連載されていたものを加筆し出版されたそうです。
 枝雀さんには随分楽しませてもらいましたし今もCDで楽しませてもらっています。この本でそうやったんかということがいくつかありました。独演会へ行くとCD売り場で「万事機嫌よく」と書かれた色紙がもらえました。自分は気を散じることが苦手で「気が寄る」タチだとよく言っておられました。「万事機嫌よく」を座右の銘にしておられたことと「笑いの仮面」を肉付きにするという話とがダブります。
 この本で「へーそんなことがあったのか」と思ったこと。舞台に立てなくなってから奥さんらと京都に遊びに来られたそうで、「愛宕念仏寺」で楽しいひとときを過ごされたそうです。あの羅漢さんと同じポーズをとったとか。また嵐山のひばり記念館で、「よう、働いたんやなあ」と言ったとか。枝雀さんの落語の中に出てきた息子さん枝雀さんに必ず敬語でした。「お父さん、・・・ですよ」など。これ本当にそうだったようです。
 そんなこんなが書いてあって一晩で読んでしまいました。おかげで寝不足で明くる日困りました。

 やっと「京の六地蔵巡り」が完成しました。巡ってみて初めて知ったことやおまけで分かったことなどがあって楽しい六地蔵巡りでした。あと地図を入れたら自分の中では完璧なのですが時間がかかりそうなので考えてます。でも興味のない人はなんでこんなことが面白いのかと思われるでしょうね。私は信仰心の厚い方ではないのですが、こういうことが好きです。
8月21日(木)
六地蔵巡り
 22日と23日二日間六地蔵巡りが行われます。徹夜で行われます。私とりあえず場所を確認するために六地蔵巡りしました。さっそくHPで紹介します。でも徹夜の六地蔵巡りにねうちがありそうに思います。桂の地蔵寺では午後8時から六斉念仏の奉納が行なわれるそうです。
 バスツアーを京都新聞社が計画しているようです。お寺そのものが小さいので大きな通りでバスを降りて回るのかな。
 山科徳林庵の前の旧東海道はJR山科から四宮まで交通規制があるようです。昔の人は歩いてたぶん徹夜で回ったのだと思います。だから今も徹夜でということになっているのでしょう。またその様子を撮ってきます。どんな様子なのか楽しみです。
地蔵盆も近づいてきてしばらくお地蔵さん三昧です。
8月17日(日)
送り鐘と大文字送り火
 朝から雨です。この日記のページnot foundになっています。日記のページの編成を変えたものですから何かおかしな事になったようです。ついでに16日の古本祭りも消えていてもう一度書き直しました。
 昨日は親戚のものが私の家に集まるので朝から掃除したり買い物に行ったりでした。それでもどうしても16日でないと行けない場所があって行ってきました。それは三条寺町上ルにある矢田寺というお寺です。盂蘭盆に「迎え鐘」を撞くところは多いのですが「送り鐘」を撞くお寺は少ないと思います。そして撞いてきました。私の家の先祖は夜を待たずに撞かれて、「オイ、何でそんな早いこと帰らすねん!」と文句言ってたのでしょうか。また四季折々に「矢田寺の送り鐘」upします。
 矢田寺のすぐ近くに仏教書を扱っておられる本屋さん(基中堂)があります。存在は知ってたのですがまああんまり縁がなかったもので、入ったことがありませんでした。このところ親鸞や道元の本を調べたりお地蔵さんを調べたり円空に興味があったり「往生要集」読みたいとかでしたので入ったわけです。刺激的でした。古本も新しい本も扱っておられます。「地蔵さま入門」という本を買いました。「地蔵和讃」を前から読みたかったのが全文読めました。「円空と木喰」という本がありました。(五来重著・淡交社2500円)この本が欲しかったのです。故五来重先生は大谷大学の先生でした。生前円空と木喰それぞれの本を出しておられたました。15日に行った下鴨の古本市で「円空」だけでも3500円でしたので迷ったのですが買いませんでした。それが新刊で木喰もいっしょになって2500円でしたからうれしくなって買いました。円空については「円空学会」というものもあるようですが五来先生の研究が基礎になって発展してきているようで、言わば円空研究のバイブルみたな本ということになるようです。何でまた円空なのかというと・・・これはもう少し形になってから書くことにします。
 夜は自宅から久しぶりに大文字を見ることにしました。私の家の2階から4つ見えます。北山の東から順に「妙法」の「妙」「舟」「左大文字」「鳥居」です。東山にある「大文字」は稲荷山のために伏見からは見えないのです。お精霊さん(大文字)は「南無妙法蓮華経」(妙法)を唱えながら(題目に送られてかな?)、舟(舟)に乗って彼岸へ向かい、後ろ向きになって(左大文字)、鳥居(鳥居)をくぐってあの世へ帰られるのだそうです。ということは、これは日蓮宗のお精霊さんだけかな。いや、鳥居は仏教じゃないでしょう。てなこと考えると分からなくなります。何宗であろうが全部自分の生活の中に取り込んでしまう日本人の宗教観がここでも発揮されてます。
 さあ、たくさん本を買い込みました。頑張って読むことにします。
  
8月16日(土)
下鴨古本祭り
 新聞で古本祭りを13日から16日までやってるというので15日仕事の帰りに行くことにしました。5時に下鴨神社に着きました。あと1時間しかありません。私の目当ては岩波の古典文学大系と円空に関する本。たくさんの古書店が並んでいました。結局3分の1程しか見られませんでした。河原町蛸薬師あたりにある古本屋さんに何と3冊500円の岩波などの古典文学本を見つけてうれしくなりました。土佐日記や和泉式部日記、大和物語、更級日記そして小学館の古今和歌集が買えました。これでこれらの本は図書館で借りなくてすみます。その後500円の新潮の「好色一代男」と小学館の「円空と来喰」1000円で買ってウキウキしながら家へ帰りました。
 帰るなり並べて「いくらやと思う?」と尋ねますと「1000円」との答え・・・。愛想でももう少し多い目に言ってくれないと。定価はどう安く見積もっても8000円超えるのですから。私、腹が立って次の言葉を言う気も起こらなくなりました。こういうこと聞かれたら少々多い目に言ってあげましょうね、みなさん。
私が学生の時に岩波の古典文学大系は配本されていました。その時に買えなかったものですから、あの本には思い入れがあります。だから余計に腹が立つのです。
 なおこの古本市は年3回行われるようです。次は百万遍です。
8月12日(火)
明治村
 愛知県犬山市にある「明治村」へ行ってきました。
 いくつかおもしろいことがあったのですが、まず、入り口に「明治生まれのかた入場無料」と書いてありました。おいおい、明治45年生まれの人でも93歳?それ以上の年齢の方が明治村へこられるの?と思いました。思い切って大正生まれの人無料でもたぶんそんなに損はしないと思いますよ。かえってその人たちに家族が付き添ってこられたら入場料収入は増えるのではないでしょうか。
 2つ目おもしろかったこと。私の前を小学生の孫を連れたおじいさんおばあさんが歩いておられました。おじいさんといってもまだ60歳代の若い方です。おばあさんが孫に聞いています。「また明治村来たい?」「ううん、来たくない」私笑ってしまいました。子どもにしたら明治村って退屈かもしれないなと思いました。それで自分に孫が出来たらたぶん私は孫がいやがる退屈なところばかり連れて行って「おじいちゃんの連れて行ってくれるところおもしろないとこばっかり」と言われそうだなと思いました。お寺や神社やレンガ建築やったら孫に嫌われるでしょうね。嫌われじいさんになっている自分を想像して笑いました。
8月7日(木)
佐賀と伏見
 佐賀市をぶらぶら歩いて来ました。いえ時間の制約がありましたから駆け足かもしれません。佐賀県下では伊万里・有田・唐津・名護屋城・吉野ケ里遺跡は以前に行ったことがあるので、今回は佐賀市内を歩きました。
 ところで佐賀市の人口ご存じですか?16万人ぐらいです。そして私の住む伏見区は28万人です。ちなみに伏見区は東京23区の中の12区(世田谷区83万など)横浜市港北区の30万人についで全国14位か15位を東京都新宿区と争っているというマンモス区なのです。
 佐賀は県庁所在地ですから博物館美術館などの公共施設はもちろんバスの循環など交通網もJR佐賀駅中心に整えられています。
 それに比べて我が伏見はどうでしょうか?何にもないのです。せめて伏見歴史資料館ぐらい作って研究と資料公開イベント企画などしたらどうでしょうか。たとえばキャッスルランド伏見桃山城跡地などに。人口が多く独自の歴史や産業、観光地などを持つ伏見に何もないというのは、文化観光都市京都のなおれだと私は思います。
 16万と28万の人口を比べながら伏見区はもっといろんな面で配慮されてもいいのではないかと思いました。 
8月6日(水)
日作大会のこと
 日本作文の会の大会が佐賀市であって参加しました。「文学教育と生活綴方」という分科会名でレポートしました。作文の会主催の研究会なのにわざわざ文学教育の分科会に出るという方はよほど文学教育に関心を持っておられる方なのだと思います。私はそれより果たして参加者があるのか心配してました。せっかくレポート用意してるのに聞いてくれる人がいないのではガッカリですから。
 結果を言いますと午前中20名の参加者でした。私は午後からレポートする予定でした。正直言って「わあ、ようけいはる」と思ってました。午前の終わりに「必ず午後帰ってきてくださいね」とお願いしたにもかかわらず午後6名減って14名でした。まあ、私の話は聞く必要がなかった方が6名おられたのです。
 こんなことなら無理矢理でも午前中に話をして聞いてもらえばよかったと思いました。自分としては聞いてほしいレポートだったのですが残念でした。昨年担任した12名の子どもたちと「ごんぎつね」にどう取り組んだかというものです。子どもたちの感想文をどう読んだかを「子どもの詩」の中の「ごんぎつねの授業」に付け加えますので、また関心のある方は見てください。またこの分科会での私のレポートに対する参加者の感想や意見と私の意見を付け加えます。
7月31日(木)
冷夏?
 お米は大丈夫なのだろうか?涼しくて過ごしやすいのはいいけど、また10年前みたいにお米が不足してタイ米のお世話にならなければならないという事態になるのでしょうか。今日はプール当番だったのですが、昼からプールサイドの気温27度水温26度でした。例年なら35度越えて38度とかになっている時期なのですが。 
7月22日(火)
宇治の銭湯再開
 どうしても小倉へ行かなければならないことがあって1週間に3〜4回国道24号を南へ向かってます。向島を越えて槇島を過ぎますと宇治市小倉です。ここらあたりがたぶん巨椋池のあったあたりなのでしょう。
 ついでといってはなんなんですが、宇治の銭湯巡りを再開しようと思います。JR宇治駅あたり、そして小倉に、大久保に銭湯があります。先日神明湯へ行ってきました。今日は有馬湯へ行ってきました。次回は桜湯の予定です。
7月19日(土)
小野小町
 『百夜通い』のことを調べているうちに「謡曲百番」「徒然草」「玉造小町子壮衰書」「御伽草子」などに当たってみたくなりました。それぞれにおもしろかったです。でも結局実際の小野小町のことは古今集にとられた18の和歌でしか分からないという結論になりました。もう一度古今和歌集にある18の歌を読んで自分なりの小町像を作って終わりにします。それにしてもこれだけたくさんの伝説や説話や物語を作られた女性は他にあるのでしょうか。美人で恋多き女性で高慢で男を振り続け老後落魄したという一般に流布している小町像。まち針というのは小町針の略で実は小町には穴がなかったという俗説があるのだそうです。これも男の意のままに身を委ねなかった小町という女性を揶揄するために作られた話なのでしょう。実際の小野小町に少しでも近づきたいと思いましたが、残念ながら小町に軽くあしらわれたのかもしれません。
7月13日(日)
3冊の本
 私の知り合いの方3人の本を紹介します。
 まず大塚達男さんの「魔法のゴーグル」(けやき書房)です。この本は今年度京都新聞社「お話しの絵コンクール」中学年に選ばれた本です。今京都の本屋さんに平積みされていますから手に入りやすいと思います。大塚達男さん自身水泳のマスターズ大会に出場されているスイマーです。大塚さんは日本作文の会の事務局長を長年されたあと執筆活動に入られています。
 2冊目は「ウミハヒロイナオオキイナ」(碧天舎)青山佳嗣さん著です。青山さんは大阪綴方の会の代表です。この本は普通の子どもの戦争体験という副題がついているとおり、ご自身の戦争体験を当時のご自身のテストなどを資料にしながら紹介されています。教育勅語の「朕惟ウニ、我ガ皇祖皇宗・・」という文を「朕オモウニ、ワガコソコソト ヘヲコイテ、ナンジシンミンクサカロウ。ミナ、ガマンセヨ。」と言って笑ったという話は初めて知りました。
 3冊目は「子どもと読みたい100の児童詩」(村山士郎著・大月書店)です。村山さんは大東文化大学教授で、日本作文の会委員長です。この作品集は児童の作文や詩を紹介しながら村山さんが現代という時代と子どもをどのようにとらえているのかを著しています。私が指導した児童の作品も2点使われています。いつもあっと驚く見解を私たちに提示してくれる村山さんの最新刊の本です。
 3冊の本機会があればぜひ。
7月7日(月)
銭湯のサウナ
 昨秋伏見の全銭湯21巡りをしました。で、その時に気づいたのですが、銭湯のサウナが有料のところと無料の所がありました。350円の入浴料+150円のサウナ料で計500円です。今スーパー銭湯が大流行です。伏見には京都市内にある5つのスーパー銭湯のうち3つがあります。一番安いスーパー銭湯は平日550円です。伏見の銭湯の場合、スーパー銭湯との比較がどうしても問題になります。550円のスーパー銭湯と500円の町の銭湯。これははっきりいって勝負にならないと思います。スーパー銭湯の勝ちです。
 私はユートピアダイゴのところに何とか町の銭湯のサウナ料を無料にした方がよいと思うという意見を書いておきました。最近ユートピアダイゴへ行きましたら、うれしいことにサウナ無料になっておりました。私の意見が通ったのではないでしょうけど賢明な判断だと思います。もう一つ観月湯(向島)もサウナは無料になっていました。ただしバスタオル代が50円かかります。
 中京区にスーパー銭湯進出計画があるそうです。伏見の羽束師にある店のチェーン店だそうです。これって町の小売店とか商店街と大規模店舗(スーパー)との関係と似ていてもうすぐ軒並み町の銭湯が潰されていきそうな感じがします。何とか両方とも栄える方向で調整がつかないかなあと思います。確かにスーパー銭湯のニーズは高いのですが。
7月7日(月)
七夕ですが・・・
 今年の梅雨はそうとう根性の入った梅雨です。これだけ続きますと飽き飽きしてきます。これで梅雨が上がったら一気に夏になるのでしょうか。まだ30度前後をいったりきたりの気温が5度前後あがるのでしょうか。蒸し暑いのもいやですが酷暑も辛いモノがあります。もう2週間ほど前から私がよく行くスーパーでは祇園囃子が流されてます。冬には早くからジングルベルです。京都以外のところでは夏には何が流されるのでしょうか。まさか祇園囃子ではないでしょうね。今日は七夕様。大雨でむちゃくちゃです。
7月3日(木)
作文の授業公開
 私作文の授業公開します。支部作文主任会の研究授業を引き受けたのです。これで3年連続で私は授業公開してます。それもこれも作文がなくなっていいのかという私の危機意識です。こんな大切ないいものをなくしてなるものかと思うのです。まあ、だれも自分から「やります」という人はいないのです。どうしても授業するようにという校長会からの(つまりは教育委員会から)強い指導のもとで、誰かが犠牲になってやっているのです。でも私は公で授業を見てもらえるのですからチャンスだと思って授業を公開します。決していやいややるのではありません。ぜひお越し下さい。
場所:京都市立元町小学校1年い組教室
日時:2003年7月8日(火)1時40分(5校時)〜2時25分
単元名:「せんせい あのね」
授業案を「子どもの詩」にupします。

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